第34話 情報と謀略

 直史の投げていたステージは、甲子園や大学リーグにNPBとMLBと、幾つも存在する。

 その中では意外なことに、高校時代にパーフェクトというのがない。

 あるのはあくまでも参考記録というものだ。

 これはもちろん、その頃の直史の技術が未完成であったこともある。

 だが高校野球の場合は、とにかく対戦する相手が多く、完全には情報分析が出来なかったからというのも理由だろう。


 大学野球は基本的に、リーグ戦がずっと続いていく。

 すると情報の量も莫大となり、その分析も詳細に進んでいく。

 だからこそ直史は、四年生の時の成績が、飛びぬけたものであったのだ。

 そしてさらにプロのリーグ戦では、相手の情報量も対戦経験も分析も、全てが多くなっていくし、精度も高くなっていく。

 MLBはその最先端なので、直史の成績が一番良かった、という理由にもなるであろう。


 淳から直史が受け取り、直史が淳に渡したもの。

 それはお互いのチームが、同じリーグの他のチームから収集したデータと、それを分析したものである。

 これは禁止されてはいないが、野球倫理的には真っ黒なものであるが、法律で問題がないのなら、やってしまうのがこの一族である。

 ただこの取引で得をするのは、主に直史である。

 東北はおそらく、今年も日本シリーズはおろか、クライマックスシリーズまでも勧めない。

 対してレックスは、ライガースに成績は上回られていたが、日本シリーズ進出は現実的である。

 この交流戦も、勝つことにはかなりの意味があるのだ。


 お互いがお互いに、チームが勝つための最善の策を取る。

 バレてはまずいが、バレなければいい。

 直史だって徒歩の時ぐらいは、赤信号を無視することはあるのだ。

 ただ自動車を運転している時は、ペナルティが大きいので見晴らしがよくても信号をしっかりと守る。




「しかし、昔の野球だったら、俺たちみたいなのはプロにはならなかっただろうな」

「野球は頭脳戦じゃなくて、軍事演習の一部みたいなこと言われてたしな」

 二人は大学野球が、戦争中も行われていたことを知っている。

 そのための方便として、野球は上官に絶対服従だとか、年齢による上下関係だとかが徹底されていたのだ。


 野球に限った話ではないが、人間が上達するのには、どういう環境であるのがいいのか。

 初心者の場合であると、まず誉めて伸ばすというのが効果的だ。

 ただこれは中級者以上になると、厳しく教えた方がよくなるのだとか。

 そして事実の指摘と改善だけだと、急激な伸びはないものの、安定して伸びていくのだとか。

 もちろんそんな環境が、成長する段階で確実に用意されるはずもない。

 

