第2話 復活の打神
白石大介の伝説とは、それはまあ色々とある。
世界のホームラン王という称号を、完全に手に入れた男だ。
ただ具体的な例を一つだけ挙げて、驚愕させることがあるとしたらどの実績を選ぶのか。
それはおそらくこれであろう。
デビューしてから全ての年で、ホームラン王に輝いているということである。
一年目19歳 59本
二年目20 58
三年目21 67 NPB年間最多記録更新
四年目22 68 NPB年間最多記録更新 134試合のみ出場
五年目23 51 118試合のみ出場
六年目24 69 NPB年間最多記録更新
七年目25 65
八年目26 66
九年目27 72 NPB年間最多記録
10年目28 74 MLB年間最多記録更新
11年目29 81 MLB年間最多記録更新
12年目30 71
13年目31 82 MLB年間最多記録 145試合のみ出場
14年目32 77
15年目33 80
16年目34 69
17年目35 68
18年目36 71
19年目37 74
20年目38 68
34歳と35歳のシーズンにはスタッツを落とし、さすがに衰え始めたか、と思われれた。
しかし36歳と37歳のシーズンには、復活したように数字を戻している。
さすがにここでは薬物の使用を疑われたが、もちろん検査結果はシロ。
自分で出した記録を自分で更新する、という訳の分からないことを何度もしている。
ただもっと地味に恐ろしいのは、敬遠を含めた四球の数であろう。
どれだけ勝負を避けられたのかということと、それでもこれだけ打ったのだ、ということが分かる。
四球のデメリットがもっと大きければ、さらに偉大な記録を作ったかもしれない。
ただOPSがレギュラーシーズン中に2を超えたことはないので、理屈の上では勝負した方が、失点は少なくなったのかもしれない。
そんな大介は今年、ようやくホームラン王争いから脱落するか、と八月までは思われていた。
このペースであれば40本前後であり、新しいスーパースターたちが、これを上回る。
どれだけのスター選手であっても、いずれは衰えて引退する。
ただいつまでも輝いていてほしい、と思われることすらも、スーパースターの宿命であるかもしれない。
人間には不可能なことなのだが。
ただし八月の途中から、大介は打ち出した。
それこそ二試合に一本以上というペースで、ホームランを量産しはじめた。
七試合連続ホームランなどという、全盛期の輝きを取り戻したかのような。
もちろん本人は、そういうわけではないと分かっている。
自分が衰えたのは確かである。それは試合ごとの疲労からの回復に、時間がかかるようになったことからも分かっている。
さすがにもう、年俸はこれ以上は上がらないだろうな、とは思う。
しかしまだ、燃え尽きてはいなかった。
直史が戻ってくる。
本人は体力の点や筋力の点で、果たして復帰できるかすら微妙だと、そんならしくない弱音を吐いていた。
いや、あれは弱音ではなく、悲観的に見ていただけなのか。
それなら納得する。直史はある意味、臆病なぐらいに慎重で悲観的だ。
だからこそ一点もやりたくないし、一本も打たれたくないと思ったのだ。
思ったからといって、普通は出来ないことであるが。
モチベーションが回復すれば、人間の精神は肉体を凌駕するのかもしれない。
大介の場合はそうではなく、ただ対戦するにあたって手間をかけただけであったが。
少しでも打席を楽しむために、あまり事前に情報を入れない。
そんな、いわゆる舐めプをかましながらも、ホームラン王争いの戦線に加わっていたのだ。
ピッチャーの研究をする。
毎年すごい勢いで、選手が入れ替わっているMLB。
五年間過ごせたら年金がもらえるというが、その五年間を過ごすのが難しい。
裾野は広いが、それだけに頂点も高い。
それでも試合の前に、ピッチャーの情報を入れれば勝率は上がる。
大介が目標とするバッティングは、あの一打。
直史からホームランを打てた、あの奇跡の一打である。
ボールの軌道を完全に予測し、インパクトの瞬間にはもうボールから完全に視線を切るため、目をつぶって打った。
もはや常識とか非常識とか以前の、魂で打つというものだ。
しかし実際のところは、あれは間違っていなかったのだな、と思えるようになってきた。
打撃というのはインパクトの瞬間まで、ボールを捉えているわけではない。
実際にはピッチトンネルを過ぎてから、どのぐらいまで目付けが出来るかで、そのバッターのコンタクト率などが変わる。
ぎりぎりの瞬間まで、ミートの微調整は可能かもしれない。
だが下手にミートを意識するよりも、スイングスピードのごり押しで、打球を飛ばしてしまう方が良かったりもする。
大介の打撃の復活は、周囲を驚かせるものであった。
打撃の年齢による衰えというのは、30代の半ば以降であれば、もはやどれだけそれが落ちていくのを弱められるか、というのが現実的になる。
しかし大介の打率、出塁率、ホームラン数などはここから上がっていった。
そして主砲の復活によって、この年もメトロズはシーズン地区優勝を果たすことになる。
それは大介が残していく、最後の土産であるのかもしれなかった。
帰って来るな、と直史は素直に言いたい。
帰って来るにしても、まだ少し先でいいだろう、という思いもある。
だが大介の闘争本能は抑えられないのだろうな、というのも理解出来る。
かなり空気を読める人間であるが、それでも大介は勝負が好きなのだ。
もしもレックスに復帰できた場合、ライガースに大介がいるとする。
