30話 もう一人の妹


「フンフンフンフンフンフンッ!」


【転生オンライン:パンドラ】で稼ぎが良くなったからといって、筋トレをサボるわけにはいかない。

 あれはたまたま条件が重なっただけで、今はまだ『男姫おとひめ』アカウントでの活動が僕の主な収入源だ。


 今日も朝のルーティーンを終えて、ゆるっとした可愛い女性服に着替えて腹筋の部分だけたくしあげる。

 ここまで絞ればウエストもだいぶ細くなって、シルエットにも可愛らしさが……自撮りして自分のゴツさに今日も萎えつつSNSにアップ。


 あ、またプロテインの企業案件がきてる。

 んー……なになに、一カ月服用した結果を写真で30日アップしたら5万円か。

 妹の芽瑠がいただいてる案件と比べたら小さな案件かもしれないけれど、僕にとって5万円はとても大金だ。

 コツコツ、コツコツと積み上げていくしかない。



「お兄ちゃん、いる?」


 ドア越しから芽瑠めるが遠慮がちに聞いてきた。


「もちろん。そろそろ時間だろ?」


「うん、お母さん、下で待ってる」


「りょーかい」


 俺は急いで女装姿を解除し、サッと汗を拭きとれるシートを全身に走らせる。それからシンプルなシャツに着替え、姿見で入念に身だしなみをチェックする。


「よし、これで整髪料を……ん、よし、いいね」


 いつも以上に見た目には気合いを入れる。

 そして意識的に元気な表情を作る。いや、喜ばしいことなのだから、本心からの笑顔が浮かんだ。


 なにせ今日は久しぶりに妹と・・会うのだから。





 母さんと芽瑠めると車で向かった先は、新東京都に君臨する浮遊層ふゆうそうの真下、世汰谷せたがや区だ。

 ここは様々な分野で吟味され、淘汰され、振るいにかけられ、残りぬいたほんの一握りの人々が住める区だ。地上層の中でも勝者と言われる裕福な人々ばかりが居を構えている。

 

 そんな街ならば、もちろん医療機関・・・・も地上層では最高レベルの設備が整っている。


 僕たちはタワーのようにそびえる世汰谷せたがや病院に到着すると、厳重な管理と案内を受けて目的の病室に入る。

 3回ほど滅菌室に入り、無菌チェックも同数行なった。

 そこまでしてようやく、ようやく僕たちは妹と顔を合わせられる。

 


未来みく……」


 母さんはガラス越しに眠る未来みくを見て、やはり瞳が潤んでいた。

 未来みくは大型のカプセルに入っており、およそ人間らしい生き方をしてない。ひどく無機質に溢れた姿で微動だにしない。

 そして一番気になってしまうのは、今年で11歳になるはずの未来は……未だに9歳のままの姿だ。


 それでも僕と芽瑠めるは久しぶりに会えるのだからと、懸命に笑い合う。母さんの背中もぽんぽんとさする。


「ふう……ダメね、私ったら……年に4回・・・・しか会えないのに悲しんでいたら、もったいないわね」


姫路ひめじさん。よろしいでしょうか?」


 気遣ってくれたナースさんが母さんに確認する。


「はい。娘のコールドスリープ装置を解除してあげてください」

「かしこまりました。十分に理解されているかとは思いますが、解除時間は2時間です。それではごゆっくりどうぞ」


 人体の成長を細胞レベルで止めるコールドスリープ……いわば時を止めて老化を防ぐ機械で生命維持を保つ未来みく

 そんな僕たちの眠り姫が約3カ月ぶりに目を覚ます。


「んん……あ、お母さん、とお兄ちゃんに、お姉ちゃん?」


 ガラス一枚を隔てての面会。

 触れることすらできないもどかしさを今だけは忘れて、未来みくに笑顔を向ける。

 兄として妹に不安を抱かせないように、堂々と笑う。


「「「おはよう! 未来みく!」」」


「お兄ちゃんとお姉ちゃん、またおっきくなった?」


「おいおい未来みく、人が気にしてることを言ってくれるな。兄ちゃん成長期なんだよ」

「私、おっきくなった! 内緒のスーパー筋トレ方法ある! あとで未来みくにだけ教える!」


「わーい!」


 約3カ月ぶりに顔を合わせれば、多少なりとも俺たちの見た目は変わって見える。

 未来みくにとっては、ちょっと寝てたら兄と姉が急成長してるように感じるのだろう。


「んーでも私、寝てばっかり……早くお外にあそびにいきたいなあ」


「大丈夫よ、未来みく。あと数日・・で未来もいっぱいお外で遊べるからね?」


 母さんは柔らかい笑みで未来みくをそう諭す。

 俺たちにとっての2年は、未来みくにとっての数日だった。

 いや、数時間だ。

 未来みくは今日のこの時を含めても、今年は4時間しか起きてないのだから。


「病院ばっかりでつまんないよ。少しだけでいいからどっかに行っちゃダメなの?」

 

