第25話 小休止

 肩でもなく肘でもなく、膝でもなく腰でもない。

 痛みと言うよりは、背中が張っている感触。

 監督の貞本が出てくる中、ベンチはブルペンに連絡し、大急ぎでリリーフの準備をさせる。

 元々球数が多かったので、リリーフが必要かなと豊田は考えていたので、そこは問題のないところである。


 肩や肘ではなく、また腰や股関節、膝でもない。

 背中が突っ張るという感覚は、貞本にも分かる感覚だ。

「とりあえず降板して、医師に確認してもらうしかないな」

 パーフェクトは継続中であるのだが、こういった違和感があるのに続投させるわけにはいかない。

 そもそもここまで、三試合連続で完投しているのだ。

 40歳という年齢を考えれば、小さな故障でも後を引く可能性はある。


 直史がマウンドからベンチに向かうのに、スタンドのざわめきは止まらない。

 ただ直前にマウンドの上で、肩を回したり腰を動かしていたのは見ていた。

 負傷退場であることは分かる。

 幸いと言うべきか、回していたのは利き腕ではなく、左腕であったが。


 パーフェクトはこれにてご破算。

 しかしより重要なのは、この降板が重大な事態でないという保証だ。

 ピッチャーの故障というのは小さなものでも、長く違和感が残ったりする。

 そんなわずかな故障であっても、通用しなくなって引退する選手が多いのだ。


 復活した神が、まさかこんなにも早く。

 味方だけではなく敵のファンでさえ、同じ気持ちを抱いていた。

 そしてネットの海は沸騰した。




 医務室でははっきりとは分からないが、少なくとも目立つ腫れなどはない。

 前後の状況を考えると、おそらく軽い炎症ではないか、といったところである。

 もちろん精密な検査は必要ということで、タクシーを呼んで病院に向かう。

 一時的な離脱になるのか、それとも案外性質が悪いものになるのか。

 単純な骨折などの方が、時間はそれなりにかかっても、後遺症は残らなかったりする。


 登録抹消をすれば、10日間は一軍に復帰出来ない。

 だがレックス首脳陣は、まずは目の前の試合を終わらせる必要があった。

 三点のリードがあって、勝ちパターンのリリーフが使える。

 残り2イニングと2/3であるのなら、普通なら勝てる試合だ。


 追いつかれれば、直史の勝ち星が消える。

 これをプレッシャーと感じたりもするのかもしれないが、適度なプレッシャーはむしろ望ましい。

 ここまで直史は他の誰の力も必要とせず、勝利でチームに貢献してきた。

 ならば今度は、チームが彼を助ける番である。


 ベンチからの要望に従い、豊田はクローザーのオースティンの準備も始めさせる。

 そしてその間に、リリーフ陣はフェニックスの打線を抑えていく。

 ランナーを出しても、帰されなければ問題にはならない。

 リリーフ陣としてはこの楽な状況でホールドポイントが増えるのは、ありがたいことである。


 フォアボール一つに、ヒット一本。

 四打席目が回ってきた松風は、これまでの粘りが嘘のように、あっけなく内野ゴロで倒れた。

 そして打者29人にて、レックスは継投完封にてこの第一戦を勝利する。

 最終的なスコアは4-0であった。




 【急転!】 新生! 佐藤直史総合スレ part98 【心臓を捧げよ】


365 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 続報なしか~


366 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 こんな時間まで待ってもないならもう明日やろ


367 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 もう今日です

 繰り返します。もう今日です。


368 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 右じゃなくて左手回してるんよな

 これなんでなん?


369 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 何度同じことを……

 肩肘じゃなくて腰か背中かって話


370 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 背中の張りとかならいいけど

 球速が復帰後最速出してたからな


371 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 なんぼ出てたん?


372 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 148だから引退前よりはまだまだ遅い


373 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 ナゴドの精度ってどうだったっけ?


374 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 他の球速はいつも通りだったから間違いないと思う

 あの場面でさらに一段階覚醒してるやん


375 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 化物かよ!

 ……化物でした


376 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 しかし惜しいな

 最後まで投げられたらパーフェクト行けたんちゃう?


377 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 球数多かったしな

 今後のこと考えるとあそこで降板は仕方ないやろ


378 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 情報キタ━━(゚∀゚)━━ !!

