第15話 映画館デート


 美少女が人混みを華やがせた。


 反射した光で天使の輪を描く黒髪、新雪のごとき白い肌。ミニスカートのひらひらしたシルエットが花のごとき華やかさを醸し出し、やわらかな色香と清楚さを両立させている。


 長いまつ毛に大きな目。鮮やかなピンクに濡れたくちびるが曲線を描くさまは、恋に胸躍らせる乙女そのもの。燈香とは違ったベクトルの美を前にただただ目を奪われる。


 俺たちだけじゃない。外野も珍しいものを見たかのように目を丸くしている。


 いけないいけない、俺は待ち合わせをしているんだ。他の女性に見惚れたところを見られるのはまずい。


 それにナンパされて困っている人もいる。まずは憂いなく助けられる手段を考えないと。


 そう思って振り向くと、ナンパされていた女性が腕をブンブン振って疾走していた。見かけによらないダイナミックな走りに、ナンパ師の二人がぼかんとしている。


 介入するまでもなく問題が解決した。


「おはようございます。待たせてしまったみたいですね」


 聞き覚えのある声を聞いて視線を振る。


 先程の美少女が俺に微笑みを向けていた。


「え、あの、俺に言ってるんですか?」


 こんな美人知らない。学校にいたら話題になってないのはおかしいし、今日この時が初対面のはずだ。


 少女が目をぱちくりさせる。


 整った顔立ちが何かに気付いたように破顔した。


「これなら分かります?」


 少女がショルダーバッグに腕を入れる。


 引き抜かれた手には眼鏡のケースが握られていた。繊細な指が蓋を開けて眼鏡のテンプルを握る。


 目元にかざされた面持ちはまさに文学少女そのもの。記憶にある顔と被って目を見開く。


「まさか、柴崎さんか⁉」

「正解です」


 呆然とした。


 土曜日にまとっていた服装が質素だっただけに、ギャップによる破壊力が凄まじい。ヒールのあるサンダルも相まって、清楚感と色香の奔流にどうにかなってしまいそうだ。


 心臓がうるさい。柴崎さんに聞こえてしまわないか不安になる。


 落ち着くための時間が欲しくて思考を巡らせる。


「えっと、今日はコンタクトなんだな!」

「はい。目に物を入れるのは怖かったですけれど、思い切ってコンタクトにしてみました。似合ってますか?」

「ああ、これ以上なく似合ってるよ」


 燈香を見慣れた俺でも思考が飛んだくらいだ。普段から今の装いで歩けば他の男子が放っておかなかっただろう。


 柴崎さんが恥ずかし気に目を伏せる。


「嬉しいです。お洒落を頑張ってみた甲斐がありました」


 頑張ってみたというのはつまり、慣れないお洒落を研究してきたということか。他ならない、俺のために。


 胸の奥から熱が噴き上がる。比例して気分がぶわっと高揚した。


 柴崎さんのような知的で綺麗な女性が、俺を意識してこんなにも着飾って来てくれた。その事実に感動を禁じ得ない。


「行こうか」


 声色が乱れないように声量をセーブした。


 懐かしい。燈香と交際を始めた当初は、デートの度に似たような感覚を味わったものだ。


 あの時の俺を思い出せ。どうやって気分の高揚をセーブした? できるはずだ、一度は通った道なんだから。


 美麗な容姿が肩を並べる。爽やかな甘い匂いに鼻腔をくすぐられて、左胸の奧から伝わる鼓動が早まる。


 行き先は決めている。


 俺と柴崎さんの接点は本だ。互いに読んだことのある本が映画化されたと聞いて、二人で見に行く予定を組んだ。暗いシアターなら腰を落ち着けられるはずだ。


 少なくとも今よりは。


「見られて、ますね」


 柴崎さんがはにかんだ。バッグの取っ手を握る指が丸みを帯びる。


 視線を送るのは周囲の人々。珍しいものを見るように視線を向けてくる。中には足を止めて、柴崎さんに熱のある視線を送る者もいる。


 今の柴崎さんは俺の連れだ。他の男性に振り向くことはない。ちょっとした独占欲が顔を出しそうになる。


「気にしたら負けでも無視するのは難しいよな」

「萩原さんも気になるんですか? てっきり慣れていると思ってました」

「どうして?」

「いつも試験で学年一位を取るじゃないですか。注目されるのは慣れていると思ってました」


 意図せず眉が跳ねた。


「知ってたのか?」


 俺の高校では試験順位は貼り出されない。個人情報保護の観点を考慮し、クラスにて上位五名の発表程度に収めている。基本よそのクラスに広まることはない。


「耳に入ってくるんですよ。萩原さんのクラスメイトに、私のクラスメイトと仲のいい人がいるんじゃないですか?」

「ああ、それだな」


 十中八九丸田のせいだ。

 