 教育や育成に関しては、自主的に得られる情報がある環境と、それを質問出来る人間が複数いるというのが、一番いいらしい。

 実際のところ野球は、初心者段階でいきなり厳しくやってしまって、それで競技人口を大いに減らしたという時代がある。

 スーパースターの出現によって、その流出には歯止めがかかったが、またクズな指導者がいれば、流出は止まらない。

 だが古い体質の人間を、少なくとも現場からはほぼ追放したことで、少年野球のクラブチームなどは、やや増加気味になっている。

 ただ本気で小学校中学校でやる人間は、クラブチームの人間と、実力差が開いてしまうという実情もあるが。


 直史は小学校から中学校は、ほぼ競争のない環境に生きてきた。

 そして高校は、フリーダムでありながらも、一番環境は良かったと言ってもいいだろう。

 あとは自分の力で、周囲を変えることに成功した。

 もちろん仲間がいたからこそであり、自分一人ならもっと適当にやっていただろう。




 淳もまた協力者の一人と言うか、積極的に仲間になってきた。

 早稲谷の野球部が完全に変化したのは、直史や樋口を受け入れてから淳が卒業するまでの、六年間にあったと言っていい。

 高校野球は勝ち進んで甲子園に行くことが至上命題であったため、むしろ変革の波は早かった。

 そしてプロも、勝つためにその体質は変わっていった。

 一番古くまで残ったのが、大学野球といっていいだろう。

 それも今では、伝統という名の旧弊はほぼなくなっている。


 直史や樋口に、そして近藤たち早大付属の出身者たちが、実力と謀略で変革を果たした。

 勝てば官軍と言わんばかりに、早稲谷から大学野球は変革され、それは帝都にも波及し、東大などはそれよりも早く変化したと言っていいだろう。

 なにしろあそこには、一年間だけとはいえツインズがいたのであるから。

 いまだに体質の古い大学はあるが、それはもう時代遅れである。

 内部の問題が刑事事件化したことなどもあって、環境は改善していった。


 そういった陰謀の記憶を共有しているだけに、二人の間には血のつながりの他に、仲間としてのつながりの意識もある。

 とりあえず自分のチームのデータを渡すわけではないのだ。

 お互いが他のチームを相手に勝ってくれれば、相対的に交流戦では有利になる。

 そういった計算高さが、この二人には共通していた。




 東北はチームとして、いまいち層が薄い。

 ただ中核となる選手については、やはりそれなりの力を持っている。

 しかしそれは即ち、中核となる選手の情報は、既に分析されているということだ。

 直史は淳から、東北のデータは当然受け取らなかったが、チームとしての特徴からして、どうにかなりそうだなとは思えていたのだ。

 一方の東北であるが、直史の脅威はあまり感じられていない。

 今の主戦力はほぼ、直史がNPBで投げていた頃を知らないし、MLBで投げていたのも随分と前だ。

 もちろん今年のノーヒットノーランや、完投の鬼ということは分かっている。

 だがパ・リーグのチーム主催で開催されるこの試合は、DHがいる。

 セ・リーグのピッチャーとしては、相手にする打線の力が違うのだ。


 レックスの一回の表の攻撃。

 打撃好調につき、一番に入っているのは、ショートの左右田である。

 社会人からとはいえ一年目のショートが、一番に抜擢されているというのは、相当に珍しいことである。

 迫水と共にドラフトの前に評価を落としたが、それは本当にスカウトに目がなかったと言うべき案件であろうか。

 もっとも直史にフルボッコにされた以降も、しばらくそのダメージが残っていたので、そこは仕方がなかったとは言えるが。


 左右田がしっかり球を見て出塁し、緒方が最低でもそれを進塁させる。

 この日はヒットが出て、左右田は俊足を活かして一気に、三塁にまで到達した。

 ノーアウト一三塁から、中軸で点が取れないのなら、指揮官はもう無能以外の何者でもない。

 ここで犠牲フライによるタッチアップで、まずは一点を先制した。

 ただ途中でセカンドがカットしたので、一塁の緒方は進塁することは出来ない。

 初回の攻撃はこの一点のみ。

 それでもレックスの信者たちは、試合の勝利を確信する。




 一回の表の攻撃で、一番と二番が出塁して、得点は一点だけ。

 最低限の仕事はしたが、チャンスを拡大することは出来なかった。

(一点を諦めて、途中でカットしたのもいい判断だったな)

 直史はそんなことを考えながらも、一回の裏のマウンドに登った。


 現在の東北は、確かに数字だけを見ると戦力が足りていない。

 スタメンの活躍はあっても、その控えが弱いのである。

 だいたい強いチームというのは、選手たちが競い合い、目の前のプレイでアピールすることによって、戦力の入れ替えと強化が行われていくものである。

 東北などは比較的、FAでの選手獲得が少ない。

 またFAで出て行くことも多いので、選手の育成にはかなり、慎重になっているのも確かなのだ。


 上から落ちてきたスタメンの入れ替わりを、常に狙っている二軍選手。

 そういうことを考えると、とにかく出塁や長打といった、分かりやすい成果を得ようとしてくるのも分かる。

 だがMLBではもう、フォアボールの出塁は、単打の出塁よりも、むしろ上だと思われている。

 日本ではさすがにそこまではいかないので、やや早打ちの傾向にあることは確かであろう。


 一番から三番まで、内野フライとファールフライで打ち取った。

 要した球数はわずかに八球で、もう少し粘らなくてもいいのか、などと直史は思わないでもない。

 だがこの初回の攻撃を見て、東北の打線の考えは、ある程度分かってくる。

 単純に言うと積極的なのだ。

(ちょっと難しい相手かな)

 球数を少なく抑えながらも、直史はそのように考えていた。




 初回にレックスに先制されたことで、果たしてレックスの勝利は決定したと言っていいのだろうか?

