閑話4 夢と消えた幻は、それでも私を強くする

閑話4.


 ――アリアンロッド。その名はかつての魔神災害を終息に導くべく、勇者たちに加護を与えた存在。


 太古の時代からこの世界を見守り、平穏を維持すべく君臨しているという女神。


 そんな存在が、どうして私に――


 疑問はいくつも頭に浮かぶが、しかし泡沫のように消えていく。摩耗した心は、もはや超常の存在に声をかけられた程度で大きく動くことはないらしい。


 頭の中でアリアンロッドは続ける。


【――アンリ。魔神の手はもうこの世界へ届きかけている。以前より見込みある幾人かへ加護を与えていますが、中でもあなたは特に適正が高い。私に手を貸しなさい。――世界を守るために】


 アリアンロッドの言葉に、私は何も言葉を返さない。普段ならその強引な態度に多少思うところもあっただろうが、今の私にもはやその元気はない。


 しかしその沈黙を肯定ととったのか、アリアンロッドは少し声を高くして告げた。


【さあ、私の導くままに前へ。力が届きやすいよう、月の光のもとへと】


 その途端、何か弱い力がかけられたような気がした。体を無理やり操るほどではないが、今の私を動かすには十分な力。


 私は力に逆らうことなく、流されるように体を動かす。


 ベッドから抜け出し、隣に眠るウルやリエッタを一瞥して静かに部屋を出る。そのまま廊下と階段を進み、宿の扉から外へと出た。


 通りにはすでに人の出す灯りは一切なく、真夜中の空に月と星が煌めいていた。そして、その白金の光が私の体に降り注ぎ、先ほどから体を満たす力が次第に強くなっていく。


 もはやそれは弱い力と言えるものではなく、確かな神の存在を私に感じさせた。


【――さあ、アンリ。いったんその身を私に引き渡すのです。今のあなたは戦士として耐えられる状態にない。このままでは魔神の復活を待たずして身を滅ぼすことになる。さあ、私の力に逆らわず――】


 アリアンロッドの言葉が徐々に小さくなっていく。まるで間に障害物を挟んだように、その神秘を感じる声がぼやけていく。


 ――これは、私の感覚が薄れていってる……?


 しかし、そう気づいてなお、私はアリアンロッドに抵抗する気になれない。テイルというあまりに大きな存在を失った私は、もはや自身の体へすら未練を持つことができなかった。


 次第に感覚が消えていき、しかしそれとは裏腹に私の足はしっかり地面を踏み締める。力強く拳を握ったり開いたりと、まるで新しい体を確かめるような挙動――。


 そして、私――アンリという自意識は体を離れて浮かび、自身の口から漏れ出た声さえ遠い夢のよう。


【――ふむ、なるほど。大事なテイルを失ったショックは、あまりにも大きかったと。普段飄々と振る舞っていたのは、拒絶されることを恐れていた裏返しですか。幼い頃の体験が過剰に低い自己肯定感を作り上げたようですが……しかし、今はそこまでいじる必要はありませんね。取り急ぎ、私の使徒としての活動に支障を無くすため、直近の記憶だけ書き換えてしまえばいいでしょう】


 ――そうして、私の意識を占める大部分――テイルの喪失に関する記憶が、まるで砂でできた城のようにボロボロと崩れ始める。


 耐え難い悲痛に満ちた記憶とはいえ、これは私が最も大切に想うテイルに関するものだ。なんとも言えない喪失感を覚えたが、しかし直後、それを圧倒的に上回る幸福感が植え付けられる。


 ――そう。それは、私がテイルの恋人として過ごした記憶。




 ――私は今までたくさんテイルに救われてきて、これ以上何かを求めるなどおこがましいと思っていた。


 この浅ましい想いを見せてしまえば、呆れられ、見損なわれてしまうのではと。


 そんなことで私を嫌いになるテイルではないと分かっていながら、それでもかつて過ごした灰色の日々の記憶が私の行動にブレーキをかける。テイルに見捨てられれば、またあの地獄のような暮らしに戻ることになると、そう思えば自然と体が震えた。


 しかし、そんな時だ。想像だにしない、信じられないことが起きた。


 ――なんと、テイルの方から私にその想いを伝えてきたのだ。ずっと胸に秘めていたという、淡い恋心を。


 私はそれを聞いて大いに驚き、喜んだ。そして一も二もなく受け入れる。ウルやリエッタの気持ちも知ってはいたが、それよりも私はテイルの心を手に入れるという耐え難い誘惑に抵抗できなかったのだ。


 これまで、この想いは私だけの一方通行だと思っていた。テイルは優しくてかっこよくて頭も良いけれど、私はそれとは正反対。愛想は無いし、女らしい淑やかさもない。あるのは人並外れた怪力だけ。


 そんな私が、テイルから想いを向けられていたなんて――。


 私たちの間にあったのは、信じられないほどに都合が良く、幸福に満ちた会話だった。互いに愛の言葉を紡ぎ、体を触れ合わせ、優しく口づけを交わす。


 幸せの絶頂とは間違いなくこれだと思った。


 そうして、晴れて恋人同士となった私たちは、それでも四人の関係を悪化させることはなく、これまで以上に仲睦まじく冒険者活動を続けた。


 ウルもリエッタも私たちを祝福してくれる。テイルはつい最近長期で出ていた単独任務から帰ってきたし、これからまた四人で充実した冒険者活動を――――




 ――そんな、まるで夢のような記憶は。


「あり得るわけ、ないよね」




 魔人アンドラスの力により沈んでいく意識の端で、私はテイルの言葉を聞いた。


 彼は言った。『三ヶ月前、僕が崖から落ちたこと』と。


 その瞬間、記憶はフラッシュバックする。


 ――ああ。やっぱり、こんな都合のいい夢みたいなことはなかった。


 三ヶ月間テイルがいなかったのは、一人崖下で戦いを続けていたからだし、私はテイルの恋人なんかじゃない。


 テイルとの甘い日々は全部まやかし。性根の曲がった女神とやらに植え付けられた、偽の記憶だ。


 それでも。


 私は体に力を入れる。アンドラスの影響により、うまく手足が動かない。立ち上がろうとしても足が震え、膝からくず折れる。


 それでも私は諦めない。


 ――あの時。私はテイルが落ちていくのを止められなかった。


 誰よりも私を助けてくれた人を、目の前でみすみす取りこぼしてしまった。


 あの時の絶望を思い出せ。無念を思い出せ。


 あんな思い、私はもう耐えられない。この胸を引き裂かれるような痛みは、もう一分一秒たりとも味わいたくない。


 だから、もう。




 ――もう二度と、私は、愛する人を失わない!



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