第10話 精霊はチョコレートがお好き

「辺境の聖女……じゃなかった。ミズキちゃんの力を見込んで、頼みたい仕事があるんだけど」


「はあ……」


 冒険者ギルドのカウンターで、ミズキはふてくされていた。

 別に悪口を言われたとか、嫌がらせを受けたとか、そんなことは決してない。

 この町の冒険者も受付嬢も、親切な人ばかりだ。

 そして意外と芸術に興味を持っていた。


 リリアナの個展に何人かが行き、そこから口コミで広まり、今や『辺境の聖女=ミズキ』ですっかり定着してしまった。

 ミズキが嫌がると知っているので、聖女と直接言ってくる者はいない。が、町の冒険者を描いた絵が王都で賞を取ったというのが嬉しいらしく、そこら中から「聖女マジ可愛い」「聖女しか勝たん」などという囁き声が聞こえてくる。


 ミズキは褒められるのが好きだ。

 しかしそれは、魔法や剣の腕前が凄いとか、ポーションの効き目がいいとか、技術や行動を褒められたいのであって「聖女たんが美味しそうにパンを食べてる絵に金貨百億枚課金したい」「聖女様に豚野郎と罵って欲しいブヒ」なんて言われたいのではないのだ。


「……どんな仕事を私に頼みたいんですか? 聖女として檀上で愛想を振りまけばいいんですか? 歌って踊ればいいんですか?」


「そこまで拗ねないでよ。ちゃんと冒険者としての仕事。精霊の洞窟に、お供え物を持っていって欲しいの」


 受付嬢はそう答えた。

 そして彼女は、昔話を語ってくれた。


 ここは今でこそストーンリーフという町になっている。

 だが数百年前までは岩ばかりの土地だった。

 それらの岩は、街道の整備や王都の拡張工事に使うため運び出された。それを指揮したのが、グラニートバーグ伯爵の御先祖様だ。

 そして岩がなくなったこの土地に、町や村を作って開拓することになった。

 しかし岩がなくなって土が露出したが、それでいきなり植物が生えてくるわけではない。

 開拓に必要な木材は、近くの森を切り開いて確保する計画だった。


 ところが、その森には精霊がいた。

 森を破壊しようとする人間たちに精霊は怒り、戦いが起きかけた。

 その精霊は強大な存在だったので、実際に戦えば人間が一方的に蹂躙されていたかもしれない。

 当時のグラニートバーグ伯爵は、精霊と交渉した。

 木材が必要だ。だから木を切る。その代わり、切った以上に苗木を植える。これなら森は再生するし、いずれ今よりも大きくなるだろう。


 精霊はそれだけでは足りないと言った。

 人間は信用できない。仮に今生きている人間を信用したとしても、その子供は? 孫は?

 人間はすぐに代替わりする。約束が子孫たちまで受け継がれるという保証はない。

 もちろん未来の話をすればキリがない。

 だからせめて現在の人間の誠意を見せて欲しい――。


 その言葉に応えるため、当時のグラニートバーグ伯爵は、酒や食料などを精霊に送った。

 なにをすれば精霊が喜ぶのか分からない。贈りものは苦肉の策だった。

 ところが思いのほか成功し、精霊はとりあえず人間の行動を静観してくれた。

 以来、年に一度、お供え物を精霊に捧げる習慣ができた。

 もちろん植樹も続けている。ミズキたちがモンスターを狩っている森は、そうやって広がった森なのだ。


「で、そろそろ精霊にお供え物する時期なの。精霊がいる洞窟は森のずっと奥だから、モンスターの数も多い。だから強い冒険者に頼んでる。そして今、この町で一番強いのはミズキちゃんというわけ」


