第6話 人は彼を魔法少女カミリアと呼ぶ
「……」
ツバキは、自分の今の服装を無言で見下ろしていた。
袖口やズボン、背中までもを自分でくるくると見下ろす姿は新しい服を買ってもらった子供のようだ。
「えっと、どうしたんだ? 気に食わないか? その服」
「いや……むしろ、逆……」
ツバキが今着ているのは深い青を基調としたパジャマだ。大きめのシャツについているのは縦に四つ並んだ大きなボタン。それと同じようなカラーのゆったりとしたズボン。
彼が来ているのはサヨの兄であるアサヒが着ていたものだ。かなり昔のものであるはずだがツバキにはぴったりと似合っている。
「気に入ったってことでいいのか?」
サヨの確かめるような言葉をツバキは無言で頷いた。
「そっか! よし、それなら安心だ!」
サヨの唯一の懸念点はソウイチの少しずれたセンスであったがどうやらこけなかったようだ。いや、コレは……
(兄ちゃんのセンスだな……これはたぶん)
まだほんのりと湿った髪の毛をしたツバキの頭をやさしくなでる。
「子ども扱いしないでよ……」
「っと、悪いな」
慌てて手をどける。ちなみにサヨの今の服装はピンクを基調としたワンピースタイプのパジャマだ。湿った髪の毛にドライヤーの熱風を浴びせる。
ゴオォォォ。という音が濡れていたサヨの髪の毛を乾かしてサラサラのものに戻していく。
フワッとしたヘアオイルのにおいがツバキの鼻腔を刺激した。ぼんやりと洗面台横の壁に体を預けていた彼が口を開く。
「……」
「ん?」
「そ……?」
「え?」
「それ何?? なんかにおいするやつ!」
「あぁ、これな。ツバキも使う?」
ドライヤーにさえぎられていた声は何度目かでようやく届いた。ツバキが訝しげにヘヤオイルのボトルを見つめるうちにサヨの髪が乾いていく。濡れて束になっていた髪の毛が最後に風に揺れてふわっと広がった。
「別にいいや……ドライヤーだけ貸して……」
「もったいねぇ」
ドライヤーがツバキの手に渡った。サヨとは違い無造作に伸ばした髪の毛が熱風に揺らされて揺れる。
その間にもサヨはスキンケアを欠かさない。はたから見れば年の少し離れた姉妹にしか見えないであろう。
まるで家族のような時間がゆったりと流れていく。ドライヤーの音が響く空間に会話は生まれない、しかし、その無言はツバキにとって苦痛なものではなかった。
ソレはサヨにとってもである。
まるで家族のような時間がずっと続けばいいと。彼は心のどこかでそう願っていた。
「ま、ちょっと散らかってるけどゆっくりしてけよ」
とはいうもののサヨの部屋はかなりきれいだ。置かれた小物の影響で机はどこか手狭に思えるが、それ以外は壁にかけられた制服や、家具のカラーから女の子の部屋という風に見える以外は普通の部屋だ。
「綺麗だと。思うけど……」
「そう言ってもらえると嬉しいぜ。あ、そうだ、寝る場所一つしかないんだけどどうするよ?」
「床で寝るよ?」
「お客さんにそうするわけにもいかないだろ……」
「僕はあくまで君の……!」
「っ」「あ……」
二人の体に熱が走る。その感覚は紛れもなく……
「ワクナーイか!?」
「こんな時に……!」
遠くにワクナーイの気配を感じる。
「くっそ! 話の続きは後だ! 行くぞ!」
「うん……って! まって? もしかして窓から……」
「マジカルチェンジ!」
窓を開けて、サヨが叫んだ。光が彼の体を包み隠す。黒いスカートが風に揺らされてフワッと、花のようなにおいが広がった。
「ちょっと!」
ツバキの声が後ろで聞こえた。ナイトは屋根の上を飛び越えながら走る。黒い衣装をまとった影が風のように加速して走り去っていく。
反応が近い、目指すはCMタワーと呼ばれるこの街のシンボル付近の広場だ。一度歩道に降り立って、その場で強く踏み込んだ。体が空に向かって落ちていくように加速した。
