第20話 赫怒、特命
20.
すぐ隣で、誰かが立ちあがった。
感じた勢いと熱気に思わず目を向けた直後、その誰か――アンリが、低く唸るように声を上げる。
「――今……誰とも知れないやつらのために、テイルに死ねって言った?」
アンリはその目を見開き、射殺すようにギリアンさんを睨む。感情の総量に、ギリアンさんは怯むまではいかずとも目を見張る。
一方、問題の当事者である僕は、先ほどまで普通に会話していたアンリの急変に動揺を隠せない。
「……アンリ、落ち着いて。ギリアンさんの言ったことは……言葉の綾みたいなところもあると思う。最後に何とかするのは僕かもしれないけど、きっと他の冒険者だって事に当たるはずだよ」
「そうだとして、それは私たちより弱い奴らだよ。大して役になんか立たない。それで最後は、最悪テイルに命をかけろって――? 私たちを……テイルを舐めるな……!」
アンリは息も荒くギリアンさんをねめつける。完全に据わった眼差しに普段の面影は一切ない。
いつもなら飄々と要請を受け入れ、危なくなれば逃げればいいなんて言いそうなものだが。やはりこの態度も、アンリに起きた異変のせいだろうか。
僕は冷静に分析しながら、一方で考える。
確かにギリアンさんの言葉はすこし横暴にも感じられるが、実際この状況ではこう言うしかないだろう。ギリアンさんは、守護兵含めて僕がブレンで最も強いと言っており、であれば対魔人で矢面に立たせるのは当然のこと。そしてその敗北がイコール都市の危機なのだから、命の一つや二つかけるべきだ。
加えて、おそらく都市の防備に大きく関わる話なので、ギリアンさんの決定はそのまま領主の決定と言い換えていいはず。この非常事態において、貴族の強権が行使され得るということだ。
つまるところ、ここで僕が話を蹴ることは、今後『麦穂の剣』が活動を続けるうえで大きな障害となる――どころか、下手したら犯罪者として追われる身になってもおかしくはない。
僕はそこまで考え、いきり立つアンリをいさめようとするが、しかしその前にギリアンさんが口を開く。
「――威勢がいいな、小娘。中途半端な力しかねえくせにギャアギャアとやかましいな。……理解してるか? ここで俺に嫌と言ったところで、次はより権力を持った奴が命令するだけだ。都市の危機に手段なんぞ選んでられん」
ギリアンさんは、「この都市すべてを敵に回す覚悟があるのか」と口にする。
……やはりそうなるかと、僕は心を決める。ここまで明言されてしまっては他に選択肢などない。
部屋を見渡すと、不安そうに視線をさまよわせるリエッタと、妙に落ち着き払ったウルが視界に入る。それに、視線で相手を殺しかねない勢いでギリアンさんを睨むアンリ。
彼女たちを守るというと傲慢な表現になってしまうが。しかし、ここはギリアンさんの言う通りにするしかないと、僕が答えを返そうとした時であった。
「――テイルを、今度こそ失いはしない」
アンリが小さく呟くのが聞こえた。その直後、自身は何を言ったのかとアンリがハッとする。
聞いていた僕もその異変に眉根を寄せる。僕が崖から落ちた記憶を失くしているはずのアンリが、今の台詞を言うのは違和感がある。いまこの時に記憶が戻ったのか、それとも反応からして無意識に言ったものか――。
思わずアンリの異変に思考を巡らせた僕は、しかしすぐに意識を引き戻される。一層視線をきつくしたアンリが、ギリアンさんに向けてとうとう気炎を上げたのだ。
「無理やりテイルを戦わせるのは、誰が相手でも許さない。ギルドだろうが領主だろうが、私が黙ってると思うな――!」
「ッ言ったな小娘。一線は退きそこの小僧には劣るが、まだまだお前ごときにやられんぞ――!」
戦意を昂らせるアンリに応じ、ギリアンさんも吠える。ソファから腰を上げ、威嚇するようにアンリへ向けて牙を剥く。
二人の間で魔力が混じった風が吹く。一触即発の光景に、僕は思わず歯噛みした。
――こんな、アンリがギルドへ向けて明確に噛みつくようなことを望んではいなかった。ギリアンさんという直接的な武力が危険なのはもちろん、そもそも冒険者としての立場も危うくなってしまう。
まずいと焦った僕は、すぐに二人を仲裁しようとする。その後一体どうすればいいかという考えもないが、今はとにかくアンリのためにもギリアンさんへ逆らうべきではない。
立ち上がって、この物騒な空気をなんとか収めようと口を開きかけたその時。
「――二人とも。まずはその精神論をやめて、建設的な議論をしようよ」
視線を向けた先で、涼し気な表情のウルが言った。
「都市の危機なんでしょ」
その軽い言い方に、僕たち全員思わず気が削がれる。先ほどまでの張り詰めた空気が、ウルのおかげで少し緩んだのを感じた。
ありがたく思いながら、僕はウルの言葉を今一度咀嚼する。
