第27話 限界の手前

 三回の表は、かなり特別な意味を持つ。

 なぜなら直史と上杉が、直接対決するからだ。

 ピッチャーとしての投げ合いではなく、ピッチャーとバッターとして。


 ピッチャーとしての評価ならば、数字上は直史の方がクオリティは高い。

 だがそこに打撃での功績が加わると、上杉は大きく直史を上回る。

 ピッチャーでありながら30代の半ばまでは、二割以上の打率を誇っていた。

 また長打力もあり、代打の切れてしまった延長戦で、上杉が指名されて打席に入ったことなどもある。

 二刀流でやっていれば、毎年20本以上はホームランを打っていた計算になってしまう。

 そのあたり、セ・リーグに来たのはあまり良くなかったのかもしれない。

 もっともピッチャーに専念したからこそ、この成績が残せたとも言えるのだろうが。


 ツーアウトから、バッターボックスに立つ上杉。

 さすがにこの数年は、一割台になった打率だが、それはピッチャーとしては当たり前の話であり、パワーはいまだに衰えていない。

 ここで上杉に打たれないためには、スピードのあるボールを投げればいい。

 年齢を重ねるごとに、対応が難しいのがスピードのあるボールなのだから。

 だが直史の速球に、そこまでのスピードはない。


 カーブから入って、ゾーンのぎりぎりを狙う。

 それを上杉は振っていったが、バットの先が下がっていた。

 大きく右方向に曲がっていって、ファールボール。

(やっぱりパワーは油断の余地がないな)

