第30話 チームの活力

 エースの存在というのは、やはりチームの大黒柱と言っていいのだろう。

 ただ継投が主流の現在、なかなか真のエースと呼べるような存在はいない。

 しかしレックスに復帰した直史。

 ここまで六先発で五勝四完投三完封。

 まさにチームを勝利へ導く存在が、レックスの内部で認識されつつある。


 ノーヒットノーランに、マダックス三回。

 過去の映像で見るのと、実際に目の前でやっているのを見せられるのでは、その印象の強さが全く違う。

 同時代にプレイしていた人間からは、実際にはそれほどのオーラを感じるような人間ではなかった、という証言がいくつも出ている。

 ただ投げたらなんとかしてくれるだろう、という空気がチームに漂っていたことも本当ではあるらしい。

 国際大会無敗のピッチャー。

 チーム最年長ながらリーダーシップを取るつもりはさらさらないらしいが、エースというのはそれぐらいでいいのかもしれない。


 タイタンズとの三連戦は、二連勝の後の三戦目は、リリーフデーとなっていた。

 先発不足のレックスが取っている、リリーフでつなげていく作戦。

 だがそれだけに、チーム全体の力が勝敗を左右する。


 この試合でも、先攻のレックスが先制した。

 前日完投の直史は、もちろんベンチの中にはいない。

 だがその気配とも言うべきものが、今のレックスのベンチの中には存在する。

(あの時代を思い出すな)

 レックスの、まさに黄金期と言えた時代を、緒方は思い出していた。

 樋口が入団し、そして武史が入団してきた、あそこから始まる黄金期。

 そして直史が二年連続で沢村賞を取っていった、あの二年間。


 野球は比較的チームの戦力格差が少なく、また偶然性が高いため、絶対に勝てるという試合はそうそうはない。

 だがあの頃のレックスは先発四枚が投げる試合は、本当に負ける気配がほとんどしなかった。

 直史、武史、金原、佐竹。

 この先発四枚に、リリーフ陣も勝ちパターンが決まっていて、豊田もセットアッパーとして活躍していた。

 あの空気が少しずつ、蘇ってきているような気がする。




 タイタンズ戦が終われば、一日の休みの後、神宮でのフェニックス戦三連戦となる。

 その前に首脳陣も、この三連戦を取ろうとしたのだろう。

 継投のタイミングがいつもよりも積極的で、タイタンズ相手にワンポイントなどをしっかりと使っていく。

 気がつけば終盤、4-2と二点差でリードしていた。

 するとここからは、勝ちパターンのリリーフ陣の出番となる。


 今年のレックスはまだ、クローザーのオースティンにセーブ失敗がない。

 それほどシビアな場面では使われていないというのもあるが、それでもセーブ機会を全て成功させているというのは、対戦相手の打線にプレッシャーを感じさせるものだろう。

 相手側のベンチから、悟はこの気配を敏感に察知している。

(これは、ちょっと勝てない展開か)

