第22話 円陣の外側


 文化祭当日。照明を落とされた講堂にて誰もが暗闇と一体化していた。


 唯一違うのは檀上。爆ぜたような光が一つの人影を照らし上げる。生徒会長のお堅いあいさつを皮切りにオープニングセレモニーが幕開けた。文化祭の準備に努めた生徒を労い、準備を無駄にしないために今日を頑張れと鼓舞する。内容としては大方そんなところだ。


 しかし奴は弾けた。最後にアバンギャルドでファンシーなスローガンをシャウトし、会場内に賑やかな歓声の渦をわき起こす。横からダンス部が躍り出て華麗なる舞を披露する。


 騒々しさが収まった頃に、実行委員長の男子が壇上を踏み鳴らした。こちらは生真面目というか、暗がり相手に無難な文を紡いだ。スローガンを掲げるに至った経緯を語って開幕式は進む。


 進行に淀みはない。


 当然だ、みんなこの時のために準備してきたのだから。


 ◇


 文化祭は二日間行われる。


 一応は名の知れた進学校だ。知名度もあって、大勢の一般客が興味を惹かれて校門をくぐる。談笑で廊下を賑わせて、楽し気な雰囲気をまとって廊下の床を踏み鳴らす。男女問わず徒党を組んで来ると中々に威圧感がある。


 出し物を出すのは各教室と文科系の部活動だ。絵や習字、はたまたボードゲーム部の部員が作り上げたオリジナル作品など、部の活動を通して生まれた物が校内に展示される。


 祭と言えば屋台だけど飲食は食中毒が怖い。保存の効くジャムや干した果物が推奨される。


 昔の小説では生の果物が使われた作品もある。呼んだ当時は華やかだと思ったけど、食中毒が起きた時の責任追及を踏まえるとリスクが高い。現状はなるべくしてなった形態なのだろう。


 以前よりコンパクト。自由がきかない。


 しかし祭は祭。非日常性で彩られた校舎は見る学生の気分を浮き立たせる。


 クラスメイトも熱気に当てられているらしく、あっちこっちで客に声をかけている。


 手にはチラシやプラカード。身にまとうシャツにはスポンサー広告のごとく文字が連ねられている。広告に力を尽くす光景はまさに経済の縮図。子供を大人の幼体と例えた人物はいいセンスをしている。


 教室では、役者を担う生徒の顔が白に染められていた。立ち上がった瞬間卒倒待ったなしの顔色だけど、彼らの体調を気にする生徒はいない。


 顔を白く染める物の正体は、ドーランと呼ばれる油性の練り白粉。演劇や映画の撮影時にメイク用途で使われる化粧品だ。


 緊張する役者にメイク担当の女子。その他諸々含めてクラスメイトの表情は硬い。


 待ち受けるのは本番だ。時間をかけて積み上げた物が形となるか、跡形もなく崩れ去るかの分水嶺ぶんすいれいだ。自分のミスが周りを巻き込んで劇を破綻させるかもしれない。そう考えると気が気じゃないのだろう。


