第10話 沖縄キャンプ

 二月になり、いよいよキャンプが開始される。

 当然のように一軍キャンプに参加の直史であるが、やはりキャンプ地が沖縄というのはありがたい。

 なんだかんだ言いながら、千葉ではアップに時間がかかっていた。

 これがフロリダであると、さらにありがたかったのだが、それはもう今は昔の話だ。


 直史がレックスを去ってから、もう10年以上が経過している。

 もちろん当時の若手で、今は主力という選手がいないわけではない。

 しかしかなりの付き合いがあるという選手は、本当に少ない。

 二個下で同じ千葉出身の青砥。

 そして同じく二個下で、大阪光陰の一年レギュラーであった緒方。

 主力どころではこの二人ぐらいだ。


 最強投手陣と呼ばれたのも、武史はMLBへ移籍し、他はほとんどが引退している。

 先発に青砥がまだ残っているのが、むしろ奇跡なのかもしれない。

 寿命が短いと言われるリリーフ陣も、同じことである。

 直史の知っている顔は、本当に少なくなった。


 FAやトレードで、あるいは純粋に引退し、去っていった者が多数。

 その中で他球団から移籍してきた者もいないではないが、直史が知っている選手は本当に少ない。

 今年で40歳になる直史が、大学時代までで知っているとしたら、37歳までとなる。

 もっとも入団した時の年齢を考えれば、32歳ぐらいの選手は知っていてもおかしくない。

 実際に多くの新人は入った。

 だがほとんどが去っていったというのが、直史がMLBに移籍してから今までの、長い年月の証明だ。


 知っている人間がいないので、ぼっちになりそうになる直史。 

 なので青砥と緒方をがっちりとキープする。

 他の選手とは大きく年齢が離れていることが多いので、ちょっとジェネレーションギャップがある。

 ついでに言えば直史はMLB時代の方が長かったので、カルチャーギャップも発生しているかもしれない。




 青砥としても緒方としても、迷惑ではないが困惑ではある。

 なにしろ今のレックスの選手たちの多くは、直史や大介を幼少期から体験している年齢層が多い。

 同じチームの仲間でありながら、サインをほしがっている選手も多いのだ。

 なにせ直史は、大介よりもさらにレアリティが高い。

 ……ポケモン扱いではない。


 高校時代から直史を知っている青砥と緒方にしても、ただ知っているというだけで理解の範囲外にあるピッチャーではあった。

「知ってる顔が少なくて寂しいんだよ」

 プロ入りしたときは、寮に入って同期の選手と話もした。

 それに樋口や武史が先に入団していたし、知り合いには甲子園で見た顔も多かったのだ。

 そう言えばあの同期の選手も、全員レックスにいないし、ほとんどが引退している。

 小此木は移籍したが、まだ主力級ではある。

 他のチームの主力になられていると、むしろ嫌であるのだが。


 レックスの昨年の順位はリーグで五位。

 どんどんと選手を若手に入れ替えたが、それが成功しているとは言えない。

 現在はまだ実戦で育成する段階だ、と言われてもいたりする。

 つまりチームを構成する選手のバランスが悪い。

 直史はNPB時代もMLB時代も、時々は点を取られることはあった。

 幸いにも味方がそれ以上に点を取ってくれたので、たまたま負けなかっただけである。

 チーム力自体が、そもそも低い。

 あるいは甲子園の時のように、パーフェクトを達成しても、双方無得点で延長入りなどということもあるやも。

 実際にNPBでは、上杉や真田と投げ合って、参考パーフェクトになってしまった場合がある。




 ちなみにレックスの現場首脳陣は、直史にはピッチングコーチ的な役割も期待していたりする。

 もちろん最低年俸の選手に、そんな負担を求めるわけにはいかない。

 だが若手が率先して教わりに行ってくれればいいかな、とは考えていたりする。

「まあ、ちょっと近寄りがたいのは分かりますけど」

 これは一軍ブルペンコーチの豊田の言葉である。

 直史と同じ年齢であるが、既に引退してコーチに就任。

 そういう年齢でもおかしくはないのだ。


 ちなみに新人の中にも、一軍帯同の選手はいる。

 その中の一人が、社会人出身で直史によって評価を下げられてしまった迫水だ。

 現在のレックスはキャッチャーもスタメンが確定していない。

 せめてキャッチャーぐらいはベテランのいいところがほしいだろう、と直史などは思うのだが、いないものは仕方がない。


 一軍バッテリーコーチとしては、これも直史が上手く育成してくれないかな、と思っていたりする。

 勘違いしている人間が多いようだが、別に直史は指導が上手いわけではない。

 特にキャッチャーに関しては、そもそも組んだキャッチャーが最初から優れていたのだ。

 ただ直史は理論派で技巧派なので、そのあたりの知識はある。

 アマチュア指導資格なども回復させたことがあるので、そのあたりを上手く指導してくれるのではと期待する。

 もちろん直史としては、そんな期待に応える余裕はない。

 何よりもまず自分自身が、勝ちまくらなければいけない。

(先発ローテーションを約束されてるわけでもないしな)

