第26話 闘技場、白金への浸食

26.


 アンリもウルは、何を言っているのかという顔でアンドラスを見る。それはまるで馬鹿を見る目であった。


 しかし、アンドラスはそんな視線にさらされていることにも気づかず、ひどく衝撃を受けた様子で僕を凝視している。


「て、テイル、私の指示に従いなさい」


 僕はもはや掛けられた言葉に反応することもなく、無言でアンドラスとの距離を詰める。じりじりと前に進みながら、先ほど解いた身体強化を再度発動し、剣も生成し直した。


 アンドラスはびくりと反応し、慌てて戦闘態勢を取った。


 ――おそらく、先ほどアンドラスが発動した未知の力は、僕を操ろうとする何かだったのだろう。しかしそれは思うように発動せず、それが予想外だったためにアンドラスはひどく取り乱している。


 展開した魔力障壁が防いだのか、アンドラスが弱っていたから効き目も薄くなったのか。なぜ僕にアンドラスの技が効かなかったのかは分からないが、しかし動揺してくれている今が好機だ。僕は徐々にスピードを上げ、やがて地を疾走してアンドラスへ攻撃する。


 始めの交錯へ巻き戻したように、僕の振るう剣とアンドラスの長い爪がぶつかり合い、大量の火花を散らした。


「くっ――。なぜ、私の権能が効かないのです!? 貴方の魔力器官は、明らかに私の力に侵されているというのに!」


「僕の魔力器官が侵されている……? なんのことだか分からないけど、僕が君に従うことなんて、ないッ……!」


 言葉とともに振るった剣を、アンドラスは何とかといった様子で捌く。しかし完全には防御しきれず、肩の服が切れて血が滲んだ。


 アンドラスは顔を歪め、力任せに僕の剣を弾く。そして自身も大きく体勢を崩したまま、大きな声で叫んだ。


「――【戦争の名において命じる】! 【付近の魔物はこの場へ集いテイルを始末せよ】!」


「これは、さっきの――」


 直後、四方から魔物の雄叫びが上がる。先ほどまで各個近くの冒険者が相手していた魔物たちが、どうやら僕のいる場所へ向かって移動を開始したらしい。


 しかし、アンドラスの相手を続けながら様子をうかがう限り、僕のもとへ辿り着く前にすべて他の者が足を止めさせている。空を飛べる魔物もいるが、視界の端で魔法によって撃ち落とされている様が見えた。


 僕は魔物を他の者に任せ、引き続きアンドラスの相手に集中する。繰り出された爪の一撃をくぐってかわし、もう一方の爪を強く弾くと、がら空きの胴に横薙ぎを見舞う。アンドラスは避けきれずに血を飛び散らせるも、まだ深手には遠く、僕から距離をとって肩で息をしている。


「くっ……。魔物たちは、権能で命じた通り私に従っている。だと言うのに、なぜ貴様には効かないのです!」


 今の言葉を聞いて、僕はぴんと来る。そうか、つまり先ほど言っていたアンドラスの力で侵されているというのは――


「――あの谷で、君は何かの能力を使って魔物たちを強化していた。それと同時に、なんでも命令を聞く兵隊にしていたということだね。そしてそれは、あの場に三か月いた僕にも行われていた……」


 そうであれ納得がいく。確かに僕はあの三か月を経て魔力量が大きく増えた。それは先ほどアンドラスが言った通り、彼の力で僕の魔力器官が強化されたからということなのだろう。また、アンドラス自身が僕の魔力器官変容の理由を知らなかったことから、それは谷底にいるだけで適用されるものだったと考えられる。


 そして本来であれば、そうなった存在はおそらくアンドラスの操り人形と化してしまうはずだった、と。


 しかし、実際僕はそうなっておらず、こうして――


「ふッ――!」


「ぎ、あああ――!」


 僕の振るった剣が、稲妻のような鋭さでとうとうアンドラスを深い傷を負わせる。長い爪が伸びた左手をひじの辺りから切断し、少し離れた場所に飛ばす。


 アンドラスは悲鳴を上げながらよろめき、左腕の断面から大量に血を溢した。


「く、よ、よくも……!」


「これ以上、時間はかけられない。次で決めるよ」


 アンドラスは腕以外にも体中に傷を負い、もはや満身創痍だ。周囲では未だに集まった魔物との戦いが繰り広げられているので、早くアンドラスにとどめをさして僕も助太刀に向かわなくては。


