第6話

 瑛翔が電車で揺られている。事務所から再活動のプロジェクト説明を受けて帰るところだ。この1年間は瑛翔が抜けていたことから、キッスの活動はない。個人インタビューや先輩グループの手伝いとメンバーは散り散りになっていた。ネットニュースでは、海外で遊ぶ瑛翔に代わる新リーダーを予想する企画がもてはやされた。だが、事務所は噂を無視した。なにより他のメンバーは、キッスのリーダーは瑛翔しかいないと、下積みのような活動に耐えていた。そのキッスがいま再び動き出そうとしている。


 

 留学、その本当の理由を知る者は事務所の中でも僅かだ。メンバーでさえ知らないことだ。それは、留学という名の治療。瑛翔は、キッスを支えるリーダーとして重圧を感じていた。メンバーが待っていることが、瑛翔にとって重かった。正直に言えば、適当な奴を入れて活動をしてくれた方が良かったとさえ思った。だが、それはメンバー全員が破ることがない誓いとなっていた。

 責任と重圧が瑛翔を襲った。身体が震えていく。緊張が極限に達すれば発作が起きる。どうしようもない爆弾を子供の頃から抱えていたのだ。

 瑛翔はそれに何とか抵抗しようと目を閉じて必死に耐えた。発作という怪物を払いのけるかのように、あの光景が頭に浮かんでくる。


 まだ幼い自分がいる。オーディションの控え室だ。子供だけがいる。親は付き添うことができず、別室で待機していた。1人で待つ怖さから、発作が出た。緊張が極限に達すると咳が止まらなくなるのだ。周りにいる子は誰も怖がって近寄らない。いや、1人いた。苦しく声も出せないでいる自分の背中を優しく撫で、持っていたハンカチを渡してくれた女の子が。


 瑛翔はスッと目を開けた。あのときと同じように気持ちが安らいでいた。どんな治療を受けても得られることがなかった感覚。


「やっと会えたんだ」


 そう呟くと電車を降りていった。


 翌日


 晴菜の隣に瑛翔の姿はなかった。先生の話では午後の授業から出席するということだ。

 教室が一斉に色めき立つ。「キッスの再活動の準備のため」とか「新メンバーの審査をしている」など声が飛び交う。早紀は何度も晴菜に「何か聞いてない?」と訪ねる始末だ。とうの晴菜は情報がないので気に留めていない。むしろ気になるのは、作ってきた弁当の行き先だ。昨日、作った弁当を完食したことに気を良くして、うずらの卵をデコったり、ウィンナーでカニを作ったりと見た目にも力を入れてしまった。今更ながら、気を良くして作った自分か恥ずかしくなった。

 

(木田先生に食べてもらおう)


 熱くなった顔を下敷きであおいで冷ました。



 4時間目の授業中にクラスの女子が貧血で体調を崩した。さっきまでキッスの話題で盛り上がっていた子だった。瑛翔の姿が見えないことが影響したのかもしれない。なんとも罪深きリーダーだなと晴菜は思った。ここは保健委員の出番だと一緒に保健室に行った。



 瑛翔が登校してきた。朝一で事務所に顔を出し、キッスのリーダーとして復帰することを約束してきた。のしかかる重圧を吹っ切るため、稽古場で1人トレーニングをして汗を流した。ダンス、筋トレと休むことなく体を動かし、頭を空っぽにして疲れ果てたかった。それでも考えてしまう。逃げてしまえば楽なのかもしれない。過剰な期待から逃げるように治療に望みをかけて海外に行った。しかし、結局は何も変わっていない。そのことが分り、余計に追いつめられていた。その中で気づいたのだ。学園にいるとき、楽しさで満たされていると。理由は一つだと。


(思いを伝えなければ、前に進めない)


 瑛翔は校舎に入った瞬間、胸に息苦しさを感じた。全身が痺れ、動けなくなった。貧血のように意識が薄れ、咳き込んだ。昨夜は一睡もしておらず、食事もしていない。そこに無理なトレーニングで一気に体力を消耗したことで、発作が起きたのだ。いつもの体調管理をしていれば何もないのだが、今日ばかりは無理をしすぎた。瑛翔はポケットのハンカチを探した。リッキーのハンカチがあればどんな薬よりも効果があった。


(ない!)


 稽古場に忘れてきたのだ。肌身離すことがないハンカチを忘れてきた。瑛翔の頭がパニックになる。咳き込み、その場に倒れ込んだ。


(声が・・・・・・でない)


 呼吸ができなくなっていた。

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