第32話 時の波

 チーム全体の調子というのは、間違いなくあるのだろう。

 レックスは五月に入ってから10勝4敗。

 これに対して首位ライガースは、6勝8敗である。

 直接対決で勝ち越したが、まだライガースが首位であることには違いはない。

 それでもゲーム差は縮まってきて、その背中が見えてきたと言える。


 不思議なものでライガースは、五月の得点は失点よりもずっと多い。

 それなのに負け越しているのだから、競った試合を落としているということになる。

 特に二位レックスとの試合で負け越したことは大きいと言えよう。

 それでも負けた試合であっても、三点は必ず取っている。

 攻撃に意識が行き過ぎて、守備が疎かになっているのかというと、エラーの数もそこまで多いわけではない。

 ただピッチャーが、いまいち打たれるというか、競った試合で負けるのだ。

 先発はともかくリリーフ陣が、終盤に弱いということが言えるのだろうか。

 

 ライガースは次に甲子園でタイタンズとの三連戦を控えている。

 これが終わればいよいよ交流戦が開始。

 良くも悪くも手の内が知れているセ・リーグの試合とは異なり、試合によってはピッチャーが打席に立たないこともある、パ・リーグのチームとの戦い。

 勝敗がどう推移するか、予想しづらいところはある。

 ただ今年のパは、かなり順位に差がない状態だ。


 どのチームも強いのか、どのチームも弱いのか、いささか判断には困る。

 だがここ数年の交流戦、パの方が勝ち越していることを考えると、パがそれなりにどこも強い、と考えるべきであろう。

 交流戦の間に、どうやって体勢を立て直すか。

 ライガースの首脳陣は考えることであるが、まずは目の前のタイタンズとのカードが重要である。

 同じリーグ三位のタイタンズ。

 ここを相手に負けるというのも、問題があるのだから。




 五月に入ってから好調のレックスは、直史が投げていないカードで、ライガース相手に勝ちこした。

 まだゲーム差はあるが、この先の交流戦で、充分に逆転の可能性はある。

 ただその前にまだ、スターズとの三連戦が残っている。

 直史の登板予定は、その第二戦。

 前回の対戦では故障明けで、五回までしか投げなかったこともあり、直史に負けはつかなかったが試合には負けた。

 しかし今回のカードでは、上杉と投げ合うことはないようだ。


 上杉は前回の登板で勝利したが、その後に少しローテをずらした。

 この二年では珍しくないが、故障者リスト入りしているのだ。

 まだまだ年間に二桁勝ち、貯金を作る先発ではあるが、それでも42歳。

 数々の積み重ねられた偉業はあれど、その年齢に逆らうことは出来ない。

 むしろこの年齢で、まだ160km/hオーバーが出せることが、老いてもなお盛ん、と称えるべきことだろう。

 あとはいつ引退するか、というところだ。

 出来れば優勝で花道を飾りたいのかもしれないが、そうそう他のチームは甘くない。

 スターズの現在の戦力では、日本一は少し難しいだろう。


 そんな衰えた上杉であっても、上杉は影響力が大きい。

 ベンチにいるだけで、チーム全体にバフがかかる。

 しかしそれでも、ファームにて調整に励む必要があるのだ。

 自分がただいるだけの存在となった時、上杉はこの世界から引退するだろう。


 今度の上杉の登板予定は、直史の投げた翌日。

 当たらなくて良かったな、とほっとする直史である。

 防御率が2程度の上杉なので、普通に当たれば勝てると思うのだが、上杉は相手によってギアを変えてくる。

 直史を相手にした場合、多少の無理をしてでも完封しかねない。

 なので一番いいのは、そもそも戦わないことだ。




 直史の目的は、誰かと戦い、競うことではない。

 大介との対決を熱望しているファンもいるらしいが、それはあまりに買いかぶりというものである。

 今の直史は、大介を抑えることは出来ないだろう。

 出来たとしても、それは偶然や幸運がかなり作用する。

