第26話 宿命
直史が離脱している間に、雨で試合が中止になることが二試合あった。
本来ならばこれは、直史を復帰してからまた使えるという点で、歓迎すべきものであったろう。
ローテーションの変化は最低限で済むので、これもまた望ましいことだ。
しかしスターズは間違いなく、これで上杉をスライドさせてくるだろう。
今までがそうだったのだから、今度もそうしてくる。
レックスは本来なら、三島を上杉に当てる予定であった。
ただ今季の三島は、どうも運に恵まれていない。
クオリティスタートに四回も成功しているのに、勝ち星がついたのは一つだけ。
もちろん三島の責任ではないのだが、こういうことが続くと年配のおっさんは、オカルトに走ってしまう。
負けないピッチャーとなると直史である。
ただ本当なら直史を、責任回の五回ぐらいにまで投げさせれば、それでいいと思っていた。
今年で引退も囁かれる上杉だが、それでも既に三勝している。
直史の復帰が、上杉にまで影響を与えたのかもしれない。
ただ完投する数は減ってきていて、せいぜいが七回までを投げるぐらい。
それでも故障明けの直史に、完投など期待してはいけないのだろうが。
レックス首脳陣は迷った。
故障明けでさえなければ、普通に直史を投げさせたであろう。
ここで三島に上杉相手に投げ勝ってもらって、復調してほしいという気持ちもある。
「見に行って決めるか」
首脳陣は頷き、室内練習場へと向かった。
データを重視する人間であっても、実績を積み上げていくと、結局は自分の目を信じるようになってしまったりする。
貞本は本来、データ野球のタイプの人間であるのだ。
ただ野球というスポーツは、場面場面を見ていけば、そのデータをいかに裏切るかというスポーツであったりする。
豊田だけは直史のピッチングを、先に来て見ていた。
直感的な考えであるが、とりあえずもう故障の影響はないように思える。
ただ、それはあくまで外から見た感じ。
実際に投げている直史は、何度か投げるたびにデータを確認する。
重要なのは、数値が元に戻っているかではない。
数値が自分の体感と、ちゃんと合っているかどうかだ。
(本当なら三島をスライドさせて、佐藤も一日ずらせばいいだけだ)
豊田としては、こちらをオススメする。
(だけどなあ。首脳陣が佐藤を使いたがる気持ちも分かるんだよなあ)
指揮官としての采配を放棄して、ただ純粋にファンの目になってしまう。
豊田の場合は色々と因縁もあるので、かえって厳しく客観的になれているが。
直史が40歳を前に復帰したのに対し、豊田は30歳を少し過ぎたあたりで、限界がやってきた。
セットアッパーやクローザーとして若手の時代から活躍したので、10年以上もほぼ一軍にいた計算である。
そんな豊田としては、直史が自分自身のデータを見ることから、むしろ自分が勉強をしていく。
コーチとしてはまだ、若手もいいところの豊田なのだ。
直史と色々と話し合っていたところに、首脳陣がやってくる。
一体何事か、と思ったところに出てきたのは、直史が明日投げるかどうか、というものであった。
「三島はどうするんです?」
豊田としてはこの首脳陣の判断には、良否を述べない。
彼はあくまでもブルペンを管理するものであり、先発に対する意見は技術的なものにとどまるのだ。
ただ豊田も、元はエースとして扱われたことがある。
ここで三島をスライドさせるのは、彼のプライド的にもまずい。
実際、去年の成績を見たならば、今は三島の方が上杉より、数値上の貢献度は高いと思えるだろう。
もちろん精神的な支柱としては、格段の差があるだろうが。
「それは逆療法になればいいかなと思っている」
貞本は非情な監督であった。
今のスターズ打線と上杉の状態を考えれば、それほど恐れる存在ではないと計算する直史である。
だが野球は計算外の要素が大きく、それを大きく発揮するのが、上杉という人間なのだ。
単純にいるだけで、チーム全体に影響力を持つ。
だからこそいまだに、チームの勝ち頭を譲っても、エースとして君臨している。
直史にはなれないタイプのピッチャーだ。
それにしても、こんな判断をピッチャー自身にさせるのか。
いや、直史の調子を確かめるため、こんなことをわざわざ尋ねているのかもしれないが。