 意外と言ってはなんだが、直史はその負けた試合においては、ほとんどが二点以上を取られている。

 なのでベンチの淳は、それだけでは別に絶望はしない。

 そもそも直史の投げる試合では、最初からある程度諦めておいた方がいい。

 下手に士気を保ちながら勝負すると、結局はフルボッコにされる。

 するとそこから、チームの状態が悪くなってもおかしくない。


 過去の直史は、少なくともそういう存在であった。

 とにかく相手を完全に封じてしまうため、手玉に取られたバッターは、調子を崩す。

 下手をすると対戦したピッチャーさえ、自分との差を見せ付けられて調子を落としてしまうのだ。

 あれで本人は才能がないと言うのだから、才能とは何かという哲学を論じたくなる淳である。


 当たり前のように三者凡退を築いていく。

 このままではパーフェクトも充分ありうるぞ、と思える球数の推移。

 しかし四回の裏、先頭打者が内野安打で出塁。

 とりあえずノーヒットノーランまで消えて、ほっと一息する東北のベンチである。


 スコアも1-0から動いていないので、上手く動けば点を取れることまでありえる。

 もしも直史から打って勝ったとしたら、歴史的な快挙である。

 NPBのレギュラーシーズン、直史はいまだに負けたことがない。

 ただそんな幻想を打ち砕くのもナオフミ=サンである。

 内野フライを二本打たせてツーアウトとし、ランナーは二塁を踏むことも出来ない。

 これなら素直に送りバントをしておくべきだったか、と考えたところで、最後は空振り三振。

 球数の少ないピッチングは続いている。

 



 1-0は苦しいな、と直史は感じている。

 今年の直史は過去に比べると、外野フライでアウトを取る確率が、以前よりもはるかに高くなっている。

 失点したのは二回とも、ソロホームランによるものだ。

 ホームランを打てる高打率バッター相手というのが、今の直史の一番苦手な場面であるのだ。


 せめてあと一点取ってくれれば、もう少し楽になるのに。

 そう考えていたところに、迫水がタイムリーを打ってレックスは二点目を獲得。

 さらにその迫水もホームを踏んで、理想的なタイムリーヒット二本で、レックスは点差を三点としたのであった。

(三点あれば、まあ大丈夫か)

 今の直史には一発病がある。

 だが前にランナーがいる状態では、その一発病は発症しないようであった。


 普段は平静を保っている直史が、珍しくもにこやかに拳を向けてくる。

 迫水としては軽くホラーであったが、拳を合わせておいた。

(やっぱり一点差だと厳しいんだな)