 そもそも引退する前であっても、二人の対決はかなり極限状態での削りあいであったのだ。

 何を削っていたのかというと、それは命の輝きそのものだ。


 おおよその直史の目的とする数字は、20勝である。

 20勝しているなら、この調子で投げていけば、一つや二つ負けたところで、他のピッチャーが迫ってくることはないだろう。

 福岡にちょっと怖い感じの若手がいるが、それでも20勝というペースではない。

 防御率に至っては、1をはるかに切っているので、これは誰にも負ける気がしない。


 次の試合で目的とするのは、完投数を増やすことだ。

 既に四完投してはいるので、これでも充分に沢村賞は狙っていけるだろう。

 だが完投を増やしていくということは、イニングを増やしていくということでもある。

 そしてイニングが増えればそれだけ、三振でアウトを奪うことも増える。

 故障さえすることがないなら、投げるべきであるのだ。

 今のスターズの力は、ずっと上杉の影響が大きかった。

 いくらなんでも一人の選手に、ここまで責任を持たせるというのがおかしい。

 上杉の時代が終わる。

 その時代の狭間で、直史は目的を果たそうとしていた。




 スターズとの三連戦は、相手のホームゲームである。

 レックスを倒すことは、そのままスターズにとってクライマックスシリーズ進出への可能性が高まることとなる。

 現在はライガース、レックス、タイタンズという並びであるが、タイタンズとの差はさほどもない。

 ただ五位のカップスも、それなりに勝っていたりはする。

 まだ五月の交流戦前では、クライマックスシリーズ進出など、先のことであって分からないものだ。


 レックスの初戦は上谷が先発であり、ここは負けるかもしれない戦力だ。

 ただここまで五試合に先発し、3勝2敗と全て勝ち負けがついている。

 この調子で先発ローテで投げる試合が増えれば、それだけ年俸も上がっていくだろう。

 そんな上谷にとっては、重要なのは責任投球回は投げること。

 そして試合を壊さない程度に失点を抑えることだ。


 翌日が登板予定の直史は、渡されたデータを見ながら、テレビで詳細を確認していく。

 果たしてどれだけ、球数を節約することが出来るか。

 対戦相手としては、フェニックスがやったように、待球策とカットによって、球数を多く投げさせるのが、ある程度の正解だと思うかもしれない。

 だが実際のところは、それでは打てないと証明するようなものだ。

 クライマックスシリーズに入って、何が何でも勝たなければいけないならともかく、それ以外は野球が興行であることを忘れてはいけない。


 ある意味、直史は手加減されている。

 もっと球数を投げさせて、短いイニングで降板させることは、今なら可能だとフェニックスは証明していた。

 ただそんな試合を、観客は見たくはないのだ。

 最下位を走るフェニックスだからこそ、許された手段と思っていいのかもしれない。

 それでも勝つことは出来なかったが。




 この日の上谷は、五回までを投げて五失点。

 ちょっと苦しいピッチングではあったが、試合を壊したとまでは言えなかった。

 ビハインド展開で、レックスが追う立場となる。

 最近若手のリリーフの中に、なかなかいいピッチングをしている選手がいて、それがこのビハインド展開に投入された。


 ここでしっかりと抑えれば、ローテの六人目に入ることが出来るかもしれない。

 高卒からドラフト三位で入団した二年目の若手は、去年も二試合ほど一軍では登板している。

 その時は初先発は2イニング抑えたが、二度目のリリーフで点を取られて降板。

 そこからは二軍でしっかりと投げて、シーズンの終盤には二軍で先発で投げることもあった。


 一軍に上げても良かったのだろうが、去年のレックスはクライマックスシリーズ出場の可能性がそれなりに早めに消えた。

 なのでしっかりと二軍で経験を積ませることを、重視したのがこういうことになったのだろう。

