第5話 在り方は確かにヒーローで

「ただいま……」


 ツバキは音もたてずに扉を開けた。ツバキが暮らす家はスズラン市の住宅街にあるごく普通の一軒家だ。彼の叔母夫婦とその娘が暮らしている。温かい家庭だ。しかしその中にツバキはいない。


 自分の小さな両手を見つめる。この体は、事故から生還した時から成長していない。そもそも自分の生還は奇跡という言葉で片付ける事ができない程に異様なことだとツバキは自覚していた。


 いやいや自分を引き取った叔母には引け目を感じる、自分を見てため息をつく従兄弟や叔父にももう慣れた。しかし何よりもツバキは自分が何者なのかわからなくなっていた。


 暗い廊下にはリビングから光が伸びている。家族の談笑を遮らぬようにツバキは階段を上がった。


 長い廊下の一番奥。扉を開けた。そこはツバキに与えられた部屋だ。


 二畳ほどの空間に毛布が置かれた部屋。後はハンガーにかけられた服、床に置かれたかわいい少女のぬいぐるみと……自分小實の両親が写った家族写真、もちろんそこに映るのは自分だ。


 窓すらない空間で、ツバキは毛布の中で体を丸めた。人形を強く抱きしめて、まるで犬や猫のようにうずくまる。


「お父さん……お母さん……ぼく、どうしたらいいんだろ……」


 ツバキは誰かに肯定されたい、誰かに感謝されたいと願っていた。化け物なんかじゃない、ただの人間として、生きていてもいいんだと、肯定されることを願っていた。


(認められたいだけで彼も戦っているなら、僕が変わってもいいはずだ)


 寝苦しくなってきて寝返りを打つ。狭い場所で眠るのはもう慣れっこのはずなのに、その日は寝苦しくって仕方がなかった。




 それから数日が過ぎたある日の夜。ナイトは夜の路地を駆け抜けていた。ちらりと後ろを振り返る。彼を追うのは二足の獣、真っ黒な体、例えるならば人狼、ワクナーイだ。


 狭い路地に滑り込み、サヨはワクナーイをひきつけながら走り続ける。


『ギシャウッ!!』


 ワクナーイが吠えた毛むくじゃらの口元から鋭い牙が覗いている。ナイトはそれを視界の端でとらえるとそのまま後ろのワクナーイを上から殴った。狭い路地の中で走りながら行われる人間離れした攻撃にワクナーイは金属の板が引きちぎられるような音を立てて地面に転がった。


 しかし、その程度ではワクナーイは沈み切らない。地面を転がって立ち上がるとワクナーイは真っ赤な瞳をナイトに向けた。


 真っ赤な瞳をぎらつかせて、ワクナーイが走る。鋭い爪とキバで目の前の外敵を八つ裂きにするべくワクナーイがナイトを追いかけ名がら腕を振り上げた。その瞬間、狭い路地を抜けて広場に出る。


 月明かりが差し込んだ。終わりだ。とでもいうようにワクナーイが飛んだ。


 その体は、空中で真っ二つに切り裂かれた。


「ツバキ!」


 ナイトには月明りで作られた陰であろうとそれがだれか分かった。


 ワクナーイの残骸である煙すら引き裂きながらツバキは真っ直ぐな意図に向かって落下した。


 鋭い金属が重なり合った。


「ここで消えろ!」


「落ち着けツバキっ!!」


 力は互角、しかし、経験の差がその明暗を分けた。剣をそのまま受け流して、ナイトはツバキを地面に組み伏せた。


「いたっ……!」


「あ、わる……いやここで力抜いて反撃されるなんてことはぜってぇないからな? いいか、落ち着けツバキ……」


 最初は目じりに涙を浮かべてナイトを見上げていたツバキであったが徐々に荒い息がおちついていく。


 ツバキの衣装が光に包まれてほどけて数日前と変わらぬ姿に戻る。


 それを見届けたナイトもまたサヨに戻って立ち上がる。


 黒いシャツに白いズボン、レディースではあるがサヨにしてはシンプルな格好だ。


「一人でたてるか?」


「うるさい」


 ツバキは小さくそう言った。差し出された腕を払いのけてよろよろと体を起こす。うるんだ瞳でサヨをにらみ続ける。


「……オッケー。取り敢えず話そう……ここじゃあなんだし、俺の家でどうだ?」


 優しく促すと、ツバキは少し迷ってからうなづいた。


「よし、じゃあ行くか。こっちだぜ」


 サヨが歩き出すとツバキはそのほんの少し後ろを歩いてついていく。時刻は午後九時、歩く二人の間に会話はない、ゆっくり歩く二人の耳を指すのは虫の鳴き声だけ……ではなかった。