 俺は役者じゃない。手持無沙汰になって教室の隅に移動する。


 時間の浪費に負けて本を開きたくなるけど、実行したらピリピリした女子に叩き落される未来が見える。


 室内の空気は、以前教室でひと悶着あった時よりも張り詰めている。暇潰しで悪者にされるのは御免だ。


 室内で黄色い声が上がった。


 声の方向に視線をやると、室内に王子が立っていた。赤いマントに白い衣装。各箇所に施された金の装飾が高貴な雰囲気を醸し出す。


 その衣装を身にまとうのは形骸化した彼女。後頭部を結って一本の房を作り、中性的な美形として君臨していた。


「おぉ」


 感嘆のつぶやきが口を突いた。


 俺は極論が嫌いだ。何事にも例外があると持論を掲げている。美人は何を着ても似合うという言葉にも懐疑的だった。


 こと燈香に関してはそうでもないようだ。あるいは燈香がその例外なのか。


 王子の瞳と目が合う。


 すぐに視線を逸らされた。


「王子取られちゃったな」


 肩に感触。横目を向けると坊主頭があった。


「丸田か。髪切ったのか?」


「どこに目ついてんだよ⁉ むしろ数ミリ伸びたっつうの!」


 張り上げられた声で抗議された。相変わらずうるさいやつだ。


「そこの二人、やることないなら受付行って」


 目を付けられてしまった。


 丸田が自身を指差す。


「俺別の仕事頼まれてんだけど」

「じゃさっさと行けよおにぎり!」

「おにぎりバカにすんなよお前ぇっ! 手触りは萩原のお墨付きだかんなっ!」


 怒声。されどふざけたような言葉が教室内を駆け巡った。


 笑い者を演じることにおいて丸田の右に出る者はいない。張り詰めた空気がドッと決壊し、クラスメイトの緊張がいい具合にほぐれた。


 俺は廊下の床に靴裏を付ける。


 視界の隅に細長い机と椅子が見える。別の椅子には劇の公演スケジュールが貼り付けられて、廊下を素通りする客に演劇の存在をアピールしている。


「萩原さん、おはようございます」


 左方で澄んだ声が上がった。


 靴音を続けたのは眼鏡をかけた女子。二度デートを重ねた相手だ。


「おはよう柴崎さん。午前中は自由時間なのか?」

「いえ、私の自由時間は午後からです。抜け出してきただけなのですぐに戻ります」

「悪い子だ」

「すぐに戻るって言ったじゃないですか」


 柴崎さんが小さく頬をふくらませる。


 初対面では考えられない反応だ。気を許してくれた証が見えてほっこりする。


「ごめんごめん、冗談だよ。そっちの入りはどんな感じ?」

「抜け出す前はちょっとした列ができてました」

「列って、本当に抜け出してきて大丈夫だったのか?」

「まだ統制は取れていますから大丈夫ですよ。それより萩原さん、午後の予定は空いてますか?」

「ああ。十二時からお昼休みを兼ねて自由時間だからな」

「良かった。午後から私と一緒に回りませんか?」

「一緒にか」


 俺は思考を巡らせる。


 燈香は劇の主演だ。スケジュールで決められた時間内は自由に出歩けない。柴崎さんとのデート中にばったり出くわすことはないだろうけど、果たして二人で校舎の中を出歩いていいものか。


 俺と柴崎さんに友好関係があることを知るのは、いつものグループに浮谷さんを加えた四人だけだ。

 

 大半の生徒は俺と柴崎さんが仲良くなったことを知らない。面白がって燈香に言いふらすことが想定される。


……言いふらされたから何だ? 


 俺は燈香に別れ話を切り出すつもりでいる。柴崎さんと二人で歩いたことを知られたとして、今さら俺に何の不都合がある。

 

 そもそも柴崎さんは浮気相手以前に友人だ。外野にとやかく言われる筋合いはない。


「萩原さん?」


 我に返ると柴崎さんが小首を傾げていた。


 俺は微笑みを繕う。


「ごめん、ちょっと考えごとをしてた。午後からだったな。いいよ、一緒に回ろう」


 柴崎さんの表情がぱぁーっと明るくなった。


「やった! 約束ですからね!」


 柴崎さんが弾むような声を残して背を向けた。たおやかな人影が元来た廊下をたどって人混みに消える。


 後方でドアの開閉音が鳴った。ため息に次いで丸田が椅子に腰を下ろす。


「どうした?」

「暇だし付き合ってやろうと思って」


 先程叱責してきた女子の顔が浮かぶ。


 あのつんざくような指令に抗うには相当な胆力が必要だ。言い返したところで、次はあっちこっちから凍てつく言葉が飛ぶに決まっている。同情しよう丸田、こっちに来て正解だよ。


 室内で燈香の声が上がった。遅れてクラスメイトの気合いが続く。演劇メンバーで円陣でも組んでいるのだろうか。


 俺は呼ばれなかった。その事実にちょっとした疎外感を覚えた。

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