第24話 六神将、一閃

24.


 魔人の言葉に、ぞくりと背筋に寒気が走る。僕は視線も鋭く、地上へ降り立った魔人を観察する。


 ――それを言葉で表すとするなら、まさに伝承で語られる悪魔と言ったところか。背中から生えた黒い羽、青い肌、尖った耳。髪は真っ黒で長く、顔の造形自体は整った人間の男と大差ないが、纏う雰囲気と発する魔力がそれを否定する。


 僕は周囲の仲間やリカードさんたちと視線を合わせ、魔人に向けて一歩前へ進む。


「この魔物たちの主だね。一応聞いておくけど、穏便に軍勢を退く気はない?」


「……ん? 人間、それは私に言っているのですか」


 反応した魔人は、心底分からないという表情で首を傾げる。それから、酷薄な笑みを浮かべて僕たちを見る。


「――私は魔神ソロモン様の忠実なるしもべ、六神将が一――【戦争】のアンドラスです。これは私が始めた戦争なのですから、私が辞めたくならねば辞めることはありませんよ」


「……そう。じゃあ――」


 体を巡る魔力が、轟轟と唸りを上げる。身にまとう白光が強くなり、それを見たアンドラスが微かに眉を上げた。


 僕は、予備動作なく地を蹴り、猛烈な勢いでアンドラスへと接近する。


「――君は、僕が倒す!」


「できるものなら」




 ――僕の剣とアンドラスの爪が衝突し、辺りに衝撃がまき散らされる。


 僕は歯を食いしばりながら、剣を押し戻そうとするアンドラスに抵抗した。武器も防具も身に着けていないアンドラスだが、交錯の瞬間に両手の先から爪が伸び、まるで刃物のように剣と打ち合ってくる。


 魔力で強化しているのだろうか。鍔迫り合っているのは金属と爪だというのに、割れたりする気配はまったくない。


 また武器についてもそうだが、身体能力を見ても油断ならざる相手だ。全開の身体強化で瞬きの間に接近した僕の攻撃を容易く受け止め、剛力を込めているはずの剣をこれ以上まったく押し込むことができない。燐気を纏っているわけでもないので、魔人というのはそもそも素の身体能力が人とは違うのだろう。


 ――しかし、膂力で押し切れないなら。


 僕は前に進まない剣を両手で必死に支えつつ、瞬時に魔法陣を展開する。丹田の前面に現れたそれは、比較的制御が楽で威力が高いという性質を持つ火属性の赤。すぐに練り上げた魔力を流し込み、魔法を発動する。


「――【火焔珊瑚かえんさんご】」


 魔法陣から頭を出すのは、炎でできたいくつもの短槍だ。そのすべてが目の前のアンドラスに狙いを定め、そして射出される。直撃を厭ったアンドラスが両手をねじって僕の剣を滑らせ、その隙に斜め後方へと飛びずさる。放たれた火の槍は空を切る。――しかし。


「小癪な……」


 僕は魔法陣に追加で魔力を注ぎ込み、追撃の槍を放った。アンドラスへ直進したり、退路を制限する進路をとったりする火槍の後ろから、魔法に追い付くほどの速度で僕自身も迫る。


 それに対し面倒そうに手をかざしたアンドラスは、小ぶりな魔法陣をいくつも眼前に出現させ、赤黒い魔力球を放って迎撃した。小さな球だが威力が高く、ぶつかった火槍を打ち崩す。いくつかはそのまま貫通して僕に向かってきた。


 回避を余儀なくされ、僕たちはまた互いに距離を開けてにらみ合う。


 アンドラスは何か思案するような表情で顎に手を当て、僕に向かって言った。


「魔法系の魔人とはいえ、この私に迫るほどの白兵戦闘能力。そして戦闘中でも乱れない精緻な魔力操作――敵にすれば中々に面倒な人間ですね」


 意図が読めない発言に、僕は沈黙をもって応える。


 ちらりと周囲へ視線をやり、まだ戦場で人間と魔物の戦いが各所で繰り広げられていることを確認する。魔人戦をサポートしてくれる隊のみなも、僕へ魔物を寄らせないよう戦ったり、隙を見てアンドラスへ攻撃しようと構えたりしている。


