第3話

 状況的にまずいと思ったんだろう。ジャックの手が僕から離れる。解放され慌てて息を吸い込んだせいで何度かむせた。現実世界の僕の体には影響ないとは聞いてたけど、つまりウィリアムの体にいるうちはちゃんと苦しいし痛いのだ。そこまで説明して欲しかったとネールを見ると、彼女は得意げな笑顔で頷いていた。


「待ってください刑事さん。俺は何も……」


 ジャックは人の良さそうな顔に戻っていたけど、先程の会話を刑事さんたちも全部聞いていたのだろう。口髭の刑事さんが険しい顔でジャックの両手を掴んだ。


「次は妹のネールを刺してやる……。まるで、先に誰かを刺したような言い方ですな?」

「ち、ちがう、俺は何も……」

「ウィリアムさんとメイドは鍵のかかった部屋にいましたが、実のところこの屋敷には合鍵も存在しているようで。あなたも最初から容疑者なのですよ。先ほどの発言がある以上、署で話を聞かなければなりませんな」

「俺じゃない! ウィリアムがやったんだ!」


 ジャックがそう叫び、刑事さんの手を払って逃げようとする。かなり強い力だったのか、刑事さんは突き飛ばされて床に尻もちをついた。ただ、彼が走り出すよりも先に女の刑事さんが動いた。ジャックの服を掴み、二回りくらい大きなその体を軽々背負い投げしたのだ。


「ハンナ、すまない。怪我はないかい?」


 刑事さんは慌てて立ち上がって、ハンナと呼ばれた刑事さんの元へ行こうとする。ちょうど刑事さんの後ろに立っていたから、彼女の恐ろしい顔がよく見えた。


「バートンさんはいっつも気取りすぎなんです! あんまり危ないことしないで!」

「ふーむ、気取ってるつもりはないのだけど……すまなかった。ありがとう」

「分かればいいんです。さぁ、ジャックさん、あなたを署まで連行します。暴れるのなら容赦しませんよ」


 ハンナの言葉にジャックは観念したようだった。抵抗せずに後手に拘束される。ただ、手錠じゃなくて見えない縄みたいなもので縛られているようだった。魔法の国では手錠は使わないらしい。


「さて、ウィリアムさん。騒がしくして申し訳ない。もちろんあなたの無実が証明された訳ではないのでまた話を聞きに来ますよ。できれば今日みたいに素直に話をしてほしいものですなぁ」

「あ……はい、努力します」

「おやおや! あなたに敬語を使われる日が来るとは! さてさて、これは何かの前触れですかねぇ。またお会いするのが楽しみですな。では、ウィリアムさん、ネールさん、私は失礼します」

「さよならバートンさん、ハンナさん」


 何も言えずにいる僕のかわりに、ネールが刑事さんたちを見送る。ジャックは最後まで悔しそうに文句を言っていたが、玄関の扉が閉まるとそれも聞こえなくなった。


「うん、アドリブにしては上出来だったわ」

「全部一人でやるなんて聞いてないよ! 死ぬかと思ったんだから」

「でもあなたのおかげであっさり真犯人があぶり出せたわ。凄いじゃない、ユート!」


 大人みたいに落ち着いていたネールが目を輝かせている。女の子に凄いって言われるのは素直に嬉しかった。危ない目にあったっていうのに、まぁいいかと思えてきた。


「確かに従兄のジャックは怪しいと思っていたけど……まさかあんな強硬手段に出るとは。あなたが急に罪を否定してかなり動揺したのね。あんなふうに大声で無実を主張するんだもの。私もびっくりしたわ」

「どうして刑事さんと部屋の外にいたの?」

「誰もいない部屋にあなたを連れて行っていたから変だと思ったの。で、刑事さんたちに『お兄ちゃんが危ない!』って言って連れてきたわけ」

「もう少し早く来てほしかったなぁ」

「だけど、あなたが頑張ってくれたおかげで真犯人は逮捕されたも同然よ。ありがとう、ユート」


 ネールが僕に手を差し伸べる。戸惑いながら手を伸ばすと、力強く握手された。握手だなんて大人の真似事でしかやったことがない。いつもやらされている感しかなかったのだけど、この瞬間僕は握手の本当の意味を理解した。言葉にするとすごくクサい『信頼』ってやつを、こうして無言で伝え合うためにあるのだ。大人が握手するのって、結構クールなことなんだね。


「ねぇ、どうする?」


 声をかけられて、僕はハッとする。ネールが何を訊ねているか分からずに首を傾げると、彼女は微笑んだ。


「もう帰る? それとも魔法の国を見て回る?」


 思ってもみない提案に、僕は目を丸くした。もちろん答えはイエスだ。


「返事は聞かなくても分かるわ。じゃあ、行きましょ。案内してあげる」


 僕はネールとともに、大きな玄関から飛び出した。眼下に広がる色鮮やかな建物ですら、魔法のように思えた。

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