第29話 ハーラーダービー

 直史は必ずしも最多勝を狙っているわけではない。

 狙っているのはあくまで沢村賞で、過去の歴史を見れば最多勝を取っていなくても、沢村賞に選出されているピッチャーはいる。

 まあとある年度までは、沢村賞の選考には、ある種のバイアスがかかっていたとも言えるが。

 20勝したピッチャーが、投手五冠まで取ったのに、なぜか選出されなかったあれである。


 直史としては15勝ほどもして、負けを二つぐらいにしておけば、あとは防御率や投球イニングに奪三振などで、受賞できると思っていた。

 だが六試合目の登板の前日に、ライガースの畑が五勝目を上げた。

 ハーラーダービーでは直史よりも先に、五勝目となったのだ。

 各年の受賞者を見ても、勝ち星の数というのは、他の選考要素と比べても、かなり重要視されているとは思う。

 畑は完投が一試合もないので、その点でも直史は有利だとは思う。

 ただ沢村賞は二人同時受賞というのもあれば、該当者なしということもあるのだ。

 また短縮シーズンを除いては、登板できた試合の数も、選考の対象になっているような気がする。


 絶対に故障できないと、分かっていたはずなのだ。

 なのに一つ、ローテを外れたような形になっている。

 次の試合は完投を重視して、そして勝ち星をつけたい。

 直史はそう思うのだが、相手はタイタンズである。


 タイタンズ戦は直史が今年、唯一失点した試合である。

 それもホームランだけではなく、ヒットもそれなりに打たれていた。

 まだ感覚が戻っていない、というのも原因ではあったろう。

 しかし復帰明け二戦目、直史はこの試合はなんとしても勝ちたい。

(勝ちたいと執着しすぎると、逆に冷静さを失う)

 己にそう戒めながらも、直史は調整を続けるのであった。




 第一戦の先発は、二勝二敗とここまで五分の成績の上谷。

 もっとも彼の実力から考えれば、ローテーションをしっかり守って、五分の成績なら充分なのである。

 貯金を作っていくのは、正直なところ直史だけでも充分なぐらいだ。

 15個ぐらいも貯金を作れば、あとは五分五分で行けるだろうなどと、最近は考えるようになってきた直史である。

(この試合に負けたら、貯金は1だけになるのか)

 それはさすがに厳しいだろう。


 タイタンズ相手となると、打撃戦を覚悟しておいた方がいい。

 現在のところ、ライガースに次ぐ二番目の攻撃力を持つチームだ。

 ただ打力はあるのだが、それが案外つながらないことが多く、またエラーの数が多いのが直史の価値観では厳しい。

 レックスのさほど強力とは言えない打線であっても、それなりに点を取っていける。

 アウェイとはいえ同じ東京なので、そこそこ味方のファンの声援もある。


 直史はこの日、登板予定はないが、ベンチには入っていた。

 タイタンズのベンチなどを、直接見ておきたかったのである。

 このカードで順位の変動がある可能性は高い。

(ライガースは先発にもリリーフにも、一人のピッチャーに頼っている部分がないからな)