「長くても五回程度までで終わると思ってたんですが」
今後のレックスの未来を考えれば、三島をさらに一段階ステップアップさせる必要があるだろう。
だが首脳陣は、それよりも直史を使おうとしているのか。
よろしい、ならば戦争だ。
「三島のプライドはいいんですか?」
直史は起用法に関しては、特に采配に文句をつけたことはない。
ただ周囲が直史のメンタルを窺う、ということはよくあった。
直史に投げさせれば勝てる。そういう試合は数多くあったのだ。
「五回まで投げるなら、後はこちらでなんとかしよう」
「それで誰もが納得するなら、こちらとしては構いません」
エースとしての三島は、何かと思うかもしれないが、これが今の評価なのだ。
かくして、直史と上杉の対決が実現する。
しかしその輝きは、かつてのような煌びやかなものではないだろう。
佐藤直史VS上杉勝也。
これは過去、ほんの数回行われた対決である。
本格的に両者が、完全な状態で対戦したのは、直史のプロ一年目ぐらいである。
他の試合においては、途中でピッチャーの交代などがあった。
その回数は実に少なく、わずかに二回。
一勝一分けで、直史の方が勝ち越していると言っていいのだろうか。
ただ引き分けた試合は12回まで投げて、お互いに一人もランナーを出さないという、伝説の試合になっていた。
もう一つの試合も、スコアは1-0と完全に投手戦となっている。
そもそも直史は、生涯に数えるほどしか、負けたことがない。完全にチームが足を引っ張っていた中学時代や、地元のクラブチームでちんたら練習試合をしていた時は別だが。
しかし上杉はここのところ、衰えながらも投げ続けている。
勤続疲労があってもおかしくないぐらい、上杉は高校時代からずっと、チームを背負って投げてきた。
実際に無理をしてでも投げてきたからこそ、ここまで衰えたとも言える。
ただプロ入りしてからMLB期間を除いて21年間、勝ちを負けが上回ったことはない。
傍から見ると上杉には、直史には感じられない、敗北の美学のようなものさえ感じるのだ。
負ける姿すらもなお、美しいというものだ。
そこは勝利至上主義の直史とは、完全に違う部分であろう。
直史は、負け続けたがゆえに、今はもう負けたくない人間になっている。
いや、それは自分のために投げていた時か。
今の直史は、負けてはいけない。
たとえそれが、上杉や大介が相手であってもだ。
元々の予定であればこの試合、直史は確かに投げる予定ではあった。
だがその投げ合う相手は、上杉ではなかったはずなのだ。
やや年配のプロ野球ファンとしては、感慨深いものがある。
しかし上杉は衰え、直史は故障明けと、どちらも完全な状態ではない。
全盛期に投げあった二人は、本当に凄かったのだ。
生放送で、あるいは現地で見ていた人間は、もう一生の宝物として、あの試合の記憶を脳内に宿して生きていく。
いつになったらこの拮抗が破れるのか。
それをはらはらと見ながら、結局は最後まで、どちらもマウンドを譲ることなく、延長戦までを投げぬいたのだ。
当時のレックスもスターズも、どちらもそれほど打線が強力なチームというわけではなかった。
それでも小技を使って、どうにか点を取っていくという姿は見られたのだ。
これが上杉と武史の勝負であると、ある程度は武史が勝つこともあったが、おおよそは上杉が上であると、格付けがついている。
今の上杉と武史を比べたら、完全に武史の方が上であろうが。
衰えた鉄人と、故障明けの投球機械。
どちらを応援するにしろ、またただ鑑賞するにしろ、複雑なところはあるだろう。
本当に一時代を築いた二人が、もうそのキャリアの最晩年にいるのだから。
直史などは五年もブランクがあるのだから、むしろノーヒットノーランを達成するなど、奇跡とさえ言っていい。
ただ何度も奇跡を起こしてきたのが、直史という人間なのだ。
舞台はレックスのホーム、神宮球場。
神奈川スタジアムよりは、ずっと歴史のある球場だ。
直史にとってもここは、ほぼ地元の感覚。
大学四年間、ほとんどの公式戦をここで行ってきたのだから。
そこで今、対決しようとしている。
(先発で対決するのは、もう10年以上も前の話になるのか)
引退試合では投げ合ったが、あれは上杉が途中で降板した。
