第十話 祈りに救われるのは誰か

「大波乱でしたね」


 建物を出ると同時にユキムラがため息交じりにそう言った。


 外はすっかり真っ暗で、空には星と、きれいな月が浮かんでいた。体を大きく伸ばして、サヨは空を眺めた。


「ほんとにな……あ、そだ、ツバキ、今日止まってくだろ? てかしばらく俺の家いろよ」


「え? いいの……?」


「大丈夫。その辺緩いし」


「ツバキ、サヨに手出されないように気をつけろよ」


「お前は俺を何だと思ってるんだよ」


「やばいやつ」


「ひでぇ!」


 四人で歩く、しかし、ユキムラが足を止めた。


「ん? どうしたんだ?」


「ハレノさん、少しよろしいですか……?」


「俺だけ? あぁ、もちろんいいぜ、悪いちょっと先行っといてくれあとから追いつく」


「おー。ゆっくりいっとくわ」


「また後でね!」


「おー! っと、それで、どうかしたのか?」


「今日はありがとうございました」


「ど、どうしたんだよいきなり……」


 いきなり頭を下げたユキムラにサヨは目を丸くした。


「今日は本当に楽しかった……誰かと遊ぶことがこんなに楽しいなんて思いもしなかった」


「んー。まぁ、楽しかったならよかったぜ。俺も超楽しかったし」


 いろいろトラブルはあったけどな。サヨはそう言って笑った。


「……」


「あ、そうだそういや髪切ったりしないのか?」


 押し黙ってしまったユキムラを見てサヨはしょうがないなぁ、とでもいうように彼の背中を叩いて尋ねた。二人きりになってまで言いたいこと、それを引き出すために日常的な会話から入っていく。