 とにかく打線全体の攻撃力の高いライガースは、それこそ大介が長期離脱でもしない限り、そうそう落ちてこないとは思っている。

 するとシーズンMVPはおそらく、大介のものとなるであろう。

 ただ沢村賞に全力で挑むのではなく、MVPのルートも残しておきたい。

 それが直史の、都合のいい考えであったりする。




 試合はある程度予想の通り、ハイスコアゲームとなっていった。

 ただ上谷はそれなりにヒットを打たれるのだが、二遊間で上手くダブルプレイを取って、タイタンズのチャンスを潰したりした。

 緒方と左右田の二遊間は、若い左右田がショートという花形のポジションを奪ったのに、緒方はチームプレイに徹して、それを鍛えている。

 緒方は昔からそういう選手で、だからこそ周囲からも信頼されているのだ。


 これは勝てるかな、と直史は感じた。

 その予感を後押しするかのように、上谷を援護する迫水のスリーランホームランが飛び出したりもした。

 ここのところプロのレベルで分析され、やや打撃成績が落ちてきていた迫水だが、ここで一発を打つあたり、やはり獲得は正解であった。

 ホームランはある程度意外性のあるバッターが打った方が、効果が大きいかもしれない。

 大介などは満塁の状態でも、何度か敬遠をされたことがあるのだ。

 あの高打率を考えれば、それも無理はないと思えてしまうが。


 ほどほどに得点し、ほどほどに失点する。

 それが繰り返されていく中で、スリーランホームランの一打は大きい。

 そしてリードした状態で終盤に入れば、レックスは勝ちパターンのリリーフ陣を使うことが出来る。

 タイタンズが少しは反撃してきても、レックスもさらに追加点を取る。

 最終的に9-7でレックスは逃げ切る。

 ただリリーフ陣は、それなりに疲れたかもしれない。


 最後のアウトを取って、レックスの勝利が確定した瞬間、直史は内心で決意していた。

 おそらく他の誰もが気づかなかったであろうが。

(明日は完投して勝つか)