高校時代には結局、練習試合でも投げ合うことはなかった。
もっともあの時の直史が投げていても、圧倒されていただけであろうが。
大学選抜と日本代表の試合も、両者本気であったとは言いがたい。
やはりプロでレギュラーシーズンを投げ合った、あの二試合だけとなるのか。
(惜しいな)
お互いにもう、全力で投げる力は失っている。
スポーツ選手がそのパフォーマンスの絶頂で引退するということは、とても難しいことだ。
それがスーパースターであっても、例外にはならない。
上杉はこの二年、かろうじて二桁勝利はしている。
おかげでNPBに通算勝利記録を更新し、他にも多くのピッチャーの記録を更新した。
これがポスティングでMLBに行っていたら、とは何度も言われたことである。
上杉がMLBに行かなかったのは、大きな理由としては大介のことがあるだろう。
自分と互角以上に戦えて、そしてNPBを盛り上げてくれる存在。
大介がいたからこそアメリカに行くことはなかったし、そして肩がある程度治っても、NPBには戻ってきた。
カムバック賞まで取りながらも、上杉には分かっていたのだろう。
復帰後の自分では、大介を満足させることが出来ないことに。
もちろん日本のファンを大切にしたい、というのも嘘ではないのだろうが。
そんな上杉に、本当なら引導を渡してやりたい直史だ。
だが故障明けの自分に、そんな力があるとは思っていない。
MLBにいた頃の自分であれば、引退試合の自分であれば、と色々思うことはある。
直史にとってさえも、上杉は一つの憧れであったからだ。
(もう、いいだろう)
そろそろ一つの、時代が終わる瞬間がやってくるのかもしれない。
対決の朝が来たが、直史は特に緊張などもしたりしていない。
これが10年前であれば、また注目も違ったのだろうが。
いや10年前でも、既に上杉は肩をやった後だ。
それでもそこから、六度も沢村賞を取っているのだが。
NPB不滅の大記録と呼ばれた400勝を更新した時点で、引退してもおかしくなかったのだ。
なにしろその年には、10勝しかしていなかったのだから。
先発で投げたのも18試合で、完全にローテを守っていたとは言いにくい。
それでもしっかり貯金を作るあたり、先発としては立派なものだった。
ただこれは後から調べたもので、この数年の直史は、NPBにはほとんど意識を向けていない。
最後に沢村賞を取った年の成績は、25先発の16勝4敗。
確かに沢村賞に相応しいぐらいの数字だが、全盛期の26勝0敗を知っている者からすれば、物足りないのは確かだ。
NPBのキャリア21年で、15回の沢村賞。
全盛期の上杉から沢村賞を奪えたのは、直史と武史だけである。
今の上杉と武史を比べれば、もう明らかに武史の方が上だ。
あちらはまだMLBのスケジュールで、年間25試合を投げているのだから。
それでも武史も、ある程度は衰えたと言える。
これはパワーピッチャーの運命だろう。
かといって今の直史は、技巧の限りを尽くしてはいない。
制限された中で、上杉と投げ合う。
まだまだ苦しい条件だなと、直史は悟っていた。
レギュラーシーズン無敗の神。
最初に誰がそれに黒星をつけるのかは、昔から散々に言われたきたことだ。
上杉としては、直史を見ても確かに、衰えたとは思う。
自分よりはずっと、その度合いは小さいだろうが。
大卒でもプロ入りせずに、クラブチームからの入団。
その裏事情については、まだいまだに明かされていない。
おそらくもっと年月が過ぎれば、瑞希が何かで発表するのだろう。
それまで真実は隠され続ける。
今回の電撃復帰についても、上杉には意味が分からない。
直史には野球に対して、特にプロ野球に対して、執着というものがない。
だからこそ逆に、あれだけのピッチングが出来たのだと、上杉は分かっている。
よく言われるのは、上杉と直史、どちらが史上最高のピッチャーか、というものだ。
これは評価基準が難しく、短期間に実績を残したという点では、それはもう直史で間違いはない。
だがプロというのは、長期に渡って活躍し、ファンに夢を与える存在でもあるはずだ。
上杉が結局MLBに行かなかったのは、そのあたりの価値観にある。
自分を今更知ってもらおうなどと、思わなかった。