都市の危機だから建設的な話をというのはもっともである。しかし問題は、その『精神論』という言葉だ。
僕と同じことを思ったのだろう。アンリとにらみ合っていたギリアンさんは、意見があるなら具体的に言ってみろと挑発的に顎をしゃくる。
それに対し、ウルはなんら気負うことなく話し始めた。
「まず、支部長の言った『死んでも倒せ』っていう指示。これこそ精神論の最たるものだよ。仮にその魔人がテイルより強かったら、死ぬ気で戦ったところで負けるものは負けるよ」
「……それはそうだが。何が言いたい?」
「だから事前に話をするなら、実現性の議論もせず頑張って倒せじゃなくて、倒せなかった場合どうするかじゃないの? テイルが今のブレンで一番強いって言うなら、一度テイルが負けてそのまま死んだら、それこそ続く二戦目で魔人を倒せる可能性はなくなる。そうじゃなくて、テイルがやられる直前に助けを入れられる体制を整えるとか、そういうことを考えるべきじゃないの?」
「……」
黙り込むギリアンさんへウルは続ける。
「あとは、テイルがやられそうなら街の人を避難させるよう準備しておくとか。これは領主様の方が考えることかもしれないけど」
ウルはそう言うと、少し呆れたような視線でギリアンさんとアンリを見た。
僕もウルの言葉を聞いて、それはそうだと耳が痛い。自分一人が命をかければ何とかできると、そう傲慢にも考えてしまっていた。いかに地竜討伐を成したからといえ、先ほどギリアンさんから魔人は最悪白金等級以上と聞いていたにも関わらずだ。
ギリアンさんもウルの言葉には思うところがあったようで、しばし目をつむっていたかと思うと、やがて大きくため息を吐いた。目を開けると先ほどまでの雰囲気を一変させ、乱暴にソファへ腰を落とす。
「そうだな、お前の言う通りだ。……だから俺は支部長なんざ性じゃねえつってるんだが」
ギリアンさんはため息を吐いて言った。
「悪いな、俺は生粋の戦士だ。つい現役のころ自分がどうしてたかで物を考えちまう。だが、確かにお前の言うことの方に理があるわな。……緊急時に俺に意見できる部下がいねえことも、問題なんだろうな」
「じゃあ、テイルに言ったことは?」
「ああ、取り消す。死んでも倒せってのはなしだ。テイルを魔人に当てるってのを変える気はねえが、いざという時にはちゃんと助けを出す」
「――!」
ギリアンさんの言葉にウルは頷いた。アンリも黙ってソファに腰を下ろす。
一連の騒ぎが何とか落ち着き、僕はリエッタと一緒にほっとした肩を撫でおろした。
ギリアンさんは改めて僕たちに向かい、はっきりと口にした。
「――今回のスタンピード対応で、魔物どもをある程度蹴散らし、魔人が出てきた後はテイル――お前にその対処を任せる。他の奴らにもサポートはさせるが、メインはお前だ。……ただし、さっきそこの小娘が言った通り、魔人に負けたお前をそのまま殺されるといよいよどうにもならない。よって、お前が死ぬ前にサポートの奴らが助けに入ることとする。人選については残る有望な冒険者たちから――」
「――私たち、『麦穂の剣』もそこに参加させてもらうよ」
ギリアンさんの言葉を遮って、アンリがそう言った。ウルとリエッタも同調を示す。
ギリアンさんが「いいだろう」と頷くのと同時、僕は思わず声を上げそうになるが、こちらを向いたウルに先んじて封じられる。
「言ったよ。最期まで一緒だって」
「死ぬ気はないけどね」と、教え諭すように言われ、思わず閉口する。
もちろん全員死ぬようなことにならないよう動くのだろうが、それでも危険なことに変わりはない。大事な仲間たちにはもっと安全にいて欲しかったのだが、それを僕が言ってもどの口がとなる自覚はあった。
やむなくウルの言葉を飲み込むと、それを得意そうに微笑まれ、僕は苦笑するほかなかった。
そうして、僕が異を唱える余地もなく話は進んでいく。なんとか着地点が見えた後は、先ほどのような口論が起こることもなく、詳細の話へと移っていった。
――その後、危急の事態であるためそれほど時間もかけず、ブレン支部長であるギリアンさんとの会合は終わりを迎える。
途中どうなるかと思う場面もあったが、なんとか話はきれいにまとまったように思う。
一方で僕の心境はと言えば、仲間である少女たちの大立ち回りに振り回され、戦う前から何とも疲れが溜まったような心地だった。
しかし、これから訪れる激戦と比べれば、それこそ子どもの小競り合いのようなものだ。ブレンに集まりつつある魔物たちは、この地の冒険者や守護兵の命を散らし、街の暮らしを脅かす事態を起こそうとしている。
それを防ぐ力として、僕は支部長直々に要請を受けた立場だ。
身が引き締まる思いとともに、来たるべき決戦へ向け、僕は波立った心を落ち着けるのであった。
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