第8話:明日香の想い。

ふたりの恋の行方は進展しないまま陽菜は大学へ進学した。

陽菜の子供の頃からの夢は両親の後を継いでパン屋さんになること。

もしハルと一緒にパン屋さんができたら・・・

それが今の陽菜の一番の目標であり夢だった。


でも問題がないわけじゃなかった。

慶彦さんと麻美さんをなんて言って説得するかが問題だった。

慶彦さんがハルをパン職人にしてくれる保証もなかったし、

肝心のハルがパン屋さんになりたがらなかったら・・・。


陽菜の夢をハルに押し付けることはできないって思った。

陽菜の恋が実らないのに、そんなことハルに確かめても意味のないことだ

って思った。


まずはハルのハートを射止めないと。

でも、ハルの気持ちを振り向かせる手立てが今はなにもなかった。

そうは言いつつも相変わらず陽菜は時間があったらハルを街に連れ出した。

たまに美紀も合流したりした。

陽菜にとって今はそれが一番楽しかったからだ。


ずっとそばにいるのに思いが伝わらない。

誰かを思い続けて、じっと耐え続けるなんて辛かった。

いつまで待てばいいのか、もう自信がなくなりそうだった。


陽菜の思いを知ってか知らずかハルはマイペースだった。

ふたりきりでデートをした日の夕方 ふたりで公園のベンチに座って休んでる時、

陽菜はいつか見た夢のことをハルに話した。


「あのね、私、以前とても不思議な夢を見たの?」


「不思議な夢?」


「そう、とっても・・・」


「その夢はね、ハルと私が宙を飛んでるの・・・」

「でね、そこは見たことない派手な街並みとか、ハルと同じ 猫の顔を人たちが

いる街・・・」

「夢の中のハルは、ここが僕が生まれた世界だよって教えてくれたの」

「それからね、見覚えのある桜並木とこの公園を通って一件のパン屋にたどり

ついて・・・」


「ハルが指刺した場所を見るとね、そこに「猫のパン屋さん」って看板がかかって

いたの」

「でね、お店の中をそっと覗いてみたらね・・・」

「そしたら私とハルがいて、ふたりとも幸せそうに笑ってたの」

「あれは私とハルのお店なんだって、すぐ分かったよ・・・」


「私とっても嬉しくて・・いつかこの夢の話をハルにしてあげようと思って」


「ふ〜ん、不思議な夢だね・・・」


「面白いでしょ」


「そうだね・・・でもそれがもし正夢なら、僕にはプレッシャーかな」


「なんで?」


「だって、僕は将来パン屋さんになってなきゃいけないってことでしょ?」


「あ、それは・・・まあね・・・」


(あ〜あ、余計なこと話すんじゃなかった・・・」

(プレッシャーとかって言われたら、まじで落ち込む)


「あのさ、夢の話だからね・・・ただの夢の話」

「そんなにプレッシャーとか感じなくていいから・・・忘れて・・・ね」


「いいんだ・・・僕もできたら陽菜の夢を叶えてあげたい」

「分かってるよ、いつだって陽菜は僕を大切に思ってくれてること・・」

「だから僕だって陽菜に応えたい」


「だけど、ほんとに僕なんかでいいの?」


「何言ってるの・・・ハルじゃなきゃダメだから、私だって・・・」


「僕にはまだ自信ないんだ、自分になにができるんだろうって・・・」

「今の僕がこの先どうやって陽菜を幸せにできるのかなって・・・」

「それに僕はいずれ桜井家を出て行くかもしれないし・・・」


「なんでそんなこと言うの?」


「なにもしないし、なにもできない今の僕は桜井家のお荷物だよ」

「このままだと明日香たちに迷惑をかけるだけになる」

「ほんとの飼い猫と同じで、ただご飯食べて歳を取っていくだけ・・・・」

「だから、僕はいつかは家を出て行かなきゃ・・・」


「家を出てくって?・・・そんのダメだよ?」

「行く宛だってないんでしょ?」


「それは、まあ・・・」


「私、ハルと一緒にパン屋さんがやりたいと思ってた、だけど・・・」

「それがハルにとってプレッシャーになるなら、もうそんなことどうでもいい」

「家を出るとか、自信がないとか、何もないとかそんなの私を避ける口実に

過ぎないよ・・・そんなの自分から逃げてるだけだよ」


「何もしないで逃げたって、その先はどうなるの?」

「一生逃げてばっかり?」

「何か問題を抱えるたびに逃げてちゃ何も解決しないよ」


陽菜は興奮して、ハルに迫った。

ハルは陽菜の剣幕に目を丸くしていた。


「・・・・・・・」


「あ、ごめん、勢い余った・・・ちゅっと言いすぎた・・・ごめん」

「ほんとにごめん・・・」


陽菜は手を合わせてハルに謝った。


「そりゃ、突然パン屋なんて言われてびっくりしたでしょうけど」

「私はいつだって真剣、パン屋も、ハルへの想いも・・・」


「分かった・・・分かったから・・・陽菜」

「なんだか、陽菜にいっぱい怒られて、僕の中で閉じてた扉が ちょっとだけ

開いた気がする・・・」


「ごめんね・・・ハルを責めるつもりはなかったんだけど・・・」


陽菜は複雑な気持ちが錯綜して泣き出した。


「陽菜・・・泣かないでよ・・・ほら、ぶちゃいくな顔が余計、ぶちゃいくに

なるよ」


「もう、バカ・・・ぶちゃいくだけ、余計だよ」


「僕は幸せだね、僕のことをこんなにも真剣に思ってくれる人がいて・・・」

「僕はただ桜井家の居心地のいい温もりに甘えてただけなんだね」

「だからさ、しっかり自分の将来について考えてみるよ」

「こっちこそごめんね、心配かけて・・・」


「さあ、もう遅いから帰ろう・・・陽菜・・・」

「お父さんとお母さんが心配してるよ」

「・・・そんなに急に、あれもこれも考えがまとまらないから・・・」

「しばらくでいいから、僕に時間くれる?」


「分かった・・・」


ハルは陽菜の手を取って自分のところに引き寄せると抱きしめた。

そして仲のいいカップルのように手をつないで歩いて帰った。

春とは言え、夜はまだ肌寒かった。

たしかに陽菜の気持ちはハルに届いてた・・・お互いしばらくは時間が

必要なんだって陽菜は思った。


つづく。

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