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翌週、月曜日・・・。
「おはよう、“まり姉”。」
的場様が私を“まり姉”と呼んでくる・・・。
私が岩渕真理だと覚えていたのに、私のことを“まり姉”と・・・。
「あの・・・その呼び方は、お客様と少しでも話せるよう・・・働けるよう、派遣元の会社の方が考えてくれた方法でして・・・。」
キャリアステージOneTwo・・・。
数年前から始まったこの会社の家事代行・ベビーシッター事業。
そこに登録しているベテラン勢もいるけれど、その他にもコミュ障といわれる人達も登録している。
その人達の為に葛西さんが考えてくれた方法・・・。
本名ではなく“あだ名”で働く・・・。
登録されているコミュ障の人の多くは、ネットの世界で生きてきた人達で。
ゲームで使用していた名前、ゲーム実況の際に登録していた名前。
それらで働くことにより、現実世界でも登録させることとした。
この現実世界を、その名前を持って生きることとさせた・・・。
家から一歩も出ず、子ども部屋にいた多くの大人達。
現実世界で生きられなかった大人達の中で・・・
キャリアステージOneTwoという会社が掲示板やオンラインゲーム上の会話、ゲーム実況配信のコメント欄などで話題になったらしい。
“変なキャリアアドバイザーがいる”と・・・。
最初はどこから始まったのかは定かではなかったけれど、それは瞬く間に話題となった。
“その変なキャリアアドバイザーに自分も会ってみて、感想を言う”
というコメントや会話がネット上で・・・ネットの世界でしか生きていなかった人達の間で流行った・・・。
その変なキャリアアドバイザーとは・・・
葛西さんのことだった・・・。
私の現実世界での大切な人・・・。
身内以外の、大切な人・・・。
現実世界で、身内以外の人で私を応援してくれる大切な人・・・。
そんな葛西さんが考えてくれたという生き方・・・。
いわゆる“あだ名”でこの現実世界で働く・・・。
登録させた・・・。
この現実世界にも、“自分”を登録させた・・・。
ネットの世界だけではなく、現実世界にも登録させた・・・。
私はネット上で登録していた名前もないただのコミュ障だったので、理子から呼ばれている“まり姉”で登録をした。
お母さんが死んでしまっていたので小学校4年生から料理を始め、中学生になる頃には本格的に家事を全てやっていた。
それに、弟や妹の世話もしていた。
家事代行・ベビーシッターという仕事は・・・
お客様によっては不在時に仕事が出来る。
また、お客様が在宅中でも必要以上に話したくないというお客様もいるそうで・・・。
コミュ障の私にとって、この仕事は現実世界で出来る唯一の仕事のように思った。
そう、思った・・・。
そう思っていたのに・・・。
私のことを嬉しそうな顔で“まり姉”と呼ぶ的場様・・・。
私が卒業式の時に告白なんてことをしてしまった的場様・・・。
今日も7時半前に出勤をしておらず・・・
お預かりしていた鍵で開けた玄関まですぐに出迎えに来てくれ・・・
「土曜日も日曜日も、まり姉に会いたくて仕方なかった・・・。
やっぱり、俺の所だけで働けない?
他の客より何倍も金出すから・・・。」
そんなことを熱い眼差しで言ってくる・・・。
そんな眼差しのように、感じてしまう・・・。
「あの・・・申し訳ございません。」
玄関の所で深くお辞儀をして謝罪をした。
「謝って欲しいわけじゃねーから・・・。
ただ・・・会いたい・・・。
俺、まり姉と毎日会いたい・・・。
他の所で仕事する分、俺の所で働いて欲しい・・・。」
的場様の大きな足を見ながらそんな言葉を聞き、なんだか泣きそうになってきた・・・。
苦しくて・・・
悲しくて・・・
泣きそうになってきた・・・。
それでも、それでも・・・
顔を上げた。
きっと目に涙が溜まっているかもしれないけれど、それでも顔を上げた。
何も見えなくなってしまうから・・・。
下を向いていたら何も見えなくなってしまうから・・・。
どんなに苦しくても、悲しくても、悔しくても、泣いている時でも顔を上げる・・・。
そして、的場様に少しだけでも笑った。
ちゃんと笑えているのか分からないけれど・・・。
コミュ障の私がちゃんと笑えているのか分からないけれど・・・。
「週3以上は・・・来られません・・・。
他でも働いているので・・・。
申し訳ございません・・・。」
そう言った私に的場様が辛そうな顔をして私を見下ろしている。
「どんな客なんだよ・・・?
・・・男?」
「えっと・・・男の人も、少しはいますね・・・。」
「それマジで心配なんだけど・・・。
男って大丈夫なのかよ?」
「・・・たまに・・・外でも話し掛けられることは、あります・・・。」
私が答えると、的場様は怖い顔をもっと怖くして私を見てきた。
「外で話し掛けるとかいいのかよ?
俺もまり姉に外で話し掛けたいんだけど。」
“お客様と個人的に一切関わらないこと”
そんな注意事項を出してきた的場様が、私に対してそんなことを言ってくる・・・。
怒った顔で、そんなことを言ってくる・・・。
「外でバッタリ、お会いすることがあれば・・・声を掛けてください・・・。」
「掛ける・・・!!
絶対に声掛ける・・・!!
今もまり姉、実家に住んでるんだよな?」
“お客様と個人的に一切関わらないこと”
そんな注意事項はどこにいったのか、的場様が明るい笑顔になり聞いてきた。
声を掛けるらしい・・・。
外でバッタリ会ったら、私に声を掛けるらしい・・・。
“お客様と個人的に一切関わらないこと”
“お客様のことを絶対に好きにならないこと”
女性である私が担当すると分かり、そんな注意事項を出してくれていた的場様を見上げる・・・。
涙を溜めながらも見上げる・・・。
難しいお客様だった・・・。
この人は私にとって難しいお客様だった・・・。
私と個人的に関わろうとしてくるこの人は・・・
絶対に好きになってはいけないこの人は・・・
私にとって、とても難しいお客様だった・・・。
前髪の隙間から見えるこの人の顔は、やっぱり熱い眼差しをしているように見えてしまった・・・。
私の勘違い・・・。
きっと、私の勘違い・・・。
だって私はコミュ障だから・・・。
こんなやり取りも、こんな眼差しも、現実世界ではきっとごく普通のこと・・・。
きっと、普通のこと・・・。
だから何でもない・・・。
この人のこの態度には何にもない・・・。
必死にそう考え続け、泣きそうになりながらもこの人を見上げていた・・・。
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