「なるほど。精霊ですか。分かりました、引き受けましょう」


 ミズキは精霊の姿を想像する。

 小さなフェアリータイプだろうか。それとも人間と同じ大きさの美しい女性だろうか。人間に全く似ていない、ふわふわした光の塊というのもあり得る。

 なんにせよ幻想的な姿だろう。

 楽しみだ。

 ネタバレを避けるため、あえて詳細を聞かない。

 ワクワクしながら、お供え物が入ったリアカーを引っ張って森を進む。


 遭遇したモンスターを鼻歌交じりに次々と蹴散らす。

 その様子を見ていた冒険者たちが「すげぇ……あれが辺境の聖女か」とか呟いていたが、ミズキは上機嫌なので気にならなかった。


(ここがその洞窟ですね)


 想像していたよりも入口が遙かに大きい。

 大型トラックが余裕で入れるだろう。

 ミズキは魔法で明かりを出し、中に入る。


(奥になにかいる……? いえ、精霊の洞窟ですから精霊がいるんでしょうけど……なんという存在感の圧……)


 精霊が人知を超えた特別な力を持っていても不思議ではない。

 しかし洞窟の奥から感じるのは、たんに強いというだけでなく、とても威圧的な印象を受ける。不良に睨まれたときに似ていた。


「これは人間の気配か? おお、もうお供え物の時期であるか。ごくろう。褒めてやろう。特に褒美はないがな」


 洞窟の奥から巨大な足音が迫ってくる。

 ドラゴンだ。

 洞窟の壁を擦るようにして、真紅の巨大なドラゴンが歩いてきた。

 そしてミズキの前に顔を降ろし、鼻で大きく息を吸う。


「おおっ、いい匂い! 今年も上質のものを用意してくれたらしいな!」


 ドラゴンは女性の声ではしゃぎながら、牙の隙間からじゅるりと涎を流す。

 ミズキを食べようとしている――のではない。ドラゴンの視線はミズキの後ろにあるリアカーに注がれていた。


「えっと、最初に確認したいんですけど……あなたが精霊ですか?」


「如何にも! いにしえよりこの地に住まう精霊、オルガリーズとは我のことだ。お前こそ、我にお供え物を持ってきた人間であろう? 我の姿形を知らんで来たのか?」


「精霊がどんな姿か直接確かめたくて、あえてなにも聞かずに来たんです」


「そうか。で、どうだ? 我の格好いい姿に惚れたか?」


 オルガリーズは姿を見せつけるように立ち上がる。だが、いくらこの洞窟が広いとはいえ、ドラゴンが直立できるほどではなく、頭部の角で天井を削ってしまった。ガラガラと岩が落ちてきた。ミズキはそれを剣で弾く。


「おお、済まん済まん。なかなかいい太刀筋だな。毎年、町で最も強い冒険者が来ることになっているが……お前は今までで一番強そうだ。ま、そんなことより……さあ、早く我にお供え物を食べさせておくれ!」