 ここから次には、ストレートを投げる。

 タイミング的には合っていたが、ボールは真後ろに飛んだ。


 二球で追い込んだ、という事実は確かである。

 そしてここから直史は、ホームランだけは避けるバッティングを行う。

 まずは高めに外れたボール球を、一球使う。

 これを空振りしてくれたらいいのだが、またも後ろに飛ぶ打球。

 全く油断が出来ない。


 しかし四球目は、インハイを狙っていった。

 ただしそこから、ボールは落ちていく。 

 チェンジアップをフルスイングで空振りし、上杉は三振に倒れた。




 三回を終えてパーフェクトピッチング。

 素晴らしいことではあるが、同時に嫌な予感もしている。

 前の試合もパーフェクトのまま、七回途中で降板することとなったのだ。

 そしてレックス打線は、ヒットこそ一本打ったものの、やはり上杉に封じられている。

 今日の上杉は一味違う。


 体調管理というかコンディション調整も、選手にとっては重要な仕事である。

 だが上杉の場合は、かつては体力に任せて、乱暴に投げても抑えられてしまったのだ。

 投球術を駆使しだしたのは、この数年のこと。

 それでしっかり貯金を作るあたり、恐るべきピッチャーではあるのだ。

 しかしこの試合の上杉は、なんと言うか集中力が違う。

 一球ごとに投げるボールが、明確な意思を持っている。

 それがレックス打線を抑えているのだ。


 三回の裏にレックスの援護はなく、四回の表に突入する。

 このあたりでベンチとしては、継投のことを考えていかなければいけなくなる。

 今日の直史は故障明けで、五回までの予定であったのだ。

 こんなピッチングをしておいて、故障明けもクソもないだろうと思うのだが。


 上杉が力を入れて投げるのは、直史が投げている間だけかもしれない。

 せめて一点ぐらい、どうにか取れないものか。

 しかしそれは、スターズベンチも思っていることだろう。

 上杉もまた、かつては援護の少ないピッチャーであった。

 だがこの数年は、上杉に勝ちをつけるため、チームがまとまっているところがある。

 それなのに直史からは、一点も取れない。




 四回の先頭打者末永に対しては、最後にアウトローへストレートを厳しく決めて、見逃し三振。

 これはボール球であったろう、というのが末永の感覚であった。

 だが審判というのは、若手に厳しくベテランに甘いところがある。

 直史をベテランと言うのは、なんだかおかしい気もするが。

 これでまだNPBにおいては、3シーズン目の選手であるのだ。


 直史のやっていることは、ストライクゾーンの拡大である。

 左右の角度をつけることで、ストライクゾーンを左右に広げているのだ。

 そしてもう一つ、高低のゾーンの幅も、ストレートのキャッチング技術によって、ゾーンを広げている。

 これは直史も口を出しているが、迫水のフレーミング技術の向上である。


 二打席目は一打席目より、ゾーンが広がっていた。

 それに気づかない馬上も、見逃し三振をしてしまう。

 そして残りのアウトは、内野ゴロで奪った。

 チェンジアップさまさまである。


 直史に対して上杉も、無失点のピッチングを続ける。

 芯で捉えられたボールが、一本クリーンヒットにはなった。

 だが今年の上杉のピッチングとしては、間違いなく最高のものだ。

 そして五回の表が回ってくる。

 四回までパーフェクトを続ける直史。

 対する先頭打者は、先ほど大きなセンターフライを打った藤本である。


 ここにおいても直史は、ボール球でファールを打たせることに成功した。

 最後もボール球を投げて、ファールフライでアウトとする。

 一発のあるバッターは怖いが、上手く組み立てられたら問題はない。

 13個目のアウトを取って、まだランナーは出ていない。




 パーフェクトの可能性が、現実的になってきたと言えるのか。

 まだ五回の途中であり、直史は故障明けである。

 だが考えてみれば、前の試合も七回途中までパーフェクトを達成していたのだ。

 あそこから数えると、既に一試合分のパーフェクトは達成している。

 その前の試合から数えれば、パーフェクトイニングはさらに伸びるのか。


 四番の藤本を打ち取った次は、気が抜ける可能性を考える。

 もう無意識のうちに、直史はそういったことを注意している。

 肉体的には全く、かつてのようには動けない。

 だが精神性などは、かなり戻ってきたと言えるだろう。

 そして五回の表が終わり、直史は当初の予定を達成した。


 これで打線が点を取ってくれれば、直史は素直に交代させてもいい。

 貞本も既に、ブルペンには指示を出している。

 ただ復帰初戦とはいえ、パーフェクト継続中のピッチャーを、ここで交代させるのか。

 球数もまだ、充分に余裕がある。

 スターズは無駄に粘ることはなく、打てると思えば振ってきたからだ。

 実際は粘ることは、今の直史相手ならば無駄なことではない。


 ベンチに戻ってきた直史の表情を見て、貞本は交代を決心する。

 ただ出来れば次のイニングまで、待って欲しかった。

 なぜならこの五回の裏、一人でもランナーが出たら直史の打席となる。

 もし出なくても、次のイニングの頭の直史に、代打を送ることが出来る。

 しかしそのために当初の予定を変更するというのは、貞本の采配にはない選択であった。

 直史は五回まで。もしも打席が回ってきても、そこで代打を出す。

 どうせリリーフも六回を投げれば、その裏で代打を出せばいいのだ。



 

