フェニックス家の魔術師

ふるやまさ

第1話


 中学校に上がった途端、僕の生活は劇的に変わった。劇的って、つまり、物語の超展開っていう意味だと思うけれど、とにかく、大きく変化したという意味だ。もちろん、悪い方にね。

 その原因のほとんどは、大崎という不良男のせい。小学校が違うからよく知らなかったけど、登校初日に学生服のボタンを全部開けたままやって来たのを見て、こいつとだけは仲良くなれないなと思った。そんな気持ちが伝わったのかは分からないけれど、大崎もまた、登校初日から僕に絡んできた。


「こいつの制服ダボダボだな! だっせー!」


 小学校の頃は気にもしなかったけれど、大崎の言う通り、同級生の中でも僕はずっと体が小さかった。でも、これから成長期だなんだっていう理由で黒色の学生服はずっと大きい。ぐっと両手を伸ばしても手の平が隠れるくらいで、ズボンも横幅が余ってしまっている。まるでダンボールで作ったロボットみたいな、そんな感じ。気にはなっていたけど、大崎のせいで死ぬほど嫌になった。

 それからは僕が教室に入るたび、みんなくすくす笑うんだ。僕は小学校の頃よくふざけたりする方だったから、それを知っているみんなはわざとこんな制服を着ているんだと思ったんじゃないかな。僕を知らない子たちは馬鹿にしていただけだけど。つまり、クラスのみんなが笑っているというわけ。最低だよね。


「こいつ頭わっるー! みろ、小テスト1点だって!」


 更に悪いことに、僕は英語が苦手だった。更に更に悪いことに、英語の先生は毎回授業の度に小テストをする。自分の名誉のために言うけれど、小テストは5問5点満点。100点満点なら、20点は取れた計算になる。それって充分じゃない?

 だけど、更に更に更に悪いことに、1点の答案用紙が大崎に見つかった。僕から取り上げて、見せびらかすようにして手を振り回す。僕は目の前がチカチカするほど恥ずかしくなって、慌てて大崎の腕に飛びかかった。「やめろ」と言ったような気がする。本当はふざけて笑い飛ばしたかった。1点? わざとに決まってるじゃん、とかね。でも僕はこらえることが出来なかった。余裕なんてものはなく、恥ずかしさと怒りでいっぱいいっぱいだった。そして僕の手が大崎の頬を少し引っ掻いて、それにキレたあいつに突き飛ばされたというわけ。


「いいか、仲良くやれよふたりとも」


 驚くべきことに、僕は大崎と一緒に担任の先生に注意された。職員室に呼び出されたけど、お互い怪我もないとして話は10分くらいで終わった。それはいい。だけど、どう考えても大崎だけが悪いのに、どうして僕も注意されたのか。

 衝撃的だった。先生は頭がいいから先生というわけじゃないらしい。そうして呆然としたまま職員室を出ると、大崎に肩を軽く殴られた。


「てめー、覚えてろよ」


 言われなくとも、この理不尽な日を僕は一生忘れないだろう。もしタイムマシンで1回だけ過去に戻れるとしたら、迷わずこの日のことをなかったことにしたいと思うのに、僕はこの日のことを一生忘れない自信がある。その後は誰とも話さないまま、家に帰った。

 知ってる? カギっ子って。僕もそう。両親はどちらも働いていて、家に帰っても誰もいない。家に入ると迷わず洗面所に向かった。手洗いうがいって大切だものね。でも、僕はお風呂場に入った。壁に立てかけてあった洗面器を床に倒して、シャワーの水をたっぷり貯める。その中に、迷わず顔を突っ込んだ。


「ゴボゴ!! ゴボゴボゴボ!!!」


 くぐもった音と、空気が口から飛び出していくポコポコという音だけが聞こえる。思い切り叫ぶつもりだったんだけど、あまりにも水が冷たくて、先に「冷たい!!」って叫んだ。とにかく、苦しくなるまで水の中で叫び続けた。ここはチンタイなのよって、母さんがよく言っていた。だから静かにしないとねって。それでも叫びたいときは、こうするわけ。どうでもいいけど、チンタイって、変な響きだって思うのは僕だけかな。


「ブクブク!! ゴボゴボゴボ!!!」


 肺の中の空気を吐き出し切って、ようやく水から顔を出した。ぜいぜいと呼吸をしばらく続けて、水をそっと流す。一番虚しい時間。濡れた顔をタオルで拭いたけど、前髪からポタポタ水が落ちてくる。それを制服の裾で拭いながら自分の部屋に入った。

 カバンを床に投げて、ベッドに仰向けになる。4月になって日が暮れる時間も遅くなったから外はまだ明るい。しばらくじっとしていても外は明るいままだった。何も起きないし、何も変わらない。こうしている間にも明日は迫ってくる。「覚えてろよ」、大崎の声がした。なんてことだろう、僕はあの男が怖いのだろうか。腹が立っているのに、明日教室に行くのが怖い。もう何もしたくないし、どこへも行きたくない。僕は逃げるように目を閉じた。そのまま時間が止まってしまえばいいのに。

 なんだかヤケになって、両手両足をめいいっぱい伸ばす。どうして僕はチビでひょろひょろなんだ! 母さんはよく言う、すぐに大きくなるわよって。大人が言う「すぐ」って、一体いつの話なんだろう。少なくとも僕が言う「すぐ」っていうのは、言葉通り、「今すぐ」ってことだよ!


