第9話 覚醒(2)


 空に稲妻が走る。

 風と雷の音以外、彼らを襲うものはない。


 彼らが避難場所としているのは、屋敷から少し距離をとった庭園の一角だ。少し前までは、手入れの行き届いた風情ある庭園だったが、爆発の衝撃波と暴風で、見る影もなくなっている。


 内藤家の護衛たちはどうしたのだろうか。周囲を見渡してみると、屋敷が半壊していて人影はなかった。どこかに避難しているのだろう。

 環子は小さく舌打ちした。標的と“仕掛け”が雲隠れしてしまっては、仕事が完遂されない。

 でも、今は――


「黒恵ーっ!!」


 兄弟たちが叫んでも、嵐を起こしている張本人に反応はない。

 大気を振るわせるエネルギーの塊は、長大な形でうねっている。大蛇のように。いや、それよりも……



 ――竜みたい。



 環子はその壮大な景色に見入ってしまう。

 竜の胴体辺りに、黒恵は膝を抱えて浮かんでいる。その傍らには光を放つ丸いモノも浮かんでいた。



 ――あれは……“カケラ”!



 さっきまで水晶球の中に埋め込まれていたモノ。

 なぜかその“カケラ”の霊気と、黒恵の霊気は呼び合っている。それならこの嵐は、“カケラ”を黒恵から引き離すことで鎮まるかもしれない。


 強風が雨雲を呼び、大粒の滴が地表を叩き始めた。ますます状況は悪くなる。


「――朱李、離して」


 朱李はさっきからずっと、環子を抱きかかえたままであった。


「なにする気です?」


「黒恵からあの“カケラ”を引き離すのよ」


「カケラ?」


「お互いの霊気がリンクして、力が暴走しているみたいに感じるわ。黒恵は意識を失っているから制御できないし」


 雨足が強くなって、容赦なく身体を打つ。冬の雨は体温を急激に奪い取っていく。

 彫像と化したかのような青嗣が、この時ようやく振り向いた。


 ふわりと四人の周囲に何かが張り巡らされる。雨風の侵入を防ぐ、目に見えない防壁。それは青嗣が作り上げたものだ。

 防壁の中の気温が上がり、冷えた身体が温もる。

 朱李をちらりと意味ありげに見た青嗣が、膝を折って環子に向かい合う。


「……環子ちゃん、ごめん」


 相変わらず厳しい表情だが、鬼神のごとき形相はなりを潜めている。そんな青嗣に謝られて、環子は首をかしげた。


「俺の力加減が甘かったせいで、弾が環子ちゃんに当たったんだ。助かったから良かったけど……」


 ああ、と納得し、環子は首を振る。


「あれは青嗣さんのせいじゃない。“外部”から干渉があったのよ」


「外部って……?」


 本当に流れ弾が当たったなら致命傷になっただろう。なのに、実際はあの小さなカケラに命中した。


 偶然の奇跡――と安易に環子は考えない。


 事象を反転させる能力を持つ環子なら、防げたはずの弾丸。青嗣の“力”のせいで、跳ね返すことが出来なかったのかもしれないが、連鎖して起きた黒恵の暴走。



 ――意図的としか思えないのよね。



 元々、環子にはここですべき事があった。それなのに、黒恵は攫われここに捕われていた。


 何かがカンに障った。だから正面から内藤邸を訪れた。

 当主の内藤に直接探りを入れてみると、まさに自分の知らない企みが進行中だった。

 しかし、この自身の行動さえも“おばば様”の思惑の範疇だったのではないだろうか。




 数日前、肌身離さず持っていた“カケラ”が、わずかな隙をついて盗まれた。

 “カケラ”を欲しがっている“おばば様”。“カケラ”が埋め込まれた水晶球を内藤に渡したのが、“おばば様”の手足となって行動する“ジンノ”という男。


 黒恵を大人しくさせる“魔法の水晶”は、元の“カケラ”とは異なる妙な霊気を発してはいるが、環子には何の影響もない。



 ――造ったのは“おばば様”。



 そして今もこの様子をきっと覗っている。実験の成果を愉しんで。





 竜樹家の当主で、妖力を持つ“おばば様”は、「ジョカ」と呼ばれることもある。


 “女媧じょか”は中国神話に登場する女神で、大陸を造ったとされるほどの力ある存在になぞらえているのだ。


 環子は基本的に、このジョカの命令に従っている。巨大な霊力と、現実社会における絶対的な権力には抗えないのだ。

 行動はいつも監視され、時折気まぐれに命を狙われた。生き残ってこれた運の強さの一因に“カケラ”の存在があった。

 “カケラ”がなんであるのかは知らない。ただ、竜樹家直系には初代からの言い伝えが残されていた。



 ――いつか“印を持つ者”が生まれる。その時こそ、竜王との約束を果すべし。



 “約束”が何であるのかは見当もつかないが、“印を持って生まれた”環子をおばば様は試そうとしているのかもしれない。

 なにより今は、竜王の末裔とされる河野兄弟たちが揃っている。





「――とにかく、黒恵の正気を取り戻さないと」


 上半身を起こすと胸に鋭い痛みが走る。撃たれた衝撃で肋骨が折れたかヒビでも入ったのかもしれない。

 顔をしかめる環子に、青嗣は首を振る。


「近づけない。念動力で壁を作って進もうとしても、動けないんだ」


 唇を引き結び、環子は黒恵を振り仰ぐ。

 人間が発するにはありえないほどの、巨大な霊気の塊。それが暴走して嵐を巻き起こしている。


 天から降る光の矢が内藤邸に突き刺さり、轟音が地面を、空気を震わせた。屋敷から悲鳴が聞こえる。

 このままにはしておけない。黒恵の起こす嵐が、これ以上人を傷つけないうちに。


「青嗣さん、わたしが吹き飛ばされないよう、防御をお願いできる?」


 青嗣は目を見開く。


「いい策があるのかい?」


「策ってほどじゃないけど……、黒恵のそばに浮かぶ丸い光――」


 それを環子は指差す。


「あれはわたしの一部である水晶みたいな“カケラ”なの。それと黒恵の霊気が呼応しているみたいだから、“カケラ”と黒恵を切り離せたら落ち着くかも」


 朱李を、青嗣を見据えて伝えたが、納得してもらうには少々無理があるだろう。


「どうやって?」


「呼びかけるの」


 河野兄弟三人とも眉をひそめた。


「“カケラ”はわたしのモノ。きっと呼びかけに反応するわ」


 これには自信がある。でも黒恵が目を覚ますかは分からない。賭けのようなものだ。


「キミが……敵か味方か判らない状態で、手を貸してもらうのは……」


 顔を曇らせる青嗣に、環子はきっぱり言い切った。


「今は敵じゃない」


 まっすぐ見据える環子に絶句した青嗣は、次いで苦笑を浮かべた。


「正直だな」


 言葉を飲み込む朱李と真白をよそに、青嗣は環子を信じようと決めた。元々、敵とはどうしても思えない。


「じゃあ、やってみようか」


 素直に環子は頷き返した。

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