 上杉もまた五回の裏を、簡単に制圧していく。

 だがレックスベンチの様子を見て、少し驚いてしまった。

 直史が完全に気を抜いて、代打が準備をしようとしている。

 つまり五回で、直史の出番は終わったということだ。


 いくら故障明けとはいえ、パーフェクトをしているのだ。

 それを交代させるなど、事前に決めていたのかもしれないが、いくらなんでも杓子定規に過ぎるのではないか。

 だが逆に考えれば、貞本はその場の状況に流されず、プランどおりに試合を進める指揮官ということになる。

 直史が五回までパーフェクトに抑えたというなら、その事実をもってよしとすべきであると考えたのか。

 監督にも色々な考え方の人間がいる。


 上杉もまた、この五回を三者凡退で終わらせる。

 ネクストバッターズサークルに、直史ではない選手がいたことには、観客も気づいていた。

 故障明けのピッチャーなのだから、短いイニングだけを投げるというのは、普通に考えられることだ。

 しかしそれでも、パーフェクトをしているピッチャーをここで代えるのか。


 パーフェクトなどと言っても、まだ4イニングもあるのだ。

 客観的に見れば、達成するのは難しいであろう。

 ならば今後の大切な戦力である直史に、無理をさせるわけにはいかない。

 それにこれまた問題であるが、レックス側もまだ一点も取れていないのだ。

 つまりパーフェクトを達成したとしても、そこからさらに延長に入るという最悪のことも考えておいた方がいいだろう。

 レックスの首脳陣は、熱い血潮をあまり持たない、現実主義者の集団である。




 六回の表、直史はベンチから出てこない。

 そしてピッチャー交代が告げられても、ブーイングなどは起こらなかった。

 さすがに直史が故障明けということを考えれば、ここでの交代は自然である。

 これがライガースであれば、スタンドから怒声が上がっていたかもしれない。

 だがレックスのファンは、比較的温厚な人間が多いのだ。


 直史はこれで、前の試合に続いて、二試合連続で途中降板ながら、パーフェクトピッチングでマウンドを降りた。

 確かにパーフェクトには至らなかったが、同時に底知れない力も感じさせる。

 下手に実力を全部見せるよりも、こうやって隠しておく方が、シーズンを長期的に見ればいいことか、と貞本なども思った。

 自分は戦力調整のための監督だと、割り切って考えていた。 

 だが今年はクライマックスシリーズ進出が、かなり現実的になっているのではないか。


 五回で降板したということは、勝ちパターンのリリーフまであと一人、誰かが投げないといけない。

 ここで最近、リリーフで結果を出している若手を投入する。

 問題なくツーアウトまでは取ったが、ここでラストバッターの上杉。

 直史であれば絶対に油断しない相手である。


 だが、最近の上杉はリリーフに託すこともあって、あまり打撃での活躍を見せていない。

 それが結果的には悪かった、とやはり言えるのであろう。

 甘く入ったボールを、フルスイングしてパワーで放り込む。

 上杉が投げて、上杉が打って勝つ試合になる。

 そんな推測を直史は抱いていたが、それは他の多くの人間も思ったことである。

 事実、ここから試合は動き、上杉は七回まで無失点で投げて、スターズはレックスから追加で点を取る。

 レックスも反撃はしていったのだが、最後まで追いつくことは出来ず。

 3-2でスターズが勝利。ただし直史に敗北はつかなかった。




 スターズとの三連戦カード三日目。

 この日はまた雨が夕方から降り始めて、試合の中止が早々に決まる。

 四月の月間の結果が出て、直史は五試合を投げて4勝0敗。

 勝ち星がつかなかった試合も、五回までを投げてパーフェクトであった。


 現時点では38イニングと三分の一を投げて、防御率は0.23という具合である。

 正確に言えば悟の一発以外、点を取られていない。

 WHIPも0.21と平均して一試合に二人ランナーが出るかどうか。

 また奪三振率も先発の中では9.63とかなりの上位。

 そして投げているイニングが多いので、奪三振数はトップである。


 不思議なことに奪三振率は、ストレートを主体にした今の方が、かつてよりも悪化している。

 単純に昔は、コンビネーションで相手を翻弄していたからとも言える。

 今はストレートで空振りを取っているが、昔はスルーという魔球があった。

 そのため奪三振率は、昔の方が高かったと言えるだろう。

 技巧派であったはずなのに。昔の方が奪三振率は高いのは不思議だ。

 ただ実際に復帰後の方が、球数が増えているのは事実である。


 今更ながら、与四球の数が少ない。

 ここまでわずか一つというのは、長年野球のスコアラーをしてきた者なら、誰でも目を疑うことだろう。

 ただボール球を投げる割合は、昔に比べて増えている。

 だからこそ球数が増えているのだが、それでも平均よりは圧倒的に少ない。

 これからのシーズンを思えば、体力の温存は重要となる。

 そのために必要なのは、やはり多彩な球種の復活だと思うのだ。




 四月が終わって、他のチームも成績が出てくる。

 セ・リーグのピッチャーとしては、やはり無敗の直史が、ノーヒットノーランを達成したことにより、一番の評価を下されている。

 ただバッターとしては、大介が圧倒的な数字を叩き出していた。

 打率0.389 出塁率0.599 OPS1.493

 ホームラン12本 打点32 盗塁10

 一時期の圧倒的な数字よりは、ほんのわずかに落ちている。

 だがそれでも、他のバッターとは比較にならず、そしてショートとしても守備力で貢献している。


 これだけの数字を残しながらも、心配になることはある。

 フォアボールで歩かされる数が、やはり多いのだ。

 対抗するにはランナーとして出たら、積極的に盗塁を狙っていかなければいけない。

 だが大介も昔ほど、無茶な走塁は出来ない。

 とは言え盗塁の数も、充分に盗塁王が狙えるぐらいではあるのだ。


 大介としてはNPBでの試合には、満足しているものがあった。

 確かにMLBの方が、多くのピッチャーとの対戦があり、それはそれで面白いものだ。

 しかしNPBでは、ピッチャーを1シーズンかけて、じっくりと攻略するという楽しさもあるのだ。

 もっとも不満もないではない。

 それはもちろん、直史との対決がやってこないことだ。


 レックスとのカード自体は、既に六試合あった。

 開幕から投げてくるか、とも思ったのだ。

 しかしレックス首脳陣は、いくら人気があるとはいえ、40歳になるシーズンのロートル復帰戦に、開幕戦を持ってこなかった。

 そして地元開幕で投げさせたあたり、商売が上手いと言えよう。


 