 九回の裏、オースティンがマウンドに登り、そして二点差のビハインド。

 悟にまで回れば、なんとかしてみせる気はある。

 だが、それがないだろうというのが分かるのが、直感型の選手である悟だ。


 その予想は完全に正しい。

 オースティンは三振を含む、三者凡退でタイタンズをシャットアウト。

 三連戦はレックスの三連勝に終わった。

 これでセ・リーグの二位争いは、レックスが一歩以上先行する。




 レックスが安定してきたのとは逆に、ライガースはやや調子を落としてきている。

 その理由としては、殴り合いによる点の取り合いに失敗しているというところだ。

 レックス相手にこそ勝ち越したが、フェニックスとの試合に負け越しているのだ。

 もちろん先発の弱いところに当たってしまった、などという理由はある。

 だがこのあたりから、守備の方が問題であると、認識する者は多くなってきただろう。


 大介は一人で、その守備範囲を広げまくっている。

 先日40歳の誕生日を迎えたはずのこの男は、間に合わないはずの深いところから、平然とファーストにボールを投げてアウトにする。

 これがMLBで12年間、ショートを守ってきたと示すプレイ。

 ただ野球は、大介一人が奮起しても勝てないスポーツだ。


 ハーラーダービーで畑が、直史と同じ五勝でトップとは言っても、その内容には雲泥の差がある。

 防御率が3以上のピッチャーを、エースと認めるのには抵抗がある大介である。

 もちろんそれは贅沢な話であるし、勝てる試合を作るピッチャーが、チームのエースであるのが当然のはずなのだ。


 フェニックス戦を負け越して、甲子園に戻ってくるライガース。

 まだペナントレースのトップを独走しているのは変わらないが、勝率が悪化しているのは確かなのだ。

 それでも点の取り合いで負けているので、あまり切迫感がない。

 強いことは強いが、やはりこんな試合の展開をしている限りでは、本当に勝たなければいけない試合、つまりポストシーズンでは勝てないと思う。

 NPBでもMLBでも、大介はずっと優勝争いをするチームにいた。

 その彼の目から見て、危ういのは確かだったのだ。




 さほど差のない三位タイタンズ相手に三連勝して、レックスは調子の波に乗りかけていた。

 次は地元に戻って、フェニックスとの三連戦となる。

 とは言っても同じ、東京でドームから神宮に移動するだけなのだが。

 不思議なもので今年も最下位であるフェニックスだが、首位ライガースとの試合は、勝敗が五分になっていたりする。

 そのフェニックスに、レックスは四勝一敗なのだが。

 チームの相性や、投げるローテの関係もあるだろうが、それでもこの数字は不思議なものだ。


 むしろ直史としては、フェニックスがここまで負けているのが、よく分からない。

 打線は切り込み隊長がいるし、主軸もそれほど悪くない。

 ストロングポイントだけを見ると、確かにそこそこのチームに見える。 

 だが根本的に選手層が薄いというのは確かにある。

 このあたりライガースは、選手層がかなり厚い。

 もっともそれが機能しているかと言うと、まだまだ不充分なところが多いと思うのだが。


 多くのチームが上手く戦力を運用できていない中で、例外的なのはスターズとカップスだろうか。

 とは言ってもその2チームは、リーグの下位にいるのだが。

 スターズの方はタイタンズとのゲーム差が縮まってきていた。

 しかしカップスは、まだ育成段階の戦力が多そうに思える。

 それを言うならレックスも同じことであるのだが。


 直史は調整のために、二軍の方にもよく顔を出している。

 そしてそこで、自分なりに使えそうな戦力を見繕ったりもしているのだ。

 こういった選手の見極めというのは、なかなか全ての人間が出来るものではない。

 実際に直史も、単純なフィジカルならともかく、その選手の本質までは、想像が出来ないところはある。

 野球は究極的な部分では、メンタルスポーツだ。

 その精神の内部など、見える者は少ないはずなのだから。




 月曜日は試合のない休日で、おおよその場合は移動日となる。

 だがレックスなどは在京球団のため、移動の手間が省ける。

 この移動時間を他の事に充てられるというのは、かなり有利なことだな、と時間の大切さを理解出来る年齢になった直史は、生き急ぐかのように休日も練習をする。

 休養の大切さを忘れたわけではない。

 若い頃のような体力や回復力は、もうないのだ。

 しかし今、やっておかなければいけないことが明確に分かっている。