「おいおい未来みく、僕が骨折で入院した時は五日だったよ? 兄ちゃんより我慢できないのか?」

「未来、えらい! でも、病気治すため、もうちょっと我慢、できる?」


「がまん、できるもん! わたし、えらいもん!」


未来みくは本当に偉いわね?」



 未来みくの病名は『心喪しんそう病』という。

 発症したら最後、たった1カ月で全ての感情を喪失して死に至る病だ。

 だから未来みくをコールドスリープ装置に入れて、未来の時間を止めて延命措置をしている。


心喪しんそう病』は難病だけどそこまで珍しくはない。


 特に地下層民の間では。

 なぜなら劣悪な環境下で強制労働を強いられる地下層民は、辛い現実を直視しないよう……心の平穏を保つために、自分の感情を捨てる日々を過ごすらしい。

 そうしていると『心喪病』はよく発症するらしいけど、僕ら地上民の間では珍しい。


 じゃあなぜ、妹の未来みくは『心喪病』になったのか。


「おりこうにできるけど、でもわたし……明日の学校はお休みしたいかも」


 拳を強く握った。

 顔には出てないと思う。


「そうね。お休みしようね」

「病院にいるんだから休んで当たり前だよ。何なら未来みくが望むなら、もう学校に行かなくてもいいと思う。それか違う学校に行ったりな?」

「私とお兄ちゃん、学校行ってないとき、あった。未来みくもおそろいする?」


「うん! 未来みくもおそろいする!」


 心底嬉しそうに喜ぶ妹を見て、俺は悔しさを笑顔で押し殺す。


 芽瑠めるもそうだが、未来みくもだいぶ見目がいい。

 だからなのか、女子の間で『~ちゃんの好きな人を取った!』といったイザコザに発展して、未来は学校でいじめられていたらしい。


 しかし単純に相手の男の子が未来みくを一方的に好きになっただけで、未来みくにその気は全くなかったとか。

 それがまた気に入らなくて、いじめはエスカレートしていったらしい。


 小学生のうちはよくある話だ。

 全ては未来みくが『心喪病』になって、詳しく調査してからわかった。

 家では明るく振る舞っていた未来だけど、学校では死ぬほど悩んでいたのかもしれない。

 幼い心を、感情を殺して死にたくなるほど。

 死に至るほどの病を患って。


 小学生ではよくある話だ。

 なんて簡単な言葉で片付けられない。


「よし! 未来みくの入院が終わったら、兄ちゃんとアイスクリームを食べに行こう!」

「わたしと、駄菓子屋さんもいく。未来みく、駄菓子、大好き! お姉ちゃん、小金持ち、何でも買ってあげる」

「わあーい!」


 それから僕たちは他愛もない話で盛り上がった。

 普通の家族のように、からかい合ったり、罵り合ったり、笑い合ったり。

 妹と僕たちを隔てるたった一枚のガラスが、途方もなく分厚いと感じるのを隠しながら。



「よし、それじゃあ検査の時間が来たな。大丈夫、未来みくが起きる頃には兄ちゃんたちもまた来るからな」


「未来、いい子にしてる、ご褒美たくさんもらえる! お姉ちゃん、たくさん用意してる! 楽しみ?」


「やった! 楽しみ! 病院終わったら楽しみ!」


「母さんはちょこちょこ様子を見に来てるのよ? 未来ったら、涎なんか垂らしちゃって寝るから恥ずかしくって」


「お母さんさんやだーそういうの言わないで!」


 一度コールドスリープを解除して、再び安定した生命維持モードに戻すには2時間が限界だ。

 これがAランクのコールドスリープなら面会時間も20時間ほどに伸びるらしいけど、最初のDランクコールドスリープと比べたら何十倍もいい。

 

 未来みくが『心喪しんそう病』を発症した当時は、たったの5分しか起きていられないDランクコールドスリープだった。

 状況を説明するだけしかできず、解除できるのも1年に2回だけだった。

 そしてCランクで30分、解除は1年に3回のみ


 そして今年になり、ようやくBランクの医療費を払えるようになったから、1年に3回も会えるようになった。


 Dランクの医療費は一カ月50万円だ。

 僕が中学3年になったばかりの時、未来みくが『心喪病』になって、とにかくお金を稼ぎ集めた。

 そして必死に働いて、母さんと医療費を払い続けた。

 もちろん芽瑠めるもお金を稼ぐ方法を模索して、あらゆる方面で尽力してくれた。

 

 Cランクの医療費は一カ月150万円だ。

 芽瑠めるが『よめるめる』として売れ出して、大幅に収入がアップしたからこそ、今は月500万円のBランクのコールドスリープに入れられている。


 そしてAランクは1000万円。

 現状、芽瑠の稼ぎを考えるとAランクも支払える。

 ただ、長く未来みくと話せるってことは……1カ月弱で死に至る未来の寿命を削るのと同じだ。


 そして何より、『心喪病』は浮遊層ふゆうそうなら完治できる設備と医師がいるらしい。

 浮遊層入りの条件は10億円を納めること。

 そして僕たちは浮遊層入りを果たした後も、医療費を支払えるだけの軍資金を手にしなければいけない。


 だから芽瑠めるは収入の大半を浮遊層に納めている。

 今はほとんど芽瑠の収入頼りで……兄として何もできないのが不甲斐なかった。

 僕だけが、のうのうと過ごしているなんて許されなかった。


 なんだってしてやる。

 やるからには本気で貫き通す。


 そう誓って始めたのが『男姫』の活動。

 一部のクラスメイトに垢バレして、バカにされた時もあった。でもそんな声も言葉も、僕には響かないし届かない。

 もっともっとお金を稼がないといけない理由がここにある。


 だから僕たち家族の目標は、可愛い妹の日常を取り戻すために、お金を稼いで浮遊層入りを果たすこと。



「可愛いは、金で取り戻せる」


 普通に働いてたらたどり着けない金額も……。

 浮遊層の頂点に立つあの・・『金貨の君』がリリースさせた『転生オンライン:パンドラ』なら或いは————

 

 だから僕は、魔王としての攻略を押し進める。



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