 今年も開幕は二軍であったが、すぐに一軍には上がってきていた。

 ただ序盤で先発が苦しんだし、リリーフデーでの先発で投げたりと、まだ育成中というのが首脳陣の考えで、直史もそうだろうなとは思っていた。

 しかし出番を待っていたピッチャーは、全力でスターズ打線を抑えにかかる。

 その勢いで、完全に追加点を止めた。


 3イニングを投げている間に、レックスが逆転に成功。

 これは六人目の先発として、リリーフから配置転換を考えるべきか。

 ビハインド展開やショートリリーフで使うのは、ちょっともったいない。

 直史がそう思うのだから、先発の力不足に悩む首脳陣としては、次あたりからそれをやってくるだろう。

「百目鬼か。珍しい名前だけど、マンガとかの中にはやたら出てくるんだよな」

 直史の感想は、正直なツッコミであった。




 翌日、二戦目が直史の先発である。

 今日の直史には課題があって、それは完投することである。

 ここのところクローザーのオースティンが、三連投まではしないが、連投が増加傾向にある。

 今年はまだセーブ機会失敗なしの絶対的守護神となっているが、この時点で既に15セーブというのは、ちょっと飛ばしすぎであるかもしれない。


 どのみち今日も出番だと、三連投となってしまう。

 レックスは三連投はさせないのが基本となっている。

 五月のこの時期に、そんな無理をさせる必要もない。

 昨日は勝ちパターンのセットアッパーを使っていないので、彼にクローザーをやってもらうことになるだろう。

 もちろん直史が投げて完投してしまうのが、一番望ましい。


 直史は今季、一度だけスターズ相手に投げている。

 故障明けということもあったが、五回を投げて56球と、ヒットを打たれずフォアボールも出さなかった割には、やや多めの球数となっている。

 もちろんそれは直史基準であり、平均的な球数と言ってもいいだろう。

 だが平均と比べてどうかなど、直史の評価軸はそこにはない。

 直史の自己評価は、絶対評価で行われる。


 アウェイのブルペンで、軽く肩を作っていく直史。

 昨日の試合の記憶は、脳裏にまだはっきりと残っている。

 そしてあとは、どうアジャストしていくかだ。

(出来れば先制点がほしいけどな)

 スターズはタイタンズやライガースと違い、チームが有機的に動いている。

 順位は四位だが、どこか不気味なところがあるのだ。




 第二戦開始である。

 そしてレックス打線は相変わらず、初回の攻撃で得点を取ってくれない。

 いや、時々は取ってくれるのだが、直史が投げると援護が薄い、というのはやはり変わらないのだろう。

 この試合直史は、ストレートをあまり投げない。

 カーブを主体に、スライダーやシンカーの遅い球を投げていく。 

 追い込んだらストレートも投げる。

 空振り三振を奪って思うのは、この間よりも手ごたえがないな、ということだ。


 スターズは上杉のチームである。

 途中で二年ほど、治療とリハビリのために離れていたが、ずっとスターズは上杉が象徴となっていた。

 監督の名前など忘れても、上杉の成績は忘れない。

 おそらくおぞましくない、神道系の進行が、神奈川県では進んでいる。


 実際この20年ほどの間で、上杉がチームにいる間は、Aクラス入り出来なかったことは、ほんの三度ほどしかない。

 確実に力が落ちてきたといっても、それでも周囲にバフをかけまくるのが上杉だ。

 それを思えば今の離脱している状態というのは、スターズの通常営業と言えるだろう。

 なお通常営業の日は、特別営業の日よりも少ないらしい。


 いい加減に上杉に頼るのは止めるべきだ、と直史は思う。

 散々頼られている、という意識は彼にはない。

 自分の仕事をして、あとは任せるだけ。

 ピッチャーにはそれしか出来ないのだと、直史は開き直っているのだ。

(あの人はもっと影響力を発揮するステージにいくべきだよな)

