第28話 聖紋、覚醒
28.
――僕の視線の先で、とうとうアンリが立ちあがる。先ほどまでの苦しんでいた様子とは異なる、ゆっくりだが迷いのない動きだった。
そして、アンリは右手から眩い光を放ちながら、白く照らされたその顔を上げる。――どこか神聖さを感じさせる視線が、剣と爪で鍔迫り合いする僕たちを捉えた。
アンリは自分の意思で動いているのか、それともまだアンドラスの支配下か。元に戻っていてと願いながら、僕はアンリへ声をかける。
「――アンリ! 意識は戻ってる!? 戻ってるなら、すぐにここから離れて!」
「わ、私の権能は魔神ソロモン様より頂いたものです! テイルに続き、あの小娘まで破れるわけが……!」
息を切らしながらの呼びかけに、アンリは口を開いた。
「――私はもう、テイルの邪魔にはならない」
「――なっ、馬鹿な!?」
「――! アンリ、もとに戻ったんだね! なら――」
「すぐ助けるから、待っててテイル!」
なにを、と。そう言葉を発する暇さえなかった。
――右手にある紋章のようなアザから、神々しい白銀の光が放たれる。銀光がアンリの全身を素早く覆うと、瞬きほどの間も置かず――地面を爆発させる勢いで飛び出したアンリが、僕の眼前で驚くアンドラスへその拳を突き立てた。
「グガッ――」
僕と組み合って無防備になった腹部に、深々とアンリの拳がめり込む。そして、アンドラスの苦痛に歪む顔が確認できた瞬間、その体が凄まじい勢いで後方へと吹き飛んだ。
アンドラスの口からこぼれた血が地面に落ちると同時、さんざん僕たちを苦しめた魔人は大きな音とともに結界へ衝突する。一瞬磔のようになったアンドラスが、ぼとりと地面へ落下した。
僕は驚いてアンリを見る。
「――今の…………いや、それより――アンリ、体は大丈夫!? 異常はないッ?」
僕は視線の先のアンリを確かめる。
その体は僕の燐気とはまた違った銀光で包まれ、一切ふらつくこともなく地面に立っている。見ただけで全身に力が充溢していることが分かり、先ほど見せた異様な身体能力もそれが理由だと知れる。
アンリは力強い眼差しで僕を見返し、小さく頷いた。
「テイル。……ずっと、迷惑かけててごめんね。戦闘でもそうだし、それ以外も……私の心が弱かったから。でも、もう心配いらないから」
「アンリ?」
ここ最近とは打って変わって、強い覚悟と迷いのない雰囲気を感じさせるアンリに、僕はわずかに戸惑いを覚える。そんな僕にアンリはもう一度ごめんと謝り、視線を外す。
「――詳しい話はまた後でね。テイル、今はあいつを!」
「――!」
爆発するような大きな音がして、僕は先ほど飛んで行ったアンドラスの方へ向く。地面から土煙が舞い上がっていて、アンドラスの姿は見えない。しかし、確かにそこにいることは感じる力からも明らかで、加えて先ほどまでよりも――
「……感じる魔力や威圧感が上がってる」
そう呟いた途端、凄まじい風が吹いて土煙が一瞬にして晴れた。そこにはアンドラスが立っていて、失ったはずの羽や腕も復活している。苦労して与えたダメージが、すっかり綺麗に癒えてしまったかのようだ。
――アンドラスは僕とアンリを視界に収めると、強大な魔力が混じった突風を放ちながら叫んだ。
「――力が、増していく。これは――ソロモン様の御力! ああ、我が尊き魔神よ、
いきなり興奮し出したアンドラスだが、言っていることの意味が分からない。しかしその言葉通り、なぜか先ほどより力が増しているのは明らかで、ただでさえ強力な魔人という存在がより厄介になっている。
僕は同じく不可解な進化を果たしたアンリへ視線を向け、何か知っているのではと目で問いかけた。