 ならばやろう、というのが直史という存在である。


 故障明けに五回までをパーフェクトに抑えた。

 そして次の試合で、九回完封している。

 MLBに行かなかったバッターの中では、おそらく五指に入るであろう好打者悟も、どうにかヒット一本に抑えた。

 しかし一定レベル以上のバッターには、運任せでなければ封じられないことは分かってきている。

 確かに本来野球というのは、偶然性が高い競技ではあるのだが。

 確実なアウトを取るためには、三振を奪う必要がある。


 大学から社会人と、経験を積んではきたがプロとしては一年目の迫水も、これに付き合っている。

 そしてバッターボックスには、打つことはないが左右田も立っていた。

 指名上位で入ってきたピッチャーなどよりも、下位の彼らの出番の方が多くなったのは皮肉かもしれない。

 だがリリーフで使われても、そこそこの実績を残しているピッチャーはいる。

 後半戦までにローテが一人でも埋まれば、それだけレックスのチーム力は上がるだろう。

 現在のローテ陣との競争がなくても、リリーフで回すローテがあるのだから、そこは折角の競争の機会がなくなってしまうのは残念だが。




 直史の投げるストレート、カーブ、チェンジアップ、シュート、スライダー。

 この中でも特に前の三つは、微妙な違いで投げてくる。

 特にカーブは、球速や落差などで、数種類に分けられるとしても過言ではない。

 ストレートならばともかく、変化球でも狙ったコマンドで投げることが出来る。

 これはかなり変態的なコントロールと言える。


 だが直史が休日を返上して、練習をするのはこういったもののためではない。

「縦スラいくぞ」

 チェンジアップとは違う、落ちるボールを手に入れる。もう一度。

 スルーの復活が必要である。


 直史の全盛期は、あの引退試合だ。

 壊れてしまってもいいと、リミッターを完全に外した状態で投げた、あの試合。

 スルーを見せ球に使って、ストレートで三振が思うように取れた。

 そう、今のホップするように見える球をさらに活かすには、落ちる球が必要なのだ。

 もっと正確に言えば、落ちるのではなく下方向に変化していく球。

 それもカーブとは違って、スピードのある球が。


 スプリットの方が、おそらく投げるのは簡単なのだろう。

 だが肘への負担が大きいと言われている。

 実際のところ、本当にスプリットが肘に負担がかかるのかは、確定しているわけではない。

 そもそも一番負担が大きいのは、全力のストレートに決まっている、という人間もいるのだから。

 あとは、ムービング系の復活も必要だ。

 本格派と技巧派を行き来するのが、直史の理想に近いピッチングであるのだから。

 



 レックス首脳陣は、チーム状態をかなり正しく把握していた。

 今年も例年通り勝ったり負けたりの中で戦力育成に力を入れるということはなく、確実に勝てる試合が存在する。

 直史の力が、まさかここまで健在であったとは。

 元よりその実績は疑いようがない。

 しかし年齢とブランクも考えれば、もっとそのパフォーマンスは落ちていて自然と思っていたのだ。


 直史の能力の中で、何が落ちているかと言えば、それはやはり最高出力なのだろうが、それ以上に耐久力や回復力であろう。

 NPB時代はちょっとした事件はあったが、それ以外はほぼ全試合を完投して故障もなかったのだ。

 高校時代に同期や後輩に優れたピッチャーがいて、勤続疲労がなかったのが、プロで故障しなかった理由かもしれない。

 実際にMLBでも、五年間連続で30試合以上に投げているのだ。


 球種が減っている原因こそ、過去の故障ではないか、と首脳陣は捉えている。

 代表的な球種であるスルーは、ライフル回転をボールに与えるため、肘のあたりから腕を捻っているように見える。

 肘を庇っているから投げられず、しかしシュートなどは投げている。

 握りで変化するムービング系を投げられていないのが、コーチ陣などからしたら意味が分からない。

 豊田はしっかりと聞いているが。


 ムービング系が投げられないのは、単純にNPBとMLBの使っているボールの差というのもある。

 MLBのボールの方が、縫い目が高いために空気抵抗を受けやすい。

 滑りやすいボールを投げていたため、それに慣れてしまったということもあるだろう。

 だが根本的な問題としては、球速が落ちたことだ。

 そしてスピン量も以前より減っている。

(あいつが本当にリミッターを外したら)

