女神のステンドグラス①

 今日は、日差しと風が少し強い。


 けれども木漏れ日の中にいるヴィダーユは眩しい思いをすることもなく、ただただ心地よさを感じて風に吹かれていた。とらわれの姫よろしく、羨望と共に窓から見下ろすしかなかった中庭の木陰のベンチに、ようやく出ることを許されたからだ。


「……」


 待つ間もないほどに次から次へとやってくる風が、ざぁざぁと梢とたわむれている。強い日差しの下で木々が身をゆすると、濃い影と薄い影が混じり合いどこか波の揺らめきのようにも見えて、おもしろいものだと思った。


 懐中時計を出して時刻を見ると、そろそろ昼食の時間になろうとしている。食事は大抵はニカと一緒に、泊まっている部屋で食べていた。ひとまず戻ることにしたヴィダーユは立ち上がり、葉擦れの音に送られて宿の中に入る。


 コト、コト、コト……

 ギィシ、コト、コト……


 木の床や階段の靴音は柔らかくていいな、などと思いながらヴィダーユは階段の踊り場で一旦立ち止まる。


 そこには大きなアーチ窓があり、色とりどりの硝子を組み合わせた鮮やかなステンドグラスになっていた。太陽の女神と昼の森をモチーフに、大胆さと繊細さを併せ持った見事なそれが、中庭に次ぐヴィダーユのお気に入りだ。


 ——————何度見ても美しいな……


 強い太陽の光を含んだ硝子の女神や草花は、目が眩みそうなほどに華やいでいる。自然と見る者の気持ちを底上げしてくれるような、そんな明るさだ。ヴィダーユはその窓をゆっくりと眺めてから、再び階段を上がって自分の部屋へと戻った。


「ヴィダ……お前、いくらなんでもあれは多すぎるだろ」


 いつものように昼食を運んできたニカは、顔を突き合わせるなりそう唇を尖らせた。


「現時点ではいつまでいるか、よくわからないからな。ひとまず三ヶ月分くらいの部屋代の先払いも兼ねているから」


「それにしたって多いって」


 ニカが呆れたような顔でヴィダーユを見ている原因は、今朝方に半ば無理やり渡した袋の中身だ。なぜ無理やりになったかと言うと、ひとまずここまでかかった諸々の費用を精算しようとしたところ、「俺とお前の仲なのだから部屋代はいらないし、食事などは友人価格で実費でいい」などという、とんでもないことを彼が言い出したからだった。


「いいかニカ、お前は宿を生業にしているんだぞ?友人価格というのは、その友人の素晴らしい働きへ喜んで渡す報酬であって、ケチるためのものではないだろう。親しい相手であればこそ、日頃の感謝も込めて上増しして渡したいくらいで、私は間違ってもお前の労力を値切るような人間にはなりたくないんだ」


「お、おお……?都では……そういうものなのか…?」


 滔々とうとうと諭してくるヴィダーユに、ニカがやや困惑したような表情を浮かべた。


「本人の主義によって異なるが、少なくとも私はそのように思っている」


 都だからといって、別にそういうわけではない。あの地でいくらか親しくなった老魔術師がそのように計らうのを見たことがあり、若かりしヴィダーユがそれを気に入って採用したと言うだけだ。ただ残念なことに、都では仕事上の付き合いがほとんどで、誰かと親しくなることがあまりなかったため、結局それが発揮される機会はまずなかったのだが。


「そういうことだから、これは当然受け取ってくれるな?部屋代はもちろん、食事やら癒師の診療費やら薬代やら、色々とかかったはず……私とお前の仲なのだから、これくらいの感謝は受け取ってくれていいはずだ」


 そう押し切り、ヴィダーユは半ば無理やりその小袋をニカに握らせたのだ。


 実際、行くあてなど全くなかったことを思えば、今こうして穏やかにいられる場所があることは感謝してもしきれないと思っている。


「じゃあ、一年分先払いしたってことで折り合いをつけよう」


「いや、さすがに一年分はないだろう」


 平たい香草パンをかじりながらヴィダーユが言うと、ニカは首を振った。


「あるよ。お前、ロズリーン鉱のまった指輪を入れてくれてただろう?残っていた最後の鉱山がこの前閉じたからな……既にかなり高騰してきてるんだよ。元々それなりに高価なものだが、このまま持っていれば遠からず桁が跳ね上がる。今からでも返すぞ?」


「いい。研究で使う都合があったから、ロズリーンは個人的にいくつか持っているんだ。それはお前が好きにしてくれ。頃合いをみて売るもよし、資産として所持し続けるもよし、守りの術を入れてあるから身につけるもよし……まぁ希少性が増しているなら、指にはつけないでネックレスチェーンにでも下げた方がいいかもしれないな」


 防犯上のことを考えながらヴィダーユが呟くと、ニカは呆れ返った顔で叫んだ。


「……前言撤回だ。術師連の室長クラスの術入りじゃ、ここの宿代一年分ごときでまかなえるわけないだろ!?」


「あ、術を入れたのは勘違いだったかもしれん。いやぁ、過労とは厄介なものだな。どうにもところどころ記憶があやふやで……困ったものだ、まったく……」


「嘘つけ!困ったものはお前だろ!?」


 ニカの渾身の主張に、ヴィダーユは涼しい顔でしれっと返した。


「もちろん、そんな入ってるんだか入っていないんだかよくわからないものは、計上なんてできないからな。さっきお前が言ったとおり、宿代一年分で手を打とうじゃないか」


「……お前ってやつはもう……!なんか都に行ってからしたたかになったよな、ヴィダ……昔はもっと素直で、口も全っ然回らなかったのに……」


「魔窟の住人相手に何年も過ごせば、さすがに多少は鍛えられるさ。……なに、それなりに給料はもらっていたが、正直稼いでも使う暇がなかったんだ。しばらく凌げる分くらいはあるから心配するな」


「いいんだか悪いんだかなぁ……」


 ため息まじりにニカがぼやく。


「まぁ、この先何をするかさえまだ決めていないからな。無駄遣いはできるだけ控えるさ。とりあえず、私が術書屋に吸い込まれそうになったら止めてくれ」


「それはちょっと俺には荷が重いぞ?お前を縄で括って、街中の人間で引っ張っても果たして止まるかどうか」


「お前、私を魔獣かなにかだと?」


「学校に隠されてたあの魔術書の騒動の時に、俺はその可能性をこの目で見たぞ」


 軽口を叩き合った二人はしばし顔を見合わせ、同時に吹き出した。それからニカが、そっと付け足す。


「ヴィダ、お前は真面目だから、焦りは色々感じるかもしれないけど……でもまだこの先の仕事のこととかは考えるなよ。今は腰を据えて身体を休めて、色々回復させる時期なんだから」


「……」


「ムッとしても駄目」


「……お前の方は、なんだか知らん間に保護者めいてきたな」


 先ほどの意趣返しにヴィダーユがそう言えば、ニカは屈託なく笑った。


「隊商宿の宿主なんてやってるとなぁ……人の世話焼きも仕事の内だからさ」


 己は子どもの頃のまま、友人ばかりが大人になってしまったような気がして、ヴィダーユは何やら複雑な気持ちになる。


「午後はどうするんだ?」


「……中庭」


「だと思った」


 暇つぶしのお供にお茶のポットとカップを持って行くといいよ、とニカは笑いながら言った。

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