第2話

 いま、クラス全員が目を大きく見開き、静まりかえっていた。いや、全員と言うのは正確ではない。宮島晴菜みやじませいなを除いて全員というのが正しかった。誰もが自分の目に見えているものが信じられないという顔をしている。


 先生の横に立つのは男子生徒。身長は170を超えているようだ。先生と並んでもそう大差はなかった。更にスラッとした身体。細身でありながらしっかりと筋肉がついていそうな細マッチョ体型。少し上がり気味な瞳が大きく見える。鼻筋もスラッとしていて、とにかく一言で言えば、気の強そうなカッコいい男子だ。

 だが、みんなが驚いているのは男子生徒の容姿だけではなかった。黒板に書かれた名前。


 神田瑛翔かんだえいと 


 その名前と容姿にみんなが固まっていた。


「マジカよ。神田って」

「本当に、えっ、キッスの!」

 

 晴菜の前にいる男子が話している。徐々にクラスが騒がしくなってきた。

 

「ねえ、どうしてみんな驚いているの?」


 晴菜が隣の女子に聞いた。


「えっ、神田瑛翔よ。あのキッスのリーダー!」


(キッス?リーダー??誰???)


 興奮が抑えきれない声が響く。それが合図とばかりに女子達が声を上げていく。教室は乾いた高音の歓喜する声で満たされた。さすがに先生が騒がぬようにと注意をした。騒めきが治まると、先生が瑛翔に自己紹介を促す。

 

 瑛翔は教卓に手をかけ、名前を告げた。その声は澄んでいて、雑音を突き抜けて耳に届いた。女子だけでなく男子までもが瑛翔の声に意識が奪われていた。


(教室の雑音を突き抜けてしっかり聞こえる)


 晴菜は瑛翔の声に魅力を感じた。


 自己紹介が終わり、先生が一言付け加えた。


「この学園の1人の生徒として神田さんに接してください。それから、外部への情報発信はプライバシーの侵害につながり、発信者は責任が伴うということを忘れないように」


 先生の言葉に生徒たちは、神田瑛翔が本人であることの確証を得た。晴菜だけは表情を崩すことなく瑛翔を見ていた。


「それでは神田さん、宮島さんの隣の席へ。宮島さん、案内役をお願いします」


 晴菜が手を上げて返事をすると、先生も頷いて瑛翔を席へ着くように促した。瑛翔はまっすぐ晴菜の方へ歩いていく。一歩一歩進むたびに注目を集めていた。歩くだけなのに女子の目は釘づけになっている。

 瑛翔が晴菜の前にきた。ジッと晴菜を見つめている。晴菜は軽く首を傾げた。


「久しぶり」


(いまなんと言いましたか?)


「あっ、どこかで?」


 教室の凍りつく空気のなか、晴菜の頭の中では過去から現在までの記憶を必死で検索していた。


『ピーン!該当の人物は見つかりません』


 検索結果のアナウンスが頭の中に響く。


(当然よ。今日初めて会ったのに知ってる訳ないよ)


「たぶん人違いです」


「あっ」と声出そうとする瑛翔にニッコリと笑い返事をしたことで、凍りついていた空気が一気に緩んだ。隠し立てする素振りもなく、堂々と否定した晴菜の態度は周りの生徒に伝わったのだ。それは瑛翔にも伝わった。瑛翔が何ともいえぬ悲しそうな表情が晴菜の心に残った。


 始業式が終わると早速、診断テストが開始された。春休み明けのボケた頭を引き締める効果は十分にあった。


(転校して初日に試験とはたまらんだろう)


 晴菜は注目の的になっている瑛翔に同情の視線を送った。瑛翔は何食わぬ顔でスラスラと答案用紙に書き込みをしている。集中している瑛翔の姿に晴菜は目を留めていた。手が止まり、瑛翔の目が晴菜に向く。同じ歳なのにどこか幼く見え、強気の印象が薄れた。


(あっ、まずいまずい。別にカンニングしていた訳じゃないから)


 一瞬合った目を晴菜はそらせ、問題に集中した。


 始業初日は午前で終わり、瑛翔は先生と一緒に職員室に行った。生徒一同が瑛翔を見送る。何かと目立つ存在なのは確かだった。


「あのときは驚いたよ。『久しぶり』なんて言ってるんだもん」


 早紀が瑛翔の真似をしている。周りの女子は似ている早紀を笑った。


「ほんとに晴菜は会ったことないの」


 早紀の言葉に周りの女子が集まってくる。


「ないない。全然、憶えないし。私が一番驚いたよ」

「ほんとうかなあ。案外、どこかで会っていたりして」

「知らないよー」

 

 晴菜は頭を抱え込んだ。


「でも、考えられるよ。だって、晴菜が一番芸能界に近い存在なんだから」

「いつの話よ。もう記憶にもない小さな時だよ」

「アンダースタディのオーディションで最終審査まで残ったんだから、これはすごいよ。才能があったってことだよ。もしかしたら、いま売り出し中の俳優、四宮有希よつみやゆきの座に宮島晴菜がいたかもしれないのに」


 早紀の誉め言葉に周りの女子もウンウンと頷く。早紀の言うアンダースタディとは、演劇などで主要俳優に不測の事態が生じたときのために待機している控えの俳優のことだ。


「それは、ないない。もうその話は勘弁して~」


 うなだれ落ち込んでいる晴菜を、早紀たちが慰める。気を取り直した晴菜がヒョイと顔を上げた。


「ところで、キッスって何?」

「えっ、そこから説明!」


 周りが驚くなか、早紀がフォローする。


「仕方ないよ。晴菜は芸能音痴だもん。私たちが、政治家さんたちの顔と名前が一致しないのと同じくらい芸能界に興味ないんだから。では、とっておきをお見せしよう」


 早紀が鞄からクリアファイルを取り出して晴菜に見せた。ファイルには、5人の少年が写っている。中央に瑛翔がいた。実物より少し幼く見えた。


「アイドルグループのキック&スカイ、略してキッス。そしてこれがメンバー。真ん中が瑛翔えいと。その右がサブリーダーの舞鼓斗まこと、瑛翔といつも張り合っているヤンチャな尖ったキャラ。左が明良あきら、おとぼけだけど、しっかり決めるところは決める。右端が愛巳ひでみ、可愛い系だけどダンスのキレはグループで一番。左端が将太しょうた、最年少で何事も一生懸命なところが応援したくなる弟キャラ。人気上昇中なんだけどねー。瑛翔が海外留学するからって1年前に活動休止になっちゃってるんだよね」

「そうなんだ。あっ、でも帰ってきたということは活動再開するのかな」


 晴菜の言葉に女子が目を輝かせた。晴菜はファイルの瑛翔を見つめていたが、答えは変わらなかった。


(やっぱり、記憶にない)

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