第19話

 今夜は我が家でのクリスマス会があるのだ。今年、四回目のクリスマス会。本当にぜいたくな話しだ。自転車は雪の道には適さないことを、僕は実感した。乗って走るなんてできそうもない。押して帰るのも大変だった。家に着くと、麻里が僕を出迎えた。

「お兄ちゃんったら、どこに行っていたのよ。飾り付けをやること忘れていたんでしょう」

 そう言ったあと、手洗い、うがいも忘れちゃだめよと、とどめの一言。最高の出迎えだな。

「ああ。そうだったね」

 僕はこれ以上言葉を続けなかった。黙って彼女の言うとおりにした。クリスマスツリーは、もう一ヶ月も前から飾っているのに、それに加えて、リビングのあちらこちらにきらきらのモールをつける必要があるだろうか? どうせ、今日一日だけのことなのに。

「まあ、きれいねぇ」

 母さんがキッチンからそう言った。

「そうかしら? お兄ちゃん、そこのところ、もう少しバランスよく飾って」

 麻里が指摘したのは、金のモールのたるみ具合だ。確かにアンバランスだが、僕としては問題ないのだが……。

「分かったよ」

 彼女にはいちいち逆らわないことにしている。すぐ怒ったり、泣いたりして、面倒くさいのだ。だが、彼女は何か勘違いしていて、僕が従順なしもべとでも思っているようだ。

「見てよママ、これで完璧だわ。パパ、今日は早く帰ってくるのよね?」

「そうね、四時ごろになるかしら?」

 今日は平日で、父さんは仕事に行っている。社長のはからいで、今日は仕事を早く終わらせてくれる。町工場だからできることなのだろう。

「お料理の方はどう? 私も何か手伝うわ」

「あら、助かるわ」

 そう言って麻里はキッチンへ入っていった。もうそろそろ、お昼の時間だってことに、二人とも気付いているのだろうか? 僕はこんなにもおなかが空いているというのに……。きっと、ああしておしゃべりしながら、つまみ食いをしていたに違いない。

「母さん。お昼ご飯のこと忘れてない?」

「あらやだ、もうこんな時間?」

 この調子じゃ、昼の用意はされていないのだろう。

「麻里、あんたお腹空いてる?」

「さっき、お菓子を食べちゃったし、まだいいわ」

「じゃ、賢ちゃんだけでいいわね。私もお腹が空いていないのよ。これで、何か買ってくる?」

 母さんは財布から千円を出して、そう言った。

「賢ちゃん、それと、ついでにケーキ屋さんに行ってきてくれないかしら?」

「いいよ」

 母さんはエプロンのポケットから紙を取り出し僕に渡した。ケーキの予約票だ。

「代金はもう支払ってあるから、それを渡すだけでいいのよ」

「うん、分かった。じゃ、行ってくるよ」

 まずは何か食べなくちゃ。僕は玄関を出て、自転車にまたがり、お昼はどうしようかと考えた。いつもと同じで、ハンバーガーでも食べようか?

「母さんったら、本当にいい加減なんだから。育ち盛りの僕に、昼ご飯を用意していないなんて」

 そんな独り言を誰かに聞かれてやしないかと、あたりを見回したが、誰もいなくてほっとした。


 ケーキ屋さんは、五丁目の西、つまり、五十海いかるみ寄りにある。お昼が先だけど、ハンバーガーショップは五十海にあるから、どのみち、五十海まで行かなければならない。自転車を走らせると、風が頬に当たった。外はすっかり雪景色なのに、思ったより寒くはなかった。雪も降り止んでいる。空はもう日が射していて、きっと、この雪もすぐに解けて消えてしまうに違いない。

 僕は一丁目、二丁目を通り抜け、五十海に至るまでの間、頭の中では今回の出来事を思い返していた。不思議なことが次々と起こり、今、そんなメルヘンが終わろうとしていると思うと、さみしい気持ちになった。クリスマスが終われば、このマジックも消えてなくなってしまうようで……。