『ギギギ……』
「待ちあがれ!」
そこにいたワクナーイは人に近しい形をしていた。
大きな体躯とそこから伸びる細くて長い腕、真っ黒な体毛に覆われたその姿を形容するならサルとでもいったところか。
「はやく逃げてください!」
ワクナーイは今まさに人を襲おうとしていた。怯える男女の二人組にはやく逃げるように促すとナイトは両手をだらんとさせて真っ赤な両目で自身を見下ろすワクナーイと対峙した。
「行くぜ!」
先ずはナイトが動く、自分の二倍以上はある怪物に向けて拳を振るう。小さな、それでいて鋭い一撃が体毛に覆われたワクナーイを打ち抜いた。
『ギ!』
と声を上げたワクナーイがよろっとのけぞった。
「おら!」
続けざまにワクナーイを横から鋭く蹴った。鞭のようにしなる、鉛のように重たい攻撃がワクナーイの体を薙ぎ払った。
『ガグ!』
大きな体が更に揺らいだ。
「まだまだ!」
大きくかがむ、強く踏み込むその予備動作。飛んだ。ワクナーイの顔の高さまで。強く握った手で、砕くようなイメージでワクナーイの顔を打ち抜く。
『ギャギィィィィイイイイ!』
大きな悲鳴を上げて、ワクナーイは吹っ飛んだ。
とは言ったもののそのワクナーイは空中で体をひねると長い両手を地面について、そのまま体勢を立て直した。
『ギィ! ギギギィ!』
両手をパチパチ鳴らすワクナーイは笑っているように思えた。
「あいつが今回の!?」
「おう、ツバキ、あぁ、サルっぽい見た目で結構丈夫だ。気をつけろよ?」
「わかってる……」
後ろから追いついてきたツバキに忠告する、それでもナイトに渦巻く不安は消えなかった。
横目でツバキを見つめる。ツバキの目は誰が見てもわかる程の狂気を帯びていた。両目をぎらつかせ、その視線の先にはワクナーイ。明らかに冷静ではない。
「おいツバキ、冷静さを……」
言い切る前にツバキが駆け出した。静止を振り切って走る。
「くらえ!」
虚空から取り出した剣を、大きく振りかぶる。ワクナーイの両足が切断された。
『グゥギギ……』
大きな体がバランスを崩して両手がつく。ツバキはその素早さを利用してワクナーイの後ろに回り込んだ。
「はぁぁッ!」
鋭い斬撃がワクナーイの体を切り刻む。
「強いッ!」
ナイトはそこで察する。彼は消して冷静さを失っているわけではない。至って冷静だ。
何が起きるかを完全に予測している。足を切り裂き斬撃を浴びせる、足が再生してきたならば今度はもう片方を。決して相手の間合いに入らないように続けざまにワクナーイを切りつける。
『ギギッギギ……!!!』
ワクナーイが悲鳴のような声を上げた。大きな体がうつぶせに倒れこんで体が。顔が石畳の上に倒れ伏す。
「ッ!」
ナイトですら動きを忘れるほどに一瞬の出来事。ツバキがワクナーイに連撃を浴びせるのにかかった。時間は僅か数秒であった。
「これで……終わり……!」
ゆっくりと、ツバキはワクナーイの丈夫な背中を踏みしめて首筋に刃を突き付けた。
「おい! 気をつけろ!」
寒気のような気配に突き動かされてナイトが叫んだ。それと同時にワクナーイの顔がグルッとねじれた。
体は、倒れこんだままに恐ろしい顔がツバキをにらむ。ワクナーイの口から。弾丸のように素早く石の破片が射出された。
至近距離から発射されたそれをツバキは体を横にそらすだけで難なく交わした。
「こんなのよゆ」
「後ろだ!」
ナイトがツバキを助けに入ろうとするより、ワクナーイの腕がありえない角度で曲がり、ツバキをとらえる方がわずかに早かった。
「ッ!」
『ギィィイイイイイイイ!!!』
「ツバキ!」
ワクナーイが体をはねさせて勢い良く立ち上がった。
「あぐ……ぅ」
ツバキの口から、あえぐように苦しそうな声がかすかに漏れた。ワクナーイは