 後ずさりするアンドラスをまっすぐ見据え、僕は魔法を発動する。


「【陽衣ひごろも】」


 剣を白い炎が覆い、湧き上がる熱が周囲の空間を歪ませて見せる。


 それに対し、アンドラスは小規模な魔法をいくつか放ってきた。炎の弾や氷の槍、そして闇が固まったような魔力の矢。大きな魔法は準備の時点で距離を詰めて斬られると理解しているがゆえの選択だろう。


 しかし、今さらそんなもの効きはしない。切り結びながらならある程度厄介ではあるが、自由に動ける今はすべて冷静に対処できる。


 僕は他の冒険者たちへ被害が出ないよう、向かってくる魔法をすべて陽炎の剣で切り落としていく。発動速度重視の魔法であれば、こんな曲芸のような真似でも十分だ。


 丁寧に魔法を叩き落しながら近づく僕に対し、アンドラスはなおも魔法を放ちながら後ずさりを続ける。


「やっ、やめなさい! 来るな――!」


 アンドラスとの戦いのためにぽっかり円状に空いた空間で、僕たちは外周に向かって少しずつ移動していく。このままでは他の冒険者のもとへ追い詰めてしまうと、多少無理してでも距離を詰めてアンドラスへ引導を渡そうと、僕がそう考えた時であった。


 ――魔物と戦闘を続ける冒険者たちの囲いから、一人アンドラスへ向かって抜け出してくる者がた。それを見た瞬間、僕は声を上げる。


「――ダメだ、来ないで!」


 次いで、どこかから「馬鹿が!」と叫んだリカードさんの声も聞こえる。


 僕は身体強化で無理やり魔法を受けて走り出すが、もう間に合わない。囲いから抜け出した冒険者の男が、剣を振り上げ後ろからアンドラスへ斬りかかる姿が見える。


「へへっ、ボス討伐の手柄は俺のもんだぜ! おらッ――――あ?」


 そして、振り下ろされた剣がアンドラスの背中に当たり、硬質な音とともに弾かれる。ぽかんと口を開けた冒険者は、振り返ったアンドラスに頭を鷲掴みにされ宙に浮いた。


「馬鹿な人間め、しかし好都合――!」


 アンドラスが喜色も露わに、にいっと口を曲げる。


 また人質を取って僕を制止するつもりかと歯噛みしそうになったその時。しかし、状況は目まぐるしく変わっていく。


 ――喜びで警戒が疎かになったアンドラスの背後にて、再び素早く動く影があった。


 見えたのは、色素の薄い白金の髪の毛。滑らかな白金をたなびかせながら、巨大な斧に紫電を纏わせたアンリが、アンドラスの腕に重たい一撃を入れた。


「ぐうッ……!?」


 その衝撃で男は放され、痛みに喘ぎながらも這って離れる。


 アンリが振るった斧は半ばまで腕に食い込み、雷の魔力をアンドラスへと送る。ぶすぶすと黒い煙を上げながら、アンドラスは雄叫びを上げた。


「ぐおおぉあああ! くそ、どいつも、こいつも――! こうなればこの娘を!」


「まずい! アンリ!」


「遅いわ! 【闘技場よ、顕現せよ】!」


 瞬間、アンドラスを中心として半透明な紫の壁がドーム状に広がる。すぐそばのアンリ、そして駆け寄ろうとしていた僕だけを中に残し、完全に外の空間と分断される。


 しかし、アンリはそんなことなど気にも留めず、両手で握った斧にさらに力を込めた。


「――テイル! 他に邪魔が入らなくてむしろ都合がいいよ! 今のうちに……!」


「ぐぎいいいああぁ!」


 斧を走る電流が勢いを増し、アンドラスがさらに悲鳴を上げた。しかし、剣を交えてその肉体強度を実感している僕は、まだこれで終わりではないと知っている。すぐアンリのもとへ駆け寄ろうとするが、しかしアンドラスの方が早かった。


「貴様ごとき小娘の一人、即席の浸食で十分だ!」


「う、な、なに!?」


 苦悶の声を上げるアンリに、アンドラスは告げた。


「――【戦争の名において命じる】! 【我が軍門に下り、テイルを打ち倒せ】!」




――――

そろそろアンドラスとの戦いも佳境に差し掛かってきました!

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