ある意味傲慢ではあるが、それが上杉という人間だ。
直史はスターズの選手たちが、練習しているのを見物していた。
一日の休みがあったので、上手く疲労は抜けているだろう。
もっともまだ四月であるので、ここでスタミナ切れなど起こしていたら、結局プロでは通用しない。
体力に自信のなかった直史は、そのあたりの体調管理には気を遣ったものである。
スターズももちろん、この数年で新しい力がはっきりと出てきている。
直史の引退試合は、どちらかというと既に、高校時代やプロ時代に因縁が発生している選手が多かった。
あれからMLBに行った選手もいるし、この数年で覚醒した者もいる。
スターズの打線はそれほど全体が脅威というわけではないが、それでも注意すべきバッターは何人かいるのだ。
そんなわけであちこちを歩いていたわけで、そして偶然というのは運命の神様が紡ぐことがあるらしい。
「佐藤」
声をかけられて振り返れば、そこに上杉がいた。
「少し、話さんか」
「いいですね」
そして二人は、球場の中でもあちこちから見える、バックネット裏に移動した。
この二人は比較されることはあっても、ライバル視されることはあまりない。
高校時代には対戦がなく、プロでも直史の一年目に重なったぐらいだ。
上杉がMLBに行っていた一年間は、一応重なって入るが、リーグも違い上杉はクローザーとして投げていた。
なのでライバル関係というのが、築きにくかったというのはある。
むしろ直史は、上杉のことを尊敬していた。
野球選手としてではなく、どちらかというと同じ長男として。
「なぜ戻ってきた?」
上杉の問いは端的なものであり、そして心からのものであった。
直史がプロとしての野球選手の姿に、さほど愛着を持っていないというのは、よく聞いたことである。
それがここで、投げられるようになってきたから、という理由で復帰したのは、明らかにおかしなことなのだ。
マスコミ向けに用意された理由など、上杉が納得するはずもない。
ただ直史は、上杉には答える必要もないし、むしろ答えてはいけないと思っている。
「俺の目的がちゃんと達成されたら、教えてもいいです」
「白石も何か知っているようだったな」
「そりゃ、義理とはいえ弟ですからね」
そして同時に、最大のライバルでもある。
高校時代は最強の味方であり、プロ入り後はほんの二ヶ月を除き最大の敵。
脅威度を考えれば、今が一番恐ろしい。
「無理には聞かんがな」
上杉にはそういう、度量の広いところがある。
この人にはいずれ話してもいいのかもな、と直史は思っていた。
夕闇の中で試合が開始される。
ホームである神宮球場は、バッター有利の球場と言われている。
ただそれはフライを打つタイプのバッターにとってであり、対戦相手がグラウンドボールピッチャーであれば、そこまで極端に有利というわけでもない。
もっとも、現在の直史はフライボールピッチャーに近い。
そして今の上杉は、グラウンドボールピッチャーに近い。
不思議な話である。
ストレートの球速が落ちてから、フライを打たせることが多くなった直史。
対して上杉は、ゴロを打たせることが多くなった。
いまだに勝負どころでは、160km/hを出してくるが、それも一試合に数球という程度に抑えている。
完投の数は年間で、片手で数えられるほど。
10年前の復帰直後と比べても、その衰えは顕著である。
お互いに随分と、時間は流れてしまったのだな、と思いつつ直史は初回のマウンドに立つ。
スターズ相手に、復帰初戦。
このチームの危険な点はどこか、直史はしっかりと研究してある。
まず同じ年にドラフトで高卒から入った末永と馬上の一番二番コンビ。
この二人の出塁率と走力によって、機動力野球を展開する。
特に末永を出塁させると、馬上の厄介さが格段に上がる。
そのため末永を封じることが、まず初回のポイントなのだ。
その一番末永を、キャッチャーフライでアウトにする。
凡退してしまった末永は、やや首を傾げながら、ベンチに戻る途中で馬上に伝える。
「ストレートがおかしい。下に当たる」
「やっぱそうか」
ここまでの直史のピッチング内容を見ると、内野フライが多いのだ。
NPBとMLBの、過去の七年間のデータでは、むしろゴロを打たせることが多かったのだが。