自分の腕を飛び越えて逆さ釣りになったツバキと強引に目を合わせた。
『ギィ……』
「ひっ」
短く悲鳴が漏れた。真っ赤なぎらついた両目がツバキをにらみ、不揃いな牙が並んだ口が大きく開かれた。
「あぐ……」
ツバキを握る腕に大きく力が籠る。ミシミシという音は単なる空耳であろうか。違う。
「ツバキ!」
ナイトが飛んだ。剣がワクナーイの腕を切断するために空中を滑る。
『ギィッ!』
ワクナーイの腕が動いた。まるで子供の意地悪のようにツバキをナイトが到底届かない距離にまで持ち上げる。
「くっそ! こいつ!」
『ギギギギッギ!』
ワクナーイが笑っている。ナイトは再び飛び上がって今度はその頭に張り付いた。
「ツバキ!」
「ッ……」
朦朧とした視線がナイトに向く。
「今助けるぞ!!!」
聞こえているかはわからない、それでも叫ぶ。
「くそ! 離せ化け物が!」
ワクナーイの頭部に足をかけながら何度も踏みつける。
しかし、効果は薄い。
「ち、こんなことしてたらツバキがミンチになっちまう」
どうするべきか、その時、ナイトの目にワクナーイの腕が飛び込んできた。
(ここなら一発で切断できるか? いや、もしも仮にできなかったら……)
「あぐ……」
ツバキがさらに声を上げた。最早考えている暇などない。剣を握る、たった一点をめがけて刃を下す。
『ギィッ!』
鋭い音が響く。片手は鮮やかに切断されて力なく垂れた両手からツバキが落ちていく。
ワクナーイの頭を踏み台に落ちていくツバキを抱える。
『ギャァァァァアアアアアアアアア!!!!』
ワクナーイが勢い良く叫んだ。
「!」
再生した腕がナイトに迫る。かわし切れない。逃げられない。両手はふさがっている。足だけでは対応できない。
「ッ……! らッ!」
ナイトは、勢い良くツバキを植え込みに向かって投げた。消えそうな意識の中で、ツバキは助けられたことを自覚して目を見開いた。
「サヨちゃん!」
無意識のうちにツバキから漏れた言葉を聞いて、ナイトはかすかにほほ笑んだ。切り飛ばされた腕が煙になって消える。その煙が晴れたとき、彼の体は大きな腕につかまれていた……。
(どうして……?)
ツバキは必死に思案を巡らせる。わからない、彼の考えが。
どんなに考えようともまるで雲をつかむように答えは隙間をすり抜けてどこかに消えていく。
(わからない)
靄のかかった頭はまともには働かない。そんな状態では到底答えにたどり着けようはずもない。
「どうして僕を助けたの……?」
体を起こす。彼を包む衣装はいつの間にか消えていた。
視界に映るのは月の光をあびるワクナーイ。
「た、助けなきゃ……」
本当に助けていいの?
「え……?」
ツバキは立ち止まった。街灯に作られたおぼろげな影が輪郭を帯びていく。
彼を見捨てれば、貴方が正真正銘唯一の魔法少女……。
ドクンと心臓が跳ねた。木々のざわめきが消えて、ツバキの目には何もかもが止まって見えた。呼吸が自然と浅くなる。
「みす、てる……」
唯一の魔法少女にあんなになりたがってたじゃん。誰からも羨望を向けられて、誰からも愛されて、誰からも認められる……そんな存在に、貴方はなりたいんでしょ……?
「……」
だったら彼をここで見殺しにすればいい。大丈夫、さっきは油断しただけ、次はあなた一人でやれる。
「……」
ごくりと、生唾がのどを通った。
あんな奴、見捨てたってかまわない。それよりももっと多くの人を救えば、あなたはきっとこの街の英雄になれる……お父さんとお母さんも天国で喜んでくれる……さぁ。
(あんな……奴……?)
さぁ……。
「違う……」
ゆっくりと口を開く。
「あの人は……こんな僕まで救ってくれた……見殺し……違う。そんな……ことは……できない……ッ!」
ツバキの体から真っ白な光が漏れた。
じゃあどうするの?