 背中の張りだそうだから炎症か何かかな?

 重症じゃないようでまずは一安心


379 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 それどこ情報よ


380 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 嫁さんのツブヤイター

 こんな時間まで起きてたんやね


381 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 まあ奥さんとしては確かにそうだよな

 いやほんま良かったけどすぐ復帰できるんかな?




 重症ではないだろうと判断されたが、とりあえずコルセットをつけて張りのある部分を動かないようにして、一日安静。

 そして翌日改めて精密検査を行う。

 診断としては軽度の筋断裂。肉離れというものだ。

 三日ほどは動かさずに、長くても二週間あれば治癒するだろう、という話であった。


 ただ直史にとって重要なのは、単純に治癒するまでの時間ではない。

 そこからまた元に戻すために、どれだけの時間がかかるかということだ。

 軽いジョギング程度ならいいですか、と質問したところ、難しい顔をされてしまった。

 体に振動を与えることも良くない。

 肉体はおよそ、全身が連動しているからだ。

 三日間は絶対安静で、そこからの状態を確認してトレーニングを再開する。

 直史は大介のように、常人の数倍のスピードで傷が治癒する超人ではない。


 なので直史は、歩いた。

 病院の周りから散歩をして、ついでに観光でもしようかと思ったのだが、そんな観光スポットなども直史は知らない。

 筋肉を使うのが禁止なので、こういった場合に役に立つ水泳によるトレーニングも出来ない。

 しかたがないので肘から先だけを使うキャッチボールと、あとは握力を鍛えてはおいたが。


 ボールを握って、指先の感覚を研ぎ澄ます。

 それとは別に首脳陣と、次の登板について話さないといけない。

 治癒に関してはおよそ二週間。

 ただ感覚を取り戻すことを考えると、三週間ほどは休んだ方がいいだろう。

 しかい二週間、これまではやってこなかったトレーニングが出来る。

「登録抹消で」

 まあこれは当たり前である。


 一度登録抹消をすれば、10日間は再登録が出来ない。

 だが二週間から三週間も離脱となれば、これは当たり前のことなのだ。

 ただしこれによって直史は、10日間の自由を手に入れたとも言える。

 自由に使える10日間。

 シーズン中にも関わらず、試行錯誤の時間を与えられたと言ってもいいだろう。




 コルセットを装着していた間は、胴体が動かせないので、本当に何も出来なかった。

 しかしその間も、握力を鍛えたり、ボールを常に握っていたりと、指先の感覚を取り戻そうとしていた。

 回転を無理にかけることで曲げるスライダーではなく、ボールを指先の皮膚で動かすという感覚。

 高速のツーシームはともかく、カットボールの感覚が蘇ってくる。

 転んでもタダでは起きない。


 さすがに生活が不便であるが、ホテル住まいの直史は、掃除も洗濯も料理も、全て外注しているので、野球だけに集中することが出来る。

 そして二軍の方の練習に参加する。

 まだ全身を大きく使うことはしないが、キャッチボールの感覚が戻ってくる。

(結局、オフにどれだけ体を使っても、実戦の経験には優るものはないよな)

 実戦経験をフィードバックして、フィジカルを合わせていく。

 もちろんこれも大変ではあるのだが。


 年齢的にやはり、プロの生活は厳しい。

 そうは思うがMLBでも、40歳を過ぎて投げているピッチャーはいるのだ。

 ただ他の誰かが出来るのだから、自分でも出来ると思ってはいけない。

 人間はそれぞれ、体質が違うのだから。

 特にそれが言えるのが、大介であるだろう。

 今年は三月の試合が多かったとはいえ、四月の時点で既にホームランは二桁に到達。

 どこまで伸ばしていくのか、世間は注目している。




 そして直史のいない状況で、ライガースとの三連戦が始まる。

 元々いたとしても、ローテの関係で当たる順番ではなかったのだが。

 ここまで五つの貯金を作っているレックス。

 だがライガースは17勝6敗と、ペナントレースを完全に独走している。

 エースの畑もいいが、二番手の津傘のピッチング内容もよく、さらに言うなら投手陣よりも打線の得点力の方が、この成績に貢献している。


 開幕は大阪ドームであったが、これは神宮での試合。

 そして第一戦は、レックスは三島、ライガースは畑のエース対決で始まる。

 もはやレックスの本当のエースは、三島でないことは誰もが分かっていたが。

(それでもここは負けんぞ)

