第2話
驚くべきことに、僕は魔法の国に魂だけを連れてこられたらしい。この体の持ち主……金髪のカッコいいお兄さんは、僕を異世界に連れてきたネールのお兄さんだそうで、確かに二人はよく似ていた。特に目なんかそのままコピーしたみたいだ。
お互い向き合った状態で床に座り込み、彼女は色々教えてくれる。
「魂だけ連れてきたって言ってたけど、向こうの僕は死んでなんかいないよね?」
「もちろんよ。でも、こっちにいる間は動けないから、周りには眠っているように見えてると思う。その体で怪我しても、元の世界のあなたには影響ないから安心して」
「きみのお兄さん、ウィリアムはどうなるの?」
「もちろん死ぬほどの怪我をすれば、死ぬわ」
「ええ? 責任重大じゃないか。ゲームみたいに蘇ったりしないの?」
「ゲームみたいに? ばかね、死んだ人は生き返らないわよ」
「いや、ゲームって、ゲームだよ」
たぶん、この世界にゲーム機なんてものはないんだろう。少し驚きだけど、魔法を使う方がゲームをするよりも楽しそうだから、当然なのかもしれない。
「とにかく。時間がないから手短に話すわ。あなたはこの世界では、ユートじゃなくてウィリアム。そしてその妹の私。私たちフェニックス家はとってもお金持ちで、街の人達をも従える力を持ってるのね。簡単に言えば、フェニックス家の人達が好き勝手にやっても、誰も文句言えないってこと」
「きみの家って感じ悪いね」
「たとえよ! 実際に好き勝手やってるわけじゃないわ。……今はね」
「つまり、これから好き勝手にするかもしれないってこと?」
「ええ、このバカ兄貴のせいでね」
指さされ、僕は一瞬戸惑うけど納得した。今の僕はネールのお兄さん、ウィリアム・フェニックスだ。
「じゃあ、僕……ウィリアムは悪者?」
「というより、悪者に利用されてるのよ」
「じゃあ良い人だ」
「どうかしら。利用されることに気づかない、愚かな人よ。乱暴者だし。とにかく、そんな兄が利用されないように、賢者を召喚するつもりだったんだけど、あなたが宿ったというところ」
「賢者って……待って、ゲームで知ってる。頭が良くて魔法も上手な人だよね」
「まぁ、そうね。でもこうなった以上、賢者じゃないユートにも協力してもらうわ」
ネールは切羽詰まってるようだけど、僕はワクワクしていた。魔法の国に来られたら誰だってそうじゃない? とはいえ、RPGみたいに動き回れるわけじゃないみたい。少なくとも、ネールのお願いを聞かないことには僕に自由はないようだった。
「何をすればいいのかな?」
「そうね。まずは身の潔白を示すこと。つまり、無罪を証明するということね」
「無罪? ええ、僕って逮捕されるの?」
「このままだとね。なんの容疑か知りたい?」
返事のかわりにうなずいた。ネールはあっさり答える。「殺人」
「ごめんなさい、未遂だからまだ誰も死んでないわ。殺人未遂ね」
たぶん、僕の顔が真っ青になったことを気の毒に思ったんだろう。ネールは慌てて訂正する。鼻の穴から大きく息を吸い込んだ。驚きすぎて息が止まっていたらしい。
「もちろんウィリアムは犯人じゃない。人殺しなんかできないもの。でもね、彼は自分が疑われているのに否定しないのよ。元々カッコつけたがりだから、刑事さんたちの話も真面目に聞こうとしなくて。だから今日、まともに話ができないのなら逮捕される予定よ」
「待って、もしかして僕が刑事さんと話をするの?」
「ええ。でも、難しいことは考えなくていい。ただ、『犯人じゃない』とはっきり言えばいいの。その言葉があれば、今はまだ逮捕は免れる」
「一体どんな事件……」