 遠くで鳴き声が聞こえる。少しあたりを見回したツバキが駆け出した。


「ちょ、ちょっと!」


 後ろからツバキが慌ててついてくる、あっという間に見えなくなったサヨにツバキは何とかして追いついた。


「そっかぁ……お母さんとはぐれちゃったかぁ……」


「うん……とまるばしょも、わかんなくなって……」


 少年がしゃがんだサヨに泣きながら語る。迷子の観光客といったところだろう。


 この子供を必死に探す母親の姿がふとツバキの中にちらついた、しかし、この子を助けたところできっと称賛は得られない。もしかすれば誘拐とあらぬ疑いを掛けられる可能性もある。


「よーし、じゃあ俺がお母さん一緒に探してやるよ!」


「でも……ぼく、おこられて、悪い子で……それで……」


 大方喧嘩でもして飛び出したらそのまま迷子になったとでもいったところであろう。


「泣くなよ。お前、お母さんのこと好きか?」


 頭を撫でられながら少年は無言でうなずいた。


「じゃあそれだけでもう十分いい子だ、よし! じゃあお母さんにこれ以上心配かけないようにこうしよう、俺と一緒にお母さんを見つけるまでの間に笑う。どうだ?」


 サヨは続けて優しく微笑んだ。少年が涙をぬぐいながらうなずいた。


「ツバキ! それでいいな?」


「え、あ……まぁ、別に構わない、けど……」


「よし、じゃあ行こうぜ!」


 サヨが少年の手を引いて立ち上がる、結局サヨは約一時間もかけて少年の母を探すとなんの見返りも求めず、去っていく親子にただ手を振った。


「どうして……」


「ん?」


「どうしてあなたはそんなにも誰かを助けようとするの? 見返りがあるかもわからなかったのに」


 ツバキが小さく尋ねるとサヨは腕を組んで悩み始めた。しばらく悩んで唸るような声を上げる。んーとたっぷりと悩み続けてサヨはやがて手をポンっとたたいてから答えを出した。


「なんだろうな。俺にもわかんねぇ」


 ニヤッとした笑みを浮かべながらそう語るサヨにツバキは開いた口が塞がらない思いに陥った。


「何それ、わけが、わからない……」


「まぁ、だろうな。俺がよくわかってないんだし……」


 曖昧な言葉だ。両手を頭の後ろで組みながら、サヨは空を見上げた。


「ただ……」


「ただ……なに?」


「俺、この街がすげぇ好きなんだ。身寄りのない俺を引き取ってくれたソウイチさんがいて、唯一血のつながった兄ちゃんがいて、幼馴染のレイジがいて、ツバキみたいなかわいいやつがいて、ああいう人たちが普通に生きてて、あとついでにユキムラみたいな奴もいる。このスズラン市が大好きだ」


「結局何が言いたいの?」


「俺はここが大好きだから、ここをなるべく守りたい。だから、スズラン市を土足で踏み荒らす化け物が許せないんだ……。この街を守って、でもそれが賞賛されるのは少し気持ちいいかなって……」


 すげぇいけないことだけどな。とサヨはツバキにはにかんで見せた。


「……守りたいって……この街がきれいだって……そう思うんだ。あなたは」


「サヨちゃんとかでいって」


「……」


「っと、いつの間にかこんな時間か……どうする? 取り敢えず俺の家来るか? 何なら泊まっていけばいいし」


「泊まりはしないけど一応行くよ。一応貴方とは話しておきたいし……」


「決まり。じゃあ行くか!」


 再び二人は歩き出した。サヨの家に向かって。




「友達か?」


 ずっしりとした声が響いた。


「おう、ツバキっていうんだ、先ずはお風呂って思ってるんだけどなるべく男っぽい昔の服とかあるかな?」


 ギャングのようにいかつい男とサヨのような少年が普通に言葉を交わす光景はツバキにはどこか異様に見えた。男、ソウイチに見下ろされるとツバキとしてもすくみ上って深々と頭を下げるしかない。