 あいつは俺から通知表をひったくるなり、大声で順位を吹聴する。それを聞いた生徒が言葉を発すれば、それが柴崎さんの耳に入ることもあっただろう。


 談笑の前には教室の戸も無意味。人の口に戸は立てられないとはこのことだ。


「確かに一位は取ったけど、それだけじゃ注目はされないよ。柴崎さんが綺麗だからこんなに視線が集まってるんだ」

「それは、ありがとうございます……」


 透き通るような白い頬が、熟れたりんごのように真っ赤になった。初々しい態度が微笑ましくて口元が緩む。


「そ、そんなことより今日の映画楽しみですね!」


 柴崎さんがまくし立てた。強引すぎる流れの変更に苦笑がもれる。


 からかいたくなってくるけど、あまりいじって拗ねられても困る。やるのはもっと仲良くなってからだ。


「ああ、楽しみだな」


 微笑みながら映画のタイトルを思い出す。


『踊れ手の平の上で』。陰謀で潰された社長の子息が、陰謀に加担した社長の令嬢に接触して復讐を試みるストーリーだ。一般的には踊平と呼ばれている。


「柴崎さんは踊平のどのシーンが好き?」

「主人公が葛藤するところですね。復讐を諦めれば幸せに手が届くのに、家族への想いがそれを邪魔するところが切なくて」

「分かる。俺もあのシーン好きなんだ。俳優がどう演じてくれるか楽しみだよ」


 センター街を通って薄暗い空間に踏み入った。ポップコーンを購入してシアタールームの闇に身を晒し、予約した中央の座席に腰を下ろす。


 原作の話からポップコーン談義を経て、陽が落ちたように会場内の照明が絞られた。


 スクリーンに街が映った。原作の流れに沿った、されど細かなところを改変されたストーリーが進行する。


 エンディングの余韻に浸って劇場を後にした。ファミレスに足を運び、シックな内装に溶け込んで柴崎さんと同じテーブルを挟む。


「思っていたより良かったな」

「そうですね。原作改変には良いイメージがありませんでしたから、ちょっと驚きました」

「メディアミックスには付き物だしな」


 小説は本、映画は映像。動きのない話を映像にしても客はしらける。原作を映像栄えする形に変えるのは常套手段だ。


 しかし原作は作家が魂を込めてつづった作品。不用意な改変は原作者とファンの不興を買う。


 原作の味を引き出す改編は愛される一方で、原作理解の甘い監督が意味不明な描写を組み入れて台無しにするケースもある。他にも役者の棒読みで雰囲気を壊すなどトラブルを挙げればキリがない。原作の映像化はファンとしてもやきもきするイベントだ。


「映画でシーンが追加されてたよな。主人公が夜中にカーテンを開けて満月を見上げるところ」

「満月?」

「正確には満月に限りなく近い月だな。少し欠けてた気がする」

「ああ、幾望きぼうですね」

「きぼう? 絶望の対極に位置するあれか?」

「違います。満月より少し欠けた月のことを、俗に幾望と言うんです」


 少し欠けた月。次の日には満ちて満月になる状態。


 手持ちの情報を整理して一つの推測を導き出した。


「そうか。あれは時が満ちてないことを示す描写だったのか」

「おそらくそうだと思います。現に、復讐の実行には1ピース足りない状況でしたから」


 視界がぶわっと開けたような感覚だった。


 秋村と映画を観に行った時は、俺が教えることはあっても逆はなかった。


 映画の描写について語り合うのは新鮮だ。自然と口角が浮き上がる。


「じゃああのシーンはどう思う? 主人公が大衆の面前で屈伸をするシーン」


 柴崎さんと言葉を交わして映画の見識を深める。物語に触れて様々な知識を吸収できるのも小説の醍醐味だ。


 知らなかったことを教わり、柴崎さんが思い至れないことを俺が教えた。頭が良くなった感覚を抱いてカフェを後にした。


 今日は来てよかった。


 心の底から、そう思った。

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