声は、優しく笑っていた。ような気がした……。
「決まってる……! 戦って……サヨちゃんを助ける!」
輪郭を持った影がほどけていく。真っ黒な影は真っ白な光に。止まっていたかのようにゆっくりだった時が動き出す。
「すぅ……マジカルチェンジ!!」
いつの間にか装着されていた指輪を勢い良くたたく。
煌々とした純白が、ツバキの体を包み込んだ。来ていた服が変わっていく。靴は透明なヒール。衣装は真っ白なドレス、まるで童話に出てくるお姫様。髪は白く、長く伸び、花をあしらった装飾がそれを高い位置で一つにまとめ上げる。
最後にドレスに花が咲いた。薄い桃色の花の種類は椿、美と愛を関するその花をあしらったドレス。
ツバキが『魔法少女』に変身した。
『ギ……!』
ワクナーイが片手を握ったままツバキを見つめた。真っ赤な瞳が驚愕とともに開かれる。
「僕は……戦う……自分のためじゃない……サヨちゃんみたいに誰かのために!」
ビュオウと吹き抜けた風がツバキのドレスを揺らした。
『!?』
その瞬間、起きた出来事にワクナーイは目を見開いた。いない。魔法少女はどこへ消えた? その答えは、すぐさま空から返ってくる。
月光を浴びながら魔法少女が腕を振り下ろした。強烈な光の束がワクナーイの腕を肩の根元から吹き飛ばす。金属音のような声を上げる間もなく長い腕が空を舞い、魔法少女はなげだされたナイトを空中で抱き留めた。
「ッ……ツバキ……? おまえ、その姿……」
苦しそうに言葉をつなぐナイトを芝生に寝かせてその魔法少女は告げる。
「ツバキ……違う、今の僕は……魔法少女……カミリアだ!」
堂々とした宣言。魔法少女カミリアはそれと同時に溢れ出る光の中から銀色の武器を取り出した。
細い刀身のそれの名前はレイピア。カミリアによくあった武器だと、どこか追いつけない思考の中でナイトは思った。
月光が反射して、鋭くワクナーイに突き刺さった。
レイピアが揺蕩うように揺れて空気が揺れた。ワクナーイとカミリアが睨みあうのを、ナイトは少し後ろから見守っていた。
「いざ!」
『ギュシャァァァァアアアア』
ワクナーイが大きく叫び、カミリアが消えた。
先ずは背中を刃が薙ぎ払う。続いてワクナーイの腹筋が鋭く引き裂かれた。目にもとまらぬ速さで何度もワクナーイが引き裂かれる。
『ギガギャアァァァァッ!!!』
大きくあけられた口に光の塊がぶち込まれて大きな爆発が起きた。ワクナーイの体がゆっくりと後ろに引っ張られてゆき大きく音を立てて倒れる。
「サ……ナイト!」
「おうよ! カミリア!」
黒と白、二人の魔法少女が並び立った。白と黒の光がそれぞれ二人を包む。木々が揺らされる、風が吹き荒れる。二人が大きく飛んだ。
「ナイトインパクト!」
「マジカルストライク!」
二つの光がワクナーイの体を射抜く。大きく風が吹いて、ワクナーイの体が煙となって消滅した。
「はぁはぁ……」
「……」
息を荒くしながら、二人が顔を見合わせた。ツバキとサヨ。玉のような汗をかいた互いの顔を黙ってみるうちに、自然と笑いがこみ上げてくる。
「フッ……ハハハ!」
「フフ……なんで笑ってるの……?」
笑いながらツバキがサヨに問いかけた。
「なんでって言うならツバキも……って、そう言えばさ! さっき俺のこと!」
「あ……」
にんまりとして問い掛けるサヨをみてツバキは慌てて顔をそらした。
「なぁ! 今さっき……!」
「あ! お風呂! 汗かいたしもう一回シャワー浴びたいな!」
「おい! なぁツバキ!」
「もう! いいでしょ……サヨ……ちゃん」
「ッ--!」
「早くもどろ!」
「泊っていくのか?」
「ダメなの?」
「ダメなわけないだろ! よーし! 早く帰ろうぜ!」
二人は夜の街を二人で歩く。
楽しそうに歩く二人の背中は月明かりに照らされて明るく見えた……。
「素晴らしい……」
ある青年が、二人の背中を眺めながらつぶやいた。
「実に、実に順調だ」
青年は笑った。暗い影の中で青年が座るのは真っ黒な生命体であった。その生物は二人を見て金属をこすり合わせたような鳴き声を上げた。
「いずれまた」
スズラン市には明らかな闇がある。その闇に二人は気が付かない。
悪意は常に世界にあって、それに気が付いた時にはもう既に取り返しがつかない場所にいる。
青年は邪悪な笑みを口元にたたえた。
「サヨ、ツバキ」
青年はいとおしそうに呟いた。
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