 アンドラスへ視線を戻すと、彼は僕に薄い笑みを浮かべて見せた。


「――しかし。貴方は、私の敵ではない。何故かはわかりませんが、貴方はすでに私の魔力の影響下にあるらしい」


「……どういう意味かな」


「おや。自覚はありませんか? 貴方の魔力器官、そして身に流れる魔力は――」


 アンドラスが得意げに語ろうとした、その時であった。


 かの魔人の背後で、一陣の黒い風が走る。そしてその風――ダガーを構えたウルは、黒い尻尾を後方へなびかせながらアンドラスへ接近し、その頸部へ後ろから斬撃を見舞った。


「――なにっ……!」


「っ、浅い」


 間一髪で気配に気づき、アンドラスが空へ飛び上がる。羽ばたきが起こした風に、少し血が混じって舞った。


 宙へ逃げたアンドラスを見上げ、不敵に笑ったウルが口を開く。


「――魔人でも、血は赤いんだね」


「き、貴様……!」


 激高したアンドラスは、片手で首の後ろを抑えながら、反撃として人ひとりほどの大きな魔法陣を展開しようとする。しかし、それを許す僕たちではなかった。


「テイルくんから離れたなら、魔法の飽和攻撃で! みんな!」


 後方で響いたリエッタの声から数瞬置いて、色とりどりの魔法攻撃が宙に打ち上げられた。リエッタを筆頭に、各々が持つ強力な手札を惜しみなく切っているらしい。


 それを見たアンドラスはたまらず魔法発動を中断し、眼前に透明な赤い魔力壁を生み出す。順次着弾する魔法を受けてなお、その防壁は破れることはない。


「――羽虫どもがどれだけたかろうと、魔法で私の防御を抜くことなどできはしません!」


 継続して防御に魔力がつぎ込まれ、絶え間なく着弾する魔法を防ぎ続ける。僕が接近戦でアンドラスを抑えている間に用意していたらしく、リエッタたちが放つ魔法はまだ途切れることはないが、魔力壁が壊れる兆しは一切ない。アンドラスが言うところの『魔法系の魔人』とやらは、おそらく魔力量やそれを扱う技術が優れているのだろう。


 しかし、空に逃げたことでアンドラスが地上からの魔法攻撃にのみ集中している今、意識外からの攻撃を与えることができれば――。


 目を細め、上空のアンドラスが僕から注意を逸らしていることを確認する。


 確かにあの魔人の戦闘能力――魔法の能力や純粋な肉体性能は脅威の一言だ。近接での戦闘は僕とほぼ互角であるし、魔法に至っては明確に向こうが上――超大規模な災害級の魔法を放ったり、僕やリエッタ、他何人もの同時攻撃をしのぎ続けられるほどの差がある。


 しかし、そうであれば勝ち目が一切ないのかというと、実はそうでもないように思えた。なぜなら、アンドラスの戦術や戦闘勘といった部分が、その純粋なスペックに比してそれほどでもないように見えたのだ。ありていに言えば、戦うこと自体にそれほど慣れていない。


 ――だからこそ、接近戦で傷を与えうる僕から、この局面で目を離すなどということができるのだ。


 僕はできるだけ気配を薄く、身を低くし、アンドラスの視界の外へと素早く移動する。そして、魔力を練って魔法を発動した。効果は単純で、地竜と戦った際にも用いた魔法だ。


 巨躯を誇る地竜や上空にいるアンドラスといった接近するのに苦労する相手には――魔法で足場を伸ばしてやればいい。


 僕は地面から伸びる土の柱の上で、魔力を充溢させ剣を構える。せりあがる大地はすぐに僕をアンドラスのもとへと運び、そして必殺の一撃を可能とする。


 気配か魔力反応か、寸前で僕に気付いたアンドラスが振り返ってくるが、しかしもう間に合いはしない。


 アンドラスはその青い顔に焦りの感情を張り付ける。


「っく、や、やめ……そうだ、貴様になら――【戦争の名において、】」


「――数えきれない人の命を奪った、その報いを――」


 僕は怒りと魔力を込めた腕で、炎を纏わせた剣を袈裟懸けに振り下ろした。


 膨大な熱を押し込めた剣が、アンドラスの肉を斬り裂く――。


「ぐぅああァ!」


 僕の剣はアンドラスの片翼を切断し、そのまま背中から脇腹へかけて大きな切り傷を刻む。高熱の剣身が切断面を焼くため血はそれほど流れないが、しかし肉体をうちから焼くダメージと痛みは相当だろう。


 そして、翼を失ってバランスを崩したアンドラスは、斬りつけられた勢いと剣を避けようとした動きが相まって、斜め下に向かって墜落していく。あの翼は羽ばたきによって物理的に空を飛ぶためのものではないだろうが、飛行における重要な器官ではあったらしい。


 僕は上空にせりあがった土柱の上から、少し離れた場所の地面へ叩き付けられたアンドラスを見る。


 ――これでやれていれば良いが、斬った感触はまるで圧縮されたゴムのようなものだった。おそらく強靭な筋肉によるものだろうが、まだ傷が浅く死んでいない可能性が高い。


 そしてその場合、アンドラスが墜落した他の冒険者たちがいる場所が、新たな戦場の中心地となる――。


 僕は土柱を地上に戻しながら、先行してアンドラスのもとへと走る仲間たちを追いかける。



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