「まぁ……いろいろありまして……」


「そっか、満足してるならいいと思うけど短くても似合うと思うぜ?」


「そう、でしょうか?」


 明るい物言いにユキムラはようやく笑みを浮かべた、といってもそれは乾いたようなものであった。


「なぁ、アレ、巫女様じゃねぇの?」


 建物から出てくるある二人組の声が聞こえた。ざわざわした人ごみの中でその声は明確にユキムラを刺したものだということがサヨにはわかった。


 震えていたからだ。ユキムラの体が、小刻みに震えている。見ている方が痛々しく思えてくるほどに、悲痛さすら感じる震えは次第に大きくなっていく。


「なぁ……」


「ハレノさん……俺は……」


 サヨは包み込むようにユキムラの両手を握った。ハッとした顔を上げてユキムラの泣きそうな瞳がサヨと合った。


「ちょっと走ろうぜ!」


「え……? ちょっと! ハレノさん!」


 ユキムラの返答を待たずに、サヨは一気に駆け出した。引っ張られたユキムラは混乱の声を上げたがそれを無視して人込みを抜けていく。


「なぁ……俺達もう友達だろ?」


「ぇ……?」


「こんなに遊んだんだしそうだろ! だからさ!」


 振り返りながらサヨは笑った。風に揺らされて、月明かりに照らされて、整ったユキムラの顔があらわになる。


「なんかあったら俺らに相談しろよ。だから、泣いてんじゃねぇぞユウマ!」


 元気に笑うサヨにつられて、ユウマは思わずつられて笑った。


「泣いてませんよ……サヨ」


「お! いい顔じゃねぇの! よし! もっと走るぞ!」


 あんなに遊んだというのに、この元気はどこから来るのか、走る二人は先に言っていたはずのレイジとツバキを追い抜いた。


 もう歩く余裕すら残っていなかったはずの四人は何処までも走る。意味もない笑い声がスズラン市の夜空にすいこまれていった。




「素晴らしい……本当に素晴らしい」


 青年は、ディスプレイのみが照らす大きく暗い部屋で賞賛の声を上げた。


「出来の悪い奴らは廃棄、ソロソロあっち一筋に切り替えるか……」


 椅子からゆっくりと立ち上がった青年は、画面の電源を切らずに立ち上がると長い廊下を歩く。


 薄暗い廊下の突き当り。青年は壁の機械を操作して扉を開けた。


 巨大な空間が一気に広がった。円形に掘られた空間には人一人がすっぽり入れそうな機械が並べられていてその中央にはため池がある。


 大きな機械が鎮座するそのため池は不思議な光を放っていた。機会は水を吸い上げていてポンプが周りの機会に接続されている。そんな光景を前にして青年は笑った。


「魔法少女を語る化け物風情が……」


 機械のうちの一つが開いて真っ暗な何かがはい出した。真っ赤な目を持ったスライムのような生物はどこからか金属のような声を上げた。


「いけ……あいつらを殺せ」


 その生物は声を上げた。スズラン市の地下深く、ソレは再び動き出していた。








「この!」


「うぐっ!」


 鋭いこぶしがユウマの腹を貫いた。上等なカーペットの上に膝をついて、ユキムラは震えながら上を見た。


 薄暗い廊下のせいではっきりは見えないが怒りにゆがんだその顔はユウマが見慣れたものだった。


「なによ……その目は!」


 鋭いけりがユウマの体を転がした。


(ナイスシュート)


 心の中で余裕ぶっても痛みにむしばまれた脳はそれを口に出すことを拒絶する。相手を刺激することを拒む。


「ぅ……」


 女はユウマの髪をつかんで持ち上げた。


「あんたがこんないい家に住めているのは誰のおかげかしら?」


「……お姉さまです」


 その女はユウマの姉ではなく母親だった。しかしながら若くありたいと願うその女はユウマを生んだ後で母になることを嫌がった。母と呼ばれることを強く嫌う若作りした女はそれを聞くと満足そうに頷いた。


「そう。アンタみたいなゴミを巫女として祭り上げてバカな信者どもから金巻き上げて、アンタにもそのおこぼれを恵んでやってるの。なのに遊びに行って巫女だってバレかけた? アンタ自分の立場わかってんの!?」


「ぐっ!」


 答えられなかった。女がユウマを床に強くたたきつけたからだ。やわらかい絨毯に顔をうずめて、ユウマはかろうじてうなずいた。


「……ったく、このまま高校に行きたければ次からは気をつける事ね。あんたは神聖な巫女様なの、他人に普通であるところを見せてはいけないの……。あぁそうそう、来週の集会ではその髪もソロソロ売るから、せいぜい整えときなさいよ……じゃあ私はもう行くから」


 女はまくしたてるように言い終えると最後にユウマのほほを無意味にけった。ユウマに興味をなくした女は若々しい衣装に身を包んだまま形態を片手に外に出る。


 重厚な扉が占められた音が聞こえた。


「バカが」


 精一杯の抗議、ユウマはもうすでにいない女への罵倒を口の中で飲み込んだ。


 彼の暮らす家はスズラン市高級住宅街の一等地にある。彼に父はいない、正確には誰かわからないらしい。


しかしこれは女手一つで子供を育てながら身なりにも気を使い素晴らしい手腕で出世したキャリアウーマンの感動的な話ではない。


 その女はユウマを生んだ直後に死のうとしていた。何故かはわからない、しかしユウマは老けていく自分と子供の存在に後になって我慢ができなくなったのだと予想する。


 子供を殺して自分も死のうとしていた女はスズラン市の地下で神秘的な湧水を発見した。その水を偶然にも飲み込んだ女は驚愕した。年齢が若返ったのだ。信じられない話だが、その水には神秘的な力があった。


 すべての始まりは偶然、しかしそこからは必然だった。


 得体のしれぬ水はユウマが祈ることによって生み出すと、そういう話を作って立ち上げた宗教、ユウマはご神体として利用されたというわけだ。


 一週間に一度その水の中で祈る。それだけで信者は神秘的な水にあやかろうと湯水のように金を出した。


 ユウマの全てが法外な値段で取引されて、彼はただそこにいる事のみを求められた。


 十代後半ほどのまま若さを保つその女はユウマを散々利用して自分は遊び歩いた。


(あんなのでも、親ですから)


