第21話 好きだからこそ
「映画楽しかったね! よく分かんなかったけど!」
浮谷さんが白い歯を覗かせた。分からないと言うわりに表情は青空のように晴れやかだ。理解できなかったなりに楽しめたらしい。
『踊れ手のひらの上で』。最近同級生の間で話題になっている映画だ。
原作は小説。恋愛ストーリーに見せかけたサスペンス色の濃い物語。端的に言えば敦が好きそうな内容だった。
私は浮谷さんと肩を並べてシアターを後にする。
昼食がてらカフェに足を運んだ。落ち着いた店内でラテとマフィンを見据える。浮谷さんの前にはハムとチーズのフィローネが置かれた。
「ラストよかったね」
「胸にじ~~んと来る感じがよかったよな! 不満げにつぶやいてた客もいたけど何が気に入らなかったのかね」
「その人は何て言ってたの?」
浮谷が首を傾けてうなる。
「何て言ったっけ、原作クラッシャーだったかな」
「ああ、そういうことね」
浮谷さんが目を丸くした。
「秋村さんは言葉の意味分かんの?」
「うん、分かるよ。大体は監督や脚本家に対しての呼称なんだけど、原作の内容を改悪した人や組織を示す言葉なの」
「何それ、ひっでえ話だね」
浮谷さんが顔をしかめる。
世に出回る作品は原作者が精魂を込めて作り上げた物だ。改良ならまだしも、許可なく改変した挙句に貶める行為は原作者への冒涜に等しい。中にはショックを受けて執筆活動を止める人もいる。
映画化などのメディアミックスは原作の知名度を上げられる分、モチベーションが減衰するリスクを背負う諸刃の剣だ。
「厳密には、その二人で全てを決められるわけじゃないみたいだけどね。改良した人を指す言葉だから誉め言葉として使うケースもあるみたい」
「何だそりゃ。日本語って難しいなぁ」
「同感」
外国人にとっての日本語は敷居が高いと言われる。漢字に付きまとう音読みや訓読み、主語や目的語を省略する手法などが理由として挙げられる。
その修得難易度はアメリカ国務省のお墨付き。現代文の問題を間違える身としては『そうだよねー』としか言えない。
「そうそう、主人公が意味ありげに夜空を見上げるシーンがあったよね。あれってどういう意味があったのかな?」
敦の影響で多少は小説をたしなんできた。ああいった意味ありげなシーンには、大抵何かしらのメッセージが込められている。
「ああ、あれね。満月綺麗だったよね。CGってやつかな?」
「あれは本物じゃない? 実写だし、場所を確保できれば撮るのはそう難しくないはずだよ」
「ふーん。じゃ実物の月を出してリアルな感じを演出したかったんじゃない?」
「さすがにそれだけとは思えないよ。何か意味があると思う」
浮谷さんが肩を上下させた。
「秋村さんは小難しいことを考えすぎだって。映画なんて楽しめればいいじゃん。月が物語の展開に直接関わったわけじゃないんだしさ」
それはそうだ。満月で狼男が出ることはなかったし、地球に落下して大破壊を引き起こしたわけでもない。
分かってはいる。
分かってはいるんだけどいまいち釈然としない。
いい小説に無意味なシーンはない。人物の表情変化はもちろん、風や天気の描写にも隠れた意味合いがある。曇天に差し込む光は希望、迫りくる鉛色の雲は不吉の象徴。そういった情緒を読み取るのも小説の
浮谷さんは、いかにも活字を苦手としていそうなタイプだ。物事を深く考えるのが苦手。敦から見た一年前の私もこんな感じだったに違いない。
この場に敦がいたら、私の問いかけにどんな見解をくれただろう。
「なあなあ秋村さん、午後からどこ行く?」
浮谷さんが前のめりになる。肘がテーブルの天板にぶつかってドンッと鈍い音を立てた。
意図してやっているわけじゃないのは分かる。教室やカフェでもやる人をたびたび見かける。意外と多くの人がやっていることだ。
さりげなく注意しても直してくれる人は少ない。一昔前はこれが普通だと思っていた。
今は浮谷さんと二人きり。嫌でも敦が比較対象になる。
思えば、敦が肘でテーブルを突いたことは一回もない。しゃべる時は食べ物を飲み込んでから口を開くし、一緒の空間に居て心地よかった。
言ってしまえばささいなこと。子が親から教わるようなマナーの類。
それを実行できる人が少ないことを私は知っている。習慣化していない人にとって、そういった気遣いの作法は気疲れする。
育ちがいいの一言で片付けるのは簡単だけど、誰だってやり始めがある。結局は相手にどれだけ礼を尽くせるかだ。
不思議な心持ちになる。敦のいいところなんてたくさん知っていたはずなのに、どうして今さらになって思い出したんだろう。
決まってる。教室での一件を見たからだ。
私がどうにかしなきゃと思った。実行委員として場を収めて、分断しかけたクラスメイトを作業に戻らせようと考えた。
でも私にはできなかった。具体的な案は浮かんでも、実行するにあたってプライドが邪魔をした。私は悪くないのにと、頭を下げることをよしとできなかった。
敦は迷わなかった。率先してクラスメイトに頭を下げて、作業を負担することでクラスに入った亀裂を修正した。
悔しかった。
同時に、やっぱり敦は凄いと思った。敦は実行委員の仕事に乗り気じゃなかったのに、劇を成功させるために頭を下げてくれた。敦にもプライドはある。長い間近くで見てきたんだ。それくらいは知っている。
でも人を助ける際には、敦はプライドを投げ捨てることをいとわない。
それを知ったのは、街でしつこいナンパに遭った時だ。岩から掘り出したような、ゴツゴツした体つきの二人組。友達や周囲は傍観者に徹して、私は一人拒否の姿勢を示すしかなかった。
凄く怖かった。頷けば解放されると思ったけど、勢いに負けて頷いた後を想像すると脚が震えた。友達の目がなかったら泣き出していたかもしれない。
そんな窮地から助けてくれたのが敦だった。道に迷った田舎者を装って、ナンパ師の腕にしがみついて注意を引いた。私がきょとんとしていると、敦がフリーな手でシッシッと手首を振った。笑い者を演じてまで私を逃がしてくれた。
後日お礼を言いに行った時、敦はクラスでも笑い者になっていた。敦の演技を真に受けて、ナンパに泣きついたことを言いふらした生徒がいた。
私はその生徒を探し出して、敦の前で一緒に頭を下げた。嘲笑われて辛かったはずなのに、敦は「無事でよかったよ」と微笑んだ。
その時だ。とくんと恋に落ちた音がしたのは。博識で、物事を大局的に見据えて、どんな時でも冷静さを欠かない敦が好きだった。
そんな彼は、自身が努力するところを誰にも見せない。会計を名乗り出たのも簿記の資格を所持しているからだという。私が知らないだけで、他にも多くの物を積み重ねているに違いない。
そうだ、思い出した。
だから私は敦を好きになって、距離を置きたくなったんだ。
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