「――私も、いま女神に言われた。女神の使徒として、私が『戦士の聖紋』を覚醒させたから、それに対抗して魔神も眷属たるアンドラスに力を供給したんだろうって。やるならアンドラスがピンチだったもっと早くからやってればいいのに。…………ああ、なんか魔神は女神のことすごい嫌ってるから、その存在を感じて無理にやったみたい」
「……さっきアンドラスが言っていた女神の使徒って、アンリのことなんだね? それで魔神側も合わせてさらにリソースを割いたと」
唐突な話だが、ひとまず今は必要なことだけ飲み込む。アンリが女神の使徒であることや、『聖紋』とやらについてまた詳しく聞かないといけないが、いまは後回しだ。
僕たちの前には、魔神ソロモンの眷属である六神将アンドラスがいて、その恐るべき力は弱まるどころかさらに高まった。この結界の外では今なお人間と魔物の戦いが繰り広げられており、そこにアンドラスという脅威まで追加するわけにはいかない。むしろアンドラスを早々に片づけ、みんなを助けにいかなくては。
僕はいそいそと地面から大斧を持ち上げるアンリへ言った。
「アンリ。――一緒に魔人討伐だよ。僕の背中は任せるから」
「うん。――もう、テイルを傷つけさせない。私はテイルの力になる」
僕は剣を、アンリは斧を構え、不気味に哄笑するアンドラスを見据える。――そして。
「テイルゥ!」
――まるで瞬間移動のように眼前へ現れたアンドラスを、僕とアンリが迎え撃つように武器を振るった。
「ククッ! いい反応です!」
「何様――!」
僕たちのカウンターを容易くかわしたアンドラスへ、アンリが一回転して斧を叩き付ける。おそらく女神の加護であろう銀光に加え、斧には電流を纏わせている。地面を叩いた斧が、多量の土くれをあたりへとばらまいた。
「凄まじい威力です。しかし、当たらなければどうということもない。次はこちらですよ――」
「なっ」
いつの間にか斧をかわしていたアンドラスは、また突然アンリの横合いへとその姿を現す。そして、その鋭く長い爪でアンリの細い首を薙ごうとする。しかしそれを許す僕ではない。
「【
とっさに発動した水魔法で、糸のように白く細い水を指先から伸ばし、アンリのうなじを断とうとしていた爪を逆に切断する。そのまま指を細かく動かしアンドラスの首を狙うも、突如その姿が掻き消える。
たびたび見せられる不可解な移動に眉をひそめながら、僕はアンリへと駆け寄った。怪我がないことを確認すると、ふっと短く息を吐く。
そして、いつの間にか少し離れたところへ立っているアンドラスを睨み警戒する。
「――アンリ。アンドラスの動き、目で追えてる?」
「攻撃する瞬間――姿を現してからは全然見えるんだけど、こっちに近づくとこや離れてくとこが見えない。まるで移動するっていうプロセス自体が存在しないみたいに、その場に突然出てくるよね」
「やっぱりアンリもそんな感じか。目に見えない速さで動いてるのかとも思ったけど、それにしては地面に踏み込みの跡が見えないし、なにかカラクリがありそうだね」
「カラクリね……。じゃあ、とりあえず確かめてみる?」
アンリはそう言うと、こちらを余裕の態度でうかがっているアンドラスに向けて、大上段に斧を掲げる。
何をするのかと見ていると、アンリの右手にある聖紋が一段と輝きを増し、全身の光もさらに強くなった。斧の刃にもバチバチと強力な電流が走り、銀の稲妻となってときおり空気中へと流れる。
アンリは斧の柄をぐっと強く両手で握り込み、小さく呟いた。
「――【
その瞬間、白銀の雷を纏った斧が地面を叩き付け――まるで地盤を津波のように捲りあげ、電流を纏った土砂の壁をアンドラスへと放った。
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