 個人成績もだが、チームの成績も出てくる。

 セ・リーグではとにかく、ライガースが圧倒的な首位にある。

 22勝8敗という驚異的な勝率であり、特に打撃に関する指標が、ほとんどの部門で一位となっている。

 レックスも15勝12敗と勝ち越してはいるのだが、ほぼタイタンズやスターズと変わらないゲーム差の二位。

 ライガースがどのチーム相手にも、勝ち越しているというのが大きい。


 直史はこのシーズン、優勝を目指してなどいない。

 なんなら順位は最下位でもいいぐらいだが、最下位のチームからMVPが出ることはないだろう。

 また最低限の援護をしてくれるチームでなければ、勝ち星が積み上げられない。

 先日の上杉相手の対決が、まさにそういうものであったろう。

 上杉は今年一番と言ってもいいほどの出来であったが、あれぐらいのピッチングを年に一回や二回はするピッチャーは他にもいるのだ。

 それと当たった時に、せめて一点は取ってほしい。

 あとは直史が完封できれば、それで勝ち星がつく。


 ただ、気をつけていた肩肘や腰、股関節といったあたりではなく、背中というところに負荷がかかっているのは自分でも意外であった。

 おそらく他の部分も、もっとバランスよく鍛えていく必要があったのだろう。

 ここで一ヶ月ほど離脱して、改めて復調するというのも、一つの手ではあったろう。

 しかし直史の目的のためには、ある程度の試合数をこなすことが、絶対に必要なのだ。

 