 どっかーん。なんだかとても幼稚な表現だけど、まさにそうだった。体の奥にあったダイナマイトに火がついて、爆発した感じ。でも、音は聞こえなかった。魚が陸に上がってビチビチ跳ねる、あんなふうに僕の体も1回だけびっくり跳ねる。あまりの衝撃に一瞬息が止まったけど、目を見開くのと同時に大きく息を吸った。


「どうやら成功したようね」


 突然上から女の子の声がして僕はパニックになる。まずい、きっと鍵を締め忘れたのだ。早く起き上がって逃げなければ、そう思って体を動かそうとしたけれど全く動けない。そこで気づいた。いつの間にか僕は両手足をどこかに繋がれていた。なんてことだろう、たぶん宇宙人の仕業だ。僕は宇宙船に乗せられて、これから実験台にされるんだ。


「誰かタスケテぇ!!」


 ひっくり返った変な声が出た。ちょっとガラガラしていて、僕の声じゃないみたいだ。だけど、今はそんな事を気にしている場合じゃない。両手足を力いっぱい引きながら、拘束から逃れようとする。


「ちょっと、落ち着いて! 静かにして!」

「いやだ! 殺される! 助けて!」

「もうっ、やっぱりうまくいかなかった……!」


 女の子は頭を抱えているようだった。暴れている僕のことなんて興味ないように、大きなため息を吐くと、無言で手足の拘束を一つずつ解いていった。拍子抜け……というと変だけど、どうやら実験台にされるわけではないと分かって暴れるのをやめる。見ると、女の子は僕と同い年くらいだった。金色の長い髪をツインテールにしていて、瞳はなんと青色。外国の女の子だろうか。いや、きっと宇宙人だ。恐る恐る上半身を起こして、じっと彼女を見つめる。


「最悪だわ。賢者じゃなくて、おこちゃまが宿ったのね……。一応確認だけど、あなたの名前は? いつの時代の子かしら」

「ぼ、僕は秦野勇斗はたのゆうと。北中の一年だけど……」

「ハタノ・ユートね。キタチュウって、この世界の暦じゃないわ。あなた異世界の子どもなの?」

「異世界? いや、僕は地球の子ども。それで、きみは火星人?」

「カセイジン? 違うわよ。ヒト族のネール・フェニックス。ここはウラノスという国なのだけど、知ってるかしら?」

「知らないけど、それがきみの星の名前?」


 全く話が噛み合ってない時ってどうもイライラするけど、僕は宇宙人との会話で興奮していたからなんてことはない。だけど、ネールと名乗った女の子の方は次第に腹が立ってきたんだと思う。眉根を寄せて、もううんざりって顔をしている。


「これ、見てくれる?」


 ネールは近くの棚から鏡を取って、僕に向けた。まずい、催眠術か何かだ。あまりにも突然だったからしっかりと鏡を見てしまう。気をしっかり持つんだ優斗! そう言い聞かせたけど、何かおかしいことはすぐに気づいた。鏡に映ったのは僕じゃなかったんだ。サラサラの金髪、青い大きな目。ツヤツヤした白い肌。映画に出てくる主人公みたいな美少年が映っている。


「だれ? うわ、僕とおんなじ動きしてる。これどういうトリックなの?」

「違う。映ってるのはあなたよ。厳密に言えば、あなた」

「中身? つまり、見えてるのは僕の姿……って、このカッコいいのが僕?!」

「そうね、見た目だけなら一流よね。私の兄、ウィリアム・フェニックスの中にあなたはいる。召喚魔法であなたの魂を兄に宿したの」

「わーお……」


 人って本当に「わーお」なんて言うんだね。でも、このときの気持ちを表すのにはピッタリだった。まさに、わーおって感じ。頬を両手で挟み込んだり、眉毛を上下させたり、いくら変な顔をしてもカッコいいのだもの。


「とにかく、こうなったら仕方ない。ユート、あなたに協力してもらうわ。私の兄になりきって、言う通りに行動してほしいの」

「ま、待って待って。僕の家で何をするって言うの?」

「ここはあなたの家じゃない。いいえ、と言ったほうがいいわね。あなたは私の魔法で違う世界に魂だけ引き込まれたの」


 ここが僕の世界じゃない? 混乱している僕に構わず、ネールは自分の後ろにある大きな窓を開けた。そこからおかしい。僕の部屋には小さな窓しかない。開けられた窓からは澄んだ空気がビユゥッと入り込んできて、僕の髪を撫でていく。窓の外にはヨーロッパのような、写真でしかみたことのない色鮮やかな屋根と煉瓦造りの街並みが広がっていた。


「ようこそ、魔法の国ウラノスへ」

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