第5話
「おかーさーん、お弁当箱、大きいのあったよね」
「戸棚の奥にあるんじゃない?」
晴菜が戸棚から二段重ねの黒い弁当箱を引っ張り出した。
(あった!これこれ)
「急にどうしたの。いまの大きさじゃ足りないの?」
「ちがーう!私、そんなに食べないよ」
「あらー。じゃあ、誰かに食べさせるわけ?」
考え込んでいたお母さんがハタと目を輝かせる。
「晴菜、もしかして気になる子がいるとか。誰?」
「それもちがーう。約束したから。いや、保健委員としての役目です。だから、今週は私がお弁当作るから」
「ふーん」
弁当箱を両手に持ち大きく身振りを入れて話す晴菜を見ながら、親指を立てて笑っていた。
約束というのは本当のことである。成り行きではあったが、とにかく約束をしてしまった。きっかけはハンカチだった。
売店から戻ると瑛翔がちょうど弁当を食べ終えたところだった。小さな弁当箱であったが、米粒一つ残っておらず空っぽになっていた。あとから聞いたのだが、栄子の話では食べ方が綺麗でしっかりと味わっていたという。
瑛翔が口を拭こうとティッシュを取り出したとき、ポケットから何かが落ちた。瑛翔は気がつかなかったが、晴菜はそれを拾い上げた。子熊のリッキーがプリンとされたピンクのハンカチだ。瑛翔は慌ててハンカチをポケットに押し込んだ。見られたくないものを見られてしまった。そんな顔をした。確かに人気アイドルグループのリーダーが子熊のリッキーのハンカチを持っているなど、誰も想像できないだろう。だが、晴菜にとっては気になることではなかった。むしろ、懐かしい思いでハンカチを見ていた。
「あーっ、私も同じの持ってたよ。懐かしいなあ。子熊のリッキー、人気だったよね。お気に入りだったのに、どこかで無くしちゃってお母さんに怒られたなあ。いまはもうさすがに売ってないんだよね。神田さんは、大切にしているんだ。良い持ち主に巡り会えてリッキーも幸せだよね」
瑛翔がポケットからゆっくりとハンカチを晴菜に差し出した。晴菜は、ハンカチを見せてくれたのだと思って手に取り眺めた。
「わーっ、そうそう、この絵柄が可愛いなー。いま見ると小さいんだあ。子供用だからかな。懐かしい」
晴菜がお礼を言ってハンカチを返した。瑛翔は何か言いたそうにしていたが、流れに逆らえず黙って受け取った。ハンカチが瑛翔と共有できる話題であったことが晴菜には意外ではあったが、きっかけを掴み、昼食のことに話をもどした。瑛翔が言うには、留学から戻って生活環境が変わり食欲が無かったこと、所属事務所に通って、夜が遅く睡眠時間確保のため朝食は抜いているとのことだ。翌週からはきちんと食事をするという条件で、今週は弁当を提供することを約束した。なかば強引な食事のすすめである。晴菜もよく約束したなと自分でも驚いた。
試験の成績書が配られた。成績書には個人の順位と全体の平均点などが記されている。教室には落胆と安堵の声がこだましていた。晴菜はゆっくりと順位を確認する。180人中43位。とりあえず、50位以内の目標をクリアしたことにホッとした。隣では瑛翔がボーッと結果を眺めている。
(まあ、転校して事務所にも顔を出していれば、勉強に手がまわらないか)
晴菜が同情の色で瑛翔を見つめていると、その視線に気づいて顔を向けた。晴菜が励ましの言葉を掛けようとすると、瑛翔が無表情で成績書を差し出した。記されていたのは、1位の文字。5教科の合計点数495点。もう、何も言えなくなってしまっていた。
(なんちゅーやっちゃ。留学って伊達じゃなかったのね。同情した自分が恥ずかしい。天は二物どころか三物以上も与えておるではないか。アイドルと言うだけのことはあるのね。いや待て、晴菜。そもそもどうして私に見せるのだ。嫌がらせか)
晴菜はモヤっとした感覚に襲われながら、はたして目の前のスーパーボーイに自分が作った弁当を差し出しても良いものか迷っていた。
「あのう、お昼は食べることできそうですか?」
約束したからには果たすべき役割に徹することを、心に決めた。恥ずかしがっている方がカッコ悪いのだ。それにしても神田瑛翔というこの同級生が、なにゆえ弁当を食べる約束をしたのか、晴菜は今更ながら疑問に思った。そんな晴菜の疑問など知ることがない瑛翔は、何度も頷いている。その仕草は小さな子供のように見えた。結局、瑛翔は米粒一つ残すことなく弁当を平らげた。
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