第13話 まだチャンスがあると思ったんだよ


「俺にも、まだチャンスがあると思ったんだよ。秋村さん!」


 浮谷さんが身を乗り出した。肘がテーブルの天板を鳴らし、グラスに張られた水面が揺らめく。


「チャンスって言われても、私には敦がいるし」

「萩原にこだわる理由はあるのか? 考えてみてくれ。君は一つの命を救った! 偉業をなした! なのに、あいつは称賛の一つも口にしなかった。水着を披露した時もそうだ。あんなに可憐で美しい姿を見せたのに、彼氏として誉め言葉の一つもないなんておかしいじゃないか!」


 浮谷さんが感情を露わにして声を張り上げた。


 さながら選挙演説でパワーポーズを取る候補者だ。連なる誉め言葉で顔の温度上昇が止まらない。


「浮谷さんここ店内! 店内だから!」


 何のためらいもなく可憐だの美しいだのと、浮谷さんは照れくさくならないのかな? 


 私は面映ゆい。こうしている今も顔から火が出そうだ。鏡を見ればりんごのように熟れた顔が見られるに違いない。


 浮谷さんがハッとして背もたれに背を預ける。


「おっと失礼。でも言ったことに嘘偽りはないよ? 今日の接し方で付き合ってるなんて言われても見てるこっちは納得できねーんだって。それに萩原は柴崎さんと長いこと談笑してたよね? 彼氏が彼女をほっぽって他の女性とだべるとかありえないっしょ」

「それは……」


 返せる言葉は浮かばない。


 確かに、敦が柴崎さんと談笑するのを見た時は胸の奥がチリッとした。でも敦とは冷戦状態だ。今さら嫉妬なんてする理由がない。


 きっと放置されて自尊心が傷付いたんだ。周囲がそれを知れば私は憐れまれる。違うクラスの女子に彼氏を寝取られたと吹聴される。


 それは嫌だ、プライド的に我慢ならない。


 そんなの、私が惨めすぎるじゃない。


 浮谷さんがテーブルの天板に手の平を叩き付けた。


「気持ちが離れてんのに関係だけ維持なんて、そんなの互いに辛いだけだろ。俺だったらそんな思いさせねえよ。秋村さんを絶対満足させてみせっから」

「敦と別れろってこと?」


 動揺はない。そのことに驚く自分がいた。


 浮谷さんが姿勢を正す。


「無理に別れろとは言わない。でも、もし萩原に思うところがあるなら俺とお試し交際してみないか? もちろんあいつらの前では友人扱いしてもらっても構わねえから」


 それじゃまるで、私が浮谷さんをキープしているみたいじゃないか。さすがに罪悪感がある。


「そんな扱いで浮谷さんは満足なの?」

「もちろんだ。萩原に先を越されて、今日まで羨むことしかできなかった。ようやく自分を売り込める機会に恵まれたんだ。チャンスをつかめただけでもめっちゃ嬉しいよ。俺のことは気分転換のつもりで使ってくれ。俺は俺で、本気で秋村さんを狙うだけだからさ」


 真摯な瞳に見据えられて左胸の奧がトクンと脈打つ。


 教室では敦と仲のいい振りをしてきた。その他の場所でもめったに視線を合わさなかった。


 最後に笑みを交わしたのもいつだったか思い出せない。周囲への面子で恋人関係を維持している状態だ。


 こんなはずじゃなかった。恋人になれば薔薇色の学生生活が拓けると思っていた。


 でも違った。敦と二人きりになると息が詰まる。学生生活は短い。貴重な期間をつまらない面子で無駄にするのはどうなんだろう。


 北米、もしくはヨーロッパなどの海外ではデーティングと呼ばれる付き合い方が定着している。気になる人がいれば声をかけて、恋人になるかどうかを見極める。


 二股や三股は当たり前。それを耳にした当初は驚いたけど、よくよく考えると合理的だ。最初に付き合う人と上手くいく保証はないし、恋人がいる間に気になる人を見つけることもある。


 そういう人は大抵需要がある。恋人関係を解消する前に取られる可能性大だ。何本も関係を作っておくのは理に適っている。


 頭では理解しても抵抗を感じる。外国は外国、日本は日本だ。きっちり線引きする日本人の感性にデーティングは合わない。私もヨーロッパの人ほど大らかにはなれない。


 それでも、デーティングすることでこの息苦しさから脱せられるのなら。


「お試しでいいなら……よろしく」


 浮谷さんが口角を上げる。


 胸中で渦巻く背徳感が、店内を駆け巡る雄叫びでかき消された。

 

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