第8話 覚醒(1)

「クロちゃーん!」


 真白がまっさきに飛びついた。


「大丈夫!? クロちゃんが倒れるなんて鬼のカクランだよ」


 腕を取って揺さぶる真白に、黒恵は少し笑ってみせる。


「なんだよ、それ」


 そんな姉弟の傍から離れようとした環子の腕を、朱李は掴み上げた。炎を宿したような瞳が環子を睨んでいる。


「キミは誘拐犯の一味なんですか!?」


「……違うわ」


 視線を合わせない環子に、朱李は握る手に力を込める。

 環子は唇を噛んで痛みに耐えた。


「朱李、手を離してやれ」


 兄の命令に、朱李はしぶしぶ従う。解放された腕を、環子は無言でさすった。

 険しい眼差しのまま、今度は青嗣が環子に詰め寄る。


「キミがここのことを知らせて俺を見送った。なのにキミもここに来たのは何故だ?」


 この状況はどういう意味を持つのかと。


「それは……」


 環子はあらぬ方に視線を飛ばす。ガラスのような瞳で。

 時々見せる表情だ。目に見えない“何か”を視ているのか、感情を押し殺しているのか。


 環子が口を開きかけた時、ばたばたと扉の外に人が集まってきた。護衛の男たちだろう。


「追い詰められちゃったわね」


 切羽詰った響きもなくつぶやく環子に、朱李の視線が突き刺さる。


「始めからそのつもりだったんですか」


「ちが……」


(違うよ、ちぃ兄、環子は助けてくれたんだ!)


 そう言いたかったのに、黒恵は息苦しくて言葉をとぎらせた。


「クロちゃん? 苦しいの?」


 真白が覗き込んでくる。

 胸を押さえ込んで蹲りかける黒恵に、二人の兄も駆け寄ってきた。



 ――なんだろう。変なんだ。



 環子が胸元にしまい込んだ水晶のカケラ。あれから“力”を感じる。


「黒恵!?」


 いぶかしむ環子も、自身の胸元に異変を感じた。


「……熱い……?」


 バァンと力ずくで扉が破られる。先頭の男たちは警棒ではなく、今度は銃を構えていた。それを青嗣が迎え撃つ。

 片手を振りかざすと、奔流のようなエネルギーが、男たち数人まとめて吹き飛ばした。


 青嗣の能力は念動力。身体から放出される、目に見えないエネルギーが、物を、人を動かす。時には重力にさえ逆らって。


 難を逃れた男の一人が恐怖に慄き、引き金を引いた。弾丸の軌道には黒恵が!

 青嗣がとっさに腕を振るう。彼の念動力で弾道が反れた。


 その行く先は――


 環子が前のめりに倒れる。その胸元から光を弾くカケラがこぼれた。


 黒恵の意識は、ここでぷつりと途切れてしまった。




 ◇




 環子――



 呼んでいる。誰が?



「環子!」


「環子ちゃん!」



 誰よ、痛いじゃない。傷に響くから揺さぶらないで――て……傷を負っている!?



 ゴウゴウと風が唸っている。

 寒い! 風がうるさい! それにさっきから痛んだってば!



「環子!!」


「――うるさ……」


 ぱっと目を開けたら、朱李の顔が目の前にあった。でもとたんに視界がふさがれる。

 なに!? なになに?


「環子ちゃんが生きてるぅ」


 ほっとした真白の声が聞こえた。

 生きてるって何? まるで死んでたみたいじゃないの!?

 それに――朱李の腕が巻きついている。熱い身体。耳元にかかる熱い吐息。


「――よかった」


 彼の胸元にぎゅっと抱きしめられていたのだ。苦痛に耐えるような朱李の顔が、数センチの至近距離にある。


 いまいち状況が飲み込めなくて、環子は成すがままだったのだが、周りが見え始めてくると、だんだんこの抱擁が耐えられなくなってきた。


「朱李、……苦しい」


 腕を乱暴に掴まれた時は文句を言わなかった環子だが、今回は圧死させる気かと思わず疑うくらい、両腕の力が強かった。


 我に返った朱李が力を抜いてくれたので、ようやく呼吸が楽になった。楽になったとたん、ごほごほと咳き込むと同時に胸に痛みが走った。

 なにがあったのだろうか。


「本当に良かった。てっきり弾が当たったと思ったから」


 真白の言葉に、やっと何があったのか思い出した。


 確かに弾道が反れた銃弾は環子の胸に当たったのだ。しかし、銃弾は環子の白い胸を貫かず、別の何かに当たって弾かれた。

 何に当たったのだろうと、探るように手を胸元に当てる。とたん、異変に気づいた。胸元の服が大きくはだけられていることに。


「あっ、それシュウちゃんがやったんだよ」


 真白はお行儀よく、環子の胸元から視線を逸らしているが、兄の犯行を告げ口した。

 なるほど、それで撃たれていないことが判ったのか。

 少し慌てて朱李が弁明する。


「誤解しないでください。傷を調べるためだったんですから。ヨコシマな感情はありません」


「ヨコジマ?」


「よこしま!」


 兄弟の掛け合いは無視して、環子は自身の胸元を点検する。

 道理で寒かった訳だ。それにこの風の強さといったら。銃弾で裂け、ボタンがちぎれてしまった服の隙間から寒風が染み込む。


 覗き込んだ左胸には、内出血で赤黒いあざが出来ている。水晶のカケラを、ブラジャーの左側の裏に忍び込ませていた。その場所だった。

 一応、朱李の弁明を聞き入れて、破れた胸元の服をかき合せる。


「――あれから何が起きたの? 黒恵は?」


 微かに頬が赤らむ朱李は真顔に戻った。


「……なに?」


「あそこです」


 朱李の白くて長い指が指し示す方向には、巨大なエネルギーの渦がとぐろを巻いていた。

 それに立ち向かう青嗣の後姿。



 鎌首をもたげるエネルギーの中心に、黒恵が膝を抱えて蹲っていた。


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