第10話 覚醒(3)
大好きな少女が銃弾に倒れた、その姿が何度も脳裏に蘇る。
――環子が死んじゃう。
現実から目を背けたくても、倒れる様子が何度も繰り返される。
なんでオレたちを狙うんだろう。環子が巻き込まれてしまったじゃないか。
それに――非力な自分も許せない。
――環子、死んじゃいやだ!
何度も何度も、祈りを込めて願う。何が起きているかも知らず、ただひたすらに。
――黒恵――
はっとした。環子に呼ばれた気がした。
環子の姿を求めて、黒恵は意識を外へ向け始めた。
◇
防壁があるにもかかわらず、風に髪も服もなぶられる。
寒風と雨で身体の芯まで冷えていく。でもそれが今は幸いし、寒さで痛みが麻痺して感じなくなった。
目を閉じ、精神を集中させる。感覚が研ぎ澄まされて、前方の霊気の塊をより強く感じ取れた。
そして、自分の“カケラ”の存在も。
前方に突き出した両手が、“カケラ”の霊気を感じて、じんわりと熱を帯びはじめる。
戻って来い――
“カケラ”と自分をリンクさせる。戻ってこいと強く念じて。
ドクン・ドクン――
鼓動を感じる。これは“カケラ”? それとも……
――環子!
力強く脈打つ鼓動。“カケラ”を通じて、黒恵の心と鼓動を感じる。
“カケラ”の存在が間近に思える。黒恵の存在も。
――黒恵! 気づいて。わたしを見て!
◇
黒恵に対峙している環子と青嗣の背後で、朱李と真白はその目で変化を捉えていた。
環子は両足を踏ん張り、一心不乱に念を込めているようで微動だにしない。
青嗣も環子を支援するため、黒恵の方にだけに集中している。背後の憂いは、朱李と真白に預けられていた。
ふと、どこかから乱れた調子の男の声が聞こえてきた。
「……なんだか聞き苦しい声がしますね」
「あ、あのオジサンだよ!」
真白が指差す先に視線を向けると、屋上に内藤がいた。顔色をなくして、上空を指差しわめいている。
「な……なんだ!? なんなんだ、アレは!!」
泡を吹き出さんばかりに狼狽している内藤を、大柄な男が押し戻そうとしている。
暗殺者を恐れていた男は、意外と霊的なものが視えるタチだったらしい。
それ以上、内藤の観察は止めにして、朱李は視線を戻す。この暴風雨にわざわざ屋外へとやってくる連中は、どうやら皆無らしいこともわかったので。
風が少し威力を弱めたようだ。
黒恵の傍に浮いていた丸い光の玉が、環子と黒恵の中間あたりに移動している。着実に変化してきていた。
身体を張って、黒恵のために力を尽くす環子。
そんな彼女に、朱李は自身の中に渦巻いていた怒りが鎮まっていることに気づく。
ただ僕たちを利用するため、騙していたのか。
そう思ったときに感じた失意と怒り。でも、環子が銃弾に倒れた時、そんなものは吹き飛んでしまった。
敵か味方か分からない、正体不明の環子。それでも感情は育つのだ。
――美しく、謎に満ちた少女。
彼女の秘密を知ったとき、気持ちは冷めるだろうか?
分からない。まだ始まってもいないのだし。
「シュウちゃん、なに笑ってるの?」
きょとんと見返してくる真白に、はっと我に返る。
「――なんでもありません」
「ふぅーん」
誤魔化してみたが、白々しいのは承知していた。この末弟はなかなか鋭いのだ。
「あっ! シュウちゃん、見て!」
真白が興奮して指差す先を朱李も見上げる。
蹲っていた黒恵がゆっくりと頭を起こし、双眸を開き始めていた。
◇
――黒恵、わたし、生きてるわ。
だから、目を開けて! わたしを見て!――
(環子!?――環子の声がする。環子が呼んでる!?)
どくんどくんと確かな鼓動を感じ、うっすらと目を開けた。
なにがどうして今ここにいるのか。
脈打つ鼓動、環子の気配。それがどこから感じ取れるのか探そうと、黒恵は頭を起こした。
モヤが晴れていくように、頭が徐々にはっきりしてくる。
まだ視界に環子の姿を捉えることが出来ない。でも、気配を感じる。とても近くに。
――黒恵、こっちよ。
じっと目を凝らす先に、丸く光るモノがある。その中に浮かぶ、水晶のカケラ。
(あれって、環子が拾い上げたカケラだよなぁ)
胸元に大事そうにしまい込んでいたモノだから、なくしたら困るだろうと手を伸ばす。掴めたと思ったらもう少し先で空振りした。
もうちょっと、とぐっと手を伸ばし、今度こそ掴み取る。水晶のカケラと――華奢な手も。
「――捕まえた、黒恵」
「えっ? 環子?」
ぐいっと引っ張られ、黒恵はバランスを崩した。
「わっ、待って!」
ぐるりと目が回る。軽く衝撃があって、自分が落ちたのだと悟った。でも、頭がとても柔らかいモノの上に置かれている。
なんだこれ?
