第24話 日本のだいたい真ん中で

 少しずつ気温も上がってきた。

 最近は五月になると急に気温が上昇するので、そのあたりの体調管理も重要だな、と考える直史である。

 名古屋に到着したレックス選手団は、用意されたホテルに向かう。

 だがその途上に、フェニックスファンなのかどうかは分からないが、群集が集まっている。

 いや、ちゃんと進路を空けてくれてはいるのだが。


 どういうことだ、と年配のコーチなどは思った。

 確かにプロ野球選手が、移動の折に騒がれるということはあった。

 近年でもライガースに大介と西郷が揃っていた頃などは、関西ではものすごい騒動であったと聞く。

 かつてはタイタンズがスター集団であったが、直史がいた二年間の間にも、こんな事態は起こっていなかった。

 遠くから見つめる視線。

 それはおおよそ直史に集中していた。


 孤高の存在だ。

 誰も手が届かない、マウンドの上の神。

 上杉がいよいよその座を降り、球界の絶対的エースが誰か、色々な意見を戦わせる。

 だが少なくとも沢村賞は、かなり票が割れて投票されている。

 上杉の時代の次は群雄割拠。

 次の若い力を求めながらも、今はすぐにMLBに行ってしまうことが多い。

 真田が今、全盛期であったなら、間違いなく沢村賞を取れただろうに。


 直史の活躍は、NPBのリーグではわずか二年。

 しかしその前には甲子園や、国際大会での活躍がある。

 そしてMLBでは、前人未踏の記録をいくつも作っていた。

 それをいつまで見ていられるかというところに、突然の引退。

 だがその引退試合でさえも、伝説にしてしまった。


 今、その伝説が戻ってきた。

 復帰するのと、復活するのとは違う。

 40歳のロートルが、ちょっと通用した程度では駄目なのだ。

 それは伝説に蛇足をつけただけとなる。

 だが復活したその存在は、伝説を現在進行形で目に焼き付ける機会をくれた。

 その期待が、こうやって人々の注目を集める。


 東京にいるとまだマシなのだ。

 それに直史は東京では、基本的に車を移動に使っている。

(やりにくいのか、それともやりやすいのか)

 直史としても悩むところである。




 遠征時のホテルには、ジムが併設されている。

 荷物を部屋に置き、すぐに着替えた直史は、そのジムに向かった。

 だがトレーニングなどをするわけではなく、ストレッチなどを繰り返しただけだ。

 さすがに登板前日は控えているのかというとそうではなく、今日の分は既に終わっているのだ。


 新幹線に乗っていたので、硬くなった体をほぐす。

 それ以上の意味はない。

 どうせまた一晩眠れば、柔軟性は失われてしまう。

 だがそれでも、少しでも衰えに、老いに抗うのだ。

 

 本能的に優れた肉体を持つ者は、あるいは気づいていないのかもしれない。

 もしくは直史が一度は引退しているから、それに気づいたのか。

 少しでも老いから遠ざかる重要性。

 ほとんどの選手は一般人に比べるとフィジカルモンスターなため、成長することの重要性は分かっても、維持することの難しさに気づかない。

 直史も一度は、完全に離れてしまったというのに。


 まだ、元に戻す余地がある。

 球速は限界があるだろうが、変化球がほしい。

 スルーか、あるいは高速のツーシーム。

 全盛期の性能の、50%ほども発揮できていない。

(明日の試合も、どこまで戻っているかどうか)