「ぼーっとしてるなぁ? どうしたんだ?」

 僕がちょうど、信号で止まったとき、隣に止まった車から声をかけてきたのは、マッキーだった。

「マッキーこそ、何してるの?」

「俺は宿直で学校にいたんだが、今日はクリスマスだから早く帰してもらったんだ」

「あ、そう。でも、学校って休みじゃなかった?」

「大人にはいろいろあるの。年末だから、余計忙しいんだ。宿題はしっかりやれよ」

 それだけ言うと、マッキーは再び車を走らせた。信号が青に変わったからだ。

 この信号のすぐそこに、僕の目指す店はある。外までおいしそうな匂いがしてきて、僕のお腹がぐうっと鳴った。


 店に入ると、店員さんの声が迎える。アルバイトのほとんどが高校生だろう。

「ご注文はお決まりですか?」

 いつものお姉さんが、にっこりとほほえんでそう言った。毎日、何回も、誰にでもこんなふうに注文を聞くなんて、僕にはできそうもない。

「Mセット一つ」

「お飲み物は?」

「オレンジ」

 ここへ来ると、僕は決まった席に着く。空いていればの話だが。今日は空いているほうで、店内はほんの数人の話し声がするだけだった。僕の席は、外のポプラ並木が見える場所で、行き交う人々や、舞い降りてくる小鳥を眺めることができる。

「お待たせしました」

 お姉さんが注文の品を運んできた。

「あ、どうも」

「今日はクリスマスよね。一人なんてさみしいわね」

 彼女はそう言って、僕の顔を覗き込んだ。

「そうでもないよ。今日はもう、いろいろありすぎてね」

「あらそうなの? いつものお友達は一緒じゃないのね」

「彼らは昼ご飯を食べに帰ったよ。僕は家に帰ったら昼は自分で買って食べなさいって言われたんだ。母さんに」

「まあ」

「おしゃべりしていて大丈夫?」

「今日はひまなのよ」

 彼女がこうして話しかけてくるのは初めてだった。本当にひまらしく、店内をぶらぶらして、カウンターへと戻って行った。

 また一人になった僕は外を見た。日差しがさっきより強くなり、雪はもうほとんど残っていなかった。食事を済ませて、今度はケーキ屋に向かった。おいしいと評判の店で、母さんはイベントのある時はここでケーキを買うことにしている。そのたびに、僕は使いに出される。そう遠くではないのだが、母さんは外に出るのがおっくうなのだ。


 ケーキ屋さんには、お客がたくさん来ていた。店内は甘い匂いと暖房の暖かさで、頭がとろけてしまいそうだ。

「あのう、予約してあったケーキを受け取りに来ました」

 僕はそう言って、店員さんに紙を差し出した。

「少々お待ちください」

 店員さんは紙を持って、奥へと引っ込んでいった。しばらくして、紙とケーキの入った箱を持って来た。

「こちらになります」

 僕はその白い四角い箱を受け取り、店を出た。外はもうすっかり「晴れていて、日差しにあたたかさを感じるほどだった。

 使いを済ませて家に帰ると、

「お帰りなさい」

 可愛らしい笑顔で麻里が出迎えた。

「待っていたのよ」

 と言って、僕の持っていた白い箱を奪うように持って行った。麻里が待っていたのは、僕ではなく、ケーキだったのだ。

「母さん、ただいま。これ、おつり」

 さっきのハンガーがーを買ったつり銭をテーブルに置き、二階へと上がろうとした。そのとき、玄関が開き、父さんが帰って来た。

「やあ、ただいま。結局、何だかんだいって、こんな時間に帰ることになったよ。早すぎるけど、今日は特別だからって言ってね」

「まあ、本当、早すぎだわ。まだ、料理はできていないのに」

 母さんが台所で何を作っているのかは僕には分からないが、そんなに時間のかかるものなのだろうか?

「そう、でもいいよ。僕はのんびり待つからさ」

 そう言って、父さんはソファーに寝転んだ。

「ねえ、パパ。ひまならチキンを取に行ってくれないかしら? 予約時間は、午後の四時になっているのよ。まだ時間はあるけど、そのまま寝てしまったら困るのよ。あなた、一度寝るとなかなか起きないんだもの」

「ああ、分かったよ。でもちょっよだけ、昼寝させてよ」

 大あくびをしたかと思うと、さっそく、いびきが聞こえてきた。

「まるで、トドだわ」

 母さんはあきれて、キッチンへ戻った。これでまた、使いに出されるのは僕に決定だな。

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