 それを許す状況こそが、完全復活の瞬間になるのだろう。




 フェニックスとのホームゲームは、最低でも二勝一敗で消化したい。

 第一戦のエース三島は、その期待にしっかりと応えてくれた。

 直史と違って、当たり前のように完投するわけではない。

 だがこの日は八回まで投げて二失点と、球数も抑えた上で充分なピッチングをしてくれた。

 リリーフ陣もクローザーのオースティンを休ませる。

 相手を三失点以内に抑えれば、ほぼ勝つのが今のレックスである。


 そして翌日、レックスはオーガスが投げる。

 この試合も七回までをなげて二失点のハイクオリティスタート。

 クローザーオースティンの活躍により、一点差の試合をものにした。

 ここのところ先発ピッチャーに、しっかりと勝ちがつく試合をしている。

 これはいい傾向であると言えよう。


 第三戦は青砥の先発。

 彼もまた今年は、しっかりと勝ち負けがつく責任投球回を果たすピッチングをしている。

 たとえ負けがそれなりにあったとしても、イニングを食うピッチングをするのが、ローテーションのピッチャーとしては重要なことなのだ。

 チーム全体で見た場合に、リリーフ陣を無駄に消耗させないこと。

 これはその試合だけではなく、シーズンを通してみた場合、とても重要なことになるのだ。


 六回までを投げて三失点。

 充分に責任を果たした内容ではあったが、この日は打線もさほどは機能せず。

 同点の状況で降板したため、勝ち負けはつかない。

 リリーフ陣に無理をさせないため、この日は終盤に一点差をつけられて終了。

 フェニックスとのカードは二勝一敗で終了した。




 次のカードはカップスとのアウェイ三連戦。

 直史はその二戦目に登板予定である。

 もうほとんど、どのチームのエースと投げ合っても負けることがない。

 それぐらいに力は戻してきているので、首脳陣としても考えることはある。

 個人としての成績を見れば、二番手として考えた方がいい。

 しかしチームが勝っていくためには、相手のエースを潰していく必要がある。


 レックスの三島は、エースと言うにはそれほど突出した能力ではない。

 ただここのところ、直史のピッチングに触発されたのか、内容がよくなってきている。

 フェニックス戦の翌日、そんな三島は東京に残し、レックスの選手陣は広島に移動。

 ただその移動の最中から、西日本では雨が降っていることに気づいていた。

 到着後、すぐに中止の判断がされる。

 夜半には雨が上がるので、直史の登板予定がなくなることはないだろう。

 移動したその日に試合というわけではなくなったので、チームメイトもリラックスしている。

 ただこうなると、調整のために時間を作ることが難しい。


 前回のカップス戦、直史はヒット二本に抑えた。

 復帰してから完投した試合の中では、一番球数を抑えて完封に成功している。

 そういった過去があるので、カップスの考えとしては、まず待球策を取ってくるのではないか。

 今年も優勝候補に挙げる人間は、ほとんどいないカップス。

 だがどのチームにも、厄介なバッターは一人か二人はいるものだ。


 パーフェクトなどという代物は、普通はそう簡単に出来るものではない。

 平成時代のNPBでは、一度しか達成されなかったのだ。

 直史は何度も達成したが、それは昔のこと。 

 それを思えば明史は、かなり厳しい条件を出したとは言える。

(贅沢はせずに、まずはイニングを増やしていく)

 直史は最短の道は、意識して選ぶことはない。




 雨は止んで、野球日和の天気となった。

 湿度がいい感じだな、と直史は考えている。

 グラウンドはまだ、水分が残っているだろうか。

 直史は試合前の練習時間に、軽く肩を作っておく。

 復帰後に投げたストレートは、最速で145km/hと、かなり慎重に出力を上げていっている。

 エンジンの性能に、シャーシがついていかない。そんな状態が今なのだ。


 ストレッチや柔軟体操を、存分にやってから投げる。

 それを怠っていたわけでもないのに、故障につながってしまった。

 背中から脇あたりの筋肉など、普通に動かしているはずなのに。

 そういえば大介は本当に故障の話を知らないな、などと直史は思い出す。


 能力が衰えたり、実力が通じなくなったり、大きな故障をしたりする。

 また単純に競争に負けて、グラウンドを去っていくのが主流である。

 そんな中で大介だけは、衰えを知らないかのようだ。

 去年も途中までは、ようやくホームラン王を他の人間に明け渡すのかと思われていた。

 だが結果を見れば、61本でホームラン王である。

 MLBに移籍後は、最低の数字であるのにだ。


 37歳のシリーズに74本を打って、その後は60本台に落ちてきた。

 だが肉体的なことを考えると、さすがにそれぐらいからは数字が落ちるのは当たり前なのだ。

 上杉も39歳のシーズンで沢村賞を取ったが、その前の二年間は取れていない。

 それぐらい30代の後半というのは、肉体の衰えがより顕著になってくるのだ。

(そう思うとむしろ、自分を誉めてやりたい気分だな)