 直史はまだ、上限を目指している。

 そのために調子は、最低でも平均ほどを保ち、その平均値で相手を蹂躙するのだ。




 フェニックスは既に一度、直史にひどい目に遭っている。

 かろうじてパーフェクトは防いだものの、かなり偶然性が高かったものだ。

 ひどいのは味方のはずの地元さえ、どこか直史に期待していることが多いところだろう。

 直史は日本代表として何度も国際試合に出ている。

 なので応援するという意識が、全くないわけではない。


 ノーヒットノーランをされているのだ。

 ついでのようにマダックスもついていた。

 これでパーフェクトをされたら、今年もフェニックスは立ち直れない。

 だが直史のピッチングの内容は、最初のタイタンズ戦を除けば、まるで全盛期の頃のような数字になってきている。

 そのタイタンズに対しても、オープン戦ではほぼ完封していた。


 首脳陣も憂鬱になっているが、それを選手たちに伝染させるのはもっとまずいだろう。

 今の選手たちも、おおよそ直史のNPB時代や、MLB時代を知っている。

 あるいは引退試合がお祭り騒ぎになったことも知っている。

 しかし本当に脅威に感じていたのは、既に現役を退いて、客観的にあのピッチングを見ていた層であろう。


 なんであれで、抑えることが出来るのか。

 もちろん理屈の上では、コンビネーションが素晴らしいのだとは分かる。

 だが歴戦の勇退者たちにすると、それよりも脅威だと感じるのは、その心理洞察だ。

 あとはそこに投げればいいと分かっていても、平然と危険な球を投げてくる、その胆力。

 初球は打ってこないという相手に対して、スローカーブを平然とど真ん中に投げる。

 そういったメンタルの在り様が、一番人間離れしていたと言ってもいい。




 野球はメンタルスポーツだ。

 だがメンタルだけのスポーツでもないし、メンタルを保つのも技術であったりする。

 メンタルがフィジカルの限界を超えさせることがあるように、フィジカルの安定はメンタルの安定にもつながる。

 それはもう高校時代に、既に体験している直史である。

 甲子園の決勝までにも、完投することはあったのだ。

 だがパーフェクトをするのがあの決勝の舞台になったというのは、それ以降の試合を考えなくてもよくなったからだ。

 正確には決勝戦はどちらも、パーフェクトの達成条件は満たしていないが。


 このフェニックスの地元で、直史はどれだけ集中して投げることが出来るのか。

 それがそのピッチングに、どれだけの力が入るかという問題になる。

 マリスタや神宮、そして甲子園と比べても、思い入れなどないスタジアムだ。

 直史の好きな野天型の球場でもない。

 だがモチベーションを保ち集中力を失わなければ、相手の得点を抑えることは出来るだろう。

 相手がなんであれ、場所がどこであれ、出来るものならパーフェクトを目指す。

 それが今の直史なのである。


 朝、目覚めるとまず、体の調子を確認する。

 かつてはなかった、あちこちの重さが、目覚めても残っていたりする。

 肉体的にはもう、全盛期を過ぎたのは間違いない。

 だがそれでも、野球は経験や駆け引きによって、勝負出来るスポーツなのだ。


 ピッチャーの場合はバッターと違って、投げられるボールに対応するのではなく、投げたボールにバッターが対応する。

 なので主導権は常に握っている。

 それでも三割を打ってくるのが、優れたバッターだ。

 その優れたバッターを分析することによって、逆にその攻略法も分かってくる。


 前の試合ではヒットメーカーの松風ではなく、パワーヒッターの野原に打たれた。

 ただ打球の質などは、松風の方がミートに近かったとは思う。