今の自分では、大介を抑えられる自信はない。
交流戦は別として、対戦する五つのチームの中で、一つとの25試合でパーフェクトがほぼ不可能になる。
義理の甥の命がかかってるんだぞ、と直史としては八百長をもちかけるのもやぶさかではない。
(いや、それ以前の問題か)
大介以外なら封じられる、と今の直史が言えるのか。
明史の出した条件は、幸いと言うべきか全て、個人のタイトルや成績に関わるものであった。
だがその中でシーズンMVPというのは、比較的優勝したチームから選ばれる可能性が高い。
もちろん圧倒的な数字を残せば、話は別である。
しかし大介が同じリーグに復帰するなら、途端にこれは難しくなる。
ならば沢村賞はどうかというと、そもそも先発として使われることが難しい。
直史は単純に実績ならば、クローザーの方が優れているのだ。
もっとも今の直史は、奪三振能力が低下しているはずだ。
つまりクローザーを任せるのは、やや不安になるであろう。
先発ローテの枠を勝ち取り、そして圧倒的な成績を残す。
今の自分にそんなことが、可能であるだろうか。
全盛期を過ぎたとはいえ上杉がいて、そしてその上杉と沢村賞を争えるピッチャーがいる現在。
沢村賞を狙っていくのも、やはりこれは難しいのではないか。
それらと比較して、パーフェクトはどうであるのか。
今の自分は、球速も球威もない。
どれだけ戻していけるかが重要だが、駆け引きのためにもまずはコントロールだろう。
コントロールは下半身でつける。
ダッシュなどの走りこみに加えて、ウエイトや体幹バランスのトレーニングで、臍から下の衰えた筋肉を苛め始める。
気をつけなければいけないのは、故障をしないことだ。
若い頃と一番違うのは、体の柔軟性が劣ることにより、故障をしやすいということ。
そして代謝も衰えているので、治癒速度も遅いということだ。
一度故障すれば、復帰までにかかる時間は長い。
ベテランのそれを待つよりは、期待の若手を優先するであろう。
直史は現実的であり、そして悲観的であった。
客観的に見て、悲観的にならざるをえないのだ。
現時点での自分は、プロで通用するものではない。
ここから戻していかなければいけないが、どの時点までに戻していかなければいけないか。
各球団が戦力の編成を行うのは、基本的に11月からである。
もちろん事前に、根回しなどは行っている。直史が鉄也にあったのもその一環だ。
正直なところ客寄せパンダとしてならば、直史はどこの球団にも獲得してもらえると確信がある。
しかし一軍で実際に投げて、そしてMVP級の活躍を見せる。
そのために11月ぐらいまでには、ある程度のパフォーマンスを見せなければいけない。
(大介が戻ってくるなら、いっそライガースに入った方が楽になるかな)
そんな馬鹿なことを考えたりもした。
長距離を延々と走ることに、野球においては意味はない。
だが直史はある程度の距離を、毎日走るようにした。
純粋に持続的な体力を、必要と感じたからだ。
一試合を投げるだけならば、ダッシュして瞬発力を戻せばいい。
しかしやらなければいけないことは、一年を通しての活躍だ。
重要なのはコンディションを常に良好に保つこと。
そのためには体調の維持のために、ランニングも意味はある。
ウエイトや投球練習も、もちろん大切だ。
だが最終的な目標ははっきりとしている。
パーフェクトを狙うことは、今の直史にとっては現実的ではない。
沢村賞やMVPも、狙えるほどに簡単ではないだろう。
ただ前提条件として、使われなければそういったものも狙うことすら出来ないのだ。
年間を通じて、ローテを飛ばされたり、二軍で調整している暇などない。
25試合以上に投げて、20勝もすれば沢村賞を取れるだろうか。
もっとも今は昔と違って、感覚も鈍っている。
どこに投げれば上手く打ち損じを狙えるか。
投げられるボールのコンビネーションの幅が狭くなっているため、狙ってゴロを打たせることが難しい。
ある程度のヒットを打たれることは、覚悟しなければいけない。
重要なのはランナーが出た時に、三振を奪えること。
点を取られなければ、試合には負けない。
それは昔から、自分の中で徹底していたことだ。
問題は今の自分では、完投が難しいということ。
サイ・ヤング賞と違い沢村賞は、投手の力だけでは取れないスタッツを、基準の中に入れている。
勝ち星は味方の打線の援護が重要だし、勝率も同じく。
奪三振能力は低下していて、あとは勝率や防御率で勝負するしかない。
どれだけ戻していけるか。
最低でも契約し、キャンプに合流できる程度にはならなくてはいけない。
そのためにはトレーニングも重要だが、同じく実戦で感覚を取り戻すことも重要だ。
しかし草野球レベルでは、それも難しい。
(クラブチームか)
直史の横のつながりは、以前よりも広がっている。
専門のトレーナーにもついてもらって、直史はピッチングのメカニックも確認する。
まずはフォームを取り戻さないと、そこからあえて外れることも出来ないのだ。
SBC千葉において、ブルペンキャッチャー相手に投げ込みを行う。
球速は140km/hも出ていない。
(本来のスタイルには反するけど、フィジカルをある程度鍛えないと話にならないな)
そう思う直史であるが、センターのトレーナーは呆れていた。
キャッチャーはミットをど真ん中に構えているが、キャッチングをするのにそのミットが動くことがない。
百発百中で、ど真ん中に投げ込んでいる。
(本当に実戦から五年以上遠ざかっていた人なのか?)
