第17話 星移し

 満月に照らされたバルコニーの庭園に赤いレースのカーテンを広げると、ミユと荊の魔女は横になって手をつないだ。

「月の光で身を清めるのじゃ。息は深く静かに、しばらくは目を閉じておれ」

「ミユさん、本当にいいんですか……」

「あと七百年は死ねなくなるんだぞっ」

「私はねえー……永遠に絶対に死んでも死ぬ気はないの!」

「ホッホッホッ……」

「それに魔法も使ってみたいしさっ!」

 荊の魔女は、ギリーとブランに目をやった。

「これから唱える呪文はな、限られた者にしか教えられん秘密のことじゃ……悪いが吾とミユの二人だけにしておくれ」

 ギリーとブランが渋々広間に入ると、荊の魔女は息を吹いて大きな窓を閉めた。

「ミユ、良いかの」

「いいけど、私が星移しの呪文を聞いてもいいの?」

「実はな、呪文と言うたが嘘じゃ、そんなものは無い」

「えっ、じゃどうするのっ?」

「このまま静かに手をつないでおればええだけじゃ。月の光に誘われた精霊はな、そのうちに交わり、どうかすると入れ替わることがある。あまりに簡単なんでな、未熟な者がやらんように秘密にされとる」

「そうなんだ……」

「ミユも決して誰にも伝えずにな、それでも死にとうなったら、移せ……」

「うん、分かったわ」

 ミユは静かに目を閉じた。

「そう言えば、まだあなたの名前を……聞いて……なかった……わ……」

「吾の名か……もう忘れてしもたな……ずっと長い間……吾を……呼ぶ者は……」


 城の裏庭にいる猫。侍女と手をつないで街を歩いている。丘から見える城。湖の水が冷たくて手がしびれた。太鼓虫の鳴き声。誕生日の盛大なパーティ。馬番の子のミールとは仲の良い友達。雪が降ってきた。大好きな跳ね橋。風邪で魔法の練習は中止。虹。宿題。禁呪書の封印を破ったら母王に怒られた。カモを狩ってマハイラを作った。湖の小船で酔ってしまった。れ薬を飲ませた衛士が次の日に腹を壊した。城下町の大通りにできた噴水。新年の礼拝。メイドの制服に赤いリボンを付けた。サンダードラゴンの卵。坂道で馬車の車輪が壊れた。新しい真っ赤なドレス。侍女が結婚のため国元に戻った。野焼きのお祭り。バイオリンに弦を張ってみる。船がずっと霧の中。たまには勉強。寄宿学校のイマイチな制服。福音声楽隊のグルミン様が素敵。魔導部の入会面接。対立する国。空を覆うドラゴン。美味しい食事はしばらくお預け。学校は閉鎖。帰国。ついに戦の火の粉が国境を越えた。兵を招集。国土の半分が焼失した。前線を慰問いもんしていた母王が戦闘に巻き込まれて亡くなった。禁呪書を手に取る。……誰?

『ミュウ! ミュウドリィーテ! やめてくれ!』

『もう遅いのです! 兵のいないこの国を守るにはこれしか!』

『ああお願いだ、この財宝を全てお前にやろう、だから……』

『もう遅いのです……私はもう……』

『ああ……我が娘よ……』

『さあお前たち! 我が千年の契約により命ずる! 侵略者どもを蹴散らせ! 愚かな敵を暗黒の炎で焼きつくせ!』

『ああ……ミュウドリィーテ……』

『そうだ……吾の名は、ミュウドリィーテ……』

『ミュウドリィーテ……あなたが私を呼んだのね……』

『そうだ……そなたは吾の生まれ変わり……ミユ、最後に頼みがある……』


「ミユ、目を覚ますがよい……」

「……それでいいのね……ミュウドリィーテ……」

「ミユさーんっ、起きてくださいっ」

「おーいミユっ、帰るぞーっ」

「ギシャアアアアアアァーーーーーーンンッッッ」

 耳を張り裂くような音に驚いてミユが目を開けると、サンダードラゴンがいた。

「何よまたドラゴンなのっ!?」

「私たちの村まで送ってくれるそうですっ」

「いやー俺たちもついにドラゴンライダーかー」

「さあ、行くのじゃミユ……」

 ミユは、荊の魔女の体が白い砂に変わっていることに気づいた。傷ひつとなかった綺麗な赤いドレスもいつのまにか色せて穴が開いている。つないでいた魔女の手が、指の隙間からサラサラとこぼれ落ちた。

「ミュウドリィーテ……」

「さらばじゃ…………これでようやっと…………眠……れる……」

 風に吹かれた荊の魔女は、真っ赤なドレスを脱ぎ捨てた。

「ギシャアアァアアァァーーーーーーンッッッ」

「さよなら、ミュウドリィーテ……」

「これでミユさんは不死になったんですね……」

「残り七百年だぞ、ミユ……」

「でもさー、何にも変わった気がしないんだけど?」

「私もブランも、精霊の影を見る魔具は持ってませんから……」

「ミユが死んだら分かるな」

「私は死なないっ!!」


                        〔第17話 星移し 終〕

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