女神のステンドグラス②

 気持ちよく晴れた日に、涼しい木陰での読書ほど幸せなものはない。温かくて香りのいいお茶のお供があれば、なおのことだ。


 ところがヴィダーユのそんな至福の時間は、傍若無人な闖入者ちんにゅうしゃによって唐突に終わりを迎えた。


「にょー」


「にょーじゃない、にょーじゃ。そこにのらないでくれと言っているだろう」


 ベンチに腰掛けたヴィダーユがさっきから攻防戦を繰り広げているのは、白い毛玉だ。見たところ、隣国の砂礫地帯されきちたいに生息する砂猫ではないかと思われる。


 まだ都にいた頃、国家魔術師として訪れた上流層のやしきで、めずらかな愛玩動物として飼われているのを幾度か見かけたことがあった。ただ、本来は生息環境に適応して薄灰や薄茶色をしているはずだが、この個体は体毛が雪のように真っ白で目も赤い。


「にょあー」


「だから、にょあーじゃなくて」


 戦いになっているのは他でもない。庭という溢れんばかりに空間の余剰がある中で、この白い砂猫はわざわざ陣取っているのである。ベンチは二人掛けだからスペースは思いきり余っているし、小動物が好みそうな隙間はそこかしこにあるというのに、なぜよりにもよって今まさに読んでいる本の上を所望するのか。理不尽にもほどがある。


「そこに乗られたら、続きが読めないだろうが」


 ため息をつきながら本を斜めにしてみたが、白い獣は器用にバランスをとり、かたくなに離れようとしない。業を煮やしたヴィダーユは、とうとう本を上下に揺すって振り落としにかかった。しかし向こうも意地になっているのか、しがみついたまま是が非でも動かないのだ。振ろうが引っ張ろうが、降りないったら降りない。


「なにしてるんだ、ヴィダ」


 横手の窓がガチャと開いて、笑いを滲ませたニカが顔を覗かせた。


「人の本の上に陣取る不埒ふらちものがいるんだ」


 本にべっとりと張り付いたままの白い毛玉を見せると、彼は吹き出してから小首を傾げる。


「俺は彼女の言い分が正しいと思うぞ?まだそんなふうに、小難しいことに頭を使う時じゃないってサッフィーは言ってるのさ」


「喋らないのをいいことに、とんだ超解釈だな。……この砂猫はお前が飼っているのか?」


「いや、住み込みの従業員の家族だよ。すっかりうちの看板猫になってるから、立派な従業員とも言えるかもな」


 ニカは手を伸ばして、サッフィーなる砂猫をひと撫でしてから、


「ここに来て早々に座ってもらえるなんて、光栄じゃないか。うちでは玉座役は大人気のポジションだぞ」


 と言い残して窓を閉め、仕事に戻っていく。


「……」


 相変わらずの砂猫をヴィダーユは非難を込めた目で見つめたが、肝心な彼女はちら、と一瞬だけ視線を寄越して、あとは素知らぬ様子だった。一体何を考えているのかは不明だが、ここで寝る、というその意志は何があっても揺らがないらしい。


「……仕方がないな」


 大きくため息をついたヴィダーユは、とうとう読むことを諦めた本を膝の上にのせ、砂猫と一緒にぼんやりと風に吹かれるままになったのだった。

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隊商宿の魔術師 喜楽寛々斎 @kankansai

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