第14話 回想、再始動
14.
――ウルがこんなに過激なことを言うなんて、長い間一緒にいて初めて聞いたかもしれない。
僕は新たな一面を発見したような気持ちで、どこか晴れやかな表情のウルを見る。
これまでのウルは、奔放なアンリや無邪気なリエッタから一歩引いたところに立つ、大人なところが目立つ少女であった。
だが、いまこのときをもってそんな考えは間違っていたのだと思い知る。弱冠十七歳のウルは、この歳にしてどこまでも深い覚悟を決めてしまった少女であったのだ。
アンリのように不安定な精神状態というわけではないようだが、僕としては自らの死を厭わない考えに複雑な思いを抱いてしまう。しかし、それは僕が言えたことではないので咎めることはできない。
僕にできるのは、ただウルの発言を受け入れることのみであった。
――そうして、ウルはやがてリエッタと仲睦まじく会話を始める。内容は主に僕のことだ。わざとらしくこちらを見ながら交わされる愚痴に、僕は苦笑いするしかない。
しかし一方で、二人の様子は僕の告白に怒っているようには見えず、その和やかな雰囲気からも、僕は先ほどの謝罪が完全に受け入れられたことを理解した。
最悪失望されて嫌われることまで覚悟していたので、僕にとって幸運な結果に収まったと感謝するべきだろう。
少し頭を悩ませるウルの宣言については、ひとまず今出来ることもないので置いておくしかない。また、ウルの気持ちを変えられる材料がないか、頭の片隅で考えておこう。
――そして、謝罪が終わったならその次は……。
矢継ぎ早の重い話題に、二人が胃もたれしなければいいなとは思う。しかし、それでも必要なことだと、僕はおもむろに口を開いた。
「――二人とも。僕からもう一つ話があるから聞いてほしい」
二人が会話を止め、まだ何かあるのかと僕を見る。
「話っていうのは、アンリの様子がおかしいことなんだ」
「――……」
僕の言葉に、そういえばそんなことがあったとばかりに目を開く二人。仲間の大きな異変に対して思ったより軽い反応に、僕は思わず気が抜けたような心地になる。
「アンリのあれ、何だかもう慣れてスルーしてた。でも確かに、テイルが帰ってきた今はどうにかしなきゃだね」
「なんかよくわからない妄想してるもんね……! テイルくんがアンリちゃんの恋人だとかなんとか」
二人はやはりアンリの異変には気が付いていたようで、難しそうな顔をしてそう言った。
おそらく僕がいなくなったことが原因で生じた異常だろうが、より詳しい経緯が分からなければ解決のための方法を考えることもできない。
僕は何とも言えない表情の二人に向け、頷いて見せた。
「昨日の夜、僕のことを恋人だと勘違いしたアンリが部屋まで来たんだ。もちろん僕に覚えはないから混乱したんだけど、それ以外にも会話する中で話がかみ合わないところがあって。……アンリはどうやら、僕がいない間の記憶を正しく認識できてないみたい」
僕はいま、アンリの扱いに心底困っている。明らかに事実でないことを事実と思い込み、自らの記憶に齟齬が生まれそうになると不安定になる――この問題をどうにかしないと、危険のある依頼を受けられないなど冒険者活動に支障が出る。
それになにより、精神的に健全でない状態の幼馴染を放っておくことなどとてもできない。
僕はそんな懸念をウルとリエッタにすべて伝え、そして返答を待った。しかし二人は顔を見合せ、どちら困ったように唸る。
「……私の知る限り、アンリはテイルがいなくなってから少しして突然ああなってた。予兆といえばテイルを失ったと思ってひどく落ち込んでたことだろうけど、それは私たち全員に言えることだし」
「テイルくんは、アンリちゃんがへんになった原因から、どうやったらもとに戻せるか知りたいってことだよね」
「うん。たまに大きなショックで記憶が無くなるとかいう話は聞いたことがあるけど、無理やりに本当のことを思い出させるのはあんまり良くないらしいから、できるだけ穏便にね。詳しい経緯を把握したらなにかヒントがないかと思って」
それから二人はしばらく頭を悩ませる。
少しして、リエッタが難しい顔をしながら口を開いた。
「……関係あるかはわからないけど…………たぶんテイルくんがいなくなって二週間経ったくらいかな。ある夜にアンリちゃんがね――」
そうして、リエッタは手掛かりになるかもしれない出来事を話し始める。
――あれはたしか、良く晴れて雲一つない星空が広がってた夜のこと。
テイルくんがいなくなってからもう二週間。大切な仲間を失ったと思っていたわたしたちは失意の中、それでも生きていくためには仕方ないと無理に依頼をこなす日々を送っていた。
その日も昼間に魔物を討伐して、みんな無言のままギルドで換金だけして宿に帰った。次の日からも、またそんな死んだように生きる糧を稼ぐだけの日が続くのかなと、そんなことを思っていたんだけど。
夜、テイルくんのことを想っていつものように涙をこぼしながら目をつむっていたその時――わたしは同じ部屋にいる誰かがすっと外にでていくのに気づいたの。
目を開けて並ぶベッドを見ると、アンリちゃんが寝ていたところが空になっていた。
最初はわたし、トイレにでもいったのかと思って気にせずベッドにいようとした。すぐ帰ってくるだろう、と。
でも、去り際にちらっと見えたアンリちゃんの背中が――なんだか、まるでわたしの知ってるアンリちゃんじゃないような……それこそ、だれかに体を操られているような雰囲気を感じて、どうしてもそれが気になったから。