 そうは思っても過去の試合を見てみれば、むしろ直史は1-0で勝利する野球は得意であるのだが。


 試合は終盤に入ってくる。

 そして東北ベンチのみならず、スタンドもそろそろ気づいてくる。

 直史はこの試合、既にヒットを打たれてはいる。

 だが早打ちの傾向がある今日の試合は、球数がかなり抑えられているのだ。


 過去には80球以内の完封さえ何度か経験している直史。

 この試合は今年の完投した試合の中では、もっとも球数が少なくなるペースで投げられている。

 東北のベンチは、そもそも最初からある程度の待球策は指示していたのだが、改めてそれを確認する。

 打てそうなストレートを打って、フライアウトというのが今日は多いのだ。


 直史ももちろん、それには気づいていた。

 三振の数は比較的少ないが、それよりは球数が少なく、試合の展開もスピーディーというのが嬉しい。

 ただそろそろ、あちらもそれには気づいているだろうな、とも予想していた。

 終盤、直史はピッチングの構成を変化させる。




 ストレートかカーブで、初球からストライクを奪いに来る。

 その直史のボールは、選択肢があまりないため、本来なら打ちやすいはずなのだ。

 しかし低めと高めでは、ストレートの質が違う。

 またカーブにしても、タイミングがあちこち変わってくるのだ。

 普通に速いカーブを投げる手の振りで、スローカーブを投げる。

 この器用さに対して、バッターは対応しきれない。


 直史からするとこれは、とにかくタイミングを外すことを重視しているのだ。

 バッティングというのはタイミングだと、直史は考えている。

 タイミングがわずかに狂えば、スイングは泳いでボールを捉えるのは無理な体勢となってしまう。

 そこから打ったボールは、自然と凡打になる。

 それを狙って、直史はタイミングが狂うピッチングを行う。


 バッターからしたら単純にスピードボールを投げられるより、曲がる変化球を投げられるより、苛立つピッチングである。

 だが野球に限らず対戦型スポーツというのはおおよそ、相手の嫌がることをやって勝つものである。

 正々堂々と戦えというのは、恵まれて生まれた者の傲慢である。

 ルールの中で戦っているのなら、文句を言われる筋合いはない。

 するとルールを変えてくるのが、欧米的な公平さであったりするらしいが。

 だいたい日本が無双すると、レギュレーションが変化する。




 確かにヒットは一本出た。

 しかし早打ちになってしまったのは、打てそうだと中途半端に思ってしまったからか。

 終盤に入り、直史のストレートは変化した。

 よりゾーンへの侵入角が浅いストレートである。

 これは低めに投げることは難しく、低めはボール球になることが多い。

 よってより低い位置から、高めにボールを投げるのだ。


 球速はおおよそ、145km/h程度となっている。

 実際にバッターボックスでの体感速度も、それとはほぼ変わらない。

 160km/hを超えてくるような、とても打てないボールではないのだ。

 それなのに打ちにいっては、空振り三振となる。

 二桁三振のペースで、試合は推移していた。

 今日はどうにも、試合時間が短くなりそうである。


 レックスの方も今日は、あまり攻撃で援護が出来ていなかった。

 またいつもの直史に特有の、援護減少病であるが、それでも三点は取ってくれたのだ。

 おかげでと言うべきなのかは分からないが、試合の展開は非常にスムーズ。

 およそ二時間ちょっとで終わりそうな、今年最速の試合となりそうだ。


 そして九回の裏、東北の最後の攻撃。

 当然ながらこの場面では、東北は代打を出してくる。

 三点差をひっくり返すというのは、かなりの無理筋だと承知している。

 しかしただ負けるだけでは、後に活かせるものがない。

(相変わらず本当に、容赦がないなあ)