 優れたバッターが衰えて去っても、また新しいスタープレイヤーが現れる。

 今のNPBは比較的、巧打と強打を上手く組み合わせることの出来るバッターが、現れてきているのだ。




 時間を大切に使って、体のバイオリズムを試合時間の開始に合わせていく。

 最初からそれなりに投げることが出来るが、全力ではない程度に。

 今の直史は、抜いたカーブでどれだけ、ピッチングを組み立てられるかが、完投のための重要なポイントとなっている。

 力のある球ばかりを投げていても、それでは9イニングはもたない。

 上手く力を抜いていって、そんな状態でも完投をしなければいけない。

 ただ点差次第では、そろそろリリーフ陣に、少し働いてもらってもいいのだが。


 時間通りにホテルを出る。

 そのホテルにおいてさえ、何か視線を感じるのは気のせいではあるまい。

 ここはアウェイで、歓迎されているはずもない。

 ノーヒットノーランなどというものをされれば、普通は悔しいものであるのだ。


 そんな直史は、本当に飛びぬけたものを見てしまうと、人は好きとか嫌いとか、あるいは敵だとか味方だとかさえ区別せず、ただひたすら感動してしまうものだ。

 直史は今まで、野球でそこまでのものを、他人に感じたことはない。

 あるとしたら近いのは、上杉や大介であったろう。

 しかしそれと直接対決して、もう直史の中では単純に憧れるものではなくなってしまった。

 ある意味では直史は、野球にはなんの感動も求めていない。




 スタジアム内での投球練習をしても、特に問題はない。

 今日もいつも通りに、投げることが出来る。

 だからあとは運次第なのだろうが、相手も直史のことは限界まで、分析してきているはずだ。

 ノーヒットノーランなど、する方は名誉であっても、される方は屈辱以外の何者でもない。

 一度対決し、それからまだ間が空いていなければ、おおよそはバッターが有利になる。

 なのでこの短期間の間でも、直史はさらに上げていかなければいけない。


 カーブとストレートとチェンジアップ。

 あとはスライダーにシュートにシンカー。

 ここで球種をもう一つ増やす。

 あまり遅くないチェンジアップだ。


 チェンジアップは要するに、緩急をつけるための球で、アメリカではチェンジアップなどとは言わない。

 極端な話、カーブをチェンジアップ的に扱っていたりもする。

 今必要なのは、よりスピードはあるがしっかりと落ちる球。

 ストレートと見極めがしにくいほど、球種の価値は高い。


 選択肢が多ければ多いほど、コンビネーションは複雑になる。

 だがはっきりと違うと分かるボールも重要だが、一瞬の判断では違いが分からないボールも必要なのだ。

 そう考えながら投げている直史のストレートが、三種類になっていることに、受けている迫水は気がついた。

 棒球のようなストレートと、ホップする伸びのあるストレート。

 そしてホップはしないが、鋭くキレるストレートだ。


 この人はいったい何をやっているんだろう、と迫水は理解不能である。

 おそらくは何か、握りを変えてはいるのだろう。

 しかしそんな器用なことが可能なのか。

「回転軸をわざとずらせばいいだけだぞ」

 直史は質問を受けて、あっさりとネタバレを行う。

 これだから! と呆れる迫水であった。




 チームとしてはともかく球団としては、相手の人気に乗っかる形であっても、チケットが売れて観客動員が増えればありがたい限りである。

 なお元々動員数の多いライガースでさえ、大介が復帰してからは、ほぼ地元の試合は空席がなくなっている。

 対して地元でも人気がなくなりつつあるフェニックスだが、それでもこの日はチケットが売り切れた。

 

