第25話 権能、不発
25.
向かう先は騒然としていた。舞い上がる土煙で隠れているが、突如上空から降ったスタンピードの主を前に、居合わせた者たちは泡を食っているだろう。
アンドラスの墜落に巻き込まれた者や、仮にやつが生きていてもその手にかかった者がいないことを祈りながら、僕は風のように地を駆けた。
そうしてアンリたちに追いつき、土煙が晴れると同時にアンドラスのもとへ辿り着いた僕たちは、場に満ちる殺気立った空気に目を鋭くする。寄ってくる魔物を雑に斬り捨てながら、冒険者たちが近づけず遠巻きにするアンドラスの前へと進み出て――
「――やっぱり、浅かったか……」
悔恨を吐き捨てるように呟いた僕の先で、傷ついた姿の魔人が立っている。背に生えていた翼は片方が無くなり、体の側面を走る傷から少なくない血が流れている。身にまとう衣服や皮膚には細かい傷や汚れが目立ち、その顔からも不敵な表情が消え去っていた。
その様子だけ見れば、深手を負って追い詰められた魔人という構図なのだが――
「――よくも、人間ごときがここまでやってくれましたね……」
牙を剥くアンドラスに登場時の余裕は残っていない。そしてだからこそ、もはや手段を選ぶようなことはなかった。
僕たちと相対するアンドラスは、片手で冒険者の少女の首を抱えている。つま先立ちになり苦しそうで、強大な魔人という災厄を前に青い顔をしているのは――昼間、ブレン近郊の森で助けた少女、リンだった。
「――劣等種族相手に、こんな手を使うことになるとは。屈辱ですが、仕方がない」
「ぐうぅ」
アンドラスは忌々しそうに僕を見て、リンを拘束する力を強めた。苦しそうに声を漏らしたリンに、居並ぶ面々が動揺する。
「り、リン! くそっ、俺、どうしたら……」
この場を取り囲む冒険者の中に、リンと同じパーティであるベルの姿もある。彼は仲間を人質にとられ、苦悶の表情で歯噛みしていた。
僕の隣にいたアンリは、思わずといった風に呼びかけた。
「ベル! なんで、二人みたいな新人が戦場に……!」
「……あ、アンリさん! 俺たち、新人だけどみんなの力になりたくて、負傷者を街に連れ帰ったり、傷薬を運んだりする手伝いに志願したんですけど……いきなり、リンが……!」
ベルの言葉に、僕たちはギリと歯を鳴らす。ブレンや戦士たちを守ろうと手を挙げた勇気ある若者たちが、いまこの戦争で窮地に陥っている。それも、僕がアンドレスを倒し損ねた不手際のつけとしてだ。
一連のやり取りを見て、先ほどまで余裕をなくしていたアンドラスがにやにやと厭らしく笑う。
その様子に内心抱いた怒りを抑えながら、僕は魔人へと声を掛けた。
「アンドラス。どうしたらその子を返してくれる?」
「ふふふ、どうしましょう? 私をここまで虚仮にした貴方に、お礼をしなければとは考えていますが」
「……僕をいたぶれば、解放してくれるってことかな」
「おい、テイル!」
リカードさんが叫ぶ。
言いたいことは分かる。彼らは僕が魔人の手に落ちるのを防ぐためにここにいる。つまり、最悪リンと僕の命、どちらかの選択を迫られたとして、選ぶのは僕の命でなくてはならないのだ。
しかし、僕も自ら命を捨てに行く気などない。それをしたところでリンが助かる保証はないし、アンドラスを倒すための戦力が減って、より多くの命が危険にさらされる。
だから、アンドラスが魔法で僕をいたぶると言うなら、気づかれない程度に魔力障壁を張ってなんとかしのぎ、そのうちに他の仲間がリンを助ける。直接僕を攻撃すると言うなら、近づいた瞬間僕がリンを助ける。
アンドラスの思い通りになどなってやる気はなく、僕はアンリやウル、リエッタとひそかに目配せした。長く一緒にいる彼女たちなら、僕の考えを察して動いてくれるはず。
であれば、まずは一度アンドラスに従うべく、もう一度問いかけようとしたその時だった。
「――人間、テイルと言いましたか? 私はなにも、貴方を傷つけるつもりなどありませんよ」
アンドラスの放った言葉に、僕を含めた一同は黙り込む。その台詞が信用ならないのは当然だが、意図が分からない。そんなことを言ったところで、僕たちが警戒を緩めると思ったわけではないだろうに。
アンドラスは続ける。
