3 逃亡者達の戦闘

 追手は時折姿を見せ、その度にアムリタと仁野を殺そうとしてくる。その中には知っている顔もいたし、全く知らない顔の奴もいる。だからこそ、いつ戦闘になるか分からない。いつ・誰が・どのように襲撃してくるのか。全く予想ができないのだから。

 仁野は左腕の止血をしながら、ずっと物陰に身を潜めていた少女に声をかけた。

「アムリタ。食っていいぞ」

「わーい、ごはんだ!!」

 いただきまーす、という場違いなほどに明るい声と共に彼女の『食事』が始まる。食材となったものはまだ少しだけ息があったようで、痙攣していたが彼女に急所を齧り付かれた後に動きを止めた。

 適当な陰に身を下ろし、包帯の片方を口を噛み抑えながら無事な右手を使って止血をする。最初はアムリタに頼んでいた作業だったが、襲撃に慣れてしまった今ではすっかり自分で出来るようになってしまった。BGMが些か耳障りな音であることだけが惜しかったが、しょうがないと言えるだろう。消毒液をまじまとあいこのいた町で調達しておいてよかったと仁野は内心息をつきながら周囲の警戒は怠らないまま。アムリタの食事が終わるのを静かに待っていた。


「ごちそうさまでした!」

「ああ。お粗末様」

 数十分後。口元と両の手のひらを汚したままアムリタがにっこりと食後のあいさつを告げる。それと同時に仁野も立ち上がり、荷物を肩にかける。残っていた追手の服の切れ端を拾い上げると、アムリタの口元をそれで無遠慮に拭き出した。

「んぶっ。うぶぶぶぅ…」

「汚れてるぞ、綺麗に食え。手も拭け」

「ぶわあーい……」

 アムリタも仁野に倣うように、僅かに残されていた追手の服を使って両の手を拭く。口元は仁野に拭かれながら、手は自分で拭きながら。綺麗になった手のひらを仁野に見せつけると「よし」との答えが返され、口元を拭いていた服がアムリタの目の前に差し出された。それを当然のようにアムリタは受け入れ、むしゃりむしゃりと食べる。手を拭いていた服の切れ端も同じように口に放り込み、最後にごくんと飲み込んで今度こそ食事は終わった。

 仁野が念のため周囲に目を配り彼女の食べ残しがないか確認している間、アムリタは口の中が少し落ち着かないのか、もごもごと口の中を舌で弄っていた。

「行くか。……なんだ?」

 口をもごもごさせているアムリタを不審に思ったらしく、仁野がそう声をかけた。しかしすぐにアムリタは首を振って何でもない、と答える。納得していない様子だったが、さっさとこの場を離れた方がいいことに決まっているので、仁野は先に場所を変えることを優先した。



「口を開けろ、アムリタ」

「……なんで?」

 日が落ち、今夜は野宿決定になった頃。さて後は寝るだけだ、となった所で仁野がそれに待ったをかけた。

 日が落ちる前からずっと気になっていたが、彼なりの優先事項があったのだろう。放置したまま眠ることは彼の研究者としてのプライドが許さなかったらしい。特に、アムリタの異変となれば。

 彼女の能力は『暴食』である。人でも木材でも植物でも紙でも、金属以外の物ならば食べることができる。だからこそ追手に遭遇した際、綺麗さっぱり一つの痕跡を残すことなくその場を後に出来るのだ。けれどやはり金属を食べることは出来ないので、僅かながら機器などある場合がある。追手の場合、通信機器であるとか。

「腹痛は? どこか異変はないか。口内が落ち着かないか?」

「ううん、おなかいたくない……げんきだよ」

「嘘はいらん」

 大抵の毒も彼女には効果がない。アムリタを殺すには金属を食わせるが一番だと、仁野が一番良く分かっている。そして仁野が良く分かっているということは、同時に、研究結果を提出していた研究所側にも知られているということだ。

 こういった事が今までにも何度かあった。その度に、仁野は思う。今ここに研究機材があればいいのに、と。アムリタを苦しめていたのは仁野の研究であったが、アムリタの痛みや苦痛を取り除くのも仁野の研究である。

 首を振りながら後退るアムリタの手首を容赦なく引っ掴み、遠慮なく仁野はアムリタを自分の膝の上に乗せる。そして彼女の腹の上に手を置いた。触診である。彼女の顔を見ながら、腹部を押す。完全に相手の意思を無視した行為であったが、こうなってしまった仁野は納得がいくまで離さない。アムリタからは当然「やーだー!!」と非難の声が上がったが一切聞こえていません、と言わんばかりに無視してお腹を押す。

「あ゛っっ」

「……ここか?」

「いー!! あー!! ちっ、がうもん!!」

「我慢しようとする意味が分からん。大人しくしていろ。間違って金属を食ったんだろう、あれ程良く噛んで食えと言っただろうが」

「ううう……」

 呻き声と共にアムリタはぐずるように仁野の胸に顔を埋めた。正直になってみれば、痛みがあるらしい。触診で分かるほどの異変。やはり追手の身体に金属類が仕込まれていたか、荷物の中に小さな金属が紛れていたか。もしくは、アムリタの不注意によって金属類を食べていたと予想される。この場所が研究所であったなら即座に体内で金属類を溶かし便と共に排泄時に出るよう適切な処置ができていた。しかし今いるのは山の中。しかも機材はゼロという状態。食べさせられた金属類がどのくらいの大きさかは分からないが、普段から気を付けるよう言われているアムリタがうっかり食べてしまうほどの物だ。さほど大きくはないと思われる。

 そこまで考えて、仁野は横に置いていた荷物の中から一つの瓶を取り出した。そろり…とゆっくり顔を上げたアムリタがその瓶を見て即座にまた「いーやーだー!!」との声を上げたが仁野は無視した。

「五錠が限度だろうな。飲め」

 アムリタは仁野の胸に顔を埋めて必死に嫌々と首を振る。アムリタにとって、その瓶は一度ではなく二度ほど見たことがあるものだった。……下剤、というやつである。お腹がぎゅるぎゅるする、と何度訴えても仁野は「そうか、そういうものだからな」と答え、トイレまで案内してくれるだけだった。つまり、アムリタにとってその瓶は金属類に続く第二の天敵といっても良いほどの代物であった。そんな物が、再び目の前に差し出されている。腹痛に苦しむと分かっていて、誰が素直に飲むというのだろうか。

「アムリタ、飲め。このままだと取り返しがつかなくなる」

「おなか、ぎゅるぎゅるするのいや……」

「飲まないとぎゅるぎゅるする以上の事態になるんだがな」

 仕方がないと言わんばかりに仁野は首を振ると、無理矢理両手でアムリタの口を開ける。そのままだと手を嚙み千切られてしまいかねないので、即座に瓶から取り出した五錠の下剤を口に放り込む。更に水の飲み口を流れるように突っ込んで、最後にアムリタの鼻を手で摘んでやれば飲み干さざるを得ない。流れるような早業であった。

 絶望の表情をしたアムリタはなんとか嚥下し、塞がれていた鼻も解放され荒い息で仁野から飛びのいた。

「いじわる!! へんたい!! わるもの!! じんのさいてー!!」

「何とでも言え」

 やることはやった、とどこか満足気に見える仁野を睨みながらアムリタはその場に丸まって寝る体勢をとった。

「トイレはないから、適当にしろよ」

 そしてこのデリカシーの欠片もない仁野の言葉に、再び「じんの、さいてー!!」との声がじくじく痛む腹の底から飛び出た。

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