 気分はもう新人なのである。




 沖縄には無事に到着した。

 本土に比べれば格段に暖かいが、それでもフロリダほどではない。

 直史はMLBがあれだけ贅沢な理由が、今の体力でははっきりと分かる。

 専用ジェットなどにファーストクラスのシートでないと、疲労が取れないのだ。


 NPBはMLBと違って、上がりと言われる先発後の休みがある。

 このため体力に懸念がある直史としては、やはり先発のローテーションには入っておきたい。

 そもそも先発投手でなければ、沢村賞は取れない。

 中六日で投げて、なんとか20勝する。

 20勝したら他の数字もそれなりになるので、それで沢村賞は取れると思うのだ。


 練習試合であれば、何度か完投するぐらいには戻してきている直史。

 だが今のチーム状態なども考えると、やはり継投は必要だろう。

 点差が広がれば、後ろに任せるのも考えている。

 シーズンでローテーションを守るには、どうしても体力の消耗は考えないといけない。

 大介との勝負だけを考えればよかった、かつてのプロの世界とは違う。

 今は自分の勝利にこだわらなければいけない。

 それも単純に、自分が気持ちよくなるだけでは問題なのだ。


 ピッチャーが良ければ野球は勝てる。

 それは完全な真実というわけではない。

 ピッチャーにも調子の良し悪しはあるし、良くても一点や二点は取られる。

 打線の援護がなければ、ほとんどのピッチャーは勝てない。

 レックスのデータをもらった直史は、かなり悲観的であるが、それが現実ではある。




 移動の疲れを取る、ということで今日は体を休めることになる。

 エコノミーに座っていたわけではないが、直史の体はそれでも硬くなっている。

 やはり肉体の衰えは隠しきれるものではない。

 フィジカルの衰えは、持っているテクニックの発揮をも狭める。

 つまり出来ることは、ある武器で戦うしかないということ。

 コンビネーションや駆け引き、読みをも含めて戦うにしろ、今度はブランクが邪魔をする。

 果たしてどれだけ通用するのか。

 打線の援護は絶対に必要になる。


 到着初日から、街に飲みに行く。

 なんともプロ野球選手らしいと言うか、若いと言えようか。

 直史も自分のことだけを考えるなら、ここは完全に休養にあてたい。

 しかしそれ以上に、チームメイトとのコミュニケーションを取ることは重要であろう。

 若手の選手から直史は、畏敬の念を感じながらも、よそよそしい感じもするのは否めない。

 ブランクのあるおっさんが入ってきたら、それも当たり前のことだろう。

 交流のために直史は、柄にもなく周囲に合わせることにした。


 沖縄のレックス御用達の店に、20人近くで集まる。

 他の選手は別に、それぞれで集まっているらしい。

 上下関係というものがやはり存在し、縦のラインが出来ている。

 それはまあ過去の経歴が関係しているので、仕方のないことだろう。

 ただそのどれよりも、一番上に直史は置かれている。

 これまで話しかけられなかったのは単に緊張と恐縮のためで、実際はやはり興味津々だったわけだ。


「おっさんはアルコール飲まないからな。お前らもそこそこにしておけよ」

 隠れ酒豪の直史であるが、キャンプ初日を前にして、酒に溺れたりはしない。

 もっともMLBでもスプリングトレーニング中は、それなりにリラックスして調整を行うメジャーリーガーは多かった。

 ベテランほどマイペースである、ということは間違いないが。

 ここで直史は、やはりそのことを話題にされた。




 客寄せパンダにもなる直史だが、その圧倒的な経歴は、チームをまとめるのにも役に立つと思われた。

 ただプロの世界というのは、ただ憧れだけでどうにかなるものでもない。

 若手の中には直史に対して、敵愾心を持っている選手もそれなりにいる。

 そういった貪欲さ、反骨心がなければ、上に上がることは難しい。

 直史自身は、そういったことはなかったな、などと思ってしまうのだが。


 目標は常に高く。

 ただ先の目標だけを見ていると、足元に躓いてしまう。

 MLBを目指すわけでもなく、NPBで成功するだけでも、意識の持ち方というのは重要になってくる。

 以前のレックスは樋口に調教されて、チーム全体がぴしっとしていた。

 今はそういった空気がなくなっている。


 直史は樋口と違って、集団の統率に優れているわけではない。

 もっとも樋口も本来なら軍師タイプで、それが劉備亡き後の諸葛亮のように、頭脳でもってチームを支配していたと言うべきか。

 エース級のピッチャーが全て、樋口に対して絶対の信頼を置いていたというのも大きい。

 それでも一年目はシーズン途中まで、さほどの出番はなかったのだ。


 直史はエースである。

 絶対的なエースとして、どのチームにも君臨していた。

 途中ではクローザーなどをしていたが、基本的には絶対無敵、先発したら完投するという、今では珍しくなった完投タイプ、であった。

 現在の体力では、リリーフ陣に頼らざるをえないかもしれないが。

 そのリリーフ陣も、かつては星のような存在がいた。

 寡黙にやるべきことを、淡々とやり続けるピッチャー。

 そういう人間もいたからこそ、レックスは強かったと言える。

 チーム全体をどうやって立て直していくか。

 オープン戦からの課題とはなっていくだろう。

 