「探しておいてやる、せっかくだから一緒に入ったらどうだ?」


「あ、どう? それでいいかツバキ?」


「僕は、別にいい」


「決まりだな。それまでに用意しておくから行ってこい」


「りょうかーい」


「は、はい……!」


「……怯えすぎだろ」


 びくびくと震えるツバキを見てサヨは意地悪く笑った。


「だって……」


「言いたいことはわかる。でも凄いいい人だぜ」


 あの見た目で、とサヨは冗談っぽくそう言ったが、ツバキに言わせれば冗談じゃない話だ。


 自分の倍はありそうな男の威圧感は相当なものであろう。敵意を向けていたはずのサヨに体を寄せてツバキは歩く。


「あれ? お友達?」


「おう、兄ちゃん、ただいま」


 お兄ちゃん? とツバキの脳内は疑問で染まった。麗しい。そんな言葉がこれ以上ないほどにきれいな顔立ちの人物がそこに立っていた。


 どこからどう見ても大人びた女性だ。見た目も声も、サヨをさらに女性らしく成長させたような見た目。かなりの美人だ。


「こんばんは。私はアサヒといいます」


「アサヒさん。どうも……あ、えっと、ツバキといいます」


「ツバキ君ですねどうかよろしくお願いします」


「あ、こちらこそ……」


「よろしければゆっくりしていってくださいね」


 フワッと微笑み歩いて行くアサヒの背中を、ツバキはぼんやりと見つめていた。


「くそかわいいだろうちの兄ちゃん」


「え!? あ、え……?」


「はは、わかりやすいな本当に」


「うるさい……」


「ほら、風呂場こっちだぜ」


「うん……ほんとに一緒に入るの?」


「嫌か?」


「別に嫌ではないけど……」


 じゃあ行こうぜ、とほほ笑んで、サヨは脱衣所の扉を開ける。白を基調とした清潔感のある空間だ、曇りガラスの扉が風呂場への空間を仕切っている。


「服はそのカゴに入れといてくれ」


「あ、うん」


 サヨはシャツとズボンを脱いだ。


 淡いピンク色のブラとショーツがあらわになって洗面台の鏡に映る。


「うわっ!」


 ツバキが恥ずかしそうな声を上げて、両目を手で覆った。


「なんだよ……もしかして恥ずかしがってるのか……?」


「っ、べ、べつに……!」


 ツバキはハッとすると自分も服を脱ぎ始めた。古い布を脱いで細い素肌をさらす。その体には、傷の一つすらもない。


「へぇ、きれいな体してるな」


「褒められたってうれしくないよ」


 僕男だし、と付け加えるツバキを横目にサヨは下着を脱いだ。


「よーし。じゃあ早く入ろうぜ!」


 服を脱ぎ切ったサヨはツバキの背中を押して風呂場の扉を押し開けた。


 白い湯気が二人の細い体を包む。


「背中ながしあおうぜ!」


「自分を襲おうとしたろくでなしによくそんなこと言えるね……」


「まぁ、ツバキって根は悪い奴じゃないしな……」


「本気で言ってるの?」


 風呂場は、二人で入ってもまだ余裕がある程度の広さがある。ツバキの後ろに座ったサヨは自分の手で温度を確認してからシャワーを背中にかけた。


「ん……」


「あつかったか?」


「大丈夫」


 男とは思えない小さな背中をサヨはガラス細工をいたわるように濡らしていく。


 湯気が上がって互いの目から互いの体を隠した。


「にしてもほんとに肌スベスベだな……何かしてるの?」


「特に何もしてないけど?」


「えー! まじかぁ?」


 サヨの手がツバキの背中を這う。「ん……」と、くぐもった声をツバキが上げた後、チラッとサヨを見上げた。


「ん?」


「くすぐったい……」


「はは。わりぃ」


 笑いながらそう言うと今度はツバキにシャワーヘッドを握らせた。


「さ、今度はツバキが流してくれよ」


「あ、うん」


 サヨのなまめかしくすらある素肌をお湯が撫でる。ふぅ、と普通に息を吐く姿すら性的にすら見えるのだからツバキとしても気が気ではない。


(いや、僕は男の子に興味はないんだ……)


 自分に言い聞かせつつ、ツバキはある程度サヨの体を流し終える。


「よし、先ずは湯船つかろうぜ! 二人入っても余裕あるしよ」


「あ、う、うん……」


 促されるままに、二人で浴槽につかる。二人分の体積に押し出されてお湯があふれて排水溝に吸い込まれていった。


「ふぅ……やっぱこれだわ」


「おじさんくさいよ?」


「乙女にそれ言うか? あと少女がそんな言葉使うんじゃありません」


「男だよ。僕もキミも!」


「俺はどうだろうな? 試してみるか?」


「……やめとく」


「え!? なんだよそのリアクション、あれ? ユキムラからちゃんと俺が男だって聞いてるんだよな?」


「聞いてるけどそれとこれとは話が別なの!」


 顔をそらして湯船に波紋が広がった。


「えぇ、どういうことだよぉ……」


「う、熱くなってきたしもう体流していい!?」


 顔を真っ赤に染めたツバキが勢い良く立ち上がった。きれいな体を包んでいたお湯がするりと脱げる。


「えー。もっと話そうぜ~?」


 手で水鉄砲を作ったりして遊ぶサヨを無視してツバキは椅子の上に座った。


「あ、動かし方わかるか? ここをひねって……」


「あ、ありがと……」


 シャワーから再びお湯が出る。ばつが悪そうに頭を流すツバキを、サヨは浴槽の縁に手をかけて見守っていた。


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