かわりにいったからだいじょうぶ

島丘

かわりにいったからだいじょうぶ


「気味悪いんだよ」


 大学時代の友人の子供に、イマジナリーフレンドができたらしい。

 秋雄は心底気味悪そうに、愚痴っぽく呟いた。


「洋太くん今年で五歳だっけ? いいじゃん別に。そのくらいの子なら普通だって」


 かくいう俺も、昔は近所の神社にある大木を友人として接していた時期がある。洋太くんの気持ちはわかるつもりだ。

 しかし秋雄は首を振って「そういうんじゃなくて」と口ごもる。


「なんつーか……変なんだよ」

「変って何が? もしかして、霊感がある的な?」


 何もないところを見て話しているのだろうか。だとしたら確かに怖い。

 だが秋雄はすぐに否定した。そんなんじゃない、と。


「何だよ。ぬいぐるみとかに話しかけてるんじゃないのか?」


 言いながら違うな、と判断する。この気味悪がり方はぬいぐるみではないだろう。もっと不気味なもの。何だろう。顔に見える壁の染みとか?

 秋雄は突然ジョッキを掴むと、中のビールを一気に呷った。景気よく飲み干した後とは思えないほど曇った顔で、こう言った。


「鏡」

「鏡?」

「自分が映った鏡に向かって、ずっと喋ってるんだ」


 ああ、なるほど。確かに傍目から見れば不気味だろう。けれど、ない話ではない。試しに検索してみると、同じような悩みを持つ人がすぐに出てきた。

 他にもいるみたいだから安心しろよ、と伝えたが、秋雄の顔は一向に晴れない。


「俺だってそう思ってたよ。でも尚子が」


 尚子とは秋雄の奥さんだ。何度か会ったことがあるが、ショートカットがやたらめったら似合う快活そうな美人である。


「あいつがおかしくなって。俺も正直同じなんだよ。認めたら怖いから認めてないだけで、まともに考えたらおかしくなる」


 神経質な秋雄に考えすぎだと笑う尚子さんを思い出す。あの女性が追い詰められる姿なんて、想像できない。


「尚子さん大丈夫なのか?」

「かわりにいったからだいじょうぶ」

「川? 代わり?」


 秋雄は俺の疑問にも答えず話を続ける。


「なぁ、今日家に来てくれないか? 頼むよ」

「今からか?」


 確かに明日は休みだし、家庭も持たない独身貴族だ。行けないわけではないが、突然行けば尚子さんだって困るだろう。

 そういうことを伝えたが、秋雄は「来てほしい」の一点張りだ。


「わかったから、とりあえず尚子さんには伝えとけよ」

「かわりにいったからだいじょうぶ」


 だから、代わりって何だよ。

 今度こそきちんと聞き返したが、秋雄はまるで聞こえていないように「助かるよ」と言うだけだ。

 一体何なんだ。俺からしてみればこいつの方が不気味だ。けれど秋雄には大学時代世話になったし、恩もある。

 ちょっとおかしなところもあるが、基本的には普通に会話もできるのだ。

 俺が行くことで秋雄の不安も薄れるというなら、まぁいいだろう。

 そうして俺は、秋雄の家に泊まりに行くことになった。



 玄関にはいくつかの靴が並べられている。黒いパンプス、革靴、テープでくっつけるタイプの小さなスニーカー、リボンがついた女の子ものの靴まで。


「えっ、娘いたのか?」


 驚いて尋ねると、秋雄はその場で立ち止まり、振り返らないまま答えた。


「いないと思う」


 どういう意味かと首を傾げながら家に上がると、廊下の奥の扉から尚子さんが出てきた。


「お帰りなさい。藤野さんもお久しぶりです」


 少し伸びた髪を後ろでまとめた尚子さんが、朗らかな笑顔で駆け寄ってきた。

 何だ、普通にいるじゃないか。それにどこもおかしなところはない。

 やはり酔っていたのだろうか。尚子さんと会話する秋雄を横目に、もしくはからかわれたのかもしれないなと考える。


 けれどリビングに入った瞬間、唐突な違和感に襲われた。

 数が一つ多いのだ。

 ソファに置かれたクッション、隅っこに置かれたおもちゃ箱、テーブルを囲む子供用の椅子。それらが一つずつ増えていた。

 クッションには魔法少女のキャラがプリントされ、おもちゃ箱からはみ出しているのは女の子の人形。椅子はピンク色だ。


 玄関にあった靴といい、何かがおかしい。

 けれど結局は何も聞けず、俺と秋雄は早々に寝ることになった。

 ベッドの下に俺用の布団を敷きながら、秋雄が言う。


「洋太を見かけても話しかけるなよ」


 どういう意味だと尋ねても、それきっり秋雄は何も言わなかった。

 ただじっと布団の皺を、手のひらで伸ばし続けるだけだった。



 目が覚めたのは午前二時過ぎ。

 音を立てないように部屋を出た俺は、トイレへ行くために階段を降りていた。