 直史の考えていることは、一般的には大きなお世話であるのかもしれない。




 二回の表にレックスが先制した。

 そして二回の裏、直史はまた内野フライを打たせて、三者凡退で終わらせる。

 カーブでフライを打たせるのは、意外と飛距離が出てしまうこともあるので、ちょっと怖くなったりもする。

 ポテンヒットが生まれる可能性があるからだ。

 今年は既にエラーで、セカンドを欠いている。

 不幸中の幸いでそこは新戦力で埋まったが、故障などはない方がいいに決まっているのだ。


 ゴロを打たせてももちろん、内野の間を抜けていく可能性というのはある。

 だが弱いゴロを打たせて前進守備をさせていれば、その可能性は低くもなるのだ。

 基本的に直史は、グラウンドボールピッチャーで間違いない。

 それなのに今はフライボールピッチャーで通用しているところが、器用という言葉を超えて、万能に近いものだと思われたりする。


 バッターのデータ、そしてここのところの偏り、試合の状況に打席の状況など、考えることは色々とある。

 そういったことを全て踏まえて、直史は投げるボールを決める。

 最近はかなり、迫水も直史の意図を察するようになってきた。

 基本はバッターの狙いを、半分だけ外す。

 だがそれが続くと逆に読まれるので、時には正面から力で突破するなり、あるいは大きく緩い球を使うのだ。


 結局のところピッチャーとバッターの勝負は、圧倒的なボールを持っていない限りは、読みと駆け引きが重要だ。

 単純にコンビネーションを考えるのではなく、セットポジションからのクイックなども、相手を惑わすために使う。

 なんならランナーがいないなら、ワインドアップを使ってもいい。

 力と力の勝負、というのを好む人間は多いだろう。

 だが直史はその対決軸を否定する。




 フォアボールでのランナーは出さない。

 あえてフルカウントにしてからの勝負というのも、本当はピッチャーにとっては重要な技術、駆け引きである。

 ただ直史は徹底して、球数の節約に努めている。

 なのでボール球を、無駄に投げるということがない。

 投げるとしても落差のあるカーブを使って、次の球への布石とする。

 ストレートを空振りさせるために。


 試合は進んでいけば、今度はストレートを主体に変化させる。

 相手チームの方針が変われば、こちらもそれに対応して変化するのだ。

 目の前のバッターだけに集中していれば、それはある意味匹夫の勇とでも呼ぶべきものだろう。

 試合に勝利するためには、相手側のベンチもしっかりと確認しなければいけない。

 NPBのトレンドというのは、MLBとは違うものである。

 だがそれだけに逆に、パーフェクトはしにくかったりする。


 かつてのようなスタイルの幅はない。

 だからこそ相手の考えていることを洞察し、それが上手く出来ないように裏を書いていくのだ。

 そうやってアウトカウントを取っていく。

 そんな中で味方が点を取っていれば、また直史のスタイルは変化する。

 ストレートでの空振りが多くなれば、今度はチェンジアップが効果的になる。

 重要なのは球数も減らすことだが、それ以上に八割の力で投げること。

 結局重要なのは、疲労の蓄積なのだから。


 ベンチの首脳陣から見ると、本当にとんでもないことをやっているな、という思いは抱くのだ。

 頭脳派のピッチャーはいたし、技巧派のピッチャーももちろんいた。

 だが直史は復帰後特に、本格派のような組み立てもしたりする。

 野球の歴史を見ても、明らかに異質。

 突出した存在を見て、味方であるにも関わらず、不気味に思えたりする。

 そしてパーフェクトを保ったまま、試合は終盤に突入していく。




 残り3イニング。

 追加点を取っていったレックスは、4-0のスコアで推移している。

 七回の裏、スターズの攻撃。

 バッターは一番の末永からである。

(こいつも厄介なバッターなんだよな)

 前の二打席、三振が奪えていない。

 ツーストライクまでは粘って、そこからボールを前に飛ばしているのだ。

 

 スピードのあるカーブでまず、ファーストストライクを取る。

 次には外に微妙に外し、そしてチェンジアップ。

 これらの全てのボールを余裕をもって見逃している。

 ツーボールワンストライク。

 バッティングカウントであることは間違いない。


 ここでより効果的な、角度を変えたストレートを投げる。

 よりホップする、空振りを奪うためのボールを、決め球としてではなくカウントを取るために投げるのだ。

 出来ればフライを打ってもらって、アウトになってほしい。

 空振りを取るのでは、もう一球投げる必要が出てくるからだ。


 このストレートなら、おそらく空振りになるだろう。

 そういう考えで、直史はよりホップ成分の強いストレートを投げる。

 やや高めに、ある程度は打たれることも覚悟の上で。

(これで!)