だから、わたしもすぐにベッドを出て、去っていったアンリちゃんを追いかけた。
部屋をでたわたしは、アンリちゃんが階段をおりていくのを見てあとに続く。足早に進むアンリちゃんはそのまま宿をでて、入口の扉を開けたまま表の通りで立ち尽くした。
月と星の光を浴びたアンリちゃんは、まるでその白金の髪が輝いているようで、すごく神秘的に見えたのを覚えている。
そして、なかなか動かないアンリちゃんをじっと眺めていると、やがてアンリちゃんはおもむろに呟いた。
「――大事なテイルを失ったショックは、あまりにも大きかったと。普段飄々と振る舞っていたのは、拒絶されることを恐れていた裏返し……。……私の…………には……いい……」
そのずいぶん他人事のような言葉が印象的だった。最後の方はなんと言っているか聞きとれなかったけれど、最初から最後まで神秘的な雰囲気を漂わせていたことはよく記憶にのこっている。
そうして、アンリちゃんはしばらく通りに立っていた。それから、やがて頭が痛いのをこらえるみたいに額に手を当てたから大丈夫かと心配していると、少ししてゆっくりと手をおろした。
その後は、また突然動きだしたかと思うと、何事もなかったように宿の中に入ってきたの。わたしは見つからないよう急いで部屋にもどって、寝たふりをしながらアンリちゃんが帰ってくるのを確認した。
そして、次の日の朝――思えば、アンリちゃんがおかしくなったのはそこからだったような気がする――
リエッタはそう話を締めくくり、「どう思う?」と問いかけてくる。
僕は少し間考えて、やがて口を開いた。
「確かにリエッタの思う通り、そのアンリの行動は何か怪しく感じる。翌朝からアンリがおかしくなったっていうのが確かならなおさらだ」
「うん。次の日からってのは、たぶん、なんだけど……。でも、あの時のアンリちゃんがいつもと違ったってのは本当だから、もしかしたらって……」
「そっか。でも、今の話だけでも取っ掛かりにはなるかもしれない。その時のことで、他にも何か気づいたこととかはない?」
「うーん」
リエッタは僕の問いかけに頭をひねる。ぎゅっと目を閉じ、当時のことを思い出しているようだ。すでに二か月は前のことなので、さすがにこれ以上は情報も出てこないか。そう、僕が思った時だった。
やがてぱちりと目を開いたリエッタは、「そういえば」と呟きながら僕を見た。
「あのとき、アンリちゃんの手が――さっきのテイルくんの燐気みたいに、ぽわーってうすく光ってたような気がする……」
「アンリの手?」
「うん。アンリちゃんの右手って不思議なアザがあるでしょ? 昼間は目立つからって手袋で隠してるけど、あの時は夜だったから。そのアザが……光ってたように見えたかも」
リエッタの言葉に、僕は思考を巡らせる。
確かにアンリの右手の甲には、ずっと昔から不思議な形のアザがある。まるで何かの文様のように見えるアザだ。
それが光っていた――魔力を纏っていた……? いったいその事実が何を意味するのか、いくら考えても今の僕には分からない。
それから僕たちはまた二言、三言と言葉を交わし、各々頭を悩ませる。いったいリエッタが見たものはなんだったのか。アンリの変化はなんなのか、と。
しかし、結局何か決定的な気づきがあることもなく時間だけが過ぎていく。そろそろ、アンリが話を終えて戻ってきてもおかしくない。この辺りで一度相談は終わりにした方がいいのかもしれない。
僕は大切な仲間の異変に有効な手立ても思いつかず、歯がゆい思いを抱えながらも、やむなく二人に言った。
「――……今日はもう、この話はおしまいにしようか。アンリには聞かせられないし、いったんはアンリの言うことをあまり否定しないようにして様子を見るしかない」
「うん……テイルの言う通り、仕方ないと思う」
「わたしも、わかったよ。でもテイルくん、もしアンリちゃんにヘンなことされそうになったら言ってね。わたしたちが助けるから!」
「うん、ありがとう。そうだよね。アンリも女の子なんだから、望んでいない相手と知らないうちに……なんてことにはできないもんね」
「……心配なのは、アンリの方じゃないんだけどね」
ウルが何やら小声で呟く。リエッタと二人で顔を突き合わせ、なにやら僕を不満げに指して話している。
どうにも釈然としない反応であるが、しかし、ひとまず今後の方針は定まった。
――僕たち『麦穂の剣』は軽い依頼で肩慣らししながら、生きる糧を得るため少しずつ以前のように活動していく。そして同時に、アンリのことをどうするかは様子見である。問題が宙ぶらりんの状態で少し気持ち悪いが、他にいい方法を思いつかないので仕方がない。
僕たちはお互い顔を見合せると頷きあう。そして、ちょうど奥からアンリが歩いてくるのを見つけると、手を振って場所を知らせた。
――こうして『麦穂の剣』の再始動計画は、リーダーであるアンリが知らないうちに水面下にて進んでいくこととなる。
前途は多難で、決して順調な滑り出しとは言えないが、しかし。
――それでも僕は、またみんなで同じものを目指し同じことに取り組める、ただそれだけのことに、この先待ち受ける困難にも負けない大きな力を貰えたのであった。
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