 気合で負けていたら、格上になど勝てるはずもない。


 対戦する大介としては、気合の入ったいいピッチャーと戦うのは、望ましいことである。

 打順は最近は、二番に固定されていることが少なくない。

 NPB流の最低でも進塁打という意識があると、大介の前は一塁が空いてしまっていることが多くなるからだ。

 ならば出塁率の高いバッターのすぐ後ろに、大介を置けばいい。

 MLB流の思考で作った打順は、今のところよく機能している。


 ここまでの113打席のうち、既に41打席を歩かされている大介。

 もはや彼の前に、ピッチャーのプライドというのは存在していない。

 チームとして勝利することが重要なのだ。

 これもまた当たり前と言えば、当たり前のことではあるのだろうが。


 大介はもう、盗塁の数をぐっと減らしている。

 それでもこのペースなら、年間60盗塁ぐらいはしそうであるのだが。

(レックスとしても、勝負するのは厳しいんだろうな)

 第一打席から出塁して、それが先制点につながる大介。

 ただ今日の試合はレックスも、相当の覚悟を決めて、勝負をかけてきている。

 ポストシーズンのクライマックスシリーズ。

 それを既に、見据えているレックスであった。




 ライガースの強いところを見せられる。

 直史はホテルの部屋で、それを見ていた。

 今年のライガースは簡潔に言えば、得点力が高い。

 ピッチャーもそれなりに揃っているのだが、本来の防御率やWHIPに比べれば、それなりに点は取られていると思う。

 だが殴られたら殴り返すという精神で、試合を大きく動かしているのだ。


 計算された強さではない。

 ただとにかく、爆発的に強いのだ。

 こういった強さは、長いシーズンの中でどこかで息切れする。

 それは分かっているが、最初のリードを守ったまま、レギュラーシーズンを終えてしまうぐらいの勢いも感じる。


 チームの状態がいい時は、選手の状態もいいように感じる。

 だが勢いに任せていて、本来の力よりもずっと大きな力を出していることもあるのだ。

 首脳陣はトレーナーなどとも話し合って、ある程度選手を休ませていかないといけない。

 これは若手にチャンスを与えるという意味でもある。


 大介を休ませる必要があるのか、それを首脳陣は危惧している。

 間もなく40歳という選手が、ショートを守っている。

 普通の40歳は、ショートなどというポジションは守らない。

 守備における足腰への負担が、外野や一三塁と比べると大きいのだ。

 内野の深いところから投げるので、肩の強さも必要となる。

 だがやはり負荷がかかるのは、腰から膝、そして足首あたりが大きい。


 大介が故障することは、単純な戦力ダウン以上の意味を持つ。

 チームの顔として、とにかく得点に絡んでいる。

 ホームランだけではなく、打点も打率もリーグトップ。

 だがそれにもまして多いのは、出塁数である。


 盗塁が減ったと言っても、今年はここまで盗塁死がない。

 チャンスを作るという点で、大介は他に代えられない選手なのだ。

「あ」

 安易に勝負にいった三島のボールを打って、11号ソロホームラン。

 やはり大介をどう対策するかが、他のチームにとっての課題となるであろう。




 やはりハイスコアゲームでは、ライガースは強い。

 それを改めて確認した直史である。

 三島も五回三失点とそれなりのピッチングはしたのだが、初回の一発から調子を取り戻せなかったということだろうか。

 五先発でまだ一勝しか出来ていない。

 巡り合わせが悪いとも言えるが、直史のようなピッチングが出来ていれば、普通にあと二つは勝てている。

 