 指先から力が伝わって、ボールがリリースされる。

 ただ、コースはやや低いか。

(あまり関係ないはずだ)

 ストレートの軌道は、目の錯覚でもっと低めに見えるはずだ。

 それを振っていったら、どのみち空振りにはなる。


 しかし末永のバットは、確実にボールを芯で捉えた。

 打球は高く上がり、ライト方向へ。

 そのままスタンドの中へ入って、ホームラン。

 今季二度目の被弾で、パーフェクトはもちろん完封までもが途切れてしまった。




 ピッチングのコンビネーションに絶対というものはない。

 だがより最善に近づけることは出来るはずで、あのボールはどうやってもスタンドには入らないはずだったのだ。

 しかし理屈がどうであれ、ホームランが出たことは間違いない。

 そして四番の藤本にも、スタンド入りはしなかったものの、レフトにかなり大きなフライは打たれてしまった。


 打たれてしまったことは仕方がない。

 重要なのはなぜ打たれたのか検証することだ。

 点差はまだあり、球数も充分。

 パーフェクトは逃したが、ここから完投することは難しくない。

 リリーフ陣には楽をしてもらって、直史は完投数を稼ぐ。

 そのためにもホームランと、藤本の打った想定以上の外野フライを考えなければいけない。


 迫水の見た限りでは、高めのはずのボールが、やや真ん中よりになっていた、ということである。

 これはつまりホップ成分と角度が、充分ではなかったということなのか。

 高めに投げなければ、三振を奪うことは出来ない。

 つまりこれは、コントロールミスなのだ。

 藤本に投げた球は、しっかりと制球されていた。

 なのでフェンス近くではありながらも、かなり上がったフライになったのだ。

 もっともこれも、一歩間違えれば風の具合で、入っていたかもしれないが。


 原因は失投。ならばいい。

 完全に見極められて打たれていたなら、そちらの方が問題である。

 末永が打ったことで、九回には必ず、彼の四打席目が回ってくる。

 そこでしっかりと、抑えるピッチングをしなければいけない。

 幸いにも球数は余裕充分。

 それ以上に体力の方も、まだまだいける。

 残り2イニング、完投の数を稼がせてもらおう。




 直史が打たれたというのは、ベンチの首脳陣にとってかなりの衝撃であった。

 その後の四番の藤本の当たりも、かなり大きかったのは確かである。

 なんだかピンチになった気もするが、打たれたのはしょせんがソロホームラン。

 思えば直史は悟に打たれた時も、ソロホームランであった。


 記録を追えば分かることだが、直史は高校時代からほとんど、ホームランはソロでしか打たれたことがない。

 つまり危険度を考慮した上で、ピッチングの幅を拡充しているのだ。

 またこれも調べればすぐに分かるが、直史の失点はほとんどが、エラー絡みとホームランによるものだ。

 一発病と言うにはあまりに抑えすぎているが、確かにホームランを打たれることはある。

 もちろん本人としては、課題をもって投げたボールが、ホームランを打たれているわけであるが。


 わずかにブルペンの準備をさせようとしていた貞本であったが、ベンチに戻ってきた直史にダメージが見られないことから、オースティンは休ませる。

 どのみち今日も投げたら三連投となるので、もしリリーフに継投する場合でも、セットアッパーのピッチャーにクローザーをしてもらう予定ではあったのだ。

 そんなことを考えている間に、レックスは追加点を奪った。


 四点も差があれば、クローザーが登板してもセーブがつかない。

 やはり今日は休ませる日、ということは決まっている。

 八回の裏に、直史はベンチから出て行く。

 その様子は本当に何事もなかったかのようで、一発を打たれたぐらいでは揺るがない、メンタルの強さを感じさせる。

 実際のところはメンタルが強いのではなく、思考が直史を支えているのだが。

 打たれても揺るがず、ビッグイニングを作らない。

 まさに先発のエースらしいスタイルの直史であった。




 四点差。

 野球においては特別な意味がある。

 それはワンプレイで一気に同点に追いつける、最大点差であるからだ。

 グランドスラム一発を打たれれば、それで試合は振り出しに。

 だから直史は、満塁にはならないように、ランナーをどこかで必ずアウトにするプレイを心がける。

 心がけていれば出来る、というものでもないのだが。


 八回の裏、やはり内野の頭を越えたヒットが、一本出てしまった。

 どのみち今日の直史のタスクは、既にホームランを打たれた段階で変更されている。

 ただこのままだと100球は少しオーバーしそうかなとも思うのだ。

 直史が牽制で何人ものランナーを消していることを知っているため、一塁走者はベースからさほど動かない。