 直史としては、変にいい気になどならず、淡々と投げることを心がける。

 カップスの打線ならば、よほど研究が当たらない限りは、そうそう大量点を奪われることはないだろう。




 試合前にそう考えるのは、フラグである。

 カップスは一回の裏の攻撃から、待球策を考えつつも、ストレートにしっかりと当ててきた。

 ショートの深いところになども打たれて、それがアウトに出来たのは、本当にただの偶然と言うか、左右田のナイスプレイとしか言いようがない。

 さて、それでも三者凡退で終わらせたのだから、原因を考えなければいけない。


 カップスと他のチームとの、明確な差と言うか違い。

 それは直史と、ホームゲームで二戦目を対戦している、ということである。

 自軍のチームの試合であると、各所の位置からのカメラにより、しっかりと試合中の動きが見える。

 別にそこからサイン盗みなどをしているわけではなさそうだが、ストレートでなかなか空振りが取れないのだ。


 下手に空振りを取るよりも、内野フライの方が球数は減ってありがたい。

 だがそれが追い込まれてからのスイングとなると、ポテンヒットになる確率が出てくるのだ。

 一球や二球で片付いてくれるなら、それが一番ありがたいことだ。

 しかし確実に三振を取る能力というのも、やはりピッチャーとしてはほしい。


 ベンチの中で迫水と一緒に、対策を考える。

 ここでナチュラルにピッチングコーチを除外しているあたり、直史には本当に余裕がない。

 カップスが対策して対応出来るのなら、他のチームも出来ておかしくない。

 そもそも1シーズンだけ活躍して消えていく選手というのが、プロの世界でもそれなりにいるのだ。

 故障とかではなく、なぜか通用しなくなってしまうといことはあるのだ。




 カップスは明らかに、ストレートに対応しつつある。

 空振りを取るストレートと、アウトローの出し入れのストレート、主にこの二つのうち、空振りを取るストレートを打ってきているのだ。

「カーブをメインで使いますか?」

「基本はそうだな」

 ただそれを固定しすぎると、またカップスは対応してくるだろう。

 それぐらい先のことは、考えていてもおかしくはない。


 完投にこだわりたい直史であるが、それよりは指標の悪化する方を避けたい。

 昨日が雨であったため、リリーフ陣が休めている。

 明日も使われたとしても、二連戦まで。

 ならば六回か七回で降板することも、視野に入れておかなければいけない。

「ストレートの割合を20%ぐらいに減らして、高めに投げるのはチェンジアップにする。ただこれは二巡目からで」

「一巡目は相手の想定通りに?」

「今のバッターの反応から見ても、一巡目はあっちもアジャストできないみたいだしな」

「分かりました」

 バッテリーの意見交換はさっさと終わった。


 一巡目のカップスの打席は、確かになかなか空振りが取れなかった。

 また主軸には外野に飛ばされて、コースによってはヒットになっていたかもしれない。

 外野の頭を越えていくようなボールはないので、まだ完全に対策されているわけではない。

 しかしどんどんと、微調整はされていく。

(カップスの中の人も、なかなかやるもんだな)

 そう思いながらも、直史はピッチングを続ける。

 一巡目は一つも空振りが取れない、それでいて球数も少ないわけではない、不気味な試合展開。

 だが三回までは、九人で相手の攻撃は終わった。

 その内容は内野フライが一番多く、内野ゴロと外野フライは同じぐらいというものであった。




 カーブばかり投げて、打ち損ないを誘う。

 意図の通りに打ってくれたが、結果はちょっと良すぎた。

 スローカーブとパワーカーブ、そしてドロップカーブなど、直史は自分の中では分けて投げ分けている。

 これに外角と内角のコースを加えると、より球速に錯覚が起こる。

 ゾーンに入っているのか入っていないのか、判断がしにくい。

 そのため不充分な体勢で打ってしまって、内野フライとなるのだ。


 少し危険だとは思ったが、これで分かったこともある。

 カップスが分析して対処してきたのは、ストレートだけである。

 そうと分かればこちらとしても、コンビネーションを変えていくのにためらいはない。

 ストレートを狙っている相手に、効果的な球種。

 それはもちろんチェンジアップである。


 ゾーンにストライクは投げず、高めに強いストレートを外す。

 それに案外手を出してきて、ここで空振りが取れた。

 ゾーンに入ってくるような内角のボールは、全てチェンジアップ。

 これとカーブを組み合わせるだけでも、パターンは無限に増えていく。

 五回にはようやく味方が点を取ってくれたので、投げる方も気分が楽になる。

 