 おおよその試合展開を予想していた淳であるが、想定を超えるものであった。

 これが五年以上もブランクのある、40歳のピッチャーの内容なのである。

 終盤に入って、やや待球策に切り替えたが、今更それは遅かったと言えるだろう。

 最後には一番バッターが、ラストバッターとなった。

 球数91球でフィニッシュ。

 ヒット一本の準パーフェクトという内容であった。




 同じ日に、ライガースはアウェイで千葉との試合を行っていた。

 雨天での中止などで消化した試合の数は違うが、大介は52試合が経過した時点で、ホームランの数は19本。

 シーズン序盤の勢いは失ってきたのかと思われるが、ここのところは打率よりも、飛距離を重視している。

 一時期は四割を超えていた打率も、また0.39を切るまでには落ちた。

 もちろんこれは例年であれば、普通に首位打者の成績である。


 今日の試合は敬遠一度を含む三四球で、出塁率は上がっている大介。

 ただ残りの二打席でヒットが出なかったため、久しぶりに、無安打の試合となっていた。

 多くの人が勘違いするが、大介はポストシーズンこそ爆発的な成績を残すが、レギュラーシーズンはやや控えめで安定しているのだ。

 安定とは。哲学。

 ともかく歩かされてからの、進塁とホームタッチが多くなり、ライガースもやや調子を戻してきていた。


 試合はレックスの方が、ずっと早く終わっていた。

 なので結果を見た大介としては、随分とまたひどいことをしたな、と苦笑する限りである。

 パーフェクトを達成してしまえば、直史の目的は果たされたことになる。

 内野安打でランナーを出した後は、その報復と言うよりは、八つ当たりに近いであろう。

 事情を知らなければどうしようもないし、知っていたとしても手加減など出来ることでもないが、直史はかなり意識的にパーフェクトを狙っている。

 ただそれよりは沢村賞の方が、確率は高いだろうとも思っているのだ。

 はっきり言えば大介が戻ってこなければ、シーズンMVPの確率も相当に高かったはずであるが。




 ライガースの弱点は、やはり投手陣にあると言えるだろう。

 レギュラーシーズンはともかく短期決戦になれば、ピッチャーに少しぐらいの無理はさせても、優勝を狙いにいく。

 実際に今日の試合も、エースの畑が先発したが、リリーフ陣が崩れて逆転された。

 しかし短期決戦となっても、さすがに直史に昔ほどの、無茶が出来ないことは確かである。

 そもそも今の直史の調子なら、大介なら勝てる。


 だが本当に、直史は全力を出しているのか。

 その根本的な部分で、大介は懐疑的である。

 前提条件を考えれば、自然なことではあるのだ。

 直史は確かに、パーフェクトを狙ってはいる。

 しかしそのために無理をして、結果的に故障離脱することを恐れている。

 以前に引退する前も、あくまでもパーフェクトは偶然だと言っていた。

 打球がどう飛ぶのかによって、ヒットとアウトは大きく変わるからだ。


 なので直史は故障しない程度の力で、シーズンMVPか沢村賞を狙わなければいけない。

 基本的にシーズンMVPはレギュラーシーズンを制したチームから選ばれる傾向にある。

 ただこれは不文律的なものであり、例外もそれなりにあるのだ。

 しかし同じリーグには、ピッチャーはともかくバッターとして大介がいる。

 直史もここまでおかしな数字を残しているが、大介もまたその限りである。

 最多安打以外の打撃タイトル独占というのは、まさに過去の通り。

 あとはどちらのチームが優勝するのか、という比較になってくるだろう。


 直史はこのあたり、楽観的ではない。

 自分一人の力では、リーグ優勝は無理だと思っているし、チーム力はライガースの方が高いからだ。

 だから両リーグ通じて一人しか出ない、沢村賞をこそ狙っている。

 こちらの方はまだしも、自分一人の力で達成できるし、かつてのようなおかしな基準はなくなっているので、正当に評価されやすい。

 もっとも直史は、選考委員から嫌われている可能性もあるが。




 翌日、レックスの第三戦、先発は今季いよいよ初先発の百目鬼である。

 同点やビハインド時のリリーフとして、今季はそこそこ長いイニングも投げて、先日はついに勝ち星をつけた。

 前日に直史が完投しているので、勝ちパターンのリリーフ陣も問題なく使える。

 六回まで投げられればいいが、五回まででもまずは、及第点であろう。

 こういったチャンスをもらった時、人は三つに分かれる。結果としては二つに見えるものだが。


 一つは当然ながら、このチャンスに燃えて、結果を手に入れる。

 これが成功のパターンであるが、失敗のパターンは二つある。

 一つは入れ込みすぎて本来の力をコントロール出来ないというもの。

 そしてもう一つはプレッシャーで、本来の力を発揮できないというものだ。

 キャッチャーがベテランであれば、それなりにフォローは出来るだろう。

 しかし今のレックスは、キャッチャーも一年目の迫水なのだ。


 あえてベテランのキャッチャーを使うかという選択肢もあるだろう。

 ただ迫水はここまで、しっかりとキャッチャーとしての経験を積んでいる。

 また打撃での援護という点では、間違いなく迫水は優秀だ。

 なのでレックス首脳陣としても、他のキャッチャーに代えることは考えていない。

 ある程度これが逆境というか、苦しい立場になることは分かっているが、それを乗り越えてこそ人は成長するものである。