 そんな決意をしても、ほとんどのピッチャーは不可能である。

 もちろん直史は、その例外的なピッチャーである。




 目覚め方で、その日のおおよその調子は見当がつく。

 本日の直史は、普通だ。つまり問題がない程度の調子ということだ。

 ホテルの朝食バイキングでは、普段通りの食事を摂る。

 スポーツ選手の食事事情は、同じ年齢の一般男性とは異なる。

 直史は特に食事については、チームのトレーナーからもメニューを示されている。

 平均よりもずっと、朝からカロリーを入れていく。


 天気がいいので散歩などをして、腹ごなしの運動をしておく。

 この週末はデイゲームなので、すぐに本番の練習がやってくるのだ。

 ホテルからはそのまま、タクシーでドームへと向かう。

 別に自分で運転してもいいのだが、投げる日は少しでも神経への負担をかけないように、他人に運転してもらうのだ。


 ドームではクラブハウスに入るのだが、試合を待つ観客が既に、列をなして入場を待っていた。

 昨日はこんな様子は見えなかったので、やはり投げるピッチャーが違うと、こういう事態にもなってしまう。

 直史が自分で運転しないのは、車が何かを知られているので、ファンの追跡を避けるためでもある。

 自分の先発の日には、他のことで集中力を妨げられたくない。


 ロッカールームで着替えて、ミーティングを行う。

 首脳陣の見立てとしては、今日は勝てる日である。

 直史が投げるのだから、味方打線が一点取れば、それでセーフティリード。

 そんなわけはないはずなのだが、そんな認識が広がってしまっている気がする。

 もちろん直史がそんなことを言い出したはずもないのだが、これは昔から言われていたことで、掛け声のような応援歌のようなものまで存在するのだ。


 事前に既に、情報の分析は終了している。

 昨日の試合からも、直史は情報の更新をしている。

 タイタンズは負けたものの、悪い負け方ではなかった。

 その打線を封じなければいけない。




 東京ドームは直史にとって、四番目に経験したプロの球場である。

 最初は高校野球の地方大会で、マリンズスタジアム。

 そして次が甲子園で、神宮大会で神宮球場も経験した。

 東京ドームを使ったのは、大学選抜で日本代表と対戦した時だ。

 あまりに圧倒的な内容を残してしまったため、例外措置でWBCのメンバーに加わることになってしまったのが、もう20年も前のことになる。


 実は直史はまだ、公式戦では経験していないプロの球場がある。

 なにしろ前は二年間しか、NPBにはいなかったからだ。

 交流戦で経験したのは、埼玉ドーム。

 あとはオープン戦も含めていいなら、仙台と福岡でも少し投げた。

 日本シリーズでも一年目の埼玉戦はともかく、二年目の福岡戦ではホームでしか投げていない。


 ただ経験した「プロの」球場ということなら、途端に多くなる。

 なにしろMLBには、30ものチームがあったのだから。

 そういった経験のある直史にとって、東京ドームはホームランは出やすくても、それなりに投げやすい球場だ。

 マリスタもそうであるが、野天型の球場は風の影響を受けやすい。

 そういったものがあると、フライを打たせることが多くなっている直史にとっては、風に流されてエラーになったりするかもしれないからだ。


 東京ドームも色々と、改修の話は出ている。

 確かにそれはそうかもな、とプレイしていても思う。

 ただ建設時から細かい改修をしているため、本格的な改修となると、踏ん切りがつかないものであるらしい。

 ピッチャーとしてはホームランの出にくい球場にしてほしいが、ドームは野球の試合以外でも使用されるので、なかなか大規模改修をするのも難しいのだろう。




 試合開始直前、ドームは大満員である。

 20年前に比べると観客席は増設された球場が多いが、ドームもその例に洩れない。

 ただそれをやっても、今年のチケットの販売はとんでもないことになるだろう。

 もっともライガースのコアなファンは、年間パスを普通に持っているだろうが。

 問題になるのはレックスの、特定の日のチケットであろう。

 そう、たとえば今日の、直史のもののように。


 試合開始前の観客の動きで、ドームが揺れている。

 移動やざわめきもであるが、熱量が空気を振動させている。

 圧力がドームの空気を高めている。そんな錯覚がする。

 果たして何をそんなに期待しているのか。

 タイタンズ相手は、今年の直史は一番、投球内容が悪かったのに。

 前のスターズ戦を見て、期待しているのか。


 この二試合、直史は途中降板ながら、パーフェクトピッチングをしている。

 フェニックス戦ではノーヒットノーラン、カップス戦ではマダックス。

 そろそろパーフェクトをしてもおかしくない、と過去の実績を知っている観客は待っている。

 直史としてはむしろ、NPBのチームの方が、そういった記録を作るのは難しいと思っているのだが。


 NPBでの最年長記録は、32歳での達成だ。

 もしも直史が達成すれば、最年長記録は大幅に更新されることになる。

 最速記録はともかく、最年少記録は全く更新できていなかった直史が、最年長記録を更新しそうなのは皮肉である。

 なおMLBまで含めれば、パーフェクトの最年長記録は40歳にまで跳ね上がったりする。

 どちらにしても直史が来年もプレイすれば、更新の可能性はあったりする。




 パーフェクトの難しさは分かっている。

 自分が27奪三振でもしない限り、必ずバックに頼ることになる。

 直史はバックを信頼しない傲慢な人間ではないが、人間には必ずミスが出るものだ。

 それは自分をも含めてのものである。

 ノーヒットノーランは、今年中にあと一回ぐらいはやっておきたい。

 年に二回もノーヒットノーランをすれば、選考基準にはないながらも、沢村賞獲得の強烈な後押しになることは間違いないからだ。


 五月の上旬のこの時期、重要なのは勝ち星を積み重ねること。

 直史の場合は勝ち星を積み重ねれば、自然と防御率が上がっていくし、イニング数も増えていく。

 畑が勝ち星で上回っても、完投がなければ直史が勝てる。

 この試合は失点してでも、球数を節約して完投勝利を目指す。

 それが直史のゲームプランである。


 一回の表、レックスの攻撃から、試合は早くも動いた。

 先頭打者出塁から、進塁してからタイムリーで一点。 

 そこからホームランが飛び出して、三点のリードをもらう。

 状況から判断を変更していかなければいけない。

 当初の目的を変更するのは、やってはいけないことであるが。


 三点の差があれば、味方のエラーやアンラッキーなヒットを考慮しても、おそらく最後まで投げて勝つことが出来る。

 ただタイタンズは前回の試合でも分かるとおり、かなり打線は強力なのだ。

 悟の一発には注意した上で、あとは上手くフライを打たせる。

 不運なポテンヒットぐらいはあるだろう。

 そう考えながら、直史はマウンドに登る。




 タイタンズとの対戦は、オープン戦とシーズンで一度ずつ。

 もちろん最初にプロ入りした時とは、戦力構成が全く違う。

 直史が感じたタイタンズ打線の特徴というのは、大味というものだ。

 ライガースと同じく長打を狙ってはくる。

 だがライガースと違うのは、ヒットがつながっていかないということだろうか。

 チームの戦力は恐ろしく高い。

 しかしこの間の試合でも、悟の前にランナーをためることが出来ず、ある程度安心して直史は投げることが出来た。


 先頭打者をまず、三振で打ち取る。

 今日のストレートの調子で、上手く通用するらしい。

(水上を四番に置いているところが、保守的なタイタンズと言おうか)