「テイル、貴方は人間にしておくに惜しい。その強大な魔力量、優れた魔力操作――特に、身体能力を強化する魔法への極めて高い適性。はっきり言って下級・中級魔人などよりよほど強いし、私たち六神将にも迫るほど。だからこそ――」
アンドラスは両眼を細め、口を弓なりに曲げた。その邪悪な笑みに警戒を強める一方で、意に介していない様子のアンドラスが僕を手招きする。
「こちらへ来てくれますか? なに、先ほど言った通り痛めつける気はありませんよ。ああ、その剣は捨てて、身体強化も解除してくださいね」
「分かったよ」
「ふふ、賢明です」
捕えたリンを見せつけながら、言葉通り武装解除する僕をアンドラスが見つめる。
それから、僕はアンドラスへと向かってゆっくりを歩を進めた。剣はなく身体強化もしていないが、いざとなれば一瞬で強化をかけ直せるので、どのタイミングでリンを助けに動こうかと様子をうかがう。
そして、あと十歩ほどの距離まで来たところで、アンドラスが制止の声を上げた。
「あまり貴方を近寄らせると恐ろしいですからね。ここまで近づけば十分です」
いったい何をするのに十分だと言っているのか。それより、確実にリンを助けられるか微妙な距離で止められたので、僕は思わず顔をしかめそうになる。
ひとまずアンドラスの行動を待って、もっと近づけそうなら僕がリンを助ける。無理そうなら、アンドラスを引き付けてアンリたちに動いてもらおう。
そう頭の中で考える僕に、アンドラスは何か企んでいるらしき不敵な笑みを向けてきた。警戒する僕にこれ以上近寄れとは言わず、無言でこちらを見つめてくる。
そして、次の瞬間だった。――アンドラスは、突如としてその体から不可視の力を立ち昇らせた。
それは魔力とは違う未知の力。色も形もない、これまで見たこともない何かだ。しかし、明らかに大きな脅威として僕へその圧力を伝えてくる。
一体何をするつもりかと身構えながらも、リンを助けられる機会だと体に力を入れる。どんな攻撃をしてきたとしても、アンリたちが動く時間を稼ぐ。そしてリンを助けたあかつきには、今度こそかの魔人を倒してみせる。
僕の決意をよそに、アンドラスはおもむろに口を開く。
「――貴方のその力。今後は、私のもとで振るってもらうとしましょうか。さあ、【戦争の名において命ずる】――」
立ち昇る不可視の圧力が強くなる。そして、それはやがてアンドラスの眼前一点へと集い、僕に向かって放たれた。
「――【一切の抵抗を止め、我が傀儡として軍門に下れ】!」
「――!」
僕は背後でアンリたちが動き出す気配を感じながら、気づかれない程度に体へ魔力障壁を張った。そしてその直後、巨大な力の波が僕へと押し寄せてくる。
それはまるで、思念の奔流だった。アンドラスが僕に放った命令に殉じよと、絶えず頭の中で声が響く。耳をふさげば聞こえなくなるようなものではなく、僕の頭を内側からがんがんと叩いてくるような声だ。これは一体誰の――僕の、声か――。
僕は顔を歪め、膝をつく。頭に響く声が体から力を奪い去り、頭痛と全身の倦怠感が襲ってくる。
気付けばアンドラスから放たれる力は止んでいて、彼は薄く笑みを浮かべてリンを適当に放った。
今にも飛び掛かろうとしていたアンリたちは、解放されたリンを急いで回収する。リエッタが後ろに連れて行き、アンリとウルはすぐ僕のそばまで駆け寄ってくる。
それらすべてを些事とばかりに見過ごしたアンドラスは、一歩一歩とゆっくり近づいてきながら、僕に向かって告げた。
「――さあ、私の忠実なるしもべであるテイル。まずは手始めに、その仲間二人を殺してください」
その言葉には、先ほどのような特別な力など込められてはいない。しかし、アンドラスは僕が従うことに疑いを抱いておらず、ただその言葉通りに動くと確信しているようだ。
僕を支えようとするアンリとウルは、アンドラスの言葉に一瞬厳しい目をする。しかしそれでも、僕に対する大きすぎる信頼とともに、躊躇なくその手を差し延べてくれる。
僕はそんな二人の助けを断り、自ら足に力を込めて立ちあがると、期待の眼差しを向けてくるアンドラスへと言い放った。
「――僕が、二人を殺すわけないよ」
アンドラスは、驚愕に目と口を大きく開いた。
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