ただゴロを打たせるピッチャーというのは、基本的にはフライを打たせるピッチャーよりも、パーフェクトはしにくいと言われたりもする。
ゴロを処理するのは、捕球と送球、そしてそれをさらにファーストがキャッチするという、フライを捕球するだけよりも多い手間がかかっているからだ。
それなのにゴロを打たせながら、何度もパーフェクトをやっていた。
直接対決しても、訳の分からない存在である。
馬上はこれに対して、叩きつけるスイングをしてみた。
すると普通にボールはショートへの強いゴロとなり、正面で処理されてファーストアウト。
かくしてツーアウトまでは、問題なく取れている。
(色々と考えてきたな)
問題があると、直史はしっかり認識していたが。
普通にショートゴロは、左右にずれていたら内野を抜けていた。
もっと弱いゴロを打たせるよう、気をつけないといけない。
ただしあまり弱すぎると、今度は内野安打の可能性が出てくる。
今日はさすがに、パーフェクトが出来る可能性があるとは思っていないが。
続く三番は、スターズはつなげるバッティングの出来るバッターを置いている。
このあたり打順の考え方が、旧来のNPBとは違っているし、ややMLBに近い。
それでも直史としては、やることは変わらない。
ストレートを上手く見せた後、チェンジアップで空振り三振。
まずは初回を順調に抑えることは成功した。
一回の裏、レックスの攻撃。
スターズはまさに、その歴史における最大のスーパースター、上杉がマウンドに立つ。
かつては平均球速が、軽く160km/hを超えていた上杉。
彼の誕生から、NPBは球速やそれに対する対応が、一気にレベルアップしたとも言われる。
だがそれも昔の話、平均球速は150km/hの前半にまで落ちている。
しかしそんなボールを細かく動かしてくるのだから、いまだにバッターにとっては厳しいピッチャーではあるのだ。
セカンドにコンバートされて、ここのところ打撃好調な緒方は、二番バッターである。
あっさりと先頭打者が三振に倒れて、今日の上杉も調子はいいなと難しい顔をする。
とにかく凡退の少ない緒方であるが、初球から160km/hのストレートを投げ込まれた。
これには本日の初球であるので、さすがに手が出ない。
投げるピッチャーの側から見ても、レックスの中で怖い打者ではなく、厄介な打者としては緒方が挙げられる。
元々技巧に富んだバッターであり、また守備力も高いフィールダーであったが、今はそれに経験が上積みされている。
打ってはほぼ毎年三割で、大介が達成していないシーズン200本安打も達成し、実は名球会入りの資格を獲得していたりする。
隠れたレジェンドに対しても、上杉は普段と変わらないピッチングをする。
手元で動いたツーシームを打って、緒方のバットが折れた。
そして打球はピッチャーゴロで、上杉が処理してアウトである。
かつて上杉は、足元の守備があまり上手くない、と評されてもいたものだ。
しかし球威が失われていく中、それと引き換えにするように、守備力もしっかりと鍛えていった。
今では平均よりも、高い守備力を誇っている。
それを見せ付けられた緒方は、悲しい顔で折れたバットをベンチに持ち帰ってきていた。
緒方は日本人らしく、バットを折られたら普通にもったいないと思う人間であった。
上杉のボールは重い。
これは昔から言われていたことである。
単純にスピードが出ていれば、破壊力が増すのはアインシュタインが公式を出している。
ただ同じぐらいのスピードを出していた時期の武史と比べても、上杉の方がずっと、バットを折っている数は多いのだ。
回転数で言うならば、武史の方が上回っているとも言われる。
ただ回転するスピン量が多いと、それだけボールも飛んでいったりするのだ。
被本塁打率という部分では、武史より上杉の方が優れている。
飛ばないボールを上杉は投げていると言うよりは、あるコースに投げれば反発力が少なく、飛びにくいようになるという方が正しい。
ただこういったことが分かっても、あまり役には立たない。
打てるコースに投げられたなら、打たないわけにはいかないからだ。
そして普通にまた、凡退して戻ってくる。
