第8話 未来の画伯

 ミズキは山登りをしていた。

 山頂にいるモンスターを討伐するため……ではない。

 単純に、景色がいいところで昼食を食べたくて登っているのだ。


 この山はストーンリーフから徒歩で日帰りできるくらい近い。

 が、武器や薬の素材が採れるわけでもなく、定期的に討伐しなければならない危険なモンスターがいるわけでもないので、人が立ち入ることは滅多にないという。


 だからミズキは人目を気にせず、鼻歌を歌いながらピクニックを楽しんだ。

 たまに弱いモンスターが出てくるが、鼻歌を中断せず、剣の一撃で成敗である。


 それにしても景色がいい。

 まだ山の中腹だがストーンリーフの町並みが小さく見える。

 世界の広さを実感できる。

 テンションが上がってきたミズキは、お気に入りのアニメソングを大声で歌った。


 その次の瞬間。


「誰かいるのか!? 助けてくれぇっ!」


 歌声を聞かれた。

 恥ずかしい。顔から火が出そうだ。ミズキはスカートを握りしめ、プルプル震える。

 早く逃げ出したいが、助けを求める声が本当に切羽詰まっていたので、見捨てたら気になって眠れなくなる。


 岩陰から顔を出して様子をうかがう。

 ベレー帽を被った女性が、一角ウサギの群れから逃げ回っていた。


(あの人が持ってるの……キャンパスでしょうか?)


 少し離れたところに、画材が散乱していた。

 どうやら絵を描いていたところを襲われたらしい。


「見てしまった以上は、助けるしかありませんね」


 ミズキは電撃魔法で一角ウサギの群れを殲滅する。


「稲妻……? そして少女……君が助けてくれたのか? さっきの素敵な歌声も君かい?」


「あなたを助けたのは私です。恩を感じるなら、私が歌っていたことを誰にも話さないでください」


「どうして? 元気でいい歌声だったのに」


「恥ずかしいんですよ!」


「よく分からないけど、分かったよ。とにかく助かった。ありがとう」


 女性はベレー帽を脱いで、頭を下げた。

 二十代半ばくらいだろうか。ミズキから見れば立派な大人だ。

 そんな大人の女性が、武器を持たず、護衛もつけず、山奥で絵を描いている。

 気になるシチュエーションだ。


「純粋な興味から聞くんですけど、なぜここで絵を描いてるんですか? 町や村の近くにも、綺麗な景色はあるでしょうに」


「そりゃ、綺麗な景色はあるよ。だからこそ、ただ綺麗な風景画を描いてるだけじゃ、前に進めない。私はね、インスピレーションを求めて山を登ったんだ」


「インスピレーション。芸術家っぽい言葉です。もしかしてプロの画家さんですか?」


 もし有名な人だったらサインをもらっておかなきゃ、とミズキはよこしまなを考えを浮かべる。


「プロの画家を目指してる。今は何者でもない」


「なるほど。つまり将来、有名な画家になるかもしれませんね。今のうちにサインください。なんなら助けたお礼に、小さな絵とかくれてもいいんですよ。遠慮なくもらってあげましょう」


「はは。君は面白いね。まだ一枚も売れていない私が、有名な画家になると思ってくれるのか。嬉しいね。ちなみに私はリリアナ・アーノルドだ」


「ミズキ・タチバナです。私は芸術の素人ですけど。あなたがキャンパスを自分の命のように大切に抱えて逃げているのを見たので。本気なんだろうなぁと思いました。それに描きかけではありますが、私はその絵、好きですよ。色使いがいいと思います」


「……ありがとう。照れくさいものだね、褒められるのは」


「分かります」


 ミズキは深々と頷く。

 そして、素晴らしいと思ったものに賞賛を送りたい気持ちも理解した。

 今後は「聖女」と言われても、できるだけ耐えたい……いや無理だ、恥ずかしい。


「ところで、お昼ご飯は食べました? 私は景色がいいところでお昼を食べるためにここに来たんです。もしよかったら一緒にどうです?」


「そのためにモンスターがいる山を登ってきたのか……大したものだ」


「絵を描くためにモンスターがいる山を登るほうが大したものですよ」


 ミズキとリリアナは、それぞれ持参したパンを食べる。少し千切って交換もした。


「水筒に紅茶が入ってるんですけど、あなたも飲みますか?」


「いただくよ。それにしても準備がいいんだね」


「あなたの準備が適当すぎるんですよ。次からは画材道具だけでなく、武器やポーションを持ってきてください。というか戦闘力がない人は、護衛をつけずにこんなところに来てはいけません」


「あはは。年下の子に説教されてしまった。いや、ごもっともな意見だ。次からはケチらずそうしよう。護衛を雇うお金を貯めないとね……」


 まだ一枚も売れていない、画家志望。

 アルバイトかなにかで食いつないでいるのだろう。

 なら当然、金銭的な余裕はない。

 ミズキはふと、護衛を無料で引き受けようかと思った。

 しかしそれは結局、根本的な解決にならない。


 今日、下山するまで守るのはいい。

 リリアナがストーンリーフを拠点に活動している間、何度か付き合ってやるのも構わない。

 とはいえ一生は無理だ。

 ミズキは確かに彼女の絵を気に入ったが、無償でどこまでもついていくつもりはない。


 真っ当に考えれば、絵を描く時間を減らして、ちゃんと働けばいい。だが、それは妥協である。

 もし彼女の絵が売れたとしても、一枚や二枚では、ろくな収入にならないだろう。

 安定して何枚も売れるようになるとか。あるいは一枚売れるだけで何年も暮らせるような値段がつく画家になれば生きていける。

 いずれにしても、それができないから苦労しているわけだ。


「ストーンリーフにいる間は、私を頼ってくれてもいいですよ。無制限というわけにはいきませんけど。そうだ。回数券をさし上げます」


 ミズキは三枚のメモ用紙に『護衛無料券』と書いてリリアナに渡した。


「ありがとう! 君は見た目が可愛いだけじゃなくて、字まで可愛いんだね」


「そ、そんなに可愛くないと思います……」


 ミズキは目を泳がせる。

 リリアナはその様子を微笑ましそうに見つめてくる。


「ごほん。私の顔を見たってインスピレーションは湧かないでしょう。ほら、目の前に雄大な景色が広がってるんですから、そっちを見てください」


「いやいや。君を見ていると、なにか閃きそうだよ。そこらでくつろいでいてくれ。私は勝手に描いてるから。ああ、そうだ。早速、この券を一枚使うよ。今日一日、私を守ってくれ」


「リリアナさんはストーンリーフに帰るんですよね? 私もです。帰宅するついでに守ります。その券はまた別の機会に使ってください」


「……君は本当にいい奴だなぁ。聖女みたいだ」


「聖女って呼ぶの禁止です」


「なぜ?」


「恥ずかしいからです。あなただって画伯とか呼ばれたら恥ずかしいでしょう?」


「画伯……もっと言ってくれ!」


「画伯!」


「素晴らしい気分だ……」


 リリアナはうっとりとした顔になる。

 絵を褒められるのは恥ずかしがるのに、こういうのは平気らしい。

 とりあえずミズキは、その辺をウロウロしたり、雲を眺めてボーッとしたり、蝶々を追いかけたりして時間を潰す。

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