 かつて昭和の時代、ネット配信もなくテレビのチャンネルが最大の娯楽であった時代、キー局を持つタイタンズが、最大の人気球団であった。

 今でも親の贔屓を引き継いで、タイタンズファンは全国に散らばっている。

 だがこの20年間の他球団の活躍、特に同じ在京圏のレックスとスターズが強かったため、そちらにファンを取られた。

 しかし昭和の時代はタイタンズが来れば、球場が埋まる。

 それぐらい人気が集中していたのだ。

 もっともライガースは昔から、地元の関西圏では圧倒的な人気を誇っていたが。


 今ではホームでなくても、ライガースの試合は相当の観客動員を誇る。

 毎試合出る大介が、よくホームランを打つからだ。

 それと同じことが、直史の投げる試合においても言える。

 先発であるからには希少価値があり、よりそのプレミア度は高いと言える。


 どんな競技であっても、それが隆盛するには、スタープレイヤーが必要となる。

 よりその人気を高めるには、対決するスターが二人以上いればなおいい。

 今はまさにその状況である。

 ただこれは、最後の輝きであるとも分かっている。

 上杉が衰えたように、直史も大介も、引退までの時間はもうあまりない。

 だからこそ、それを直接目に焼き付けようという観客が多くなっていくのかもしれないが。




 午後六時、ナイターの試合が始まる。

 フェニックスは先発陣があまり強くないので、アウェイの試合なら初回に先制点を取ってほしい直史である。

 リリーフ陣がいくら強力でも、負けている試合を逆転させることは出来ない。

 野球は明確に、攻撃と守備に分かれているので、ピッチャーはあくまでも守る側。

 味方の援護が必要なのは、競技として当たり前のことなのだ。


 フェニックス先発の立ち上がりを叩き、レックスは二点を先取。

 これだけでわずかに、レックスベンチ内の空気が弛緩する。

 初回のたったの二点で、何を安心せよというのか。

 だがこの空気には、覚えがある直史である。

 また自分に対するプレッシャーも、わずかだが減った。


 一点までは取られても問題ない。

 試合に勝つにおいては、条件がゆるくなった。

 直史の三勝というのは、現在のハーラーダービーではトップである。 

 だが別に勝ち星だけにこだわっているわけではない。

 パーフェクトの達成に失敗したなら、あとは完投勝利を増やすことだけを考えればいい。

 沢村賞の選考基準の中で、現在では一番難しいのが、この完投数だ。

 継投が基本の現代野球において、最も必要とされていないであろう要素。

 むしろポストシーズンにこそ、この要素は必要になる。


 そこで傑出しているからこそ、直史はスーパースターなのである。

 試合の最初から最後まで、相手の打線を封じてしまう。

 絶対に負けないピッチャーというのは、それだけで最高のものなのだ。

 マウンドの上の王様、あるいは神。

 試合における重要度を考えれば、ピッチャーはそういうものである。

 全てのプレイはピッチャーから始まるのだから。




 さらなる追加点などはなく、一回の裏の守備。

 直史がマウンドに登ると、静かなざわめきがスタジアムに満ちる。

 投球練習で投げる球には、傑出した部分を感じさせるものがない。

 だがそれはいつものことなのだ。


 フェニックスの先頭打者は松風。

 それに対して直史は、スピードのあるカーブから入った。

 右バッターにはかなり効果的だが、左バッターに対しては被打率が上がるカーブ。

 しかしだからこそ、初球にこれを投げることは少ない。

 松風も見送って、まずはファーストストライク。

 だが二球目以降は、難しいことになっていった。


 フェニックス打線はまず、序盤でパーフェクトなどという可能性を潰しておくという方針を考えている。

 出塁率が高い松風であれば、まずはフォアボールを狙っていく。

 そんな中で甘くストライクを取りに来れば、それは打ってしまえばいい。

 もちろん直史は、ストライクを取るときでも、単純な甘い球などは投げない。

 だが松風は、粘っていく。


 直史のピッチングの特徴は、球数が少ないことだ。

 一見すると打てそうなボールを、コンビネーションで打たせていく。

 そして追い込んでからは、確実に三振か凡打を打たせるボールやコンビネーションを持っている。

 だが松風はそれに対して、待球策とカットによって、球数を増やさせることに成功した。

(嫌なことをやってくるな)

 そうは思っても、もちろん直史は感心しているのである。

 野球というのは要するに、いかに相手の嫌がることを出来るかが問題である。

 野球に限らず、ほとんどのスポーツが、相手に力を出させないことが、勝つための手段であるのだろうが。

 それを徹底出来なければ、勝つことは出来ない。

(最弱のチームだからこそ、やってこれる策か)

 このゲームは簡単には終わりそうにない。




 ファールグラウンドへのサードフライで、松風はアウトになった。

 だがこの打席、直史に10球を投げさせている。

 1イニングで15球も投げていれば、完投するのに135球は必要となる。

 直史は力の抜いたボールでカウントを稼ぐことが出来るが、それでもそこまで球数が増えてしまえば、ベンチは交代の準備をさせる。


 続く二番と三番も、やや粘ってくる傾向が見えた。

 だが結局は内野フライに終わって、球数はここまでに21球。

(ストレートの攻略法に気づかれたかな?)

 直史自身は、ずっと前からそれを、当然ながら分かっていた。

 ただ分かっていてもやってくるかな、という点では懐疑的であったのだが。


 直史のストレートの特徴は、遅いということだ。

 それなのに空振りが取れている。

 ホップ成分が高いということならば、もっと当たった時に飛距離が出ていてもいい。

 それなのに内野フライが多いというのは、それだけボールの下を叩いているということか。

 ただ、空振りはしても、タイミングはそこそこ合っているのは分かるだろう。

 ならばミートに徹して、どうにかカットしていく。

 すると自然と球数が増えるのは当たり前のことだ。


 ここで使うのが、スライダーやシュートで、外のボール球を内に入れてくるというものだ。

 もっともそれもカットされれば、あとはチェンジアップが効果的だが。

 球速の緩急差を最大限に活かす。

 そのためにチェンジアップもカーブも、より遅いボールを投げる。

(けれどこれは、やっぱり難しいな)

 どこかで偶発的なヒットが生まれるのは間違いないだろう。




 生まれると思っていたのだが。

(球数が多いなあ)

