第19話 クラス内の不和


 燈香から別れ話を切り出させるにはどうすればいいか。その答えはいまだ見つからない。


 時間だけが過ぎていく。


 もういっそ文化祭が終わった後に切り出せばいいや。そんな考えが脳内に浮かんだ。


 周りの面倒くさい反応を説明して、それでも振られたことを暴露するほど燈香も意地悪じゃない。いい具合に周りをあざむいてくれるんじゃないだろうか。


 他人任せな策を自身で棄却ききゃくした頃のことだ。クラスの出し物が演劇に決まった。


 題材はシンデレラ。いじめられる健気な少女が王子様と結ばれて幸せをつかむ物語だ。平凡な女性が玉の輿こしで幸福になる。この作風が与えた影響は大きく、世界にシンデレラガールという言葉を生み出した。


 西洋の絵画では、人物や神を描く際に目印となる持ち物を描く場合がある。


 正義の女神では秤と剣。エヴァ・プリマ・パンドラでは左腕の蛇。俗にアトリビュートと呼ばれるそれらは、鑑賞者に題材を理解させる上で重要な役割を担ってきた。


 シンデレラにも同じことが言える。ガラス製に見える靴を出せば、観客は勝手に演劇の題材をシンデレラと認識する。


 俺たちはプロじゃない。お金をもらうわけじゃないし、血の滲む努力をして役に入り込むほど一生懸命にはなれない。演技や小道具はプロと比べてつたなくなる。


 でもガラスの靴を模した小道具を加えれば観客の理解を促進できる。多少の粗雑さをゴリ押すには都合がいい。


 当然手掛けるからには全力で臨む。


 俺は簿記の資格を活かして、会計担当としてクラスの活動を補助することにした。


 慣れない作業の連続でスケジュールが押している。祭り事にウキウキした雰囲気はなりを潜めた。


 耳を澄ましても無駄な会話一つ聞こえてこない。脚本を手に劇の練習をする声だけが室内を伝播する。


 試験前にも似た心地いい緊張感。クラス全体が一つの目標に向かって手を動かしている。


 運動部には慣れた光景だろうけど帰宅部の俺には新鮮に映る。たまにはこういうのもいい。


「じゃ塾なんで帰りまーす」


 間延びした声が室内を駆け巡った。


 男子生徒がカバンの取っ手を握って出口へと足を進める。オプションのごとく二人目が後に続く。


 港廉高校は進学校。大半の生徒はいい大学を狙っている。塾での勉強は将来を決める大事な投資だ。文化祭を理由に放棄できるほど軽くはない。


 それはあくまで当人たちの視点。


 クラスメイトの中には、放課後に得られる自由な時間を返上して居残りする者もいる。義務でなくとも責任感の強さ、あるいは同調圧力がそうさせる。


 ただでさえピリピリした現場。のほほんとしたクラスメイトの声色はそういった生徒の神経を逆撫でする。


「この空気の中でよく帰れるよねー」

「ほんと勝手だよねー」


 服飾班の方でつぶやきが上がった。


 法の守護の上にあぐらをかいた、悪く言えば相手の理性に甘えた侮辱ぶじょく。室内がにこやかな雰囲気なら、男子がおどけて道化を演じる道もあっただろう。


 しかしこの張り詰めた空気だ。クラスに余裕がないことは出口へ向かった男子も分かっている。離脱することに少なからず罪悪感を抱いているはずだ。


 そこに、自分たちを悪者にする言葉を投げかけられた。罪悪感が爆発反応装甲と化すのは必然だ。


「あ? 今の聞こえてんだけど」


 案の定男子生徒が顔をしかめた。


 室内の空気が凍り付いたように固まった。時の止まった空間にて当事者だけが口を開く。


「聞こえるように言ったに決まってんじゃん。みんな一生懸命やってんのに、自分たちがクラスの輪を乱してるって思わないの?」


 文化祭の活動は義務じゃない。多くは責任感で動いているだけだ。


 それだけに熱心な生徒は引き下がれない。自分はこれだけやっているのだから偉いはずだと、いつの間にか指導する側に立った錯覚を受けやすい。言葉も荒さを帯びて反感を買いがちだ。


