第20話 図書館デートと虚脱感


 クラスの出し物に追われる内に土曜日がやってきた。


 燈香に別れ話を切り出させる余裕はない。ずっと悩んでいてもストレスがたまるばかりだ。息抜きに柴崎さんを誘って街を歩くことにした。


 先週は燈香たちも交えて遊んだ。平日は実行委員の仕事とクラスの出し物に追われた。勉学が少しおろそかになっている。


 俺は図書館デートを考案した。


 柴崎さんは快く了承してくれた。


 俺たちは都立中央図書館で合流した。柴崎さんと同じテーブルを挟み、問題集とノートを開いてシャーペンを握った。会話は控えめに、分からない箇所は教え合って問題を解き進めた。


 一区切りしてカフェテリアに足を運んだ。注文したサンドイッチとコーヒーでテーブルの天板を飾る。


「萩原さんのクラスは文化祭で何をするんですか?」

「演劇だよ。題材はシンデレラだ」

「有名どころですね。ガラスの靴を模造すればそれっぽくなりますし、いいチョイスだと思います。萩原さんは何の役をするんですか?」

「裏方だから役はないよ」

「王子はやらないんですか?」

「女子のリクエストで燈香がやることになった」


 最初は燈香がシンデレラをする案もあった。身なりが美麗な燈香だ。ウィッグや地味目な衣装を使えば、それらを着脱するだけで魔法の変身を再現できる。人気という面でも申し分なかった。


 問題は王子にあった。俺が燈香の彼氏というのは周知の事実だが、主役には相応のビジュアルがいる。


 何より、全員が俺と燈香の関係に納得しているわけじゃない。別の男子をあてがう案が上がったものの、それも女子陣に猛反対された。結局燈香が王子役に回って今に至る。


「秋邑さんが王子ですか。似合いそうですね」

「スタイルがいいからな。柴崎さんのクラスはお化け屋敷だよね。柴崎さんは何をするんだ?」

「私も裏方です」

「そうか。柴崎さんはお化けに耐性ありそうだよな。幽霊役が仕掛けても真顔で対応しそうだ」


 ばぁーっ! と客を驚かせるのは幽霊役の醍醐味だ。


 そんな驚かす側への有効打は、何も言わず真顔で見つめること。驚く反応を期待していた側は立ち尽くすか謝罪して立ち去るしかない。


 懐かしい。小学生の頃に下級生にやられて道を譲ったっけ。


 柴崎さんがくすっと笑った。


「さすがにそんな可哀想なことはしませんよ。お化け屋敷に入ることもないと思います」

「幽霊が苦手なのか?」

「逆です。人が驚かすと知っているから現象として捉えてしまうと言いますか」

「分からないから怖いの逆か」

「まさにそれです。恐怖の根源は未知、ならば分かってしまえば怖くないという論説ですね」


 死後どうなるか分からないから死が怖い。


 暗闇の向こうがどうなっているか視認できないから恐ろしい。


 超常現象は科学で解明できないから畏怖されるものの、全容が観測されればただの現象に堕ちる。幽霊や化け物を忌避する段階から進み、どう利用すべきかが問われるようになる。


「いつか、人は怯えも受け入れられるようになるんでしょうか」


 柴崎さんがコーヒーカップを見つめる。


 指にぎゅっと力を込める柴崎さんはどこか物憂げに見えた。


「……ごめん」

「どうして謝るんですか?」

「まだ燈香に別れを切り出せてないからさ」

「その件って、ひとまずは女友達という形で落ち着きましたよね?」

「確かにそうだけど、気分はよくないだろう?」


 密会のような真似をして、恋人には話を付けていない。


 そういう約束でデートをしているわけだけど、一度やった人間は二度目以降のハードルが下がるものだ。近い将来自分も同じことをされるかもしれない。誰だってそう考える。


「本当は月曜日に話を付けるつもりだったんだ。でも燈香と実行委員にされて、仲をたがえるわけにはいかなくなった。正式な交際は文化祭が終わるまで待ってほしい」


 柴崎さんが目を丸くした。沈黙の後にくすっとした笑い声が続く。


「何だかプロポーズみたいですね」

「え」


 想像しなかった言葉に思考が漂白された。


 柴崎さんが愉快気に身を揺らす。


「冗談ですよ。萩原さんが凄く真剣な顔付きをしていたので、ついからかいたくなっちゃいました」

「人が悪いなぁ」


 俺は苦々しく口角を上げる。まだ二度目のデートだけど、我ながらずいぶん打ち解けたと思う。


 思い返すと、燈香とデートした当初もちょっとした冗談で打ち解けた気がする。最初はお互い錆びたロボットのごとくカチコチだった。デートの大半を緊張したまま過ごしたのを覚えている。


「でも嬉しいです。待ってますね」


 食事を交えながら柴崎さんと談笑した。


 話の流れで、勉強を切り上げて外を歩くことになった。昼食を摂ってカフェテラスを後にする。


 散歩する内にバッティングセンターが目に付いた。


「ちょっと寄っていかないか?」

「私野球にたしなみはありませんよ? 力もある方ではないですし」

「バットの振り方は教えるよ。短く持てば当てるのは難しくないし、体全体で振れば力を入れなくても飛んでいく。芯に当てるとバットが体の一部になったみたいで気持ちいいんだ」


 柴崎さんが可愛らしくうなる。


 一考したのちにかぶりを振られた。


「やっぱりやめておきます。空振りが続いて空気が白けるのも嫌ですし」


 スカッ、と何かを空振りしたような虚脱感があった。


「そう、か。じゃあ仕方ないな」


 俺は気を取り直して靴裏を浮かせる。


 燈香も最初はボールを打てなかった。レクチャーする過程で適応し、今では俺よりも打てるまでに上達している。


 俺は小学校の頃にかじった程度だ。運動神経のいい燈香に抜かれるのは仕方ないとしても、当時はそれなりにショックを受けた。


 それを踏まえても、燈香とホームラン競争をするのは楽しかった。一試合に一本出るかどうかのレベルでも楽しかった。


 柴崎さんともその楽しさを共有できればと思っていたけど、合わないなら仕方ない。柴崎さんも楽しめるものを探した方が有意義だろう。


 俺は気を取り直してボーリング、ゲームセンター、卓球と、プレイしたことのあるスポーツに誘ってみた。


 いずれも断られた。柴崎さんは他者と何かを競うのが苦手らしい。一歩引いて相手を立てる在り方は慎ましやかで素敵だけど、張り合いがなくて寂しくもある。


 この心情には覚えがない。燈香と一緒にいた時間は物寂しさと無縁のものだった。胸が高鳴らなくなってからも、これに似た感情を覚えた記憶はない。


 そうだ、燈香と一緒だった日々に退屈はしてなかった。


 にもかかわらず俺はここにいる。俺と燈香の関係はいつから冷え切ってしまったんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る