 高めに外したストレートを、上手く空振りしてくれる。

 二巡目はむしろ、三振が多かったと言えよう。

 だがボール球でも上手く打って、それなりに飛ばしてくるバッターはいる。

 ここでクリーンヒットが出て、やはりパーフェクトは途切れてしまう。

(ゴロを打たせることが出来ないと、ダブルプレイでランナーを消せないのが厄介だな)

 そう思いながら直史は、ランナーを牽制で殺し、二塁を踏ませることもなく、二巡目は終わったのであった。




 カップスは直史の読み通りに、直史のピッチングを分析していたのだ。

 どれだけのピッチャーであっても、シーズンの中である程度打たれるのは、当たり前のことである。

 ところが直史はNPB時代の二年間、まともに打たれたことがなかった。

 平均して一試合に、一人か二人ほどしかランナーを出していない。

 ただその時とは、完全にスタイルが変化している。

 なので空振りが取れるストレートに、カップスの分析班は注目したのだ。


 分析結果からの対応はそれなりの成果を見せ、一巡目は空振り三振がなかった。

 ただ二巡目からは、ボール球を上手く振らせてくる。

 高めのストレートは狙える、という分析を出していたのだから、それを狙ってしまうバッターに罪はない。

 だがこちらの思惑をすぐに察して、持っている材料だけで対処してしまうあたり、直史のことを分かっていなかったと言える。


 散発の単打が、ぽろぽろと出ることは出た。

 だが強打することが出来ていないため、長打が出てこない。

 それならそれでランナーを進め、得点に結びつける必要はあるだろう。

 ただそう思っていると、心の内を読んだように、嫌なコースに投げてくる。

 佐藤直史は技巧派と言うよりは頭脳派で、そして分析派であったと言うべきであろう。

 カップスの分析班は、今日のデータもしっかりと集積しておく。

 まだ今シーズン、当たる可能性は充分にあるのだから。




 なんともつまらない試合になってしまったな、というのが直史の感想であった。

 八回までを投げて無失点ながら、被安打は四本。

 無四球で抑えたので、球数がそれほど多くなるということはなかった。

 それでも八回を終えたところで、100球を超える。

 ここで直史に打順が回ってくることもあって、ピッチャーは交代。

 3-0のスコアであるので、よほどクローザーが失敗しない限りは、勝ち星は消えないであろう。フリではない。


 今日の試合には反省するところというか、今後のために考慮しておかなければいけないところがあった。

 それは相手の分析次第では、今の直史はある程度打てるということである。

 何を考えていても抑えるほどには、コンビネーションに幅がない。

 具体的に言えば、スルーがあったならもっと、簡単に勝てていたであろう。


 ライフル回転を正確にボールに与えるジャイロボール。

 ただ回転軸が少しでもずれたら、スライダー系統のボールになるだけである。

 しかしスルーを復活させることが出来れば、スルーチェンジも復活させることが出来る。

 大介相手でも一番効果的であったのは、スルーチェンジであったと直史には記憶がある。

 五月のライガース戦には、投げない順番になった直史だ。

 しかしレギュラーシーズン、最後までライガース戦で投げないということは、まずありえないことであると思う。


 スルーを復活させるのか。

 ただそれよりは先に、ツーシームを復活させたい。

 純粋に握りの違いだけで、変化の変わるファストボール。

 今の直史はストレートの、普通のストレートと落ちない軌道のストレートしか、速球の種類がない。

 そして落ちない軌道のストレートは、高めにしか投げられないのだ。

(だけどあれは、もう今の俺じゃ投げられない球じゃないのか)

 じっと手を見る。正確にはその指先を。

 ほんのわずかな感覚の狂いによって、ただの抜けたスライダーになる危険もある。

(今のままではどこかで、攻略されるかもしれないな)

 そう考える直史は、やはり慎重に過ぎる性格をしているのかもしれない。

 カップス相手に初戦を3-0で勝利しながらも、直史には課題が残ったのであった。

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