 プロ野球選手に、真の意味でのオフシーズンなどはない。

 ポストシーズンを最後まで勝ち抜いたとして、10月には終了。

 そこから三ヶ月は、オフという計算になる。

 だが三ヶ月も休んでいて、体が鈍らないというわけもない。

 しかしシーズン中に疲弊した肉体を、ある程度休める必要はある。

 休養とトレーニングを上手く両立することが、現代のプロ野球選手に求められるものだ。


 直史としても、そういう考えで生きてきた。

 もっともこの五年のうち、特に後半などは、練習もトレーニングもほとんどしてこなかったが。

 人間には体質的に、筋肉が付きやすい者と付きにくい者がいる。

 同じように筋肉が落ちやすい者と落ちにくい者がいる。

 この点では直史は、そもそも筋肉の量が少ない。

 制御しきれないパワーは必要なかったからだ。


 大学野球から、クラブチームで少しは投げていたとはいえ、プロですぐに通用したのは、もちろんそれまでに仕上げていったからだ。

 だがそれでも、筋肉が落ちにくい体質、というのはある程度あったのだろう。

 プロの選手でも、オフシーズンはもちろんノースローの日であっても、投げて調整するという選手はいる。

 個人差が大きいので、単純に制限しない方がいいのだ。


 ただ一発勝負のトーナメントが多い高校野球、リーグ戦がメインの大学野球、やはりトーナメントの社会人野球と比べると、プロ野球はリーグ戦であり試合数も多すぎる。

 ところが先発のピッチャーに限るなら、25試合前後にしか投げないことになるだろう。

 シーズン中でも鍛えることが出来る。

 MLBではさすがに調整程度がやっとであったが、NPBの中六日の日程であればどうにかなる。

 直史はそれを前提に、キャンプを開始した。




 キャンプに入った時には、既に仕上げておくのが常識、というのが若手だと思っている。

 ベテランはある程度実績があるので、序盤に調子が落ちていても、それなりの猶予をもって見てもらえるからだ。

 だが若手などはアピールの場になるではないか。

 しかしレックスは、あまりそういう意識がないらしい。


 レックスの監督は、60歳過ぎのOBである貞本。

 彼の現役時代からすると、キャンプというのはじっくりと仕上げていく場所、という思い込みがあるのかもしれない。

 直史からすれば、たったの20年ぐらいの間に、意識がかなり変わっていると思えるのだ。

 だがルーチンから入るこのキャンプは、直史を失望させている。

 指揮官が悪ければ、シーズンを勝つことは難しい。

 一時的な勢いなら、選手の個人能力でどうにかなったりもするのだが。


 直史はこれに関しては、どうしようもない。

 ブランクの長い自分の意見は、MLBにかぶれた意見にも思えるだろう。

 正直なところ人間関係の円滑さなどは、直史は求めていない。

 幸いなことに首脳陣には、それなりの付き合いである豊田はいる。

 チーム全体はともかく、バッテリーはどうにか仕上げていく。