 六回を終えた時点で、既に球数が100球に到達していた。

 だが出したランナーは、ヒットも含めてフォアボールもエラーもなく、パーフェクトピッチング。

 それだけ集中して投げていたということではあるのだが。


 このフェニックス戦は二連戦で、次は一日空いてライガース戦となっている。

 なのでリリーフ陣を使うことに、特に問題はないはずなのだ。

 直史もそろそろ、楽なピッチングをしておきたい。

 点差は追加点もあって、3-0となっている。


 球数を考えれば、もう交代の場面である。

 しかしパーフェクトを継続しているというのが、逆にそれを困難なものとさせている。

 一度目の引退の前、直史はレギュラーシーズンで、10回を投げて136球完封というのをしている。

 MLBなら13回を投げて144球完封ということもしている。

 だがこれらは両方とも、スコアが1-0で決着した試合だ。

 特にMLBでの試合は、兄弟対決でとてもしんどい思いをした。


 オープン戦での消耗を考えれば、球数よりもむしろ集中力や肉体全体の疲労を考えるべきであろう。

 そして困ったことにと言うべきか、直史はまだ投げられるなと思っているのだ。

「佐藤、どうしたい?」

 采配を取るべき監督である貞本が、直史にそんなことを尋ねてきたのだ。

 これは義務を放棄すると言うよりは、直史に好きにやらせてくれる、ということなのだろうが。

 

 疲労度を考えれば、まだ投げられる。

 3-0という点差は、決して安全圏と言い切れるものではない。

「あと1イニング、投げてみます」

 そこで打たれるかどうか、決めてみればいいだろう。

 七回の裏、フェニックスは一番松風からの上位打線であるのだから。




 パーフェクトなどというのは、個人の記録である。

 だがこれはMLBでさえそうなのだが、マチョイズム的な思考があって、こういう時は球数が制限に到達しても、投げさせることが多い。

 統計などでは出せない、男の美学の部分である。

 そして直史としては、第一打席と第二打席で、合計22球も投げさせられた松風に対し、思うところがあるのだ。


 このバッターに、降板させたという成功経験を与えてはいけない。

 長いシーズンと言っても、あと何度フェニックスと当たるかなど、せいぜい三回ぐらいであろうか。

 しかしボーナスステージなどとも揶揄されるフェニックスを相手に、少しでもチームの苦手意識などはつけたくない。

 こいつ一人はなんとしてでも塁には出さない。

 後は他のピッチャーに任せてもいい。


 七回の裏、ベンチから出てきた直史に、期待の視線が注がれる。

 球数だけを考えれば、もう交代してもおかしくはないのだ。

 だが直史が出てきた。

 パーフェクト記録を優先したということである。


 期待されている。

 敵地ではあるのに、期待されてしまっている。

 いくらもう10年ほど暗黒期が続いていると言っても、こんなことでいいのかフェニックス。

 敵である直史に心配されてしまうなど、よほどのことであるだろうに。

(こいつだけは絶対に抑える)

