第一章5  『美羽』

リョウタは施設で身体検査や相談で一日を過ごした。しかし日程はそれほど長くなかったので、残る時間が多かった。何の日程もない日も多かった。 スマホ、テレビもない。 VR接続機のDTドリームトラベラーさえなかった。今まで生きてきていつにも増して退屈を感じるリョウタ。今日はニコラスと相談がある日だ。


「ところで長谷川に質問が一つある」


「何ですか?」


「これを見ると、君は5歳に孤児院に入った。そして4歳の時に両親が殺されたと書いてある。1年間どこにいたんだ?」


「…それが僕も記憶が」


「覚えてないのか?」


「はい、正直に言うと詳しい記憶はありません。孤児院の先生が言うには、ある夜ドアの前で泣いていたそうです」


「…そうなのか」


ニコラスは消えない疑問が気になった。両親が殺された記録はどうやって残されたかも気になった。だからといって、目の前の少年が嘘をついている可能性も少なかった。少なくとも今まで見た姿から判断すると。


「そうだな、あまりにも大きな衝撃によって記憶がなくなったかもしれない。十分可能な話だ。 すまない、こういう話をすることになって」


「いいえ、僕は大丈夫です」


「ところで、何か必要なものはないか? ルール上、大多数の物は難しいが」


「ニコラスさん、それでは部屋で本でも読んでいいですか?」


「いいぞ、本なら大丈夫だ」


ニコラスは立ち上がって本棚から本を選ぶ。そしてリョウタにそれを渡す。 感情に関する本、古典小説、聖書など不足なく6冊を渡した。


「こんなにたくさんもらってもいいですか?」


「いいよ、いいよ。正直、時間余り過ぎるだろ? どれだけ退屈か。そして君は俺たちの言うこともよく聞いて協力的だからさ。読み終わったら言ってくれ、他の本も渡すよ」


「ありがとうございます。聖書もありますね、初めて見ました」


「まあ、俺たちの組織が宗教団体から始まったからさ。かなりよく見られるぞ」


リョウタはその後、部屋に戻り、本を読みながら過ごした。聖書に書かれている一節が目についた。


【しかし神は、私の行く道を知っておられる。私は試されると、金のようになって出て来る】





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 






一週間という時間が過ぎた。 リョウタはまだ部屋の中にいた。持っていた本もそろそろ読み終えるところだった。正月も隔離室で過ごしてしまった。これまでに迎えた正月の中で最も虚しい日。 そのようにぼんやりとした毎日を過ごしていたところ、研究所の中に懐かしい人が入ってきた。


「リョウくん!」


「ミ、美羽ねえ!」


銀色に近い灰色の長い長髪。青い瞳孔。誰が見ても分かるほど彼女は美しかった。彼女も白い制服を着ていた。


「ここにはどうして?」


「どうしてだなんて、あんなことが起きたのに来ないわけがないじゃん。しかもリョウくんも侵食者になったなんて···」


ミウは今にも泣き出しそうだった。


「ミウねえ、僕は大丈夫。本当に大丈夫だから泣かないで」


「私が作戦のために海外に出ていなかったら…、クリスマスを一緒に過ごせたら···、ここまでならなかったはずなのに」


「ミウねえは忙しいから仕方ないよ。しかし、もう3年前か、孤児院から出て行って」


ミウは大きな罪悪感を感じていた。リョウタとミウは何の過ちもないが、それでも自分の無力さに大きな罪悪感が残るしかなかった。


「他の人は? リョウくん以外に生存者はいないの?」


「…アユム以外は皆」


「そうなんだ…、アキ先生も···。 アユムは今どこにいるの?」


「それが···僕もよく分からない。施設の人たちに聞いたけど教えてくれない。多分侵食者だからかも」


「そうだったんだ...、私もこの組織にいるけど、 融通が利かないと感じる時が本当に多い」


「ミウねえ、そんな風に言ってもいいの?」


「まあいいじゃない、事実だから」


リョウタは安心した。孤児院を出て3年間侵食者と戦ったはずの彼女は、依然として優しくて愉快だった。なので孤児院にいた時から誰よりも大きな支えだった。


「ところで、ミウねえはまた海外に出ることになるの?」


「たぶんそうね。実は今日も本当に事情を聞いて来たんだよ。だからそんなに長い時間はいられない」


「そうか…、残念だな」


リョウタが残念そうな表情をしているとき、ミウはガラスの壁に手を出した。まるでリョウタと身長を比べるように


「ところでリョウくん、見ない間に大きくなったね。前は私より小さかったのに…、今の身長は何cmぐらいある?」


「172cmぐらいかな…」


「本当?私より10cmも大きいじゃん!男の子たちは本当に早く成長するんだね」


ミウは手を左右に動かした。まるでリョウタの頭をなでるように。


「リョウくん、諦めないで。私も頑張るから。だからお互い頑張ろう。私も上層部にできるだけ言ってみるから」


「ありがとう、ミウねえ。僕も絶対あきらめない。みんなの分まで一生懸命生きてみるから」


ミウはリョウタの言葉を聞いてにっこり笑い、手のひらを壁に当てた。


「じゃあ、約束」


リョウタもミウの手に合わせて手のひらを広げて壁に貼った。


「うん、約束」


その時、部屋の中に仮面をかぶった女性が入ってきた。クリスマスに見た人に見えた。


永遠愛エタナさん、上層部でお探しです」


「うん、分かった。じゃあ、またね、リョウくん」


「うん、来てくれてありがとう。ミウねえ」


ミウはドアの外に出た。そして仮面をかぶった女が近づいてきた。女は長い黒髪で160後半に見えるほどの体格をしている。リョウタは少し緊張した。ニコラスの部屋に行くときはよく一緒に動いたが、二人きりでいるのは初めてだった。