大学卒業後、プロ入りまでにも野球からは離れていた期間が少しあるのは知っている。
しかしその間もクラブチームなどには入っていて、実際は二年ほども間は開いていなかったはずだ。
だがあの伝説的な引退試合以降、どこかのアマチュアを指導したとか、その程度のことが最初の二年ほど、耳にしたぐらいである。
ただやはり、スタミナには問題があるらしい。
50球ほどを連続で投げれば、肩で息をし始めた。
「ちょっと休憩を入れましょう」
現実の試合でも、休みなく50球などは投げない。
それに今はメカニックを調整しているところなのだから、疲れた状態で投げてしまうのは、その正しいモーションを壊してしまうことになりかねない。
昔は100球ぐらいは軽く連続で投げていたし、休みを入れてならば300球ほども投げていた。
しかし今はそんなことをすれば、確実に壊れるだろう。
とても時間をかけて、じっくりと調整していかなければいけない。
幸いと言うべきか、まだそれなりに時間はある。
無為に過ごしていれば、あっという間に過ぎ去っていく時間であろうが。
野球技術の上達と言うよりは、元に戻す作業。
それはさすがに直史でも、ひどく難しいのは間違いない。
練習に食事、そして休養。
この三つのバランスが重要なのは、若者よりもさらに顕著である。
食事の管理に、睡眠を含めた休養。
もう完全に、弁護士事務所の方の仕事は、他に任せっきりになっている。
直史がいなければ無理、という仕事の仕方はしていない。
基本的に世の中というのは、どれだけ優秀な組織の一員が欠けても、どうにか回していかないといけないようになっている。
しかし直史のように投げるのは、直史にしか出来ないことだ。
この世界には、代えの利かない人間、というものが存在する。
しかしそういった人間は、本当に必要な人間ではない場合が多い。
音楽家、小説家、スポーツ選手。
全てが虚業の担い手である。
だからこそカリスマが必要となり、偶像となる。
偶像であるだけに、逆に代えがきかないのだ。
一人一人が、一流派。
本来なら表現者というものはそうであるべきだ。
逆に言えばオリジナリティがない表現者は、世界には必要はない。
直史の持つオリジナリティというのは、尖ったものではない。
一つ一つの要素が99点ほどを示していて、そして総合力が他の誰よりも高くなる。
数字だけで判断出来る怪物である。
海の向こうで大介が復活している頃、直史は千葉のクラブチームに参加して、練習試合ではあるが公式戦で投げ始めていた。
さすがに衰えたかと言われていた大介は、もう来年の契約は破棄して、日本に戻ってくるつもりであるらしい。
しかしシーズン途中から、まるで全盛期のように、ホームランを打ち出した大介。
そんなに復調して戻ってきてもらうと、やはり相手をするのは大変であろう。
そしてこの試合も、直史の現在地を確かめるには、いい感じの相手であった。
首都大学リーグ二部の大学野球部が、一軍でもってやってきたのである。
先発に指名されたのは直史。
練習用の無地のユニフォームではなく、残しておいた早稲谷の大学時代のユニフォームを使う。
四年間もこれを着て投げていたのだと思うと、感慨深いものがある。
サイズはほとんど変わっていなかった。
首都大学リーグ二部ともなると、ドラフトの候補に上がるかもしれない選手もいたりする。
それを相手に、果たしてどうやって投げるのか。
事情を知っている味方チームの選手としては、実戦で果たして直史がどう投げるのか、興味津々である。
またそれをこっそりと見物に来ている、鉄也はスピードガンを持っていたりする。
サングラスをかけてマウンドに登る直史。
少なくとも肉体は、昔のように細身のままである。
先頭打者に投げたのは、変化球からであった。
おそらくツーシームか、と思われたボールは135km/h。
「さすがにもう球速の衰えは隠せないか」
ここから果たして、どれだけ戻していけるのか、が問題であるのだが。
40歳のピッチャーを獲得するということのリスク。
ただ年俸は最低限に抑えられるので、そこは問題はない。
だが支配下登録に入ろうと切磋琢磨している選手は、育成の中にも存在するのだ。
レックスの育成は、それほど規模も大きくはないが。
この日、直史は五回を投げて88球。
被安打一の与四球二。
無失点でリリーフにマウンドを譲った。
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