 重要なのはダブルプレイと牽制死を防ぐこと。

 そうすれば少しでも有利な展開で、九回の裏を迎えることが出来る。


 この試合の前の段階で、直史の防御率は0.16ほどであった。

 たった一点を失点しただけだが、この数字は一気に大きくなっている。

 しかしこれは、一試合を通して投げても、ほとんど点を取られないということだ。

 プロの舞台でこの数字は、完全に馬鹿げている。


 結局塁には出たものの、二塁に進むことさえ出来ず、スリーアウトチェンジ。

 だがこれでスターズは、最終回が九番からの攻撃となる。

 そこで代打を出して、上位打線につないでいく。

 もしも直史を打てると、そして得点が取れるとするなら、この展開は悪いものではない。

 もっともさすがに逆転までは、可能性が低いと思えるのは間違いない。




 八回を投げたところで、球数は85球。

 ただ失点しているので、100球以内で抑えたとしても、マダックスも記録されない。

 前に失点したのも、タイタンズ戦で悟にソロホームランを打たれたからだ。

 直史には一発病がある、と言えば鼻で笑われるだろう。

 他のどのピッチャーよりも、被本打率は低いのであるから。


 九回の表の自軍の攻撃を、のんびりと直史は見ている。

 ただスターズベンチは、そこそこ動いているようだ。

 九番のピッチャーからの打順なので、当然ながら代打を出してくるだろう。

 そして上位打線、本日ホームランを打っている末永の打席となるわけだ。


 これまた調べた人間には、はっきりと分かることだろう。

 直史はホームランを、本当に数えられるほどには打たれているが、そのバッターの傾向である。

 たとえばMLBだと一年目と二年目。

 打たれたのは織田、ブリアン、大介の三人。

 つまりスラッガーではなく、打率の高い選手に打たれているのだ。


 末永にしても打率が高く、それでいて長打も打てる一番バッター。

 これは織田や、MLBで一番を打ったこともある大介と、共通するところである。

 ブリアンもア・リーグホームラン王と共に、首位打者も取っていたことがある。

 やはり直史を打つには、まずミートするバットコントロールが必要なのだ。

(代打のこれも、チャンスに出してくるタイプじゃなく、チャンスを作るこのタイプか)

 出塁率の高い代打のデータは、あまり多いものではない。

 だがそれでも、万人にほぼ通用するというコンビネーションは存在するのだ。




 先頭で出てきた代打は、空振り三振でまずワンナウト。

 直史の今投げているストレートの軌道は、一打席だけでは攻略できない。

 そして本日ホームランを打っている末永の四打席目。

 ここで直史がやらなければいけないことは、勝負して勝つことではない。

 次に対戦した時に、末永を確実に打ち取るだけの、データを収集することだ。


 確実にストライクカウントを取れるコンビネーションを確立しなければいけない。

 まずは限界まで速度を落としたスローカーブ。

 打ったとしても長打にならず、おそらく打球の速度も出ない。

 末永であればちゃんと耐えて、そこから単打にすることは出来たかもしれない。

 しかしバットを止めてスイングしてこなかった。


 単純に打つだけでは駄目だと、向こうも考えているのだろうか。

 あるいはここからランナーをためることは、難しいと現実的に考えているのか。

 二球目はストレートを、高めにわずかに外す。

 これを振ってきた末永であったが、バットはボールをわずかにかするのみ。

 ミットの中に収まり、これで簡単にツーストライクまで取れてしまった。


 ここからならばいくらでも、直史には相手を封じる手段がある。

 だが重要なのは、あのホームランが偶然であり、完全に狙い打たれたものではないと確認すること。

 ここでまた一点を失ったとしても、ま点差は充分にある。

 ホームランを打たれても、ランナーがいなければそれでいい。

 よってまずはチェンジアップとカーブで、遅い球を印象付ける。


 この次には速い球が来ると、末永も分かってはいるだろう。

 しかし分かっていても打てないのなら、それはピッチャーの勝ちである。

 間違いなく高めに、ゾーンに入るかどうかぎりぎりの部分へ。

 直史はしなやかな動作から、ストレートをリリースした。

 末永のスイングは、かろうじてそのストレートを打った。

 だが打球はほぼ真上に飛び、そこから直史の立つマウンドへとやってくる。

 直史はマウンドから退き、前進した迫水がこれをキャッチ。

 ほぼ予想通りの結果に、直史はある程度満足したのであった。

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