まだ聞きたいことだらけだったけど、部屋の扉がノックされて話は強制終了になった。ネールは小声で、「オレはやってないって言うのよ」と念を押して、部屋の隅に隠れる。置き去りにされたまま途方に暮れていると、また扉がノックされた。
「ウィリアム。刑事さんたちが来たよ。お願いだから、今日はちゃんと話を聞くんだ」
扉の向こうから声がする。男の声だ。どうするべきか戸惑っていると、扉のほうが先に開く。現れたのはウィリアムよりも歳上に見える男の人だった。茶髪で、タレ目の優しそうな顔をしている人で、少しホッとする。
「こ、こ、こんにちは」
「ふざけてる場合か。まったく、しっかりしてくれよ」
困ったような顔でそう言われ、僕はごまかすように笑いながら男の人についていく。部屋を何度か振り返ったけど、ネールは付いてこないようだった。まさか一人でなんとかしろというのだろうか。まだこの世界の事も知らないのに、無責任だ。
緊張してお腹が痛くなってきたけど、ネールの言う通りフェニックス家のお屋敷は見事なもので心が踊った。階段を降りていく間にもいくつもの扉を見かけたし、巨大迷路並みに広いんだろう。床にはふかふかの絨毯が敷き詰められていて、踏みしめる感触が気持ちいい。部屋の中も花の匂いが漂っていて、前に家族で旅行したときに泊まったホテルよりも豪華な置物が至るところに並んでいる。こんなところに住んでいるなんて羨ましい限りだ。
「やあ、ご無沙汰しております。ウィリアムさん」
屋敷の中でもひときわ大きな扉の前に、口ひげをはやしたおじさんと、背の高い女の人が立っていた。たぶん、あそこが玄関だろう。ということは、あの二人がネールの言う刑事さんだ。
「何度も申し訳ない。だが、今日こそ話をしてくれなきゃ、我々もあなたを逮捕しなくちゃならない。一番の容疑者が、罪を否定しないのですからな」
「刑事さん、話は応接間でいいですか」
「これは失敬、ジャックさん」
僕と一緒にいるこの男の人は、ジャックと言うらしい。ウィリアムとの関係性はまだ分からない。
ジャックは刑事さんと僕を応接間へ案内する。部屋に入って驚いたけど、すごぶる天井が高い。高級そうなテーブルと椅子が並んでいて、そこに座るように促された。
「さて、ウィリアムさん。最後の確認ですぞ」
刑事さんの優しい表情が強張った気がした。というより、この中で僕が一番緊張しているのだろうけど。こっそり部屋を見渡したけど、やっぱりネールはいないみたいだ。
「あなたはフェニックス家のメイドの背中を、持っていたナイフで突き刺した。凶器のナイフはあなたのもので間違いないことは既に確認済みです。護身用として、いつも見せびらかしていたようですな」
メイドの背中をナイフで。頭の中で繰り返しても現実味が湧かない。紛うことなき殺人未遂じゃないか。僕の顔はまた真っ青になったに違いない。
それにしても、護身用のナイフを見せびらかすなんて、今時の中学生だってやらないのに。でも、ウィリアムがやればカッコいいのかもしれない。
「事件当初、メイドはキッチンで掃除をしていて、何者かに殴られ気絶したと証言している。そして背中にナイフが刺さった状態で、あなたの部屋で発見された。鍵のかかったその部屋の中にはあなたも眠っていたそうだが、あなたがメイドを刺したんですか?」
全員の視線が僕に注がれる。中学に上がってからというものの、注目されることが嫌になっていた。前はみんなのことを笑わせるのが好きだったのに、なんだか悲しくなる。今も例外じゃなくて、僕は思わず唾を飲んだ。逃げ出したくなって顔を背けると、近くのガラス製の棚に、僕の姿が映っているのが見えた。
なんてこった、僕はいま、金髪のカッコいいお兄さんじゃないか。
椅子に座ってるだけでモデルみたいで、焦っていてもその表情はクールだ。こんな人が、何を恐れるというんだろう。