 この第一戦を、6-4でライガースは勝利する。

 レックスにとっては、エースでも取れなかった試合となってしまった。

 内心では誰もが、レックスのエースは直史であろうと認めていた。

 そんな状況での故障であり、登録抹消からどれだけ早く復帰できるかが、レックスファンのみならず、魔王崇拝者の気にしていることであろう。

 もっとも公式発表では、二週間から三週間の離脱と、既に説明はされているが。


 年齢が重なってからの故障というのは、なかなか完治しづらいものである。

 直史はほとんど一日中、ボールを握り締めて過ごしている。

 そしてそれと同時に、他球団の試合などを見ていたりするのだ。

 なんなら分析班から、バッターだけではなくピッチャーのデータももらう。

 誰との対戦で苦手であるか分かると、それに寄せて投げればいいのだ。


 第二戦は、ここまでまだ負けのないオーガス。

 だがここでも大介は、ヒットを二本打って打点を稼ぐ。

 六回まで五失点というオーガスは、少なくとも試合は崩さなかった。

 それでもライガースは、最終的に八点を取った。

 最終的なスコアは8-3でライガースが勝利し、オーガスに初めて黒星がついた。




 開幕のカードでは、一つは勝っていたレックス。

 だがここはホームであるにもかかわらず、ライガース相手に三連敗を喫した。

 あるいはそれは、直史がいないということが、ベンチに影響を与えたものであるのか。

 もっとも何かあっても直史は開幕三連戦では投げないと決まっていたので、それよりも大介の調子が上がってきたことが、理由としては挙げられるだろう。

 ただ個人の力と言うよりは、大介が周囲を巻き込む力が、昔よりも強くなっているのかもしれない。


 今年初めての三連敗を喫したレックスであるが、ここでは少し運が良かった。

 次はアウェイでのカップス戦となるのだが、その初日が雨で潰れたのだ。

 移動での一日と、そして雨での中止でもう一日。

 もちろんプロともなれば、連敗などは長い野球人生において、経験することはある。

 しかしそこから立ち直るのに、時間はある程度役に立ってくれるのだ。

 また、首脳陣には別の見方もあった。

 直史がいない間は、出来るだけ残りの試合数が減ってほしくない。


 雨天中止となれば、当然九月にまた、その試合が行われることになる。

 MLBと違って多少の雨でもやらなければいけないほど、スケジュールがタイトではない。

 それこそMLBは、ドーム型の球場をもっと作るべきでは、とも思うのだが。

 そのあたりアメリカ人の、野球は野天で行うものとするという、浅い伝統にこだわっているところを感じさせる。

 ともあれこれで、直史が復帰するまでの時間を、稼いだような形にはなったのであった。




 現時点でのレックスは14勝10敗と、充分な成績である。

 ただただ、ライガースが強すぎるのだ。

 20勝6敗というのは、プロ野球の勝率ではない。

 このペースで勝ち続ければ、軽く100勝に届いてしまうのだ。

 二番大介というのが、完全に機能している。

 ここまでトップの打点28というのもすさまじいが、ランナーとしてもホームベースを踏むことが多い。

 自分自身のホームランを引いても、26回もホームインしているのだ。


 間もなく40歳のおっさんが、楽しそうにハッスルプレイしている。

 それがチームに与える影響は大きい。

 特にライガースなどは、世界で一番ファンの頭がおかしなチームである。

 勝ち続けていたら、それはもうファンを巻き込んでとんでもない騒ぎになるのも無理はない。


 大介としてはこっそり、日本時代には不可能であった、年間200安打に届くのではないのか、などと思っていたりする。

 今の時点で、26試合消化して33安打。

 やはり無理であるかもしれない。

 128打席で45回も歩かされていれば、それも当然であろう。

 強打者の宿命とも言える。


 そんな大介のバッティングを、当然ながら直史はチェックしている。

 そしてなんだか、もう違う次元でプレイしているのではないか、とさえ思ってしまう。

(人間の肉体には限界があるはずなんだ)

 老いて死ぬように、衰えて引退する。

 ジャンルによっては、死の直前まで成し続ける者もいるだろうが。

 大介のバッティングには、衰えを感じない。

 正確には肉体は衰えたのかもしれないが、その分を他のところで補っている。

(経験か?)