「……い……痛い……」
「痛い? なに!? えぇ!?」
目を開けたら、白いレースに縁取られた白い肌があった。慌てて上半身を起こすと、それが環子であることが分かって、更に慌てた。
環子の下敷きになって、青嗣が仰向けになっている。その腕が黒恵の腕を掴んでいた。そして黒恵の右手と環子の右手が握られている。
とにかく急いで環子から飛びのいた。手が離れた時、ぽとりと“カケラ”が零れ落ち、それを拾い上げる。
不思議な感覚だった。暖かくて懐かしいような気配が、“カケラ”から伝わってきたのだ。
――この感じ、知ってる?
しげしげと見つめていると、傍に来た朱李も一緒にソレを見つめた。怪訝そうな顔をしている。
「ソレ……今は何も感じませんか」
「うーん、暖かくて心地いい気が流れ込んでくる感じ」
いつまでも持っていたいような気になる。
でも、青嗣に抱き起こされ、咳き込んでいる環子に気づいて、彼女に差し出した。
「……ありがと」
環子は“カケラ”を両手に包んで胸に引き寄せる。
「大事なモノなんだ?」
黒恵を見上げて、わずかに微笑む。
「そう――わたしが生まれた時、この“カケラ”を手に握っていたんですって。だからわたしの一部……みたいなもの」
そんな環子を見下ろして、やはり朱李は怪訝な顔をした。
(環子の大事な“カケラ”が、なぜあのヘンテコリンな水晶球に埋め込まれていたのかな?)
分からない事だらけで首を捻る黒恵は知らないことだが、あれほど吹き荒れていた風も雨もすっかり止んでいた。
月齢12日の月が、雲間から顔を覗かせている。
「とりあえずここから脱出しよう。長居は無用だ」
長兄が言う。確かにその通りだと立ち上がる。まだ少しふらふらするが、歩けないこともない。
「黒恵、歩けそうもないならおぶってやるぞ」
「い、いいよ!」
照れてぶっきらぼうに言い放つ。
朱李と真白にも目で合図して、さあ行こうとしたら環子が後ずさりし始めた。
「環子ちゃん?」
「わたしは別ルートで帰るから」
「なに言ってるんです!? 怪我してるんだし、手当てをしないと」
「この程度なら平気」
頑なな環子に、朱李は自分のジャケットを脱いで着せ掛け、有無を言わせずに抱き上げた。
「問答無用、行きますよ」
「ちょっと朱李! 降ろしてよ!」
「だめです」
じろりと睨まれ、環子は反撃に口を開いたまま言葉もなくぱくぱくしている。
「じゃー行くよ」
真白が先頭きって走り出す。高くそびえるコンクリートの塀めがけて。
その時、どたばたと入り乱れる足音が屋敷内で起こった。足を止めて振り返ると、壊れた外壁から少し様子が見えた。護衛の男や例の秘書が慌てて駆け回っている。
屋敷から少し離れていたため、何を騒いでいるのか分からないが、この隙に脱出するべきだろう。
後日、何らかの報復があるかもしれないが、それはその時に対策を考えようと青嗣は割り切った。
今度こそ出口に向かって駆け出す、その背後で銃声がこだました。とっさに全員身を低くして辺りを窺う。
「……屋敷の中からだよ」
真白が言うのに、環子が頷く。
「そのようね」
ガラスの瞳が月を見上げている。その表情に朱李は眉をひそめた。
◇
内藤家に仕えるものは、この日は全くの厄日だったに違いない。
汚職の発覚で、財務事務次官は更迭となったが、すでに天下り先が決まっていた。ほとぼりが冷めた頃、とある銀行の頭取に収まる予定で、内藤家としては安泰だった。
そこにささやかれた“死神”の噂。関係者が次々と死亡している事実。身の危険をひしひしと感じて、河野兄弟に助けを求めることになったのだ。
その兄弟たちのことを教えてくれたのは、『ジョカ』の配下で『ジンノ』という男だった。
それなのに兄弟たちには拒絶され、追い詰めた先の物置部屋は爆発し、近くにいた者たちは重傷を負った。
外はいきなり暴風と雷雨で、破壊された家屋のいたるところから雨風が侵入し、外に洩れてはまずい書類が風に舞い、回収にてんやわんや。その上、主人が魂を抜かれたかのように、フラフラとどこかへ消えてしまうという状況。
第一秘書が懸命に指示を飛ばすが、異常な現状にみんな冷静さを失っていた。指示も的確さを欠いていた。
ボディガードの一人が、ようやく内藤を確保してきたものの、呆然とした主人は何一つ命令を下すことなく、窓の外を眺めているばかり。
嵐がようやく収まったのが分かったのは、内藤の言葉でだった。
「……雲が切れた。ああ、月が出ているな」
秘書はそれで外を伺って、本当だと頷いた。
そういえば、河野兄弟たちはどうなったのだろうか。爆発した部屋にいたのだから、遺体は無残なことになっているだろう。
彼は兄弟たちが死んでいるだろうと疑わなかった。彼にも、ボディガードたちにも、霊力を感じ取る能力がなかった。
それにもう一人の人物の所在が知れないことにも、ようやく気づいた。
「次官、竜樹のお嬢様はどちらに……」
主人を振り返った秘書は、己の見た光景に血の気が引く。
「 次官!」
内藤は、自身のこめかみに銃を突きつけていた。硬直する秘書とボディガードたち。
彼らが動くに動けない中、内藤は恐怖心を浮かべることもなく、あっという間に引き金を引き、人生の幕を降ろした。
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