普段は150km/h台でムービングを投げ、追い込んだら160km/hか高速チェンジアップが来る。
これだけで充分におかしな性能なのである。
今日は投手戦になるな、という当たり前の認識が、共通されていった。
初回は両投手、三者凡退でのスタート。
衰えたとは言われても、今日の上杉は気合が入っている。
ここぞという試合に負けてはいけないのが、エースというものであろう。
スターズの中で一番の強打者と言われるのが、四番の藤本である。
最初はピッチャーとして指名されたが、二年目からバッターに転向。
そしてそこから、左の長距離砲として機能しているのだ。
一番と二番の出塁を、この藤本が帰す。
スターズの王道の得点パターンである。
直史はこの藤本を分析してみたが、はっきり言って対処が難しい。
直感型のバッターであるらしく、思わぬところでボール球にも手を出してくる。
ボール球はカウントを整えるために使いたい直史としては、厄介なバッターと言える。
ただ外に外れたボールを、無理やりホームランにしてしまわないだけ、大介よりはまだマシと言えよう。
(頭悪そうな顔してるなあ)
ひどいことを考えながら、直史は藤本と対戦する。
初球に投げたボールは、直史としては珍しいチェンジアップであった。
球速の緩急を活かす直史としては、初球でチェンジアップを使うのではなく、ストレートを見せた後で使うことが多い。
「んが!」
フルスイングで空振りした藤本だが、そのスイングスピードは恐ろしいものがあった。
大介がMLBに移籍後、セのホームラン王争いは、西郷を中心として10年近くの時間が流れた。
その西郷もホームラン王候補などからはもう外れ、今はこの藤本などが有力な候補となっているのだ。
しかし今年大介が戻ってきたことで、その大本命となっていた。
開幕から四試合、快音が聞こえなかったのは、もうなかったことになっている。
藤本に対しては、カーブで緩急をつけて、ファールを打たせてツーストライクにまで追い込んだ。
元々変化球には弱い傾向があることは知っている。
だがここまで誘導させてからでも、ストレートが打てるものなのか。
追い込んだらストレート。
その直史の投げたボールを、藤本は打った。
高く上がったボールは、センターが大きく後退する。
しかしフェンスの手前でバックを止めて、問題なくキャッチした。
滞空時間は長かったものの、距離はそこそこ。
ただミートがかなり下であったのに、あそこまで飛ばされたのは驚く直史であった。
(新しい力か)
世代交代が進んでいく。
先に凡退の行進が止まったのは、上杉の方であった。
二回の裏、ツーアウトから投げられたストレートは、またもバットをへし折った。
しかしその間に勢いの殺されたボールが三塁線に転がり、バットの破片に混じってわずかにその行方が分からなくなったのだ。
内野安打にて、まずはノーヒットノーランが消えた。
勝負には勝っても、結果はヒットになってしまう。
そんなことがあるものなのだ。
(勝負に勝って試合に負ける、この言葉がこれほど似合う人も珍しいよな)
高校時代から、上杉はその実力に比して、結果が惜しいところで届かないことで有名であった。
最後の夏などは、球数制限さえなければ、優勝していたのは大阪光陰ではなかっただろう、といまだに言われている。
プロとして上杉は、あの世代の中ではもう数人しか残っていない、同年代のプレイヤーである。
最後まで舞台に立っていた方が勝ちだと言うなら、確かに上杉は勝者なのであろう。
取ったタイトルは数知れず、チームとしても日本一を経験。
国際大会でも直史と共に、何度も日本の優勝に貢献した。
もう今更、何かやり残したことなどないはずだ。
ただ大介が戻ってきて、直史も戻ってきた。
ならばやはり、自分が引退しなかったことには、意味があったのだと思う。
特にこの対決、直史との対戦は、上杉としてはまだ満足していない部分がある。
42歳になる上杉は、最後の炎を燃やし尽くそうとしている。
それはかつての直史が、プロにおいて投げていたメンタルであった。
壊れても仕方がないという覚悟を決める。
その点では上杉の方が、今の直史を上回っていた。
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