 初日から直史は、ほぼ単独行動となる。

 レックスのシステムが、自分が現役であった頃より、昔のものに戻ってしまっていると感じたからだ。

 確かに主力が抜けたレックスは、一時期かなり衰退した。

 しかし時代に逆行するというのは、明らかにおかしいことであろう。

「シーズンでいい成績が出なければ、やり方も変わるってことだな」

 豊田の声には諦めというものが感じられた。




 三年契約の貞本監督は、今年が二年目となっている。

 五位であった去年を考えると、今年の成績次第では、シーズン途中で切られてもおかしくない。

 ならば去年とは違ったことをやっていくべきだろう、と直史は当然のように考える。

 だが組織の人間となると、どうも成績を上げることより、上に従うことを考えてしまうのか。

 あるいは単純に保守的で、思考が硬直しているのか。

 監督の仕事というのは、勝つ以上に必要なことは、ないはずなのだが。


 政治力によって、あるいは妥協の産物によって、監督などが決まることはなくはない。

 だがそれでもプロ野球は、それなりに実力主義ではある。

 もっともMLBはもっと実力主義だ。

 アナハイムは直史がいた間、とにかく怪我人続出の期間を除いては、チームがとても強かった。

 なので監督が交代していないが、MLBはシーズン途中でも、監督であるFMがころころと変わったものだ。


 NPBでも監督がころころ変わることはあるはずで、そして長期政権というのは基本的に、どうしても澱んだ空気になっていく。

 その意味で二年目というのは、その真価を量られる年であると思うのだが。

 無難なことばかりをして、どうにかなると考えているのだろうか。

 そもそもプロ野球の監督などというものをやって、優勝を目指さずに何を目指すというのか。

 もっとも貞本も選手時代の経歴は、かなり華麗なものではある。

 なのでユニフォームをまた脱いだとしても、解説者なりなんなりで、他の道は持っているのかもしれないが。

 保身を考えている指揮官であるなら、現場にいられても邪魔なだけである。

 やはりMVPを取ろうと思うなら、チームの成績もある程度、その考慮の対象内になっていくだろう。

 どうも不信感が拭えないチーム状況ではあった。




 球速は安定してきた。

 140km/h台半ばのストレートは、決め球になるようなものではない。

 だがアウトローとインハイを上手く対角線に使えば、それだけでかなり被打率を下げることは出来る。

 ブルペンでキャッチャーを相手に投げて、球種をどんどんと試していく。

 ここでの大きな変化は、スライダーが曲がるようになってきたということだ。


 かつて使っていた、スイーパーと呼ばれるような、速度のあるスライダーではない。

 平均的なスライダーであるが、これが戻ってきたことは、右打者との対戦を考えれば大きい。

 ただやはり、落ちる速球はほしいところだ。

(縦スラが投げられないんだよな)