 あるいは、駆け引きか。




 予定通り三日でコルセットが取れて、直史はまた、ゆっくりと柔軟とストレッチを行い始める。

 ちょっと力を入れて投げたぐらいで。故障してしまうような肉体。

 固く脆くなっているのは間違いない。

(これが老いか)

 一応は山を歩けるように、それなりに動いてはいたのだが。


 肘から先だけのキャッチボールではなく、体全身を連動させたキャッチボール。

 だがまだ全力は出さない。

 体に違和感はないが、果たして三日で治るものなのかどうか。

 少しずつボールに伝える力は強くしていくが、無理をするのは絶対に禁物だ。


 鍛えながらローテーションを維持し試合にも出る。

 我ながら難しいことをしているなと思う。甲子園などで選手が急成長することはあるが、それは若さゆえのことだ。

 限界を超えたところの強さは、おおよそ分かっている。

 今はその限界に、どれだけ力が戻せているかということが問題なのだ。


 直史の全盛期は、どこであるのか特定するのは、正直難しい。

 大学時代に一度は球速が上がったものの、そこからプロ入りまでに本格的な実戦ではブランクがある。

 プロ入りしてからは、毎年コンビネーションを増やしていった。

 ならば33歳のシーズンが、絶頂期であったのだろうか。

(けれど引退試合では、ストレートを掴んだんだよな)

