第14話 忠犬と背徳感


 燈香と映画館に行った時のことだ。俺はいいところを見せようとして映画の予習をした。ネット上に転がっている考察サイトを巡り、実際に映画館へと足を運んだ。一つ一つのシーンに隠れた花言葉や暗喩を徹底的に調べ上げた。


 満を持して当日に臨んだ。燈香と待ち合わせをして映画館に踏み入り、スクリーンを仰いで全く同じ内容を見た。


 上映後は感想会にしゃれ込んだ。ファミレスのフォークを握って、パスタを巻きながら言葉を交わした。


 燈香は読書をするタイプじゃないけど、俺が読書を趣味としていることを知っている。


 想定通り、映像だけでは分からないことを問われた。投げかけられた疑問に対して、俺は事前に用意した答えを返した。


 凄い! 敦は何でも知ってるね! そんな賞賛を浴びた後に解散した。


 やっと終わった。俺はその事実にほっと胸をなで下ろした。


 そう、俺は安堵したんだ。デートが終わってしまったと嘆くわけでもなく、その日を乗り切ったことに安心した。


 自分で自分が分からなかった。燈香とのデートを楽しみにしていたはずなのに、俺はどうしてしまったんだろう。


 ◇


 海水浴に行った翌日。俺は渋谷駅のハチ公前で足を止めた。


 旅行や観光に来たのだろうか。多くの人影が行き交う中で、足を止めてスマートフォンのカメラを向ける人影がある。


 人々の周りにはガラス張りの建物がそびえ立っている。ハチ公像を見詰める人を建物が眺めているような景観。いささか奇妙に映る光景だ。


 注目を浴びる像、すなわち忠犬として知られるハチ公。飼い主が鬼籍に入った後も駅前で帰りを待った『忠犬』として知られる。


 美談ばかり語り継がれているけど、当時は心無い人々の手でひどい目に遭わされた。迷惑な畜生と見なされていたハチが、時間を経て忠義に厚い犬と評価されるようになった。


 死後に価値が急上昇した点は絵画に類する点がある。ハチの生きた証が像という視覚芸術で残されたことも、背景を知る今となっては美術を用いた皮肉としか思えない。


 つまらないことを考える。胸中に渦巻く背徳感のせいだろうか。


 俺は柴崎さんの提案に乗った。燈香との恋人関係は切らないままに柴崎さんの好意を受け入れた。


 あくまでお試しの関係。表向きでは柴崎さんと友人のままだ。世の中男女の友人は数多存在する。一緒に出かけても問題は発生しない。


 所詮は言い訳。詭弁でしかないことは自覚している。


 それでも誘惑を跳ね除けることはためらわれた。


 燈香との関係はいつどうなるか分からない。柴崎さんとは趣味が合うし、閉塞的な日々に新しい風を呼び入れたかった。


 我ながら不誠実だとは思う。


 思う、けど。


「ねーいいじゃん彼女、昼飯代おごるからさ、ね?」


 女性をしつこく誘う彼らよりはマシだと思いたい。さっきから女性は断っているのに、二人組の男はまだ食い下がっている。


 脳裏にかつての光景が想起される。


 俺が燈香と仲良くなったきっかけも視界に映るナンパ師だった。結構情けない助け方をしたから幻滅されたと思っていたけど、燈香は周囲と違って俺を嘲笑しなかった。それがとても嬉しくて惚れ直したことを覚えている。


 助けるべきなんだろうけど気は進まない。

 

 いつ柴崎さんが来るか分からないし、あのナンパ師は言葉で諭せない類の人型だ。


 俺にできる助け方をしたところで周囲は賞賛しない。見て見ない振りをした連中に嘲笑されたあの日の屈辱。他人のためにあんな惨めな思いはしたくない。何か手頃な方法はないだろうか。


 コツコツコツと軽快な靴音が近付く。ヒールを有する靴特有の品ある音だ。


 俺は視線を振って、次の瞬間に目を見張った。

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