「だから塾だっつってんだろ。仕方ねえじゃん」

「そうそう。わざわざ聞こえるように嫌味言うとか陰湿すぎんだろ」 


 女子生徒の顔にしわが寄る。


 火蓋が切られた。当事者の声に熱が入り、その友人が加勢あるいはフォローに回る。仲間がやられたからやり返す。その連続で争いがどんどん大規模化する。


 さながら人類史に刻まれた戦乱模様だ。古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスだったか。『歴史は繰り返す』とはよく言ったものだ。


「ちょっとみんな、落ち着いて!」


 燈香がクラスメイトをなだめに掛かった。


 人気者の号令。普段なら誰もが耳を澄ませるそれも、一度火がついた喧噪の前では焼け石に水だ。


 自分の主張が理解されないことへの苛立ちが排斥感情に遷移し、良し悪しの論議に罵声が混じる。傍観者に徹していた生徒も空気の悪さに耐え兼ねて手を止めた。


 もはや文化祭の準備どころじゃない。おぼれた子供を救ったヒーローもお手上げな様子だ。


 俺は空気を吸って肺を膨らませる。


「ごめんッ!」


 喉をヒリッとさせて深く頭を下げる。


 教室内が一斉に静まり返った。数十の視線が殺到する。


 火の消化方法には爆風消火というものがある。爆弾が破裂した際の爆風で火を消す、もしくは可燃物を吹き飛ばして延焼を防ぐ消火方法だ。森林火災など、大規模な火災を鎮火するケースで用いられる。


 クラスメイトは火じゃない。実際に燃え上がってはいないし、水をぶっかけたら俺が怒られる。


 それでも意図しない大声が上がれば誰だって注目する。興奮しているクラスメイトも俺に注目せざるを得ない。


 俺は改めて道化を演じる。


「居残りを強いる空気ができたのは俺のスケジュール管理が甘かったせいだ。実行委員として謝罪させてくれ!」


 上体を前に傾ける。


 声は上がらない。視線だけで見渡すと、何人かが困惑したように視線をふらつかせている。突然のことで、どう反応するべきか分からないのだろう。みんながしるべを欲している。


 俺は坊主頭の友人に視線を送る。


 丸田が目をぱちくりさせた。ニッと口角を上げて口を開く。


「いや、別にお前だけのせいじゃなくね? 余裕のあるスケジュールにあぐらかいたのは俺たちもだしさ」

「そうね。私たちものんびり構えてたし、否定はできないかも」


 丸田に続いて魚見がフォローしてくれた。


 作業が遅れたのはみんなのせい。ここに標は示された。


 後は岩がなくなった間欠泉のごとくだった。魚見と仲のいい女子グループ内で擁護の流れができ上がり、それが他のグループにも伝播する。


 丸田と魚見はカースト上位の二人だ。燈香ほどの影響力はなくても鎮静化した今なら言葉が届く。


「まぁ、そうだよな」

「萩原たちが体育館を勝ち取ってくれたから広い場所で演劇ができるわけだし」


 擁護のムードができ上がったのを機に、俺はカバンを持った男子生徒のフォローに回った。


 スケジュールは少し遅れているだけだ。人間、締め切りが迫ると集中力が上がる。問題なく終わるペースだ。そんなことを言葉のクッションに包んでやんわりと告げた。


 その後装飾や設営のヘルプに回って事なきを得た。


「ごめんなさい」


 追加の作業をこなしていると、燈香が目を伏せて謝ってきた。


「あの状況だ、仕方ないさ」


 燈香では駄目な局面だった。下手に人気がある分、頭を下げさせた生徒には多くのヘイトが向けられる。それはしこりとなって以降の団結を妨げただろう。


 文化祭を控える今、クラスに明確な悪役はいらない。男女ともに知り合いが少なく、影響力のない俺こそが最適な配役だった。


「もう気にするな。申し訳なく思うなら本番でいい劇を見せてくれ」

「うん。ありがとう、敦」


 端正な顔立ちに微笑が浮かんだ。俺はクラスの飲み物を買ってくると伝えて教室を後にする。


 久々に燈香から名前を呼ばれた気がする。廊下の床を踏み鳴らしながらそんなことを思った。

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