「何か用事でも…?」


「あなた、エタナさんと何の関係?あの人がこうやって直接誰かに会いに来るのは初めて見た」


リョウタは彼女の声をどこかで聞いた気がした。


「孤児院で一緒に過ごしました。だから事実上家族です」


「そういうことね.. エタナさんがどんな人か知ってる?」


「まあ、数年間一緒に過ごしたから、大体は」


「白光騎士団としてのことだよ」


「白光騎士団としてのミウねえ…」


リョウタはミウの活動について多くの話を聞いたことがなかった。ミウが忙しくもあり、原則的に白光機師団は外部に情報を知らせることを勧めていない。仮面をかぶるのもそれの延長線。


「よくわかりません。正直言って、聞いたことがほとんどないです。ミウねえが孤児院を出た後は会うのも難しかったです」


「ならばちょっと教えてあげる。エタナさんは私たちの組織でかなりの実力者として有名。元々、白光騎士団は成人から入団できる組織なのは知ってるよね?」


「はい。ある意味、公務員に近いですから」


「公務員か…」


女の声から少し笑いが感じられた。


「失礼。元々、白光騎士団は適性に合う人、希望する人が中等部あるいは高等部まで訓練を受けて入団するのが定石的」


「ちょっとは聞いた時があります」


リョウタは成績と運動能力が平凡だったので、志願することもできなかった。そもそも戦いが嫌いだったので関心もなかった。


「しかし、ごく少数の優秀な人材は高校生の年齢から活動できる。エタナさんもそのケース」


「ああ、それで…」


ミウが高校生になる直前、白光騎士団の仕事を体験しに行った。その当時は正確には知らなかったが、ようやく理解できるリョウタだった。


「エタナさんはその後、恐ろしいぐらい早く実力が上がった。平凡な人なら5年間かかる事をその人は1年で終わらせるぐらい。今ではかなり有名なので、【邪眼】【不死身】などと呼ばれている。私も尊敬しているよ」


どうしてそんな名前で呼ばれるのか気になったリョウタ。けど、【邪眼】はわかりそうだった。普段は優しいミウだったが、怒った時の目つきが本当に怖かった。その度に孤児院の皆は緊張した。


「邪眼か…、よく似合うな。それにしてもいつの間にか大物になったんだなあ、ミウねえ」


ミウのことを思い出すと笑いが出るリョウタ。疲弊した状況の連続だが、まだ大切な家族が残っているという事実に安堵する。


「ところでこんな話をしてもいいんですか?」


「どうせエタナさんの家族でしょ? それにあの人が直接会いに来るほどなら、かなり大切だということだろうし。だから大丈夫」


「でも、僕は侵食者なので···」


「あなた、優しいのは分かるけどそんな風にずっと言わないで。侵食者が悪いのは知っている。おそらく、この組織に入ってくる人々の半分は侵食者に恨みがあるはず。それは私も同じ。でも、あなたという特異ケースもあるじゃん。そもそも私が知っているあなたは侵食者になるはずがない。だからこそ私の価値観も未だに混乱している」


「え?今、何だって?」


「いや、聞かなかったことにして。私、そろそろ行く」


「ミウねえについて話してくれてありがとうございます」


「…うん。じゃ、またね」





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 





リョウタはその後も身体検査や相談などを受け、残りの時間に本を読みながら毎日時間を過ごした。しかし、いくら時間が経っても結果はそれほど差がなかった。浸食者であるかどうか疑わしい数値が引き続き現れた。このような日常をなんと3ヵ月も繰り返した。ある日、部屋の中にすでに何度も見た仮面をかぶった男女が入ってきた。


「長谷川良太、隊長が探している」


「分かりました」


すでにこの過程にも慣れているリョウタ。もう手錠もかけない。信用されているという感じがリョウタを少し喜ばせた。ただブレスレットは相変わらず着用していた。


「隊長、連れて来ました」


「入ってきていいぞ」


依然として自信に満ちた態度で座っているニコラス。 リョウタもニコラスの前ではもう緊張しなかった。


「席を外せばいいですか?」


「いやいや、君たちもここにいて。今日はいつもと違う話をする。そのためには君たちもいなければならない」


ニコラス以外の誰もが疑問に思った。


「はい、分かりました」


仮面をかぶった二人が同時に答えた。それからニコラスは口を開いた。


「長谷川」


「はい」


「最近の生活はどう思う? 正直に言ってくれ」


本当に素直に言っていいのか迷ったリョウタ。けどとても退屈だったので口を開いた。


「正直に言うと、とても退屈です。時間が止まっている気分です。こんな生活に慣れてきて、同時に慣れない気分です」


「そうか。まあ、当然だよなあ」


深いため息をつくニコラス。


「俺も正直に言うとひどいと思う。君の数値を見れば大きな問題がない。侵食者扱いされる必要があるのか疑問に思うほどだ。しかし、ルールはルールだからなあ。クリスマスの余波から少しは抜け出したが、依然として警戒は強い」


「…はい」


「けど俺は上層部に何度も君の話を伝えた。ちなみにエタナも同じことをした。そしてその結果、ある程度進んだぞ」


「ミウねえ···」


「とりあえず、君が最初から今まで相変わらず元気な数値だから可能な話だ。後、別に罪を犯したこともないから」


「何の話が進んだんですか?」


「本論から言うよ。長谷川良太、俺たちと一緒に戦ってくれ」

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