 バッターボックスに入ってきた松風を、マウンドから見下ろす。

 次のバッターにぽかりと打たれてしまいそうな気もするが、それはそれでいいのだ。

 重要なのは、自分が納得出来るピッチングをすること。

 待球策など通用しないと、フェニックスのみならず全球団に、思い知らせる必要があるのだ。




 一打席目も二打席目も凡退している松風。

 いや、今日は全員が、ここまで凡退しているのだが。

 待球策と言うよりは、もっと純粋に球数を投げさせるというフェニックスの作戦。

 40歳になったロートルに、取るような作戦ではないと、内心で思った者も多いかもしれない。

 だが同一シーズンに、同じピッチャーに二度のノーヒットノーランなどをされたら、果たしてフェニックスはどういう評判を立てられるか。

 もっとも直史は10年以上前に、既にそれはやってしまっているのだが。


 この打席も、下手に打ちにいってはいけない。

 だがもう、そろそろヒットは打っておきたいという気持ちもある。

 たとえ130球以上投げさせ、疲労させたとしてもその成果の果実は、フェニックスが受け取れるものではない。

 パーフェクトはもちろん、ノーヒットノーランもされても、フェニックスというチームとしてはおしまいなのだ。


 基本的に人気のあるチームというのは、強いチームである。

 1980年代後半からの、暗黒期ライガースのような、弱いのに人気は衰えないというのは、そうそうあるものではない。

 あとはカップスなどの、完全に地元と密着した球団は、やはり人気が離れることは少ないが。


 ここは打っていく、と松風は決めている。

 そこに投じられたのは、高めに外れたストレートであった。

 打とうと思えば、当てることは出来ただろう。

 だがわずかな直感の働きで、バットを止める。

 それで正解であった。

 打っていたらそれは、内野に高く飛ぶフライになってしまっていただろう。




 ボールカウントが先行。

 しかも直史の意図を見抜かれたのか、ホップ成分の高いストレートを、しっかりと見逃された。

 ならば次は、何を投げるか。

 こんな時にあまり選択肢がないのが、今の直史の辛いところである。


 二球目、内角のインハイ。

 これには手が出た松風であったが、ボールが来ないことに気づいた。

 わずかに沈むこれは、チェンジアップ。

 下手に当ててしまわないように、そのままスイングをしておく。

 空振りは取られたが、ゴロを打ってしまうよりはいい。

 追い込まれたらまた、カットしていけばいい。


 逆に直史としては、難しい球は追い込まれるまで、なかなか手を出されないと分かっている。

 なのでここで大きく曲がるカーブを使って、ストライクカウントを稼ぐ。

 出来れば初球のストレートを打たせて、内野フライというのがありがたかった。

 だがそう都合よくいくほど、野球の勝負というのは単純なものではない。


 カーブを見逃して、これでストライクカウントが増えた。

 追い込んだらすぐに勝負が、直史の基本である。

 だがここは少し慎重に組み立てる。

 まずはチェンジアップを使って、目を緩い球に慣れさせる。

 それからアウトローいっぱいに、わずかに外に変化していくシュートを投げる。


 これを空振りしても、おかしくはなかった。

 だが松風は体勢を崩しながらも、バットの先でボールを叩く。

 三塁線を切れていくボールで、ストライクカウントは変わらず。

 意地でもカットして、ただの凡退では終わらないという覚悟を感じる。

 しかしこれで準備は整った。




 100球以上も投げてきたというのは、それだけ体が温まってきたということでもある。

 いまだに平気で130球以上完投をする武史とは違うが、直史も今の自分の体が、温まってきたというのは分かっている。

 この状態からでないと、投げられない球というのはある。

 そしてそれは、松風が初めて見る球になるだろう。


 直史からのサインに、迫水はわずかに躊躇する。

 だがダミーサインを見せても、直史は首を振る。

 これで決めるという、確固とした意思を感じる。

 ピッチャーの意地というものではない。

 これはエースの意地だ。


 冷静に考えればこの状況で、無理をする必要はない。

 だがもっと長い目で見れば、ここで限界値をもう一度確認しておきたい。

 シーズンの序盤から、まだ20日と言うべきか、それとももう20日と言うべきか。

 肉体の状態は、間違いなく変わっているのだ。

 そしてこの試合を勝利するだけなら、無理をせずにリリーフに任せてしまってもいい。


 重要なのは、残りのシーズンをどう過ごすかということだ。

 そしてパーフェクトを狙うためには、能力の上限値を上げておかなければいけない。

(いくぞ)

 普段よりもわずかに、テイクバックが大きくなる。

 そしてそこから投げた球は、松風の目には低めのストレートと見えた。


 ここから浮き上がる。

 そう見当をつけた、スイングを開始する。

 打つのではなく、当ててファールにするためのスイング。

 しかしボールは、そのバットの軌道の上を通過するどころか、明らかに振り遅れていた。

 ミットにボールが収まってから、思わず松風は球速表示を確認する。

 そこには直史の今シーズン最速の、148km/hという表示が出ていた。




 純粋に球速がなければ、三振を奪うのは難しい。

 元々直史は安定して、150km/hを投げられるピッチャーであったのだ。

 それをここまでは、小手先の技術でどうにか打ち取ってきた。

 だがこれは完全に、力により奪った空振り三振。


 ふう、と思わず息をついて、迫水から返ってきたボールをキャッチする。

 その瞬間に、左の背中に痛みが走った。

(う、まずいか)

 グラブを外して、左手を回してみる。

 腰を回転させると、わずかな違和感があった。

 無理をしているつもりはなかったが、やはりまだ無理であったか。

 マウンド上で直史は、パーフェクトを維持しながらも、両手で交代の意思を示した。

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