 どうにもならない環境への回想もそうそうにユキムラは立ち上がった。


「そっか、満足してるならいいと思うけど短くても似合うと思うぜ?」


 思い起こされるのは、自分を友達だと言ってくれたサヨの言葉。


「満足……俺には、そんなことをする権利はありませんよ」


 ユウマは一人、自虐的に笑った。月が輝く夜空の下、真っ暗な屋敷の片隅でユウマは誰にも届くことのないため息を落とした。






 夜のスズラン市はとても静かになる。ワクナーイの話が広まってきた影響か、暗くなると誰も外に出たがらない。


 静寂に落ちたスズラン市の堤防沿いこの雰囲気がユウマは嫌いではない。そこに至るまでの過程は住民の恐怖であるとはいえ静かな空間はユウマに一人であることを強く意識させる。彼は孤独が好きといった人間ではないが周りに人がいるのは嫌いだった。


 ユウマの周りには、生まれながらにして人がいる。しかしその多くはユウマ個人ではなく巫女という偶像を囲って祈っていた。


 それがユウマはたまらなく嫌だった。だから、学校でもなるべく友達を作らないように努めて周りに人がいない環境を作ろうとした。


 しかしその中でもユウマは新聞を作るのは好きであった。


 取り留めないことから重大なことまで、主に学校内で起きたことをまとめて張り出す。


 それが話題になる度に心の中で得意になった。それに人が集まっているのを見るとうれしくなった。それはきっと、ユウマが心のどこかで誰かと関わりたい、話したいと思っていたからだろう。


 遊びでしていたそれに、もっと面白さを求めだしたのはいつからだろうか? 信者の情報網まで使い魔法少女のうわさを集めてたどり着いたのはハレノ サヨという人物であった。


 最初はある程度話題を取集したら盛大に彼らの正体をばらしその元を離れるつもりであった。最初は魔法少女を利用しようとしていた。しかし今は……。


「はは、考えるだけで胸が痛みますよ……」


 ユウマは自虐的に笑った。そんなことができるはずもない。


「恋煩いか?」


 その声に、ユウマは思わずどきりとした。軽い口調の優しい声、振り向くとそこには


「ハレノさん……」


 意中の相手が立っていた。


「サヨでいいって。もしかして照れてるのか?」


 ジャージ姿のサヨは軽くそういうと人懐っこそうな笑顔を浮かべた。夜空の下、ジャージ姿すら様になるのだからこの少年はすごい。


 そんなよくわからない賞賛を浮かべながらユウマは軽く会釈した。


「こんな時間に何を?」


「ランニングだろ?」


「一人でですか?」


 いや。と首を振ってからサヨは後ろに視線をやった。同じくジャージ姿のツバキが後ろからかけてくる。


「あ、ユウマ君! こんばんは」


「えぇこんばんは……ツバキ」


 少し照れながら名前を呼ぶと、ツバキは満足そうな笑顔で頷いた。


「しかし二人でランニングとは、仲がいいんですね」


「ただのいたずらに走ってるだけじゃないんだぜ?」


「そう! パトロールだからね!」


 サヨとツバキが顔を見合わせて笑う。


「まじめなことですねぇ、さすがはこの街のヒーロー」


「なんだよ照れるだろ?」


「そうだよ! それに僕に関してはサヨちゃんを守りたいだけだしね!」


「仲良しですね……お二人は」


「まぁな! それに仲良しは俺ら二人だけじゃない。四人全員。そうだろ?」


 四人、その中にはサヨがいてツバキがいてレイジがいて、そしてユウマがいる。


 ユウマは、胸に何かが刺さったような感覚を覚えた。


(自分は……何なんだろう……巫女としても、ユウマとしても、自分は取り繕ってばかりだ)


 ユウマは二人に目を向ける。街灯の灯りが目に入って、すこしくらんでしまう。魔法少女、この街のヒーロー。


(真逆だ……)


 ユウマは、ユウマの祈りは誰も救わない。すべては何も知らない無知なるものから金銭を略奪するためにおぜん立てられた偽りの祈り。ソレは紛れもない邪悪だ。


「どうかしたか?」


「え、あ……いえ」


 ユウマはその場に立ち止まってしどろもどろに俯いた。暗がりの道路と明かりの境目がくっきりと見える。


「自分は……」


 ユウマが口を開きかけた時。ツバキとサヨの表情が変わった。


「!」


「ワクナーイ!」


「今……ですか?」


「あぁ……悪いが話はあとだな」


「待ってください!」


 走りだそうとした二人の背中を見て、ユウマはその場で静止した。


「俺も、連れて行ってくれませんか?」


 その表情には、激しい思いがこもっていた。




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