僕はテーブルを両手で叩いて立ち上がる。腹の底から力が湧いていた。
「犯人は僕じゃない!!」
瞬間、応接間はシンと静まり返る。僕以外の全員が驚いて口を開けていた。僕は挑発するようにみんなを睨みつけ、もう一度静かに言った。
「僕は犯人じゃないよ。何もやってない」
「僕?」
ジャックが不思議そうに言ったので、慌てて言い直す。「オレはやってない」
「おやおや、驚いた。あなたは最後まで何も言ってくれないかと思いましたが……。いいでしょう。では、あなたが部屋で眠る前にどこにいたか、詳しく聞かせてもらいましょうか」
刑事さんは口髭を撫でながら嬉しそうに言う。追い詰めてやろうって魂胆なのかもしれないし、単純に僕が無実を主張して嬉しいのかもしれない。とはいえさっそくピンチだ。僕は事件の日にウィリアムが何をしていたかなんて知らないのだから。
「ええと、その日は……」
「ちょっと失礼!」
僕の言葉をジャックがさえぎる。助かったけど、なんだか彼の様子がおかしい。戸惑っていると、ジャックは引きつった笑みで立ち上がった。
「刑事さん、すみません。彼、朝から動揺してて。ちょっと席を外しても?」
「まあ、いいでしょう。確かにウィリアムさんはちょっと興奮してるみたいですからな」
刑事さんは口ひげを撫でながら言う。女の人はずっと黙ったままだ。とにかく、僕も困っていたから都合がいい。ジャックの後を追って応接間を出た。彼は階段を登って、どこかの部屋に入る。そこは立派な子ども部屋くらいの広さはあったけど、どうやら物置にされているような部屋みたいだ。
扉が閉まる。てっきりキッチンに行って水でも飲むのかと思っていたから戸惑っていると、突然ジャックから胸ぐらを掴まれ壁に押し付けられる。漫画や映画でしか見たことのないシチュエーションに僕は驚いて言葉を失った。
「ウィリアム? 突然どうしたんだ。いつものきみらしくないじゃないか」
「ど、どうしたって……犯人じゃないって言ったこと?」
「そうだよ! 素直に刑事と話をしようとするなんて、一体どうしたんだ?」
確かに、今のウィリアムはいつもの彼じゃない。おそらく、刑事さんに無罪を主張したことがジャックにとって信じられないことなんだろう。だからといって、ちょっと力を入れすぎなきもするけど。だんだん苦しくなってきた。
「そ、そうしないと、無実なのに逮捕されるって」
「そうだよ、そのはずだったのに。なぜ今になって否定するんだ? いいかウィリアム。刑事と話をするな。お前が逮捕されれば全てうまくいったのに」
人の良さそうだった彼の表情は変わり果てていて、憎しみのこもった瞳が僕を睨んでいる。正直、大崎を相手にするよりもずっと怖かった。なんていうんだろう、つまり命の危険を感じるってこういうことなんだ。
「お前は逮捕され、そして従兄である俺がフェニックス家の財産をもらうんだ。もうこっちは殺人未遂まで犯したんだ。今更引き下がれるわけないだろ? 手段は選ばない。いいか、お前が罪を認めないなら次は妹のネールを刺してやる」
「ま、待ってよ! つまりあなたが犯人ってこと?!」
「聞こえなかったか? きみが犯人だって言うんだよ。いいな、ほら言ってみろ」
ぎりぎりと音がなりそうなほど強く壁に押し付けられる。痛みもだけど、ジャックの表情と声が恐ろしくて足がすくむ。ウィリアムの体は僕より大きいけど、ジャックの体はもっと大きい。力じゃ敵わないことは明らかだった。
「そこまでです!」
大きな声とともに扉が開いた。現れたのは刑事さん二人と、その後ろにネールが見えた。ようやく登場か。
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