 沢村賞の選考基準からすると、ハーラーダービーのトップに立ち、最多勝を獲得しておくことは意味があるだろう。

 防御率や勝率については、かなりの自信があるのだが、休んでいると自然と、奪三振や投球イニングの数は減っていく。

 完投の数は既に三つとなっているが、やはりこちらもあと倍ぐらいはほしい。

 もっとも総合的な成績が問題なので、勝ち星を増やしておくのは重要だ。

 ここ20年変則的なシーズンを除けば、15勝が獲得のための最低ラインと言えるだろう。




 現在のところ直史の沢村賞獲得において、競争相手になりそうなのは、まず勝ち星から見ればライガースの畑である。

 単純に4勝0敗と、直史と同じ数字だ。

 もちろん他の部分は全て、直史が上回っている。

 リリーフのおかげで負けが消えたという試合もあったりする。

 ただ打線の援護によって、これからも勝ち星が伸びていく可能性は高い。


 あとは直接対決が交流戦しかない、パ・リーグがどうかという問題である。

 まだ一ヶ月が経過したばかりであるが、福岡、埼玉、神戸、北海道にはいい数字を残したピッチャーがいて、特に福岡は勝ち星だけなら二人もトップレベルであったりする。

 これもやはり、まだ四月が終わったばかりなので、気が早いのだが。


 一番重要なのはやはり、年間を通じてローテをほぼ守ることだ。

 投げれば投げるほど、当然ながらイニングは増えて、奪三振も増えていく。

 コンディションの調整と、ペース配分によって、しっかりと一試合を投げきることが大切だ。

 沢村賞は先発完投型のピッチャーが、獲得する賞なのだから。


 上杉の時代がずっと続いたのは、なんと言ったものだろうか。

 後世の人間が見れば、MLBにどうして行かなかったのか、と思うのは必然であろう。

 もっともポスティングで実質出られる25歳までに、ずっと沢村賞を取っているので、その時点で驚かれるだろうが。

 七年連続の沢村賞というのは、おそらくもう今後は出てこない。

 直史であってもここから47歳まで投げられるとは、さすがに思っていない。




 直史は五月の予定を確認する。

 小さな故障をしたのを幸いと言うのはおかしいが、これによってライガースでの先発登板が避けられることとなった。

 そこからは交流戦が始まるため、また新しく対戦相手を分析していかなくてはいけない。

 それまでに対戦するのは、タイタンズにカップス、そしてスターズ。

 もしもローテーションが変わらないなら、また上杉と投げ合うことになるのか。


 先日の試合、直史は負けがつかなかった。

 そして上杉も、無失点でリリーフに継投した。

 自らホームランも打って、まさに無双の働きと言っていいが、果たしてあれで良かったのだろうか。

 上杉は去年も、年間を通じて完全にローテーションを守れたわけではない。

 先発数は20試合を割っていて、それでも二桁は勝っているが。


 直史を相手に投げた試合は、かなり調子のいい上杉であった。

 やはり勝負どころでしっかりと投げるというのは、上杉の持つエースの条件であるのだろう。

 直史に負けがついたわけではないが、直史が投げれば負けない、という根拠のない実績は潰した。

 思えばプロ入り後も、直史が投げて勝てなかった試合は、やはり上杉との投げ合いではあったのだ。


 不思議な因縁というか、関係性がある。

 どちらも相手を憎いとは思わないし、むしろ尊敬の念がある。

 国際大会だと日本代表となるので、味方としては頼もしいのだ。

 直史はクローザーもやれる万能タイプであるが、実際は上杉もクローザーとしての経験で実績を残している。

 二人はタイプこそ違えど、試合を支配する万能型であるのだ。




 五月、今季初めての甲子園でのライガース戦。

 だが直史は登板予定がないので、東京でお留守番である。

 次はタイタンズ戦でアウェイであるが、どうせ東京で行われることには変わらない。

 考えてみればタイタンズ戦は、神宮も東京ドームも、バッター有利の球場となるのだ。

 もっとも直史はその神宮やドームで、何度もノーヒットノーランを達成しているわけであるが。


 このライガース戦、レックスはエース三島と、シーズン前は二番手と思われていたオーガス、そして勝ち星の数だけなら直史と並ぶ四勝している青砥の三人で、その打線に挑むことになる。

