松本人志は何故ケチな遊び方をしてしまったのか? 個人的見解

では、前回の続きから。


前回は松本の一連の騒動で感じた『違和感』について考察してきたが、今回は『何故松本はケチな遊び方をしてしまったのか?』と『松本は何故すぐに記者会見を開かなかったのか?』の、おそらく世界初(?)となる観点からの考察を二本立てでお送りしていきたいと思う。


この考察はあくまで筆者の個人的見解によるものであるため、こうだと断定しているわけではなく、ひょっとしたらそうかもしれないねぐらいの見方で生温かく見守って頂ければ幸いである。(?)


まずはこちらの考察から。


・何故松本はケチな遊び方をしてしまったのか?


これまでの人生であれほど金を荒稼ぎし(?)、間違いなく億万長者であろう松本が、上沼に『遊びは三流以下やったね』と痛烈に批判されるほど、何故ケチな遊び方をしてしまったのか?


それには松本の『育ってきた環境』というものが起因しているように、筆者には思える。


別にこれは松本の生まれや育ちを悪く言うとかではなく、筆者も貧乏生まれヒップホップ育ち(?)だったため分かるのだが、松本は小さい頃からずっと貧乏で我慢して育ってきたため(これは別に松本に限らず、当時はそういう子供の方が多かっただろう)、その後どれほどお金を稼ぐようになっても『貧乏性』というものが身に染みついていたのではないか?と筆者には思えるのだ。(まあ筆者は今現在も激烈な貧乏(?)であるため、億万長者の松本とはまったく状況が違うのだが)


貧乏性やケチというのは悪い意味ばかりではなく、それだけ『お金の大切さ』『物の大切さ』が身に染みているということであり、散財はしない、物を簡単に捨てたりせずに大事に扱っていくという良い面もあるのだが、今回の騒動ではそれが悪い方向に出てしまったのではないか?という気は、これまで松本をずっと見てきたかつての大ファンとして感じている。


例えば制服は兄弟のお下がりであるとか、親がお金がないのを知っているためほんとは欲しいのを我慢して言わないとか、貧乏を経験してきた子供はそういった『苦労』や『我慢』というものが身に染みついているため、大人になってもお金を大事にして節約するという性質は、早々変われないものなのである。


無論決めつけるのはいけないが、前述のような観点から、ひょっとしたら女性にもケチってしまったせいで今回のような大騒動にまで発展してしまった『可能性』はあるのではないかと、一連の報道を見て感じた。


これが他の芸能人のように豪快に金をばらまく(?)ような遊び方であれば、ここまで周りの恨みは買わなかったかもしれないところを、遊びにまで金をケチってしまった点が、松本の大きな『失敗』だったのかもしれないと思わないでもない。


次回はこちらの考察、『松本は何故すぐに記者会見を開かなかったのか?』についてお送りしていきますので、お楽しみに(?)!!

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