 急かされたミズキは、リアカーからシートを外す。

 すると中にあったのは、色んな種類のチョコレートのパッケージだった。

 これがドラゴンへのお供えものなのか。手違いで子供たちへのプレゼントが紛れ込んだのではないか。

 そう真剣に思ってオルガリーズの表情をうかがう。

 子供のように目をキラキラさせていた。

 どうやら、これをご所望らしい。

 ミズキはパッケージを剥がして、ドラゴンの口にひょいっと投げ入れる。


「んほおおおおっ! これこれ! 人間の食料を色々試したが、このチョコレートというやつが最高だ。ほれ、もっとテンポよく食べさせろ」


 ひょいっ、ひょいっ。

 ミズキが投げたチョコをオルガリーズは舌の上で溶かし、とても満足そうにする。食べれば食べるほどトロけた顔になっていくので、食べさせるのが楽しくなってきた。


「このチョコ、そんなに美味しいんですか?」


「うむ! 一年かけてグラニートバーグ伯爵家が厳選したチョコレートの数々。そこらで普通に売ってるのとは質が違うぞ。気になるなら少しだけ分けてやろう」


 お言葉に甘えて一つ頂く。


「……むむ! 確かに美味しいです!」


 スーパーなどで売ってる安いチョコレートしか食べたことがなかった。高級品はこんなにも違うのか。実に高級な味がする。


「もぐもぐ……もぐもぐ……」


「おお、実に美味しそうに食べる奴だな。こっちまで幸せになる笑顔……って食べ過ぎだ! 少しだけと言っただろ!」


「失礼。あまりにも美味しかったもので。それにあなたの言う〝少し〟がどのくらいなのか分かりませんでしたし。具体的になんグラムですか」


「いや、グラムとか人間の単位の話をされてもな……ええい、適当に食え! その小さな体では、腹一杯食べても、たかが知れている」


「では遠慮なく。もぐもぐ」


「自分だけでなく、我に食べさせるのを忘れるなよ。この指でパッケージを剥がすのは大変なんだから」


 オルガリーズは前脚を上げ、爪をカチャカチャ鳴らした。確かに、こんな大きな指だと人間用のお菓子を食べるのは難しそうだ。


 もぐもぐ、ひょいひょいっ。もぐもぐ、ひょいひょいっ。

 ミズキはテンポよく、自分とオルガリーズにチョコを供給し続ける。

 リアカーに山盛りになっていたチョコは、あっという間になくなってしまった。


「ふう、堪能した。今年もよいお供え物であった! 感謝するぞ、人間」


「どういたしまして」


「にしても、お前。まるで我に動じないんだな。普通なら、我に敵意がないと分かっていても、この巨体に少しは怯えるものだ。一緒にチョコを食べたのはお前が初めてだぞ。名前はなんという?」


「ミズキ・タチバナです。実のところ、最初はちょっと怖かったです。けれどオルガリーズさんがチョコを食べる表情が可愛かったので。そんな怖がらなくてもいいのかなぁと思いました」


「ほほう。我の愛らしさを理解できるとは見所があるな。しかし可愛いだけではないぞ。ミズキが最初に感じた恐怖も本物だ。食後の運動がてら、少し戦ってみるか? 怪我せんよう手加減してやるから。な?」


 オルガリーズは子供が友達を遊びに誘うような口調で言う。

 こんな巨体だと遊び相手を探すのにも苦労するのだろう。

 体が大きいだけでなく、魔力も凄まじい。少しじゃれただけで相手を殺してしまう恐れがある。

 ミズキなら大丈夫だと判断し、この機を逃してなるものかと必死になっている。


「いいですよ。ちゃんと手加減してくれるなら」


 そしてミズキとしても、これはチャンスだった。

 この世界に来てから何度もモンスターと戦ったが、どれも楽勝だった。

 ミズキは順調に強くなっている。しかし苦戦がないので、そのありがたみが分からない。

 一度くらい敗北して、自分の限界を知っておきたかった。死の恐れがない遊びで敗北を教えてくれるというなら、願ったり叶ったりである。


「どこからでもかかってくるかいい! 遠慮はいらん! 人間が我を傷つけるなど不可能だからな!」


 オルガリーズは洞窟の外に出ると、上機嫌な声で叫んだ。


「そこまで断言されると、ウロコの一枚くらいは剥がしてやりたくなりますね」


 ミズキは剣を構えて、腰を落とす。

 相手を注意深く観察し、隙をうかがって……と考えを巡らせ、それが無意味と気づく。

 オルガリーズには隙しかない。完全に油断しきっている。

 なのに壁を感じる。なにをやっても跳ね返される気しかしない。

 存在の格が違うのだ。

 蟻が象の隙をついて噛みついても、なんらダメージを与えられない。ゆえに象は蟻を警戒しない。

 それと同じ理屈で、ドラゴンは人間を警戒しないのだ。

 きっと優しく倒してくれるだろう。

 ミズキは安心して、真正面から突撃した。

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