 MLBだったら二番だな、と直史は思ったりする。

 実際に今年のライガースの大躍進は、二番ショート大介にあると思うのだ。


 カーブとストレートの組み合わせで、上手く打たせて取ることに成功。

 球数も10球とかからず、いい感じのスタートである。

 直史が自分自身と戦うなら、待球策を取ってくるだろう。

 実際にフェニックスはそれで、直史の球数を増やして、途中でマウンドから降ろすことに成功した。

 小さな故障があったが、それでなくても七回で100球を超えていたのだから。


 早く相手を打ち取ってしまうと、逆にこちらも早打ちになってしまって、試合のペースが上がっていく。

 直史としてはそれは望ましいことと言うか、昔から直史の投げる試合は早く終わるのだ。

 初回で三点も取ってしまったので、レックスの野手陣の意識は、どうしても守備の方に比重がかかる。

 ただそう意識していても、普通にエラーは出たりするのだ。

 無意識のうちに集中しているというのが、一番いい状態であろう。




 二回の表、レックスの攻撃は三者凡退。

 そしてその裏、タイタンズの先頭打者は、四番の悟からである。

 ホームランを打たれても、一点にしかならない状況。

 だからこそ実験する余地もあるというものだ。


 インハイのボール球から入ったが、腰が引けてしまうことはない。

 直史のボールのスピードなら、充分に見極められるというところだろう。

 しかしそこに今度は、より力の入ったストレートを投げ込む。

 ボールにバットは当たったが、バックネットに突き刺さる。

(想定を超えていたよな)

 この結果に直史は少し安心する。


 二球続けてのインコースならば、次は当然のようにアウトコースを攻めるところだ。

 迫水としても、アウトローいっぱいのストレートを要求する。

(そうじゃないだろ)

 それは悟であれば、簡単に予想できる組み立てである。

 外に投げてもゾーン内なら、踏み込んで確実に打ってくる。


 直史は頷いた。ここで分かっている配球に、あえて頷く。

 しかし投げたのは、逆球となるインコースであった。

 迫水のリードは基本的に常識的で、ここでは外の球を使うだろうな、と誰もが思ったであろう。

 悟としては外の球か、と少し懐疑的ではあったのだが、直史はあっさりと頷いた。

 そして投げられたのは、インコースの逆球。

 直史にしてはありえない、コントロールミスと言えるだろう。

 もちろんこれはミスではない。


 悟のバットは、このインコースのボールを振っていった。

 だが当たったボールは弱い打球で、セカンドのほぼ真正面。

 軽く捌いてアウトにしていた。

(対角線ばかりがピッチングじゃないぞ、と)

 直史が使ったコンビネーションは、ほぼ同じコースを少しずつ変えるというもの。

 これもまた定番の組み立ての一つであり、今回はそれが効果的であったのだ。

 厄介な先頭打者を打ち取り、二回のピッチングも好調なスタートである。




 直史の投げたストレートは、広義の意味でのチェンジアップであった。

 変化はほとんどなく、しかし少しだけ落ちて、タイミングも合わない。

 悟としては駆け引きで負けた、と思っている。

 ただベンチで確認したところ、やはりキャッチャーの構えたところとは逆に投げていた。

(あの人に限って逆球なんてないだろうしな)