 球速ではなく、理論で空振り三振を取る。

 それをまさに、極めたと言えるところまで、あの試合で投げきった。


 壊れてもいいとさえ思って投げた、あの引退試合。

 壊れなかったからこそ、今ここに直史はいる。

 しかし今は、壊れてはいけない。

 無意識に出力をセーブしているということは分かった。それが正解であるということも含めて。

 調整をしながら、直史は復帰戦を考える。

 五月の間にあと、一度ぐらいは投げておきたい。




 二軍の方から直史が、調整に入ったという情報が上がってきた。

 首脳陣としてはそんなすぐに投げて大丈夫なのか、というのが正直な感想である。

 指揮官と言うよりは政治家としての面が強い貞本は、直史を投げさせることで、今年の観客動員数の増加を狙っている。

 これは今後、レックスのフロントに入るために必要なことなのだ。


 一応貞本は直史の、NPBやMLBでのポストシーズンのピッチングを知っている。

 20歳も年上の自分よりも、ずっと昭和的な使われ方で、実績を残している直史。

 上杉も異常であるが、この二人は本当に、プロ野球の歴史に出てきたピッチャーの中では、バグとでも呼ぶしかない存在だ。

「四月の最終日に間に合うか……」

 登録抹消してから、丁度その日が11日目。

 スターズとの三連戦、第二戦となる予定である。


 今年のセ・リーグは三位争いが激しくなるのでは、と言われたのが四月の前半。

 さすがに気が早すぎるというもので、現状ではレックスも落ちていく可能性がある。

 ライガースに三タテを食らったが、その後はしっかりと連敗をストップさせた。

 しかし確実に勝てる先発などというのは、今のレックスにはいない。


 直史を投げさせるべきだろう。

 スターズはおそらく、第一戦に上杉を出してくる。

 そこで三島との投げあいになるのだが、上杉もさすがにもう、かつてのような支配的なピッチャーではなくなっている。

 ここでもし負けたとしても、次に直史が勝ってくれれば。

 いや、さすがに復帰第一戦で、完投などさせるわけにはいかないが。

「四月の最終日、佐藤を復帰させるつもりでいくか」

 首脳陣の決断は、ここからやや迷走することになる。




 カップスとの三連戦は初戦が、雨で延期となった。

 東京でリハビリ投球をしていた直史が現地にいれば、これぐらいならMLBならプレイをしていただろうな、という感想を抱いたであろう。

 別にMLBが世界最高のリーグだ、などとは思っていない直史であるが、シーズン中に要求されるタフネスだけは、さすがにMLBの方が上だと認めざるをえない。

 ただここからはしばらく、小雨が降る日々が少し続くかもしれない。

 直史の嫌いな、雨の日のピッチングがやってくるのか。


 第二戦は曇天の中で行われたが、青砥が六回無失点の好投で、連敗はストップさせた。

 ここまで五試合に投げて四勝一敗と、全て勝ち負けのつくピッチングが出来ている。

 防御率は3.09とまずまずであるのだが、ここまで全試合をクオリティスタートで、ハイクオリティスタートも一試合。

 好調の理由を見るとしたら、WHIPの方が分かりやすいかもしれない。

 これが丁度1であり、平均して1イニングに一人しかランナーを出していないのだ。

 もちろん直史と比べられるものではないが。


 カップスとの第三戦は、雨で一試合飛ばされた上谷の先発である。

 ここは負けても仕方がないかな、とレックス首脳陣は考える。

 翌日は広島から神宮に帰って、ホームでスターズを迎える第一戦。

 スターズの登板予定は上杉であるし、レックスは三島である。

 その次の第二戦が、直史の復帰戦となる。

 もしもここで勝ちがつけば、四月度は五戦全勝という結果になるのだが、さすがに復帰初戦でそれは難しいかな、と首脳陣は判断していた。




 直史と上杉との対決を、見たいと思っている人間がどれだけいるだろうか。

 かつてこの二人は、NPBの投手陣を代表する、本格派と技巧派の筆頭であった。

 伝説の両者参考パーフェクト、12回無安打無死四球無失策というのは、絶対に二度と達成されないだろうと思われる。

 今、二人が対決したらどうなるか。

 完全に衰えが見え始めた上杉と、復帰してノーヒットノーランを達成したものの、故障明けの直史。

 どちらにしろ二人とも、完全に旬を過ぎている。


 夢を託すには、二人とも既に衰えた。

 直史の場合は、ここまで四戦全勝と、どこが衰えたのかと言われるかもしれないが。

 それでも確かに全盛期に比べれば、奪三振率なども低下しているし、球数も多くなっている。

 むしろ過去の自分こそが、最大のライバルであるのかもしれない。

 

 今、もし投げ合ったとして、万全の状態であれば、勝つのは直史であろう。

 ただ故障明けであることを考えると、その対決の行方は分からない。

 このシーズンの間に、二人の先発が重なることなどあるのだろうか。

 確率は低いと、多くの人間が思っていた。

 だが天命が、それを望んだのかもしれない。


 レックスが東京に戻ってきたその日、夕方からはスターズ戦の予定であった。

 しかし昼過ぎから、曇っていた空は大粒の雨を叩きつけるようになる。

 雨天中止の発表がされたのは、それなりに早い段階。

 すると次に両チームの首脳陣は、ピッチャーの起用について考える。

 スターズの場合は、上杉を一日後ろにすればいいだけ。

 レックスは三島をそのまま後ろにスライドさせるのか。

 衰えたとはいえ上杉に、故障明けの直史を当てるのか。

 だが直史は特に上杉に、ライバル関係の感情などは抱いていないはずである。

 どうすればいいのか。




 素直に直史を後ろにスライドさせた場合、五試合目の先発が五月度になってしまう。

 すると何が困るかというと、月間MVPが取れないかもしれない、ということである。

 野手においては大介が、この四月度の成績は、とんでもないものを残している。

 28日時点での話だが、打率0.398 出塁率0.609 OPS1.552と、人間のやっていることではない。

 既にホームランは12本を打っており、30打点と合わせて完全に三冠王ペース。

 おまけと言ってはなんだが、盗塁も10個全てを成功させており、盗塁王までも狙っているのではないか。


 大介はNPB時代、一つだけ取れていないタイトルがある。

 それは最多安打である。

 しかし今はその最多安打も、わずかな差ではあるがトップを走っている。

 このままならば打者タイトルの全てが取れる可能性がある。

 もちろんそれは、前人未到の記録である。

 大介自身でさえ、最多安打が取れていないのだ。


 ピッチャーとバッターとの違いがあるため、単純な比較は出来ない。

 だが大介のこのホームランのペースは、また70本近く打ってもおかしくはない。

 それに打率が、四割を狙えるところについている。

 OPSは最終年の自己の記録を、さすがに超えることはなさそうだが。


 ノーヒットノーランを達成したピッチャーと、打者六冠ペースで打っているバッター。

 最終的にはどちらにシーズンMVPを与えるかなど、議論が紛糾しそうなのが今からでも想像がつく。

 レックスとしてもMVPが自軍から出てくれれば、大きな宣伝にはなるだろう。

 もっともシーズンMVPは、リーグ優勝したチームから出そうな気もするが。


 最終的にシーズンMVPを取ってもらうため、ここで月間MVPも取ってもらいたい。

 頭を悩ませるが、予告先発は早々に発表しないといけないのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る