 用を足してトイレを出ると、玄関の近くに人影が見えた。死ぬほど驚いたが、寸でのところで声を飲み込む。

 洋太くんだ。玄関の近くにある姿見の前に立っていた。


『洋太を見かけても話しかけるなよ』


 秋雄の言葉が甦る。

 しかし本当に放置していてもいいのだろうか。せめて秋雄か尚子さんには伝えたほうがいいかもしれない。

 そう考えていると、洋太くんが俺の方を振り向いた。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 子どもらしい満面の笑みで、洋太くんが挨拶をしてきた。かなり人見知りの子だと聞いていたが、全然人懐っこそうだ。

 一気に緊張が解けて、俺は忠告も忘れて洋太くんの側に近付いた。


「トイレかな? もしかして一人で降りて来たの?」


 こんな夜遅くに、五歳の子供が一人でトイレに行けるものなのだろうか。俺は子供がいないのでわからないが、洋太くんはなかなか大人びているように見える。


「ちがうよ。かわりにいってきた」


 洋太くんは秋雄と同じようなことを言ってきた。

 どう返したものかと悩んでいると、洋太くんは鏡に映った自分を指差して「見て」と言った。


「なっちゃんだよ」


 洋太くんのイマジナリーフレンドは、鏡に映る自分であり、「なっちゃん」というらしい。

 またもや返事に困ってしまって、「そうなんだ」と曖昧に答える。

 洋太くんが不安そうに見上げてきた。


「なっちゃんかわいいでしょ」

「え? ああ、うん。そうだね」


 そう答えた瞬間、鏡の中の洋太くんの顔が一瞬歪んで見えた。

 目と鼻の原型がなくなり、渦巻くように色が混ざり合う。それは一瞬で元に戻ったけれど、幻覚だとは到底思えなかった。

 何より、俺はそのときわかってしまったのだ。歪んで人間の顔とも捉えられないはずの鏡像が、なっちゃんであることを。


「ママもそういってた。なっちゃんはかわいいねって」


 早くこの場から立ち去りたかった。

 洋太くんの手を引っ張って、部屋に戻ろうと促す。

 洋太くんは嫌がらなかった。俺に引っ張られるがまま、一緒に歩いている。

 共に二階に上がると、洋太くんは一番奥の部屋に入っていった。あそこで尚子さんと寝ているらしい。

 部屋に入る間際、洋太くんは手を振ってきた。


「ありがとう」


 どうしてお礼を言われたのかわからないまま、俺も手を振り返した。



「そういえばもう大丈夫なんだ」


 あれから半年後、久しぶりに一緒に飲みに行った俺に、秋雄はそう言ってきた。

 枝豆を口に入れるところだった俺は、最初何の話をされたのかわからなかったが、洋太くんのことだとすぐに気が付く。


「もう鏡に話しかけないのか?」

「ああ。尚子ももう大丈夫だよ」


 それはよかった。やはり一過性のものだったのだろう。

 半年前とは違い、悩みなんてまるでない幸せな生活を送っているらしい。ずっとニコニコ話し続けるものだから、羨ましくなってきた。


「そうだ、こないだピクニックに行ったんだけど写真見るか?」


 完全な親馬鹿だ。スマホに映る家族写真を見せられながら、俺は苦笑する。

 写真には、お弁当を食べる尚子さんや、ボール遊びをする洋太くんが映っていた。

 画面がスライドされ、次々と写真が移り変わっていく。

 シャボン玉をする洋太くん。頬を寄せ合いピースをする尚子さんと洋太くん。転がったボール。

 それには誰も映っていない。


「かわいいだろ」


 ボールだけが映った写真を見せながら、秋雄は言う。


「なっちゃんもはしゃいじゃってさ」


 写真には誰も映っていない。なっちゃんは、洋太くんのいないはずの友達の名前だ。


 何かおかしい。スライドされていく写真の中には、誰も映っていないものが多く見え始める。秋雄はその度に「なっちゃんはかわいいから」と言っていた。

 なっちゃんなんて、どこにもいないのに。


「いや、何言ってんだよ」


 とうとう耐えられずに聞いてしまった。

 誰も映らない写真の中になっちゃんを見る秋雄が、得体の知れない別人のように思えた。

 こんなことを聞いて豹変しやしないかと恐ろしくもあった。

 けれど秋雄は怒りもせず、穏やかに微笑む。


「ありがとう」


 お礼を言われる意味がわからない。あのときの洋太くんと、同じだった。


「お前、大丈夫かよ」


 俺は怖かった。秋雄が正気を失っているように思えないことが、一番怖かった。


「かわりにいったからだいじょうぶ」


 誰もいない写真を見せながら、秋雄は笑った。

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