第7話 兄弟


「――もう待てません」


 来客に会うため内藤が出て行ったあと、河野兄弟は応接室に留められていた。

 かれこれ30分以上。

 元々待ってやる義理はない。交渉は決裂しているのだから。


 ということで、最初に痺れを切らした朱李は、すたすたと内藤の秘書の制止を振り切りドアを開け放つ。


 普段なら突発的な弟の行動を止めにかかる青嗣も、この時ばかりは同じ気持ちだったので、もう一人の弟、真白を連れて後を追った。


「誰か! 誰か彼らを止めろ!!」


 慌てふためいた秘書の甲高い声に、ダークスーツの屈強な男たちが行く手を塞ぐ。

 朱李はそれらを鼻で笑い、一瞬も歩みを止めずに突き進む。


 男たちは手に手に警棒を振りかざして朱李に突撃する。が、彼の両腕が左右に振り払われただけで、男三人が壁や窓に叩きつけられた。強化ガラスが砕け散り、一人が外へ投げ出された。


「逃すな!!」


 もう建前は消え去り、悪意をあからさまに襲い掛かってくる。


「例の娘を連れて来い!」


 扉の影から指示を飛ばす秘書が、言ってはいけないことを口走ってしまった。

 ゆらりと青嗣は男を振り返る。その形相と発する気迫に、秘書は腰が砕けた。

 へなへなと座り込もうとした男の胸倉を、青嗣はむんずと掴み上げる。男の足は床から浮き上がった。


「どこにいる」


 形相とは裏腹に、とても静かな問いかけだが、それが逆に恐ろしさを倍増させる。秘書はわが身可愛さに素直になった。


「二階北側の図書室です!」


 青嗣はぽいと男を放り投げ、二階へと駆け出した。


 黒恵が拘束されている図書室に、ダークスーツの男たちが我先にと走ってきた。その後を河野兄弟が追う。

 慌てた男の一人が、鍵を開けるのももどかしく、重厚な樫の木材の扉をぶち破った。が、なぜかそこで立ち止まる。

 追いついた朱李が、立ち尽くしている男を、やさしく腕一本でふっとばした。


「――黒恵!!」


 しかし、部屋に踏み込んだ朱李も立ち尽くす。次いで現れた青嗣と真白も。


「クロちゃんは!?」


 黒恵はいなかった。布張りの椅子の足元に千切れた縄があるばかり。

 そして河野兄弟は知らないことだが、サイドテーブルの水晶球も消えていた。

 青嗣は入り口で伸びている男を揺さぶり、眼光鋭く問い詰める。


「黒恵はどこだ!!」


 がくがくと揺さぶられ、気を失いかけていた男は正気に返ったが、目の前の青年を目にして後悔した。


「こ……ここだ。ここにいたはずなんだ」


 青嗣は部屋をぐるりと見回す。

 誰かに連れ去られた後なのか、それとも自力で脱出したのか。


 朱李は鍵の開いた窓に駆け寄り、外を探したが、黒恵らしき人影は見つからない。屋敷の外からダークスーツの男たちが朱李を指差し、口々に怒鳴っているだけだ。


「黒恵!!」


 窓に駆け寄った青嗣が、もう一度外に向かって叫ぶ。しかし答えがない。そこへ――


「アオちゃん、シュウちゃん、クロちゃんを見つけたよ!」


 目を閉じ、両耳に手をかざして周囲の気配を探っていた真白が、ある一点に方向を定めた。

 “場の空気を読む”――文字通り、真白は空気の流れと気配を読み解く。姉の気配も。


「真白、行けっ!」


 青嗣の号令に、まるで宙を駆けるように真白は走り出す。

 廊下へ出て、今しがた通り過ぎたばかりの方向を戻っていく。途中立ち塞がる男たちに向かい、真白は何かを叫ぶ。

 男たちは衝撃波と激痛に、次々と耳を塞いで倒れていった。

 そして三階へ通じる階段を跳ねるように駆け上がり、突き当りの部屋を目指した。


 真白が青嗣を振り返る。ずいっと前へ出た青嗣がドアノブに手を掛けた。鍵はかかっておらず、難なく開く。



「遅かったのね」



 物置き場らしき部屋の中に、ぐったりした黒恵を抱え込んで、苦笑を浮かべた環子がいた。




 ◇




 それより少し前――



 身体に少し力が戻ってきたことに黒恵は気づいた。

 理由は分からない。でもチャンスだ。

 両腕に力を込めると、身体を縛り付ける縄はどうにか千切れて解けた。


 ふらりと椅子から立ち上がったとたん、足がもつれて床にへたり込む。毛足の長い絨毯のおかげで、音を立てずに済んだことにほっとする。


「逃げなくちゃ……」


 兄弟たちが助けに来ることは分かっている。でも迷惑をかけてしまう。



(ごめん、大にぃ、ちぃ兄。真白は気に病んでなきゃいいけど)



 まだうまく動かない脚に力を込め立ち上がり、窓から身を乗り出そうとして、くらりと目眩に襲われる。

 まだ頭に“もや”がかかっているみたいでまっすぐ歩けない。


 無理やり窓枠をまたぎ、わずかな外壁の出っ張りに片足をかけた。更にもう片足をかけようとして踏み外し、ずるりと身体が落ちかかる。


「――‼」


 とっさに窓枠にしがみついた。

 しかしその手首を、何者かが掴んだ。

 ぎょっとして振り仰ぐ。視界がまだ良好ではないので、何度も瞬きして相手を確かめる。

 なんとそこには、巻き込まなくて良かったと思っていた環子がいた。


「……なんで?」


「無茶するわね」


 環子はほっとしたような微笑を浮かべている。


「あなたの兄弟たちも来ているわ。黒恵、休めるところに移動しましょ」


 そのとたん、視界が暗転する。

 瞬き数回の後、さっきの部屋とは別の所に立っていた。


「……ここは?」


「物置部屋みたいね」


 きょろきょろと見回しているうちに、またくらくらして、身体から力が抜けてきた。黒恵はそのまま床に座り込む。



 ――なんでだろう? せっかくマシになったのに。



の影響だわ。ごめんね黒恵」


 そう言うと、環子は取り出した小ぶりの水晶球を床に置く。

 環子にはこの症状の原因が分かっていたのだ。


「黒恵の傍に置いてあったのを拝借していたのよ」


 水晶球に人差し指を当てると、ぴしりと微かな音と共に無数の亀裂が走り、硬い水晶がパンと粉々に砕けた。


 環子は砕けた水晶から、一塊のカケラをつまむ。欠片というより、はじめからその形でカットされた水晶のように見えた。それを自分の胸元にしまい込む環子を、ただ見つめる。


 不思議なことに、この後、身体にまた力が戻ってきたのだ。


「アレ、なんだったんだ?」


「――わたしにもよく分かってないのよ」


 環子を疑う気にはならない。だから、


「そっか……」とだけ。


 その時、複数の足音がした。緊張した環子は、そのままドアを睨んでる。


 ドアが開き、こうして兄弟たちは再会を果たしたのだ。


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