 味方のキャッチャーまで含めて、騙してのけたのだろう。


 二回の裏もランナーは出ず、三回の表へ。 

 レックスが一点を追加して、4-0とスコアが変わる。

 だがこれで満塁ホームランを打たれても、まだ同点という状況に変化した。

 直史は三回の裏、三振と内野ゴロ二つで省エネピッチング。

 チェンジアップで上手くゴロを打たせることに成功していた。


 重視することの一つに、完投がある。

 そのために必要なのは、球数を抑えることだ。

 今日はここまで、一人頭三球以下でバッターをアウトに出来ている。

 タイタンズのバッターが、強打者が揃っていると言っても、チームバッティングが出来ていない。

 シーズン143試合の中の、一試合であると考えるのは、プロとしては正しい態度だ。

 ここで直史を打つためだけに、スタイルを曲げてしまうというのは、シーズンを通じては悪い方向に作用するかもしれない。

 そういったことを考慮しても、あまりに無策ではないのか。


 おそらくまだタイタンズは、直史のデータを収集している最中なのだろう。

 前回は神宮での試合であったが、今回はホームの東京ドーム。

 集められるだけのデータを集めるのが、タイタンズ分析班の仕事のはずだ。

 ただそれをするならやはり、もっと打線は粘っていく必要があると思うが。

 なんだかどのチームも中途半端ではないのか、と感じる直史だ。

 もっともそれはMLBの、徹底したデータ収集と分析が、頭の中に残っているからかもしれないが。




 4-0というスコアであると、もうレックスの打線は完全に、守備に意識が向いているようになる。

 特にここまで直史は、球数も完投ペースで投げている。

 ミスター完投と言ってもいい直史だが、ここ二試合は途中負傷と故障明けで、完投していない。

 なのでここいらで完投してもらって、リリーフ陣も休ませたい。

 明日はリリーフでつないでいく予定の日なので、ここで直史がリリーフを使わずに完封してくれたら、それだけでかなり助かるのだ。


 四回の裏も三振と内野フライで、呆気なくスリーアウト。

 凡退が続いていくのは、タイタンズからすればもっと焦るべきだ。

 チェンジアップは別だが、カーブもストレートも、打ち上げさせるのに向いている。

 緩急でタイミングを崩せば、打ったボールは弱いものになるのだ。

 だが直史はまだ、自分のピッチングに満足していない。


 もっと自由に三振を奪いたい。

 計算した方向にゴロを打たせて、さらに少ない球数で内野フライを打たせたい。

 ピッチングを磨いていくというのは、もっと奥深いものなのだ。

 今の自分のピッチングは、かつての技術に遠く及ばない。

 蓄積してきた貯金で、どうにか封じていると言えるような状態。

 大介を想定すれば、運よく打球が野手の正面にでも飛ばない限り、とても打ち取れるものではない。

(ホームラン以外ならOK、というわけにもいかないからな)

 そう思うと悟との勝負は、都合のいい前哨戦とも言える。




 大介はMLBでの栄光を捨ててまで、NPBに戻ってきた。

 もちろん目的は直史と対決するためであるが、もしパーフェクトをしている状態で対決すれば、あえて打ってはこないだろうな、と直史は思っている。

 戦闘民族に思えるが、大介は人の命に敏感である。

 過去にスランプに陥った時はいずれも、誰かの死や命の危機に直面している。

 言葉にはしないが、そういう雰囲気があるのだ。

 当然ながら一度目的を達成したら、全力で直史を叩き潰しにくるだろうが。


 この力が限定された状態で、大介と対戦しなければいけない。

 あるいは対決までにどれだけ、復調していくかが問題である。

 限界まで投げていけば、その限界を引き上げることが出来るかもしれない。

 しかし同時に、また故障するかもしれないという危険もつきまとう。

 軽度の故障で済んだのは、運が良かったとも言えるだろう。

 

 そして五回の裏、先頭打者の悟との対決がやってくる。

 前の対戦では、おおよそは抑えたタイタンズ打線であるが、悟にはホームランを打たれている。

 またあの試合はペナントレース初戦で、自分もまだペースが掴みきれていなかった。

 合計で五本のヒットを打たれた前回と違い、今日はここまで一人のランナーも許していない。

 悟を抑えれば、少なくとも勝利は見えてくる。


 左のバッターボックスに入る悟。

 直史はその構えを見て、重心がどうかかっているか、見えるようになってきた。

 やはり実戦を重ねていくごとに、肉体はともかく感覚は戻ってきている。

 その戻ってきた感覚が悟の危険性を強く警告してくるのだが。

(やっぱりいいバッターに育ったもんだな)

 多くの日本人がMLBに行く中で、日本に残ったスター。

 この10数年のNPBを凝縮したようなバッターと、直史は対決する。




 直史が届かない存在だと、今の悟は思わない。

 それは前回のカードで、ホームランを打ったからというだけが理由ではない。

 ここまでに投げてきた五試合を分析したところ、コンビネーションの幅が狭まっているのだ。

 ただ駆け引きというか配球は、今の持っている球種で、充分に考慮されている。

 ちょっとおかしなストレートを凡打してしまったのが、その代表的な例であろう。


 衰えたとは思わない。

 ただブランクがあるのは、絶対的に間違いないのだ。

(ストレートのおかしさは、あの引退試合で確かなことだった)