 単純に勝つだけなら、上手く大介を敬遠することが重要だ。

 誰だってそうする。直史だってそうする。今なら。

 だが単純に大介を避けても、この二番という打順がいやらしいのだ。

 打点よりも得点の方がずっと多いというのが、今の大介なのだから。


 ゴールデンウィークということもあって、動員観客数はとんでもないことになりそうな甲子園球場。

 もっとも直史の登板予定がないので、ひどいことにはならないだろう。

 ただ直史が投げなくても、大介の復帰したライガースはここのところ、連日満員御礼が続いている。

 やはり故障せずに出続けるスタープレイヤーがいると、動員は跳ね上がるというのは事実であるのだ。


 ここで全敗したらレックスの貯金はなくなり、一気に四位まで落ちてもおかしくない。

 だがライガースも天候による中止で、ピッチャーのローテーションがずれている。

 どうにか一つぐらいは勝てるのでは、と思われる先発のローテであり、逆に言うとこれでも全て落としてしまうようなら、今年はもうライガースの年だと思った方がいい。

 それでも直史は、自分だけは勝利するつもりであるが。

 たとえ大介を敬遠して、勝負を避けてでも。

 首脳陣も今更直史に、相手の主砲と勝負して、成長を促すなどということは期待していないだろう。




 ゴールデンウィーク中は、デイゲームが多くなる。

 この日中の試合を、直史はリアルタイムで見ることにした。

 打たれたら負けるという場面では、大介とは勝負しない。

 それは決めた直史であるが、大介への対処を考えないというわけではないのだ。


 二軍の選手たちは、当然ながらイースタンの試合に出ていたりするが、調整のために降りてきている選手などは、一緒に試合を見たりする。

 クラブハウスに集まっているのは、二軍でも先発を終えたピッチャーなど。

 これから上に上がり、一軍と対決していかないといけない選手たち。

 それどころではない切羽詰った選手は、汗みどろで練習をしている。


 五月になったばかりだというのに、暑い日は気温が上がってくる。

 直史などは暑さで体力を消耗したくないので、気温が上がってくる時間帯は、グラウンドよりはトレーニングをしたりすることが多い。

 そんな直史には、やはり後がない選手などは、アドバイスを求めてきたりする。

 だが直史は本来、体面を保つためにそれなりに親切な人間であるのだが、今は自分のパフォーマンスの最大化を考えているので、さほど余裕がない。


 この試合においても、解説が求められた。

 直史は技巧派であるが、同時というかそれ以上に、頭脳派であるのだ。

 経験によるデータ活用と、ピッチャーとバッターの距離の間で行われる駆け引き。

 それは生来の性格、知能、知識、データ、分析力、そして直感が重要である。

 とりあえず直史が言えるのは、今のライガースに勝つためには、先取点は必須ということである。

 そして一回の裏、ライガースは二番大介がいるので、必ず得点の機会が巡ってくる。

 たった一人で一点が取れるバッターは脅威である。




 レックスはその一つ目の前提条件を果たした。

 初回に連打で一点を先取。

 これで少しは楽になったかと言うと、実は逆に選択肢が少なくなった場合もある。

 ランナーのいない状態で、大介と勝負しないというのが難しくなるのだ。


 もちろんルールの上では、大介を敬遠するのは何も問題がない。

 だが野球という興行において、ひたすら大介を敬遠していくというのは、あまりにも見栄えの悪い行為だ。

 これがリーグ優勝などがかかっているならともかく、今はまだそんな時期ではない。

 ただライガースの首位独走を止める、ということには意味があるのだが。


 強すぎてつまらない、などと言われるチームは確かに歴史に存在するが、ライガースに関してはそんなことはない。

 どれだけ強くて、ガンガン連勝をしていっても、地元のファンがそれ以上に盛り上げていくからだ。

 そもそも大介の復帰によって、今年のライガースはテンションが上がっているのである。

 キャリアの最後にはライガースに戻ると言っていた大介。

 それがまださほどの衰えも見せないのに、日本に戻ってきた。

 直史の復帰と重なって、この二人の完全決着を求める声は大きい。


 一回の裏、先頭打者をフォアボールか単打で出してしまうのが、対戦する相手としては一番まずい。

 なぜならその状態であると、大介を歩かせると得点圏にランナーが進むからだ。

 一応大介のOPSは2を切っているので、ただ歩かせるよりは勝負した方がいいとはデータ上は出ている。

 ただ大介の場合は、得点圏打率や、ポストシーズンのOPSを見ると、全打席敬遠の方がいいのではと思いたくもなる。




 先頭打者を打ち取った三島。

 そして大介との対決となる。

「どう勝負するかな」

「傷が小さくなるのは、内角攻めかな」

 誰かの呟きに、直史は応じていく。

 

 大介はMLBで長くやってきた。外角の広いMLBでだ。

 NPBのゾーンとはやや違うので、その差異をどう利用していくかが重要だ。

 もっとも大介は、元々ものすごく内角には強かった。

 外角を簡単に放り込んでいる映像が多いのは、単純に外角で勝負されることが多いからに過ぎない。

 どこまで内角を厳しく攻めて、最後に外角で勝負をするか。

 あるいはインハイをどう使うかで、抑えられるか打たれるかが決まる。


 今の直史の球種と球威であると、どうにかストライクカウントを稼いでから、インハイストレートで勝負する、というのが王道であると思う。

 多くのバッターから空振り三振を奪っている、現在の直史のストレート。

 だがそろそろチームによっては、このストレートのからくりに気づいていてもおかしくはない。

 悟にはホームランを打たれているし、強打者には外野にまで大きなフライを飛ばされている。

 大介相手に、これが通用するものであるのかどうかは、甚だ疑問であるのだ。


 外の球で打ち損じをさせて、カウントを追い込む。

 今日の三島の調子は、悪いものではなさそうだ。

 だが下手に勝負にいけば、一瞬で必殺確定。 

 果たしてどう投げるか、と自分のことを考えながら直史は試合を見つめる。


 球種、球速、コース、緩急。

 どれを当てはめてみても、確実に打ち取れるルートが見えてこない。

 球種の減少と、球速の低下が、あまりにも痛い。

 そして大介は直史がいない間、新しく出てきた様々なピッチャーたちと、どんどんと勝負して経験を重ねているのだ。

 ここでインローに、ストレートを投げ込まれる。

 それを大介は、上手く掬い上げた。

 ライト方向から、逆らう風が吹きやすい甲子園。

 ほんの少し高く上がりすぎたため、フェンスに背中をつけたライトがキャッチする。

 だが飛距離や弾道などを考えてみれば、他の球場なら入っていたであろうボールだった。

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