 やはり指先の感覚と、指の柔軟性に問題がある。

 ピアニストである恵美理に、指のストレッチの仕方なども教わったのだが。


 そんな直史がブルペンで、組むキャッチャーが迫水である。

 直史のせいで評価を落とし、契約金も下がったであろうかというと、そこまで落ちてもいない。

 レックスはちゃんとスカウト陣が仕事をしていて、他が手を引いたか評価を下げた迫水や左右田を、しっかりと支配下登録の指名で確保した。

 打てるキャッチャーならどこでもほしいというのは、確かな事実であったのだ。

 その事実を直史がちょっと歪めてしまっただけで。

 ひどい話である。


 バッターとしては完敗した迫水であるが、キャッチャーとしてバッテリーを組んだ時、果たしてどういう評価となるか。

 そのあたりは意外と懐疑的と言ってもいいだろうか。

 あの球速のストレートで、三振をたくさん奪っていた理由。

 キャッチャーとして対したならば、それが分かるのだろうか。




 直史は確かに、ひどいことをしている。

 だが完全な勝負と競争のプロ野球の世界において、ひどくないことなどはっきり言って少ない。

 これで駄目なら、どうせプロに来ても駄目だ。

 ボタンを掛け違ったことでプロに入れず、野球から離れた人生を送る人間もいる。

 本来全くプロに来るつもりがなかった直史が、そういった引導を渡すというのも皮肉な話ではある。 

 だがこれはつまり、本当にプロに来るべき人間は、運命によって導かれるというものではないのか。


 直史は運命などは信じない。

 現実があり、そしてそこで選択をするのは自分である。

 選択肢は常に、自分にとっての最善を選んできた。

 それは今も変わっていないことだ。


 そんな直史のボールを、迫水は受けている。

(ストレートがいい感じではあるけど……)

 何か違和感があるというか、確かにこのストレートは素晴らしいストレートだ。

 伸びと言うかキレと言うか、球威があると言っていいのだろうか。

 とにかく特徴としては、思ったよりも落ちないストレートといったところだろうか。

 なぜ落ちないかは、後から考えてみるとする。


 かつて子供の頃に見た、直史のピッチング。

 最初の記憶はプロ入りして一年目の試合だ。

 とにかく記録尽くめで、100年は破られないと言われた上杉の記録を、次々と塗り替えていった。

 いや、上杉が塗り替えられない部分を、直史が埋めていったと言うべきか。

 この時代は上杉の時代と言われていたが、ピッチャーの特徴としては上杉と直史の時代と区分すべきであろう。

 その直史は、すぐにMLBにいってしまったのだが。


 日本人の野球ファンが、最もMLBの視聴チャンネルと契約した時代と言われている。

 それはもちろん直史だけではなく、先に行っていた大介を筆頭としたスーパースターに、武史や樋口が追いかけていったという理由がある。

 日本人選手における、MLB侵略の時代、などとも揶揄されたりする。

 だがそれは、大げさな話ではない。




 いいストレートであるが、それ以上に気になったのは、そのコントロールである。

 構えたミットの位置を、全く動かす必要がない。

 もちろんピッチャーというのは、ど真ん中を中心に、どれだけストライクに投げられるかが基本ではある。

 しかしほんの少し動かしたミットの位置に、追いかけるようにボールが収まってくる。

 やがて左右のアウトローに構えてもみたが、問題なくそこに決めてくる。


「高めに構えろ」

 そんな注文がやっと来たので、言われたとおりに高めにミットをかざす。

 そこに投げられたストレートの伸びが凄かった。

(なんだ? 途中で加速した?)

 もちろんそんなはずはないが、そう錯覚するものがあった。


 思えばあの練習試合、空振り三振は高めを狙っていた。

 ジャストミート出来ると思ったのに、ボールはキャッチャーのミットの中に入っていた。

 あの球速であるから、ファウルチップぐらいはしてもおかしくない。

 やはりこのキャッチしているボールのように、ホップ成分が高いのは間違いがないのだが。

(すごい? 変な? ストレート?)

 これは確かに、空振り三振が取れるのだろう。

 感覚としては分かったのだが、どういう理屈で空振りとなるのか。

(けれどそういえば、あの引退試合も最後の方は、空振りで三振を奪いまくっていたっけ)

 東京ドーム史上、最高の草野球。

 あんなピッチングをしてしまって、それからまた戻ってくる。

 老醜を晒すことを恐れなかったのか。

 迫水にとって直史は、対面する最高の神秘であった。

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