 映像はあったので、後から分析すること自体は可能であったのだ。

 だがカメラの映像を解析する限りでは、変化球の種類が少ないのは間違いないのだ。


 直史の特徴としては、変態的なまでの変化球の多さというものがあった。

 カーブをあそこまで使い分けるピッチャーは当時からしていなかったし、カーブ以外の球種では魔球と呼ばれるジャイロボールも使っていた。

 ツーシーム、スイーパー、チェンジアップなどとそれぞれが、普通のピッチャーなら決め球になるようなボールであった。

 だが今は、カーブとストレートの組み合わせに、チェンジアップを混ぜていくということをしている。

 あとはスライダーとシュートで、一つの球種の使い分けが見事なのは、カーブぐらいと言っていいだろう。


 前の打席では、あれはチェンジアップだったのだ。

 ストレートを内角に二度も見せてから、三球目も内角ストレート。

 ほんのわずかに変化するチェンジアップであったと考えるなら、凡打したのもおかしな話ではない。

 次に狙うべきは、やはりストレートなのか。

(先頭打者だから、まずは出塁だけど)

 ここまでパーフェクトに抑えられているという事実を、まずは認識しておくべきだ。




 初球、直史が投げたのはシンカーである。

 見逃したらストライクになるかどうか、微妙なコース。

 しかし悟は簡単に見逃して、ストライク判定にも動揺などは見せなかった。

 バットを振るときは、しとめるときと決めているのか。

(嫌な見逃し方だな)

 狙い球をしっかりと絞っていて、それをしとめる。

 四番としてのバッティングを、悟はしようとしているのか。


 甘く見られたものだとは思わないが、そんなことをしている余裕はあるのか。

 ここまでパーフェクトに抑えられていて、球数も投げさせることは出来ていない。

 まずはヒット一本か、粘ってフォアボールぐらいはしないといけない。

 だから今のコースは見逃したのか。

(シンカーは追い込まれるまで手を出さないつもりだったのか)

 だがおそらく二つ続ければ、踏み込んで打ってくるだろう。


 外のボールを投げたので、次は内のボールを投げたい。

 ストレートをインハイに厳しくというのもいいが、それはこの後の打席まで含めれば、まだ取っておきたい選択だ。

 カーブを投げるのは、スピードのあるタイプでないと、今のシンカーとの球速差が活かせない。

 いや、どうせなら変化の差を見せておくか。


 普段はあまり使わないスライダー。

 これを今度は、懐を突くように内角に投げる。

(これで行こう)

 迫水も了解のサインを出し、直史は頷いた。


 スライダーは外角から大きな弧を描いて、左バッターの内角へ。

 ボール球になるような変化であったが、悟は自然とそれに手を出していた。

 打球は低く、一塁線を抜けるかといったところ。

 だがそこで、一塁ベースに直撃したのであった。

 ファーストがボールを確保にかかり、直史も一塁カバーに走るが、悟の足の方が早い。

 間違いのないヒットであったが、単打で済んだのは幸いであった。




 バッターとピッチャーの格付けは、結局のところ対戦成績よりは、二人の間の実感のみで判断すべきなのかもしれない。

 直史はパーフェクトを破られたが、それで集中力が切れるということもない。 

 ただ評価は確定しておいた。

 今の悟は自分と同格か、それ以上の選手であると。

 しかしヒットが一本でもでてしまえば、直史はそこからピッチングを変えることが出来る。

 基本的には打たせて取る、というピッチングが行われていく。


 三打席目の悟は、外野フライに倒れた。

 ただストレートで、内野フライまでに打ち取ることは、どうやら難しいものであると直史は理解する。

 運がなければ上手く打ち取れない。 

 パーフェクトを達成するためには、厄介なバッターである。

 MLBにもスラッガーはいたし、ヒットメーカーもいた。

 ただこいつの今のバッターとしての性能は、それを上回るものだと言える。

(勝てる試合でよかった)

 タイタンズの打線は、悟以外はほぼ沈黙している。


 もう一本、ポテンヒットが出たため、どのみちこの試合はパーフェクトは出来なかっただろう。

 ただヒット二本の無四球に抑えたため、悟に四打席目は回らない。

 そして九回まで、直史は投げ続ける。

 ボール球を投げることは、前よりは多くなった。

 それでもストレートで空振りが取れるので、球数はそれほど嵩まない。

 九回を投げてヒット二本96球。

 今シーズン四試合めの完投で、直史は五勝目を記録したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る