 結果を出す者こそが、プロでは一番偉いのであるから。




 試合前のミーティングには、首脳陣とバッテリーの他に、直史がアドバイザーとして出席していた。

 実のところ直史のようなコントロールを持つピッチャーは他にまずいないため、使えるアドバイスが出来ないピッチャーとして、直史は有名である。

 だがそれはあくまで、自分ならどうするかというものであり、情報を提供する人間としては極めて有能である。

 また攻略はともかく、指導者としての経験もそれなりにある。


 直史によるデータは、昨日の試合から感じたものだ。

 結論から始めるなら、おそらく百目鬼は序盤の打線を抑えることは出来る。

 あちらの持っている百目鬼に関するデータが、まだ少ないからだ。

 これは若手のピッチャーが、毎年必要とされる理由でもある。

 野球において繰り返されるのは、アップグレードではなくバージョンチェンジであるからだ。

 たとえば一時期、カーブが使えない球扱いされてしまったように。


 百目鬼に対するアドバイスとしては、どうせ七割はアウトになるのだから、ひたすらストライクだけを投げていけばいい。

 追い込んでボールカウントに余裕があれば、逃げていく球や落ちる球を投げてもいいが。

 とにかく馬鹿らしいことは、フォアボールでランナーを出すことだけ。

 とても史上最高の技巧派とは思えないような、脳筋の意見が出てきた。


 ただこれは、だいたい正解でもあるのだ。

 ピッチャーのコマンド能力というのは、案外プロでもないものであり、動く球を投げていればバッティングミスにつながることが多い。

 三振を奪う能力がないのなら、ストライクの変化球だけを投げていてもいい。

 それを狙われたとしても、案外長打にまではならないものなのだから。




 直史のアドバイスは技術ではなく、むしろメンタルの方向によく作用したのかもしれない。

 実際にMLBのピッチング指導でも、真ん中あたりにしっかり投げれば、そこそこにしか点は取られない、などという無能そうな指導で結果が出るのだ。

 ただこれはMLBの場合、ピッチャーが最初に正しいストレートを教わらず、クセ球を投げる者が多いから言えることなのかもしれない。

 投げるボールの90%以上がカットボールであったり、ストレートは全く投げずツーシームばかり投げるピッチャーは、それなりにいた。


 これは日本のピッチャーの教育の、大きな欠点であったりする。

 最初にまず、正しいストレートを教えてしまうのだ。

 まあリトルリーグではある段階まで、変化球が禁止という理由もあったりするが。

 せっかくの生来のクセ球を、力がいかに効率的に作用するとは言え、凡俗のストレートに修正してしまう。

 プロのレベルでは通用しなかったが、高校野球レベルでは、投げる球が全てスライド変化のアレクは、相当に通用したものだ。


 百目鬼の投げる球の特徴は、実はゴロを打たせる点にある。

 球速やスピン量に比べると、バックスピンの軸がなく、リリース位置からも手前で落ちるボールになっているように感じるのだ。

 これはつまり、グラウンドボールピッチャーということである。

 本来ならばリリーフには向いていないが、他の変化球と組み合わせることで、相当に強力なピッチャーにはなった。


 その百目鬼が投げるということは、主に内野の守備が忙しくなる。

 しかし守備範囲の広いショートの左右田がいて、緒方はセカンドで上手く守備の位置を取る。

 この二遊間を中心とした内野守備は、かなり強力な連携になってきているのだ。

(ここらでライガースとのゲーム差を詰めたいな)

 直史は一応、沢村賞以外の条件達成も、考慮の内には入れている。

 ペナントレースの制覇は、まだ絶望的な状況などではない。




 長いシーズンを戦っていく上で、主戦力が離脱するということは、あってほしくはないがありうることである。

 そんな中でまだ優勝を狙うなら、新しい戦力の台頭が必要となる。

 この場合は百目鬼に、ローテのピッチャーとして投げてもらいたい。

 駄目なら駄目で、またリリーフをつないで投げればいいだけ。

 しかしレックスは青砥も年齢的に成績が落ちてきて、直史ですらいつ急激に衰えるか分からない年齢だ。

 それにFA権を手に入れた選手の移籍もあるだろう。


 野球だけではなくどんなスポーツでも、チームは新しい血を入れて入れ替えていかなければいけない。

 レジェンドと呼ぶに相応しい実績の選手でも、戦力にならないのにベンチに入れておけば、それだけ選手起用の選択肢が減ってしまう。

 スターズが微妙な成績に推移しているのは、上杉の絶対的な支配力の低下によるものだ。

 ただレックスとライガースの直史と大介は、まだその力は圧倒的と言えよう。


 この日の試合、百目鬼はまさに許容範囲の、六回三失点で役割を果たした。

 打線がリードしていたので、そこからはリリーフ陣の活躍となる。

 下手にここで勝利を確信したりすると、それは敗北フラグになったりする。

 だがリリーフ陣は百目鬼に、初めての先発勝利をつけようと、頑張ったのである。

 やがて打線も追加点を入れて、最終的なスコアは5-3で決着。

 望みどおりに百目鬼は、今季二勝目、先発としては初めての勝ち星を獲得したのであった。

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